十三 ハロンドの大罪
《ハロンド視点》
僕は十歳くらいの頃に、どこかも分からないとある森に捨てられてね。それ以前の記憶はない。
あてもなく歩き回っていたら、途中で熊に襲われた。必死に逃げて、けれど熊はとても速かった。木の影に隠れながらもう終わりだと思ってぴーぴー泣いていると、魔女みたいな真っ黒のローブを身に纏ったお婆さんが近寄ってくるんだ。
何されるのか怖くて後ずさってたけど、魔女のような女は僕の顔を覗き込んで言ったんだ。
『……お前が鍵か』
魔女のような女は楽々と熊の首を落としてから、僕を小屋に匿ってくれた。その女はハランセルと名乗った。そこで夕食をもらって、一夜明かせてもらった。
朝になると、ハランセルはこう提案してきた。
『ここで暮らす気はないか。無条件というわけでは無いが』
今日ここを出たとしても、一時間もあれば死ねる自信があった僕は、その提案を呑むことにした。
彼女の作るご飯は、お世辞にも美味しいと呼べるものではなかった。けれど、食べれないほどでもなかったし、小屋には少しも獣が寄り付かなくて安全だった。
彼女は無口でほとんど喋らなかったけど、ところどころに僕を思いやる気持ちが垣間見えて、好感を持った。
それと、彼女の娘かは知らないけど、若い女の子もいた。その子はパララといった。僕と同年代で、すぐに仲良くなった。森で記憶喪失になっていたにしては、ありえないくらいいい暮らしだった。
条件というのは、毎日何時間か、僕を鍛えるというものだった。ハランセルはここの教師たちくらい強くてね、全く歯が立たなかった。ちょっとも剣を握ったことのなかった僕は、彼女にみっちり鍛え込まれた。太陽が昇る前から沈むまで、一日中稽古をつけられた日もあった。だけど、稽古をつけられるうちに剣術が好きになっていて、苦ではなかった。
その日の稽古が終わると、パララが出迎えてくれた。彼女の顔を見ると、疲労が吹き飛ぶような感じがして、自然と笑みが浮かんだ。とても平和で良い日々だった。
数年がたった。
僕は、剣技だけならハランセルに負けないほど強くなっていた。ハランセルは教えるのがとてもうまかったんだ。
でも、どうしても剣技だけでは埋まらない差があった。どうしても力で押し切られるんだ。華奢なあの身体のどこにそんな力があるんだって疑問に思うくらいだった。稽古が終わると、ハランセルは考え込んでから、顔を上げた。
『そろそろだな』
次の日、パララと一緒に朝食を食べた。何故かいつもより豪華だった。
『わっ、なんかスープの具がごろごろしてる!』
『本当だ。うん、いつもより美味しい』
『ふふ、でしょー?』
『パララが作ったわけじゃないでしょ』
『えへ』
パンにはジャムもついていた。数年ぶりくらいに食べるジャムは、とても甘くて美味しかった。
『どうしたんだろうね、ハランセル。とっても豪華でめちゃ美味しいんだけど』
『うーん。どうだろうね。でも、ハロンドと食べるとご飯はさらに美味しいよ』
パララは曖昧な笑みで問いに返した。僕は照れ臭くなって、目を逸らした。
『ごちそうさま』
彼女と一緒に楽しく食べ終わると、最後に彼女は悲しげな笑みを見せた。
その後、いつも通りに稽古をする。
『はッ!フゥッ、とうっ!』
『いい感じだ、ハロンド』
当然、ハランセルは力を抜いていたけど、剣技だけは本気だった。この頃から、技術だけはハランセルに届いていた。
『おおおおっ!』
どうしても一本入れたかった。これまで、彼女に一回も入れたことがなかったから。剣技であなたを越したぞと、そう思わせたかった。
『っ!?』
果たして、それは入った。強烈な一撃が、ハランセルの脇腹にダメージを与えた。けれど、ハランセルは痛がりもせずに動じなかった。
いや、そんなことはどうでもいい。ついに、彼女を超えたんだ。とても嬉しかった。それを理解した彼女は、ふっと笑った。
『そうか、今日だったか』
久しぶりに見た、しわくちゃの笑みだった。
『やったやった、やったぁ!』
まだ子供だった僕は、飛び跳ねて喜んだ。
嬉しくて仕方がなかった。恩師を超えることが、長年の目標だったからね。
そんな僕の姿を見てか、ハランセルは皮肉げな笑みを浮かべた。
『ついてきなさい』
そう言って、彼女は歩き出した。
勝利に酔いしれていた僕は、慌てて追いかける。
