十七 燻る確執
目が覚めるということは、幻想からまた封印されるということ。
少女は緩んでいた頬を冷徹な表情へと変えると、誰よりも早く、寝室を出た。
「おう。そんじゃ、始めるぜェ」
食堂に行けば、ガンムが先に椅子に掛けていて、そう声をかけられた。ファーはガンムの反対側の席に座る。
この場にはサランもいる。
「ハロンドをいかに仕留めるか。その会議を今、始めよう」
ガンムは鼻を鳴らす。ファーは動じない。サランは穏やかに微笑む。悪魔の会議の始まりだった。
「ハロンド殺害、早められねェかァ?」
そう提案したのはガンムだ。だが、サランは首を横に振る。
「駄目。ずっとそう言ってるでしょ?」
「っち」
ガンムは不機嫌そうに舌打ちする。
ずっとこうだ。ガンムはハロンドを殺すのを前倒しにする交渉しかしない。というか、この会議もそのためにガンムが用意したようなものだ。
どうして、こうなったのか。
いや、それは分かり切っている。ガンムがハロンドを心の底から恨んでいて、サランは別の事情で晴らすことを許可できない。ガンムはサランに表立って裏切れる立場ではないから、毎日のようにこうして交渉している。
ファーが思ったのは、そういうことじゃない。
あんなに優しかったガンムが、どうして人殺しを望むような人格にしまったのだろうと嘆いているのだ。
もはや取り戻せない過去への郷愁だ、どうこうするつもりはない。だけど、そう思わずにはいられない。
本当に、ガンムはソールじゃないの?なくなってしまったの?
あの時、もっと正しい対応があったんじゃないか、と。何処かにあの頃のガンムが残ってるんじゃないか、と。古くの希望を捨てられない。
「……おーい、ファー?ファーーー?」
あわててファーは意識を戻す。すると、不機嫌そうなガンムと、微笑みを絶やさないサランが見えてくる。
「すみません、お話を聞きそびれてしまいました。失礼ながら、もう一度仰って頂いても?」
「しょうがないなー。今話し合っていたのはね……」
捨てられなくてもいいのだと思う。
その希望に葛藤することが、胸の痛みを我慢することが、どんなに辛かったってーーー
強くいられる。ガンムの隣に居られる。
それでいいのだ。シレンスがそうであったように。ファーは言い聞かせるように、そう思い込む。
何故ってーーー
心を擦り減らすような仕事をしていたファーにはもう、ガンムを想う気持ちしか、残っていないのだからーーー
もう、朝は近い。朝日が昇る。
ファーの希望は、ガンムの影の配下としての働きをするため、密かに照らされることのない闇のベールで覆い隠された。
* * *
会議が終わり、朝食も食べ終われば、すぐに剣技科の授業である。
ファーはいつものように、真剣に相手を倒すように戦った。そうしないと、演技のプロの間者であるファーさえシンスに「真面目にやれー」と、てきとうな声とともに吹き飛ばされるのだ。
一戦目はサラン。ここ最近はよく戦う。サランがだいたい六位で、ファーが五位だから、妥当でもあるだろう。ちなみに、彼らの順位が低いのは、破剣が集団戦闘向きのものであることにも起因する。これはガンムが二位に甘んじている原因でもあった。
今回は珍しく負けた。サランとの勝率は三回に二回は勝てるくらいなので、珍しいことと言えた。
珍しいといえば、ハロンドがイサーシャに負けていた。イサーシャとは順位が少し開いているからファーはあまり戦わないが、最近は駆け引きが上手くなってきているように感じられた。
次の相手を探していると、ハロンドが近づいてきているのが見えた。
そして、言った。
「一緒にやらない?」
嫌だった。
「ああ?んでだよ、やだわバーカ埋め殺すぞ」
シレンス仕込みの暴言。少しでも早く人殺しに慣れるため、言動から変えろと言われたのが始まりだ。
「いつも通り辛辣ー。でもさ見てよ、相手、僕以外にいないと思うよ?」
見れば、イサーシャがイリスと組んでいた。
±3位の人まで戦えるので、六位のファーにとって戦える相手は、ハロンド、イリス、サランだ。でもサランはもうやっていて、イリスはもう相手がいる。外堀が埋められていた。
「……っち。後で火葬して骨を叩き折ってやる」
「ははは」
