十八 ハロンドの知られざる葛藤
時間は遡り、二日目のこと。
アラックの授業を終えた後のことだ。
考略科の授業を終えると、シンスの剣技の授業を受けに行った。
地獄をたっぷりと味わうと、のろのろと帰っていく。
パララもこんな感じで苦しんだんだろうな、と思いながら。
その夜のことだった。
無意識なんだろうが、ラルクが弱音を吐き始めた。それはこの場の全員の心情そのものだった。ガンムは弱々しく返す。
「それは、みんな一緒だろうがよォ」
ガンムの正門前の時のことを思い出すと、それは似つかわしくないほど弱々しかった。
弱音を吐き合っていると、不意に、ガンムが何かに気づいたようだった。
「なあ。ハロンドよォ、声が……軽くないか?」
それは、僕がシンスに媚を売るなりして、ロファたちを裏切っていると言っているのか?そう考え、ハロンドは思わず硬い声を出してしまった。
「どういう、ことだ」
「お前さァ、シンスと組んでたりすんのかァ?ーーーなんらかの交換条件で、自分だけこっそり軽くしてください、とか」
万一にもそんなことをするはずがない。シンスにそんなことを申し出れば逆効果だろう。むしろ、当たりが強くなると思った。
「……ッ!んなことするわけっ」
ハロンドは焦っていた。ここで生き残るには、みんなとの協力が不可欠だと見抜いていたからだ。
単独であのとてつもなく強い教師を討ち取るのは、絶対に不可能だ。最大動員数の三十人でも無謀といったところなのだ。鉄の結束でもって当たらねば到底倒せない相手というわけだ。
それだけではなく、普段の授業の実技分野でも不可欠だ。仲間の助けがなければ、こちらに教師が向かってきた場合、必ず一対一になる。それをいなし続けるなんてできやしない。
だから、このガンムとの不仲はどうしても避けたかった。
ガンム君は畳み掛けるように言った。
「前からおかしいと思ってたんだよなァ。なんでそんなに剣がうまいんだ?ここの教師に昔から稽古つけてもらってたんじゃないのかァ?入学する時もそうだ。俺だけ四肢を斬られたんだよなァ。どうして俺だけなんだァ?教師を籠略していたんじゃないのかァ!?」
ハロンドはガンムの荒唐無稽な推測に、天を仰ぎそうになった。
ここで対立するのは良くない。協力以前に仲が悪くなり、戦闘中に妨害されるようにでもなれば、教師とガンム派の二つの勢力を敵に回すことになる。何としても避けたいところだ。
「ふざけるのも大概にしろ!声が軽いとか下らない理由でいいががりをつけるな!」
ハロンドはそう怒鳴った。ガンムの疑問はもう確信に変わりかけている。ガンムの疑問を解消するよりも、ガンムにつく生徒を少しでも減らす方が得策だと考え、彼らの戸惑いを解消するように怒鳴ったのだ。
もう、引き返せないところまで来てしまっていた。
「じゃあ証拠出せよ!自分が潔白だっていう証拠をよォ!」
「自分だって僕がそうだっていう証拠ないだろ!」
「……あるぜェ」
「……何?」
ガンムは周囲の生徒に振り向いて聞いた。
「なあお前らァ。お前らは俺かこいつか、どっちが正しいと思う?」
生徒たちは迷うように互いに見合うと、半分以上の生徒がおずおずとガンム君に目を向けた。
ガンム君は勝ち誇ったように笑みを浮かべた。
「だってよ。なあ裏切り者、裏切り者に相応しい応酬はなんだと思うゥ?」
ハロンドは悔しげに歯軋りした。
「…………ッッ」
まさかもう他の生徒がガンムの方に傾きかけているとは思わなかった。これは相当にまずい状況だ。シンスの授業どころではないかもしれない。
「辛ぇ授業で鬱憤溜まりまくってんだよ。何、殺しはしねえ。だからよォ、いいだろ?少しくらいよォ!」
ガンムは枕を手に取ると、ハロンドに向けて投げた。同時に布団を蹴ってハロンドに近づく。
ハロンドは枕をキャッチして、それを盾がわりにしてガンムを防いだ。
「ガンム!落ち着け!」
「裏切り者が、何が落ち着けだァ?聞こえなかったなァ、アア!?」
ガンムは鋭い蹴りを入れたが、ハロンドは読んでいたようで、すれすれで避けた。まだまだ応酬が続きそうだったが、別の冷静な声が割って入った。
「止まれ、ガンム。今裏切り者を袋叩きにしても利点が薄い。どっちにしろ、明日受ける授業は変わりはしないんだ」
サランだった。サランはもう、完全にガンムになびいているようだった。
「っち」
ガンムはハロンドから枕を乱暴に取り返すと、自分の布団に戻っていった。
ガンムは横になった。
ハロンドは思った。
どこで選択を間違えたのだろう。
みんなを落ち着かせようとガンムと刃と金属バットをぶつけ合った時か。あのせいでガンムは四肢をもがれ、ハロンドたちの謁見が終わるまでずっと痛みに苦しむ羽目になった。あれは、刃を合わせることを強要したハロンドの責任とも言えた。けれど、今考えても他の解決策は思いつかない。もっと早く思いついていれば良かったのに。
けれど、これだけじゃないはずだ。恨まれはしても、裏切りを疑われる要素はない。
初めての数学の授業の時か。あの時、ハロンドがもっと獅子奮迅していれば良かったのか。
シンスの辛い授業の後か。強がらずに、素をさらけ出していれば良かったのか。
後悔は尽きない。
けれど、刻一刻と時間が刻まれていくことだけは確かだ。
次の日、アリンクスの授業を受け、今はもう夜である。
ガンムが呟いた。
「どうしたらシンスの奴、止まるのかなァ?」
「……」