ハランセルは小屋に入って、今まで何にも使われていなかった一部屋に入った。
ーーーそこには、パララが鎖に結ばれていた。
『ッッ!?パララ!!』
そう必死に声をかけるが、パララは俯いたまま答えない。
『ハランセルっ、これは、これはどういう……!』
勝利に酔いしれていたのはどこの誰だったのだろうというくらいの怒りが、僕を支配していた。その感情の望むままに、ハランセルの胸ぐらを掴んだ。
すると、彼女はーーー悪魔の台詞を口にした。
『稽古の一環さ。元より、彼女はそのつもりで飼っていた』
強烈な怖気が背筋を走った。理解したくなかった。普段は物静かで、ぶっきらぼうだが、実は温情のある人だと思っていたのに。
『飼って……いた?』
『お前が私を技術面で上回ったら実行しようと思っていたのだよ。言うなれば、お前の私に勝ちたいという願望が彼女の命を縮めたんだ』
僕は思わず激昂した。
『それはこじつけだろう!実行すると決めたのはお前だ!』
『そうだな。だが、その事実が何になる?』
お前を殴る理由になる。
そう胸の中で呟いて、脳から相手を殴れと指令を送った瞬間、彼女の拳は僕の顔面にめり込んでいた。
盛大な音を立てて壁に衝突した。何で造られているのか、壁には傷一つできなかった。
僕は血反吐を吐いた。
『ぐはっ』
『【奇剣】を一つも扱えぬ幼子はじっとしていろ。ただ見ているだけでいい』
それだとパララが酷い目に遭ってしまう。立ちあがろうとしても、頭がぐらついて立てない。顎を殴られた訳でもないのに、脳が脳震盪を起こしてしまっていた。
パララは顔を上げ、僕をじっと見つめていた。
やがて近づいてくるハランセルに気付くと、怯えたような表情を見せた。
ハランセルはパララの耳元で何か呟くと、パララは大きく目を見開いた。僕には、その目に狂気の種が芽吹くように感じた。
ハランセルは立ち上がり、不敵に皺を増やして笑った。
『始めよう』
そこから始まったのは地獄だった。
ハランセルは頑丈な鞭を持って、思い切り彼女を叩いた。悲痛で、必死な悲鳴が響いた。
『ああああああああっ!?』
少女にあるまじき、野太くて甲高い悲鳴。その鞭は先っぽが金属製になっていて、当たるたびに出血するか、服が破けるかしていた。
「痛み」というものを正しく理解していなかった僕は、顔を歪めることしか出来なかった。それは苦しみの全てだ。死にたいと思っても死ねない、永遠の責苦だ。僕は下痢を起こして手洗いに篭っていた時でさえ、早く終われ、終われ、と、そればかり考えていた。その何百倍もの痛みを永遠に受け続ける彼女は、何を思っているのだろう。
ハランセルは間を置かず、もう一度鞭を打つ。
『あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!??』
さらに大きくなる悲鳴。
脳震盪から回復した僕は、ハランセルに特攻を仕掛けた。
『やめろおぉぉぉ!』
止めて欲しかった。たとえ自分の命を投げ捨ててでも。
鞭を打つ片手間に簡単に飛ばされた。ハランセルとの圧倒的な差を見せつけられた。
ハランセルは無感情に告げる。
『ハロンドが抵抗した罰だ』
ハランセルは一際強く鞭を打った。
『がは……ぁっ』
パララは喚こうとして失敗し、吐血した。
何回も何回も、ハランセルに飛びかかった。飛ばされて、ちょっとの間だけ動けなくなる時、パララが責められ苦しむ姿を目に焼き付けることしかできないのがつらかった。パララの今まで聞いたことのない叫びが心を抉った。
『ばはたら゙だばゔぁ…………?ふぁはふぁゔぁ』
パララが、どんどんパララじゃなくなっていく。
どれくらい、経ったのだろう。
パララが血まみれになり、服もただの布切れとなって、もはや悲鳴さえ止んだのにも関わらず、ハランセルは止まらなかった。
『や゙め゙ろ゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙お゙っっ!!!』
僕は絶叫した。そして恥知らずにも慟哭した。パララは慟哭する間もないほど責められ苦しんでいるのに、無様だった。
『止まってくれ、ハ、ハランセル。も、もう、嫌だ。パララが、パララじゃなくなるよぉ……!』
僕がハランセルにしがみついて泣きじゃくると、彼女は鞭を打つ手を止めて口角を上げ、こんなことを言ったんだ。