ファーは割と本気めで悪口を言っているのに、ハロンドの笑いで軽口に変わるのだから、不思議である。
「で?何が目的だ?私と戦ってさ。臓器散らかして殺されたいの?」
「目的、か。そうだね、君と話すことかな」
「……変な奴。死ね」
「あはは、無理かも」
二人がそう会話していると、シンスが唐突に言った。
「準備はいいー?いきなりすぎて良くないー?だけどごめんねえ、はっじめー」
「いきなり始まった。らしいけどさ」
ハロンドはそう言ってファーに笑いかける。ファーは
「死の合図の間違いだろ。脳漿ぶちまける用意でもしとけカス」
暴言で返事をした。
「いくぞ」
ファーが切り掛かってくる。ガキィィィンと、聞き慣れた力と力のぶつかり合う音がする。
ファーは愉悦に口角を上げ、目を大きく見開いてーーー
「それ、全部演技でしょ?」
ハロンドの言葉に動揺したファーは、一旦退いた。そして、一拍遅れて
「あ?」
と言った。
「僕には分かるよ。愉快犯を装って斬りかかるのも、暴言を吐き続けるのも、ガンムに付き従っていることも。全部、演技なんだろ?」
「……は」
ファーは固まった。その後、誤魔化すように笑い出した。
「は。ははは。ははははは!」
顔を歪ませて、言った。
「面白えこと言うじゃねえか。あぁ?今日だけは、手加減なしで行く」
ファーは全速力で切りかかる。けれど、ハロンドはひどく冷静な声で言った。
「ねえ、気づいてる?自分の口調が変化していることに」
ファーも、そう言われて気づく。言葉に暴言が入っていないことに。さらに言えば、シレンスの口調になっていることに。それを隠すように大声で
「うるさい!!」
と叫んで、全力で斬りつける。
だが、動揺している弊害か、ハロンドはいつもよりは手応えを感じなかった。
(……なんて、哀れな)
ハロンドはそう思った。まさか、ファーが少し揺さぶっただけで動揺するような精神状態だとは思ってもみなかった。
傍目から見れば少し興奮しているようにしか見えない。だが、ハロンドから見れば、可哀想なほどに乱れているのは一目瞭然だった。そんな彼女に、心が痛む。
けれど、ハロンドの揺さぶりは止まらない。ハロンドにも、どうしても守りたいものがあるからーーー。
「っ。ガンムと、何があったの?そんなに乱れてるのは、らしくないんじゃなくて?」
剣同士の鍔迫り合いをしながら、ハロンドは言った。
思ったよりもファーの力が強い。感情が篭っているからだろうか?
「……お前には、関係のねぇ話だ!」
そう言ってファーは一歩引いてから剣を離し、もう一度切りつける。但し、破剣で。
「破剣・鮫牙み!」
この破剣は判定が甘く、発動しやすいのが利点だ。だが、もう一つ、別の利点がある。
発動が早いこと。
“さめがみ”と、たった4文字で構成されているので当然とも言えた。
発動も早いその破剣に、ハロンドは詠唱が間に合わないと判断し、ファーが一歩引いた瞬間から後退を開始。ファーは破剣の能力強化で追う。
破剣の速度にハロンドは追いつかれる。だが、今度は受け止める準備が出来ていた。
「破剣・散受散龍!」
撤退している時に詠唱をしておいたのだ。この小技はよく使われるものである。
「ちっ!」
ファーとしては仕留めておきたいところだった。今のは明確なチャンスだった。正直、ハロンドの方が強いので、短期で決着をつけておきたいのだ。それに……
このままハロンドの揺さぶりを受け続けるのは、良くない気がした。
「ねえ、教えてよ。ガンムと君の間に、何があったのか」
ハロンドの口調は優しく諭すようで、まるで親のようだった。
つい扇情されるようなハロンドの言葉に、ファーは叫んだ。
「お前に話すことなんか、何も、ねえ!」
ファーはハロンドの刃をかち上げ、もう一度斬りつける。ハロンドも合わせてくる。
ギリッと歯軋りする。ああもう、一分の隙もない。先ほど仕留め切れなかったのが悔やまれた。
「教えてくれたら、何かしてあげられるかもしれないよ?」
「お前にしてもらうことなんか、何もねえ!」
ファーは一旦大きく下がる。そして、ハロンドに向かわず、適当に走り出した。
「ほう」
ハロンドは余裕そうに、感心したような声を出した。揺さぶりをかける時に大事なのは、余裕感を出すこと。自分も自信なさげだと、相手はかえって自信を取り戻すから。