誰も答えられない。それは全員の心からの願望だから。
「俺たちをこんなに虐めるシンスの目的がわかりゃ良いんだけどなァ」
威圧的な声を出す気力もないのか、少し棘の取れた口調になっていた。
「僕たちをいたぶりたいだけじゃないの?」
サランが首を傾げる。
「それは可能性がひくいんだよなァ」
「どうして?」
「規則3-1……教師は生徒を理由もなしに無闇やたらに殺害してはならず、校長の意向の範囲内でのみ生徒を弄ぶことを許される。シンス以外の授業はシンスに比べりゃ軒並みマシだァ。つまり、シンス以外は普段の校長の意向に沿っていて、シンスのみ校長の特別な意向があると推察できるゥ」
ハロンドはそんなことを考えたことがなくて、なるほどと唸ってしまった。確かにそういう見方もある。
シンスのやっていることは、生徒に死の危機が迫るほどのきつい授業を課し、肉体的、精神的に追い詰めるというものだ。字にすると軽く思えるかもしれないが、これは実質目の前で両親が殺されながら自分も腕をもがれるなど虐げられているのとさして変わらない。
その結果、何が生まれるのかといえば、生徒の絶望、苦痛などといった暗い感情。肉体は遺存宝器でちゃんと治してくれるので何も生まれない。
生徒が苦しむだけの不毛な授業。その過程で、校長は生徒に何を学ばせようとしているのか。その感情がどのような学びをもたらすのか。
「……」
そういえばと、ハロンドは思い出す。
シンスの授業を受けていた時のタラの姿に既視感を覚えたのだ。その既視感を辿ってみると、忘れがたい過去に繋がった。その景色はあまり思いだしたくないもので、すぐに頭を振り払って払拭したのだが……。
もしも、その過去と目的が同じ、或いは似通ったものであるとすれば。
サランは納得がいったように言った。
「なるほどね」
「……小便に行ってくる」
確かに似ている。
動機はある。
でも、確証は、ない。
それに話したくもない。話すだけで吐き気がする。聞かれたくないのもあるし、話せば、一生背負うべきものが幾らか流出してしまう気がした。
加えて、ここで凄惨な過去を明かせば、『かわいそうな僕の味方になって』とハロンドが思っていると生徒たちに思われるなど、どうしてもデメリットが怖かった。
(……どうすれば)
その葛藤から生まれたのは、一人の少女が出した答えだった。
(パララ!)
ハランセルに匿ってもらい始めて二週間目くらいのことだ。
ハランセルは匿ってもらう義務のようなものだといい、ハロンドに厳しく剣の稽古をしていた。
何のためにしているのかがよく分からず、ただ言われるがままに木剣を振り回して、ハランセルに怒鳴られる毎日が続いていた。
『ねね、このお花、どう思う?』
パララが話しかけてきた。パララの持つ鉢には、華やかな赤色の一輪の花が、きれいに咲き誇っていた。
『きれいだと思うよ。よく手入れしてるね』
そういうと、彼女は嬉しそうに胸を張った。
幼女だから仕方ないけど、出るものは無かったけど。
『ふふーん。でしょー。実はね、この花、ハロンドが来たから作り始めたんだ』
『そうなんだ。記念とか、そういうこと?』
『そうともいうのかもね』
やや口ごもるようにパララは言う。
『わたし、えいゆうたんっていうものが好きなんだ。ほら、これ』
パララは近くの絵本をハロンドに差し出す。ハロンドが少しだけ読んでみると、英雄が大勢の人々を悪から助けるといった、よくある物語が綴られていた。
『わたしさ、あなたが来るまで、ハランセルっていうおばあちゃんとしか会ったことがなかった。ずっとさみしかったの。ハランセルもあんまりやさしくしてくれなかった。だからかな、ずっと同じくらいのお友達が欲しかったのよ』
そう言って、パララは自分の持つ花の花弁をなぞる。舌足らずの幼い口で、言葉を紡ぎ続ける。
『そんなわたしのもとにあなたが来た。あなたがどんなに強くなかったって、どんなに弱虫だったって、どれだけ甘えん坊だったって。わたしのところに来た。それだけで、あなたは私のえいゆうだった。ハロンドのおかげで、今もこどくじゃない。だからね、これあげる』
パララは鉢を差し出した。
『わたしね、えいゆうさんが来たら、自分のお花の中でも一番きれいなのをあげるって決めてたんだ』
パララは恥ずかしそうにはにかんだ。ハロンドは目を見開く。将来は美人が約束されているような顔に浮かぶその表情は、まだ子どものハロンドの心を揺さぶるものがあり、それでいて、あまりにも無防備で。一瞬で散ってしまいそうなほどの儚さだった。
ハロンドは言葉に詰まった。何といえばいいか、子どもの頭で必死に考えた。
『……僕は弱虫でも、甘えん坊でもないぞ』
『ふふっ。そうだね。これからもよろしくね、わたしのえいゆうさん』
『よろしく』
この時、僕はなぜ剣を上手くなろうとしているのかを知った。
確証は、ない。
けれど、確信は、ある。
パララが夢見ていたのは、みんなを助ける英雄だ。だったら、どんな損を被ったって、それを突き通そう。僕は己の人生をもってパララの希望に応える存在なのだから。
それがどんな結果をもたらしたって別に構わない。
ハロンドは口を開いた。
自分の過去を話すうちに、ガンムが帰ってきたのが気配で分かった。
彼は気遣っているのか、扉の向こうで話が終わるのをまっているようだった。少し意外だった。
今はこのお話に全神経を集中する。今はそれでいいんだ。




