二 誘拐された少年少女
遅起き最高
目をこすってみた。
そしてもう一度、目の前の景色を見てみた。
何も変化はない。
幻かな?
彼はそう思った。そう思いたかった、という表現の方が正しいだろう。でも、彼はその希望を捨てざるを得なかった。周りにも頬をつねって目の前の光景を疑っている人間がたくさんいたからだ。
それでも僅かに残る希望をもって、目の前の建物をじっと見る。二階建ての校舎が四つ、それの横に大きく描かれている校章、異様に高い校門、馬鹿みたいに大きな森と運動場……。
全て、最悪の推測を裏付けするものだった。
錯覚ではないと分かると彼は呆然として、頭が真っ白になった。
(ウソ、だろーーー)
周りには、しゃがみ込んで大泣きする者、絶望のあまり放心状態になっている者、失禁して気を失っている者さえいた。
「ははッ。選ばれちまったよ。才能の原石が集められる地獄の剣術学校、『デッドエルブ』に……」
近くにいた男が震える声で呟いた。その顔には畏怖と脂汗が浮かんでいた。
男はそのまま笑い続ける。さもとち狂ったかのように。
精神を病んだように見える彼を気の毒に思った。
ゴゴゴゴゴ……
ものものしい校門が、大きな音を立ててひとりでに開いた。それに驚いて、大多数の人間がびくりとする。門は開門して、止まった。
『……』
誰も、何もしない。当たり前だ。突然、起きたら国一番野蛮で危険な場所に送り込まれていたのだ。しかもその後にひとりでに門が動いたのだ。こんなに怖いことが立て続けに二回も起きて、会話をしたい者などいないだろう。
時々すすり泣きの音が聞こえるだけで、重たい沈黙が場を支配していた。
どれだけ、時が過ぎただろうか。感覚的には永遠に等しいが、多分現実では一分も経っていないだろう。
一人の女が口を開いた。
「あー、みなさんどうも、シャニール=ラナですー。気軽にシャルって呼んでねー」
静寂の中突然言うものだから、そこにいる人全員が彼女に振り向いた。
そして一瞬絶句した。その派手さと美しさに。
まず、髪と目が鮮やかな黄色なのだ。絵の具にあるような、純粋に明るい黄色。その派手さに加えて、やんちゃそうな雰囲気を付け加える大きな目と口角を上げた口。
派手な色に、見惚れるほどの美貌。
子どもっぽい雰囲気はあるが、容姿はとても端麗だった。
「んー、この中にナーナもいると嬉しいんだけど……。いるかな?」
その時、一人の女が彼女に駆け寄ってきた。友達だろうか。彼女もきれいである。
なんと髪は鮮やかなピンク色。ナーナのように端麗な顔立ちだが、少し方向性が違った。ザ・可愛い女子といった感じの見た目なのだ。幼さも兼ね備えていて、美しくて可愛い。
「やっほー、シャルちゃーん」
「ナーナじゃん!やった、あんたもいたんだ!」
後でハロンドも知ることになるが、彼女の本名はナーナロッツ=コッロフ。彼女はナーナロッツを縮めてナーナと呼んでいる。この二人はここに来る前から友達だった。二人ともがこの学校に呼ばれるほど強かったのは奇跡レベルである。
「うん!それにしても、ここどこ?」
ナーナは不思議そうに首を傾げた。それだけで、雰囲気は少し和らいだ。
「さあ……?学校みたいだけど。ていうか何で私たちはここにいるの?確か、私たちは家の中にずっといたはず……」
群衆の中の一人がおずおずと言った。
「き、聞いたことがないのか。鍛錬を裏切る魔の学校、『デッドエルブ』と」
「……さあ?」
「あ、私聞いたことあるかも!昔馬車で旅してた時あってさ、その時に『デッドエルブ』って聞こえたかもしれない。でもそれがどうしたの?鍛錬を裏切るってどういうこと?」
シャルが思い出してから問いただした。すると、群衆の中から違う女子が口を開いた。
「私たちも、覚えがないの」
「は?」
「普段通りに過ごしていて、気づいたらここ、デッドエルブにいる。『最強』という存在を創り出すためだけに、私たちの命はまるで薪が火にくべるかのように使い捨てられていく。これがこの学校に呼ばれた人間の結末の通説。何のために『最強』を創り出そうとしているのかは知らないし、知りたくもないわ」
自分たちの置かれた運命に、シャルとナーナが絶句した。
「……意味が分からないんだけど」
「それは僕たちも一緒だ!」
一人の男子が叫んだ。
「僕たちも噂でしか聞いたことがないんだよ。半分嘘かと思ってたくらいだ。これからどうなるのかなんて、知ったこっちゃない」
「……そう」
ナーナは暗い表情で呟いた。
「……じゃあ、これから私たちは死ぬってこと?」
「さあね。最強になれたら分からないけど」
少女は諦観したように言った。
シャルは真剣な表情になると聞いた。
「じゃあ、幸せにはなれないのかな?」
「知らない。けど……ここは残酷な場所よ。期待はおすすめしないわ」
シャルはナーナと目配せして頷いた。
「じゃあ、せめてここでの生活を少しでも幸せにしないとね!暗い話はもうおしまい。明るい話をしよう。そこの君、オシャレ好き?」
「へっ?え、ええ、一応気にしてるつもりだけど、貴女には負けてるわよ」
少女は突拍子もなく聞かれてびっくりしながらも答える。確かにシャルやナーナを越える者はそういないだろう。
「でしょ!そんな見た目してた!オシャレに勝ち負けなんてないのよ。自分を可愛く見せるのがオシャレなの。男たちにどう見えるかは別の話よ?」