ファーはハロンドの辺りをうろちょろ動き回る。途中から、動きに緩急もつき始める。
「“緩急灼微”、ね」
速い時なんかは破剣の速度だから、間違いないだろう。
ファーの動きを目で追っていると、目が回るようだった。ずっと見ているのはよろしくないといえた。
だから、ハロンドも走り出した。
「破剣・緩急灼微」
目が回るのは、相手がふらふらと奔放に動き回っているから。自分も動けば、相手も自分と接触することなどを考えるため、動きも制限できる。
そもそも、動かないのが悪手なのだ。
動かなければ、常に先手を明け渡しているようなものだから。
「ふっ!」
ファーはハロンドに切り掛かる。もちろん、ハロンドは楽々受け止めてみせる。
「ふぅっ!」
双方共に緩急灼微を使った斬撃。その威力は強力だ。あまりの衝撃に、周囲に微風が巻き起こる。
そんな中、ハロンドが、剣に力を込めながら言った。
「ガンムとは、どんな関係、なの?単なる、主従、関係?」
「黙、れ!」
「それ、とも、元々、仲良かったり、した?」
それはあまりに的を射ていて……思わずファーは激昂する。
「黙れと、言っている!!」
ファーはハロンドを蹴り上げる。ハロンドはバックステップをとり後退する。
「図星、か」
「ーーーっ」
あからさまに反応しすぎた。ファーは自分の対応を後悔する。
落ち着け。私はファー。ガンム様の影、間者。その者に、感情などという不利益なものは必要ない。その全てを、容赦なく押し殺せーーー。
何処かからゴリッという音がして、一瞬だけ胸に鋭く鈍い痛みが走って、また、いつも通り、何も感じない状態に戻る。
シレンスの言葉通り、感情は消すものなのだ。
ファーの顔から、表情が消えた。
「で?」
上書きするように、獰猛な笑みが浮かぶ。
「口八丁を並び立てて、私に勝ったつもりかよ?悪いけど、お前に血反吐まみれの内臓吐かせるまでは止まれねーんだわ」
ファーは地面を蹴る。とんでもないスピードでハロンドに迫る。当のハロンドは、悲しげな微笑みを浮かべるだけだ。
その表情が、どうも自分の心中を見透かしているようで気に食わない。
「うっぜえ顔をぶちまけろ!」
ガッキイイイイイイン!!
今までで一番大きな音が響き渡る!
木剣同士のぶつかり合いだ、そんなに通りやすい音ではない。だが、その音は、異質に響き渡る。無論、隣で戦っていて、短期決戦で戦いが終了したガンムの耳にも届く。
そんなガンムが見たのは、獰猛な笑みを浮かべるファーと、静かに微笑うハロンド。明確な温度差。ファーがペースを乱されているのは明白だった。
ガンムは顔色を変える。
「アイツ……」
ファーは何回もハロンドを切りつける。時に破剣を交え、時にフェイントを交え、自分の持てる全てでハロンドを切りつける。
だが、ハロンドは全て、受け止めて見せた。
「くそ……!」
ファーは悪態をつきながら後退して、荒くなった息を整える。仕切り直しだ。
対するハロンドは息さえ切れていない。受け止めるだけだったため体力をあまり使っていないというのもあるが、この差は明らかな地力の差だった。追撃も出来たはずなのにしなかったことからも、そのことがわかる。
「どうして、主従関係になったの?」
どうして?
それはファー自身も分からない。
封印したはずの心が、疼く。
「何でだろうなぁ?黄泉の国だったら分かるかもな?」
ファーは獰猛な笑みで取り繕い、皮肉で答える。
本当になんなんだろう、ハロンドの聞き方は。いつもいつも核心をついてくる。逃げられない時に聞いてくる。懐に入るのがうますぎる。
きっと、今のファーに余裕がないこともお見通しなのだ。
「もし本当に元々仲良かったならさ、仲直り、したくない?」
「うるさい!赤の他人が!!」
ファーは地を蹴ってハロンドに飛びかかる。ファーの剣がハロンドに当たる前に、ハロンドの剣が高速でファーの首元で止まる。
ファーが、唾を飲み込む。
「破剣……」
そう。ハロンドは、ファーに気づかれないうちに破剣の詠唱を済ませていたのだ。
その時、シンスの気怠げな声が聞こえた。
「試合終了ー」
結局、ハロンドは、試合終了間際までファーを掻き乱したのだった。




