十六 ハロンドの決意
テーブルに並ぶ料理はカレー。かなり珍しく美味しそうなメニューなのに、そこに座る面々の顔は固い。ついにハロンドは口を開いた。
「とりあえず、食べようか」
口にいれたカレーの味は、元々薄いのかは分からないが、あまりしなかった。
味よりも、周囲から聞こえてくるハロンドたちの悪口の方に耳がいってしまう。
それでも、ハロンドたちは平静を保ってカレーを食べ続ける。
ロファはカレーを食べ切ると、スプーンを置いて、深刻な表情で切り出した。
「なあ。そろそろ、なんとかしなきゃ不味いんじゃないのか?」
なんとか、というのはもちろん、ガンムと敵対しているこの状況のことだろう。
隣のタラも同意見のようだ。
「私もそう思う。あいつら、どんどんエスカレートしてきてるからさ。今日は授業まで妨害してきたし、もう限界だと思う」
イサーシャも神妙な顔つきで同意する。
「私も同感です。彼我の戦力差のおかげで元からかなりの劣勢なのですから、そろそろ手を打たねば取り返しのつかないことになりましょう」
「……」
一方で、ハロンドは沈黙していた。
一応、もう策は考えついている。
前回の学年会議の時、四組に搦手を伝授した時、ハロンドは思ったのだ。
この手は僕たちにも使えると。
だが、対象が一個人では効果が薄い。例えば、ロファがヤーノを寝返らせようとしても、こっちになびくメリットも見当たらないためすぐ寝返るとは思えない。それに、成功するかも分からないからすこぶる効率が悪い。
とすればーー標的はファーしかいない。
まず、彼女は主君のガンムと何かがある。その何かがガンムへの不満だとしたら、寝返らせることもできる。そして彼女はガンムの側近であり、戦闘能力も高い。何かが何なのか不明瞭な今、彼女を搦手にかけておくのはいい手かもしれなかった。
「何か迷ってんのか?」
ロファが言った。
ハロンドは思い悩んだ顔をしていたかと思い、あわてて考え事をやめた。
そして、どこか上の空で答える。
「そうかもしれないね」
それを聞いて、ロファとタラの顔が曇る。
「……そっか」
タラはそう言って、口をつぐんだ。
幾許かの沈黙。そして、ロファが口を開いた。
「ハロンドが何を迷ってんのかは知らないけどよ。俺ぁお前のためだったらなんだってする。だから遠慮すんじゃねえよ」
「私も、ハロンドの味方だよ。頼ってくれても、いいんだよ?」
タラも、そうハロンドを促す。
光の宿る目を見て、ハロンドは悟る。彼らは、ハロンドに尽くす用意があると。全てがイサーシャの言う通りであったと気づく。イサーシャを見れば、優しげな顔で頷いていた。
それでもーーーこれは、僕の問題だ。
ハロンドはイサーシャに「ファーの件は僕に任せて」と、ファーを救けることを約束していた。だが、今回の策はファーをガンムと引き離す工作だから、真逆の行動となるのだ。ファーを救けたいハロンドにとって、これは許されない矛盾だった。
「ハロンドさん。また、一人で抱えこむのですか?抱え込まないでって、言ったはずでしょう?」
イサーシャも頬を膨らませて言った。ハロンドの悩みを感じ取ったようだった。
ハロンドは仲間たちの顔を見る。
ロファ、タラ、イサーシャ。
全員、何が何でも守りたい、大切なモノだ。
ならば、僕はなんだってしよう。そういう気になれた。
だから、ハロンドは言った。
「イサーシャ。ファーの約束、守れない」
イサーシャは少し驚いたように目を見開いて、また、微笑んだ。
「いいえ。それがファーさんより私たちを優先した結果なら、別に構いませんよ」
* * *
「ごめん。全員は、守りきれないかもしれない」
そう、ハロンドが悔しそうに言った。目の前のパララは答えない。