そう言ってシャルはニヤニヤと少女の周りの男子に目を向ける。すると、彼女の周りにいた男子が咄嗟にそっぽを向き始めた。それを見て、シャルたちは笑う。
一時の平和な時間だった。
そんな時間を壊したのは、決して学校関係者ではなかった。
「どう、みんな。気分はほぐれた?」
シャルが言った。みんなは頷いた。
「なんか、落ち着いてきた」
「ありがとう!うーん、どうするべきなんだろうね?学校側からは何にもないし、入った方がーーー」
「気分をほぐして何がしてえんだよ。ケンカ売ってんのかよォ?舐め腐りやがって」
だが、せっかく和んだ雰囲気をぶち壊すように、一人の強面の少年が割り込んできた。
周囲の皆が、その怒気を孕んだ言葉にぴくりとする。その顔を見ると、一時呆然となった。
派手に染まった紫の髪。それよりも目立つのは、顔中に刻まれた幾つもの裂け傷だ。大小さまざまな傷跡が、顔や首筋に走っている。それでも、不思議と彼は美男な顔をしていた。そして、剣ではなく何故かバットを肩に担いでいる。
まさしく、ごろつきといった感じの風貌だ。
「じゃあ何で校門に入らなかったの?」
「空気読んだんだよ、クソ顔面女」
彼の整った顔で油断した者はまた、彼の低く轟くような声にぴくりとする。
地獄の鬼のような迫力のある声だったからだ。
「空気読めるんならいい感じの雰囲気を壊さないでもらえるかな?」
ナーナは苦言を呈した。
「そうだよー。せっかくいい方向に向かってきたところなのに」
ナーナがぶーと頬を膨らませて言った。そのおかげで場がほんわかした。かわいいというポテンシャルはずるいとハロンドは思った。
穏便な二人を見て、彼は面白そうに笑った。
「……へへっ。そうか、お前ら、ビビらねえのか。楽しそうだなァ。こんなところに呼ばれたのも、あながち不運じゃなかったのかもしれねえなァ。弄り甲斐が、ありそうだなァ!」
そう叫んで、彼は顔を歪ませた。
その瞬間。彼は消えた。
「え……?」
ナーナが不思議そうな顔をする。違う、消えたんじゃない!速すぎて、普通の人間の目じゃ追えないだけーーー。
群衆の中にいたハロンドは駆け出した。
「くっ」
ガキィィィィィン!
大きな金属音が鳴り響いた。
彼が振り下ろしたバットを、ハロンドが受け止めたのだ。
「誰!?」
シャルは叫ぶ。ハロンドも叫んだ。
「どういうつもりだ!」
「いいだろ?これバットだからよォ、相手が頑丈だったら殺さずに済むんだわ。ひひっ」
そう言う男の顔を見て、理解した。
話が通じる相手じゃない。
「みんな、ここから離れろ!」
周囲に群がる人間に向かって叫んだ。
「君!」
そう叫びながら、ナーナとシャルが駆け寄ってきた。
それはとても危険な行為だった。なにしろ、相手は目で追えぬほど速く走れる相手だからだ。
「危険だ!こっちに来るな!」
すると、シャルは言った。
「何でよ!私だって、結構強いのよ多分!さっきのギリ目で追えたし」
「!?」
さっきの彼の動きはハロンドでもぎりぎりの速さだった。それを本当に見えたと言うのなら、戦闘に加えてもいいのかも知れない。
この学校に呼ばれたのなら、少なくとも弱くはないという確信もあったからのことだった。
「へえ、三対一かよォ。卑怯でいいじゃねえかァ。でもな……」
また、消えた。
視界の外から、声が聞こえた。
「卑怯でも勝てねえから、俺は生きてられるんだよ」
「ーーーっ」
咄嗟に身を躱した。相手のバットがハロンドの背の服を掠り、そのまま少し破っていった。
速い。さっきよりもさらに剣速、いやバット速は上だった。
「君!」
ナーナは叫んだ。でも、心配する必要はなかった。
身を躱した後、そのまま流れるようにして剣を振るい、男の喉元に刃を突きつける。振りかぶった状態であったため、男からは剣が見えにくく、その距離であれば男の油断も相まって十分可能なのだ。
速度を殺しきれず、刃が男の喉を少しだけ切り、細く出血する。
ハロンドは低い声で警告した。
「もうやめろ。これ以上の争いに利などない」
会話していた時とは全く別物の、敵を圧する声。そのあまりのギャップに、周囲の人間の背筋に寒気が走った。
彼らがそうやって肝を冷やすのは何度目だろうか。きっと、この日は人生で一番になるだろう。その過程で、彼らは嫌でも理解する。ーーー自分たちがいるのはデッドエルブなのだと。
「へえ、いいじゃねえか。潰し甲斐があるじゃねえか。お前は絶対俺がぶっ殺す」
「……」
それが捨て台詞だと思い、ハロンドはそれだけは聞いてやろうと沈黙していた。男は続ける。
「首に剣を突きつけるのは犯罪者とかを捕まえるのに適切な方法だ。けどなァ、」
剣を突きつけていたはずの男がまた消えた。
「レベル次第で、それは無意味なんだよ」
男はハロンドの剣から抜け出し、今度はシャルに向かっていく。かろうじてそれが見えたハロンドは「危ない!」と叫ぶが、その声は呆然と立っているシャルに間に合うか……。
男が剣の間合いに到達しようとした時、急に男の足が止まった。
「今すぐ、無意味なケンカはやめなさい。お子様はお人形遊びをされるのがよろしいかと」
シャルと男の間に、一人の男がいた。
いつから、そこにいた?
最初に出てきた二人の美少女ですが、出番はこの場面で終了です。まあ後からちょこちょこ出てくるけどね。主要人物には違いないんだけど、一年生編ではあまり活躍しない脇役だね