「結局、守りきれない。いやむしろ、ファーを自分から切り捨てに行こうとしてる。自分が守りたいモノを優先して。そんな僕をどう思う?」
ハロンドは自虐的に言う。対して、パララは身動きもしない。
「きっと、お前は許してくれないんだろうな……」
これは想像の世界。パララが実在していればの場面を思い浮かべて慰められようとしているだけだ。そんな弱い自分を律するために、パララは何も喋ることはないのだ。
* * *
《???視点》
その日の朝ごはんに、ソールの姿はなかった。仕方がないので、一人で食べ終わる。一人でするごちそうさまは寂しかった。
何故いなかったんだろうと思ってソールの部屋に入ろうとすると、近くにいたメイドさんに止められた。客人に入る資格はないとのことだった。これまで、普通に入れたのに。
いいようのない不安が、私を寝付かせてくれなかった。
そして結局、次の日にも、ソールの顔を見ることはなかった。
メイドさんに聞いてみても、「知らない」の一点張り。でも、表情を見る限り本当なのだろう。
そのまた次の日。もちろん、ソールの姿は見当たらない。
「ねえ。ソールはどこに行ったの?」
私は近くにいたメイドさんに尋ねた。
そのメイドさんは、ソール居なくなった直後から働き始めていた。同時期に偶然ということはあまり考えられないから、もしかしたらと思って聞いてみたのだ。
「知りたい、ですか?」
その声は鋭さが覆い隠されているような気がした。
私は迷わず頷く。
「うん」
「では、ついてきてください」
そう言って、彼女は無表情にひるがえす。一瞬、その目に哀れみの色が見えた気がしたのは、気のせいなのだろう。
彼女は調理場に向かった。調理場に入ると、今まで入ったことのない、古臭い木製の扉の前に立った。年季と少々さびの入った鍵で開けると、下へと螺旋階段が続く。
調理場にこんな空間があったことに私は驚きながら、彼女についていく。その先にソールがいることを期待して。
ーーーその先にあったのはソールじゃなくて、地獄だというのに。
ようやく降りきると、広めの空間があった。特に凝った内装もない、質素な空間だ。その先にーーー縛られた男が、いた。
「え?」
思わず驚きの声を上げる。なんで、知らないおじさんが縛られているの?
そう思っていると、隣のメイドさんが、低い声で言った。
「おい。一日放置しといたけどよ、吐く気になったか?」
さっきまでの声とは違って、威圧に満ちた声だった。少し乱暴な脅迫。私は鳥肌が立つのを感じる。
理解が追いつかなかった。ここにソールがいると思っていたのに、なぜか脅迫場面を目撃させられたからだ。
「吐くわけねーだろ、“波紋無き散血」
レッドシレンスとは、彼女の異名なのだろうか。
「そうか。ーーー私は一日待ったからな?待ったはなしだ」
突然、知らないおじさんから血飛沫が上がった。
何の前触れもなく、である。
「ぎゃああああああああああ!!??」
「へ?」
おじさんがおぞましい悲鳴をあげる。甲高い悲鳴が途中で混じる。私は腰を抜かしてその場にへたれこむ。メイドさんは多少の血飛沫を浴びながらそこに佇む。
いつおじさんが切られたのかなど、全く状況が理解できない。
怖くて悍ましくて気持ち悪くて、思わずえずいてしまう。
「人殺すの、ダメ……」
メイドさんはニヤリとして、言った。
「ダメじゃねぇよ。で、吐く気になったか?」
メイドさんはおじさんの髪を掴んで凄む。おじさんは数秒呻いて、それから「波紋無き散血……」と呟いた。
今の光景を見た今の私なら、その異名の由来を理解できる。
水面に水が落ちる時、音がして、波紋が生まれるはずなのに、ただ水飛沫だけが起こる。そんな異様な光景のように、いつの間にか切られていて、血飛沫だけが上がるーーー。故に、ついた異名なのだろう。
「んなこと聞いてねえよ。吐く気になったかっつってんだよ」
「吐くわけねえだろ!」
「そうか、よ!」
また血飛沫。再度の悲鳴。思わず目を閉じる。もう嫌だ。やめてあげて!そう言う代わりに、私は汚物を吐いた。
「で?吐くか?」
「吐くか」
「……はぁ。仏の顔も三度までっつーだろ。覚悟しろよ、次は重いぜ?ーーー破剣・貫痛刺突」
次の瞬間、彼のお腹に穴が空いて、今までで一番大きな血飛沫が上がった。
そして、これまた一番大きな悲鳴が響き渡る。息が続く限り、ずっとだ。
「ぎゃあああああああああああああああああ!!!???」
「もうやめて!!」
私の必死の訴えも、おじさんの悲鳴にかき消される。ああ、これはきっとトラウマになるだろう。
「斬った先を細かく切断して、神経を限界まで痛めつけることで、相手にあり得ない痛みを与えるんだとよ。歪な破剣だよなぁ」
使ったと思われる剣に付着した血を、悲鳴をあげているおじさんの服にぬぐりつけながら言った。
「吐く、から……。ばやぐごろしで」
これまで耐えてきていたおじさんが、血走った目でそう言った。これまでとは打って変わって、必死の形相である。それほどの痛みだったのか。私は泣いて、冷や汗をたくさんかいて、ぶるぶる震えていた。
「吐け」
おじさんが言うことは知らないことばかりだったし、覚えていない。時間の感覚がない。さっきのことがショックで、当分立ち直れそうになかった。
「……あ」
眩しいと感じて、私は起き上がった。これは、夢?
いや、違う。昨日のことだ。その後の記憶がないということは、もしかしたらあの後、気を失ったのかもしれない。
「起きたか」
昨日のメイドさんが入ってきた。その顔には獰猛な笑みが浮かんでいる。
昨日のことを思い出して、思わず毛布を手繰り寄せて縮こまってしまう。
メイドさんはふっと鼻で笑った。
「何、取って食おうというわけじゃないのだから、そこまで怯える必要はないだろう。ただ、私がお前に聞きたいことは一つだ」
メイドさんは挑発的な笑みを浮かべて、言った。
「カルリソールに会いたいか?」
カルリソール……ああ、ソールの本名だ。ソール呼びが定着しすぎて、少し忘れていた。
そして、答えは決まっている。迷いなどない。
「うん」
「絶対に?どんなことをしようと絶対に?今なら二つ選択肢がある。カルリソールと会うために私についてくるか、多少の金をもらってこの屋敷を出ていくか。好きに選ぶがいい」
屋敷に留まるという選択肢がないということは、後ろ盾だったソールがいなくなった今、追い出されることは確定なのかもしれない。まあ、そんなことは、もう答えが決まってるからどうでもいいんだけど。
「あなたについてく。ソールがいない日々に意味はないから」
メイドさんは満足げに頷いた。
「そうか、良かった。ここから先は、そうじゃなきゃ生きていけないからな」
ソールに会えるかもしれないという希望と、この先に何があるのかという不安に、私はメイドさんと目を合わせられないでいた。
メイドさんは波紋無き散血と名乗った上で、シレンスと呼べと言われた。それから、シレンスと私は屋敷を出た。数年ぶりの外の世界に、私は目を細める。これまで、ずっとソールと屋敷の中にいたから。
それから大通りを歩く。人混みが凄まじい。うっかりぶつかりそうになったり、はぐれそうになるのだから、いっときも気が抜けない。
途中で路地に入った。すぐにスラム街のような場所に到達する。
周りには痩せこけた子供、呻きながら寝転ぶ老人、僻んだ目を向ける女……。数年前に告別して、もう無きものと目を逸らしてきた者たちだ。自分だけ清潔な衣服を身に纏っていることに罪悪感を覚える。
そう思っていた時だった。後ろから足音が聞こえた。振り返ると、男が、私目がけて包丁を振り下ろしてきていた。
「きゃあああっ!」
だが、シレンスに受け止められる。当然だ。私でも分かるくらい、彼女は強いのだから。
「へっへえ」
今度は真横から声がした。あわてて見ると、違う男が包丁を振り上げていた。
「やあああ!」
どうやってそんなに速く動けたのかは知らないけれど、その包丁もシレンスが受け止めた。す、すごい。
でも、さっきまでシレンスが止めてた男がいるはずでーーー。
「もう斬ったわ」
見れば、男は私を斬ろうとした瞬間、斬られた腹から散血して倒れる。
これが、シレンス。
「安心する前に、周りを見渡せ」
言われるままに見渡すと、路地という路地から、柄の悪そうな男が十数人出てくる。目がぎらついていた。
「こういう場所は、私たちのような上物を狙わない訳がないから来たというに……。単純なお前らに、些か同情するわ」
そういうと、シレンスは消えた。
シレンスのおかげで、戦闘は一気に片がついた。その間に私はまた嘔吐していた。そんな私の前に、シレンスに短剣を突きつけられた男が連れられた。
「刺せ。この、短剣で」
言っている意味が分からなかった。
「刺せと言っているんだ。お前の手で、こいつの息の根を止めろ」
「……っ」
本当に、言っているの?
目の前の男が懇願してくる。
「殺さないでくれ!ほんの出来心だったんだ、お前らを殺すつもりはなかった!だから、命だけは……」
震える声で、必死に。そんな彼を殺すことなんて、私には、できない。
「人殺すの、ダメだよ……?」
「ダメじゃない。やるんだ。それにコイツもさ、殺すつもりはなかったとか本当に言ってんのか?本当だとしても、私たちの高そうな服やら何やらを強奪するつもりだったんだろ?違うか?」
「い、いや、それは……」
「否定はしてねえな。こいつらゴミだ。躊躇する必要はねえ。さあ、刺せ」
「俺が悪かった!もうしねえ!何だってする!だから、お願いだから許してくれ!」
「……殺せない」
できない。私には、人を殺すということが、できない。必死に懇願してくる相手を、誰が刺せるというのか。視界がぼやけるのが分かる。嫌だ。出来ることなら、目の前の男を見逃してあげたい。
「お前、カルリソールに会いてえんだろ?人一人殺すことも出来ねえ餓鬼が、面会を許されると思ってんのか?」
ああ。そんなことを言うなんてーーー反則じゃない。
私は、せめて苦しまないようにと、素早く男の喉を突き刺した。散血して絶命する。
私は泣いて、吐いた。
「私はガンム家の筆頭間者、レンス。これまで通りシレンスと呼べ。これからお前は、間者として働くための教育を受けることになる。カルリソール様の元服に合わせるつもりだ、厳しい訓練となるだろう。少しでも早くカルリソール様と会いたいのなら、せいぜい励め」
「私は、間者、になるの?」
密偵したり、暗殺したりする仕事。汚れ仕事である。
「ああそうだ。お前はカルリソール様の目となるのだ。お前の望み通り、な」
違う、私はソールの目になりたかったんじゃなくてーーー
言葉を飲み込む。シレンスに口答えするほど馬鹿じゃなかったから。
己に言い聞かせるような、そんな言い方だったからーーー
日々、訓練に励む。
毎日毎日、一歩も動きたくなくなるような筋肉痛がするほどの鍛錬を重ね、毎晩、人を殺すことに慣れるよう人を殺めた。毎日、えずいて吐いた。
地獄のような日々。無機質に苦痛を繰り返すだけの日々。
人間としての感情がすり減って、人形に近づいていくような感覚を覚える。
でも、それでも構わない。
全てはソールに会うため。
ただ、それだけのためにーーー
誰視点なのか、だんだん分かってきましたね。
ちなみに厳密に言えば散血という言葉は存在しないのですが……血が飛び散るみたいな意味です。まあ、そこは許してクレメンス。
良ければ高評価などなどよろしく!