『よぉく見てごらん。服が破けて、お前たち男が喜ぶような姿だろう?』
それは、一度も聞いたことのない猫撫で声で。
僕は、初めて《頭がぶっ飛んだ大人》を知った。
僕は顔中から汚い体液を垂らして、壁にもたれかかった。
『は、はは、は……』
絶望だった。諦観だった。世界を、そして自分を呪った。
ようやく鞭が終わった。何故かハランセルが部屋を出ていく。
僕はふらふらとパララにかけよった。
『ぱ、パララっ!』
傷だらけで半裸の彼女を抱きしめた。意外とある胸の感触なんて、もうどうでもいい。彼女が目の前にいることだけが大事だった。彼女は焦点の合わない虚ろな目を漂わせる。
『ごめんっ、パララ。僕っ、僕っ、見ることしか、できなくて……。止めれなくて、ほんっとに、ごめん……!』
返答は返ってこなかった。パララはもう、正気を失っていたのかもしれない。だけど、僕はまだ生きている彼女を抱きしめていられることが嬉しかった。
数分そうして抱きついていると、ハランセルが帰ってきた。
その手には、よく切れそうな、包丁に似た刃物があった。
これから何が起こるのか想像すると、自然と荒い息が出てきた。
『ダメ……。それは本当に、ダメ……!』
枯れることのない涙腺から、また水滴が作り出される。当然だけど、ハランセルは止まってくれない。
ハランセルはパララの目の前で止まった。
その時だった。
パララは、ぴくりと動いた。
『パララ……?』
嬉しかった。たったそれだけでも、彼女が生きていると感じられたから。でも、それも一瞬だった。
『ハロンドなんか、いなければ……私は……』
記憶がない。気づけば、壁際に座り込んでいた。
見れば、ハランセルがパララの前で刃物を振り上げていた。
僕は、それを呆然として眺めていた。
パララの言った意味が分からなかった。頭の理解が追いつかずにショートしていた。
パララの右手首が切り落とされる。
パララの目が蘇る。機能を失った喉が再び絶叫を奏でた。
僕の頭が一番大事なことを思い出す。それは、何があろうとパララを救うこと。
たとえ嫌われているとしても、パララを助けたかった。それが自分の全てだから。約束したんだ。僕は、パララのヒーローに、なるってーーー。
ハランセルに飛びかかった。簡単にいなされ、飛ばされる。
僕は、ハランセルにとってほとんど何の障害でもなかった。
ハランセルは、さっき切ったところの一センチ先を切り落とした。絶叫。
焦らすように、とてもとても長い時間をかけてパララを擦り減らしていく。
それは四肢全てに及び……いつの間にか、パララは息絶えていた。
目覚めたらいつも通りの布団の上だった。ただ、隣にパララがいない。
『パララっ』
そう叫ぶとともに記憶が蘇る。『ハロンドなんか、いなければ……私は……』彼女の最後の言葉。僕さえいなかったら、わざわざパララを殺す必要もなかった。平和にここで一生を終えれたかもしれない。
僕がこの森に捨てられたから、全てが書き換えられたんだ。パララが苦しみながら死ぬ、そんな未来に……!
『あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ!!ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん、パララぁぁぁ!』
謝っても何も変わらないのに、僕の口は永遠にそれを紡いでいた。
ドアが静かに開いた。顔を上げると、ハランセルが立っていた。
『遅い。朝食は抜き。稽古を始める』
パララの人生は昨日終わったのに、僕は今も稽古をつけてもらって日常を続けようとしている。なんて皮肉だろう。涙が枯れた僕は、乾いた笑いをこぼした。
『どうした。力が入っていない』
『……ッッ』
誰のせいだと心の中で叫んだ。お前が、僕の唯一の友達を嬲り殺したからではないのか。
『……本当に、そうか?』
老女は僕の心境を見透かしたようにささやいた。
『どういう、ことだ』
僕は、自分の声が震えているのに気づかなかった。
『お前は、なぜここにいる。そして、本当はもう、真実を知ってしまったのではないのか?』
僕がここにいる理由。それは明白だ。あの時捨てられて、ハランセルについていってしまったから。
パララが死んだ理由。それも……明白だ。僕が、ここにいるから。パララが最後に言ったとおり、僕が、この世に存在していなければーーー!
『あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ!!』
体中の力を込めた一撃を放った。それでも、この老女は軽々と受け止めてしまう。
『非力にすぎる』
僕は、パララの横にいてはいけなかったんだ。それが、最初で最後の一番大きな過ち。
老女は切り返し、僕を少なからず後退させる。
『そんなものなのか?人殺し』
なのに、いてしまった。だから、ハロンドに精神的苦痛を与えるためだけにパララは死んで、そのくせ僕はのうのうと生きている。
なぜだろう。
本当に、パララが最後に言った通りじゃないか。僕はどうしようもないクズじゃないだろうか。あんなに強く誓ったのに、ただの紙切れのように誓いを引き裂いて。
そんな僕は、今生きていて、良いのだろうかーーー。
『ぐはっ』
『あまりに剣筋が乱れている。一旦休め』
気づいたら腹に一撃入れられていた。思わず反吐を吐く。
僕は大人しく休憩に入った。
『ハロンドなんか、いなければ、私は……』
その言葉が、頭の中でぐわんぐわんと響いていた。そのことしか考えられなかった。パララはあの時、どんな気持ちだったのだろう。
隣に彼女が座った。
『悩んでいるな?なぜ、僕は生きているのか、と』
僕は黙ったままだった。彼女に喋る義理はないと思ったからだ。
『存分に悩むがいい。それと、誤解を解くように言っておこう。私は無意味にパララを殺した訳ではない』
僕はぼうっと、それを聞いていた。
『なあ。お前は何に悩んでいるんだ?』
幾度も剣戟を繰り返しながら、ハランセルは問う。
それをお前が聞くのかと、僕は心の中で叫んだ。
『私がお前だったら、選択肢は一つしか無いがな。ーーー罪を犯した罪人は、どうそれを償えばいい?』
『知るか!』
僕は力んだ剣をぶつけた。ひときわ大きな金属音が響いた。
『それに値する罰を受けること。またはそれを超えし復讐を受けること。パララとの日常を思い出してみるといい』
そう言われて、僕は反射的に思い出す。
稽古などのすることがなかった時、僕はいつも彼女と共にいた。森の中を探索したり、木登り競争をしたり、突然剣に興味を持ったパララに逆に教えてあげたり。全部が楽しかった。笑顔を絶やしたことさえ稀だった。時間がとても短く感じられた。何気なかった日常が、今は狂おしく恋しい。
それは、本来あってはならないものなのに。
『……ッッ』
ハランセルの強烈な一撃を流す。
『未だに罰を受けぬ卑怯な罪人が、ここに二人』
僕の目が据わる。
一旦ハランセルと距離をとる。間もなく駆け抜け、殺す気で突きを放った。
『ハァッ!』
『甘い』
難なく弾かれる。ああ、どうしてこれほどまでに力の差があるのか。パララが殺されて当然だ。大切な存在というのは、それを護るだけの実力を備えて初めて欲することの出来るものだから。
未熟にすぎる僕には、あまりに脆く、崩れやすい幸福だった。
求めてはならないものを求め、結果、パララを殺してしまった。
呆気なく崩落したそれを、僕は何も出来ずに見つめていた。
そんな、愚かで救いようのない僕に。
守りきれなかったそれに、贖いをさせてくれ。
『ーーー姿創克愕』
途中で、僕が二人に増えた。
そこにいるのは、僕と彼女。
分かっている。分かっているんだ。これは欺瞞だ。ただの自己満足だ。だけど、この場に彼女がいて欲しかった。
『いい、いい。いいぞ。さあ、来い』
ハランセルは目を見開いて狂喜する。
取り戻しのつかない過去に、手を伸ばして。
たとえパララが生き返ったとして、決して前のようにはならない仲。彼女と最高の関係だったあの頃に、手を伸ばす。
はるか遠い何万光年先にあるそれに。
因果応報なのに、たった数十センチしかない手を今も必死に伸ばしている、ただのクズ。
そんなこの世界のクズに、罪滅ぼしをさせてくれ。
『くはっ』
斬られたのは、ハランセルだった。
二人の僕に睨まれながら血飛沫をあげて、膝から倒れる。
『それが、お前の破剣、か。お前は、罪、知らず、だな……』
それきり、彼女は動かなかった。
『やった……』
僕は荒い息を繰り返しながら呟いた。達成感はなかった。そこにあるのは、ただの虚脱感。
それと、確かな狂気。
僕は空を見上げた。水色の青い空に、白い雲が泳いでいる。
『やったよ、パララ……』
パララはこの結果に喜んでいるだろうか。いや、いないな。彼女は決して、誰かが死んだりして喜んだりする子じゃない。むしろ、達成感を覚えている僕の方こそ、徐々に逸脱していっているのだろう。
僕は、これから何をすれば良いのだろうか。
僕に残っているのは、一生背負うことになる大罪と、燃えかすと、燃やすことさえできなかったクズだけ。全てを失って、僕にはもう心を燃やす燃料がない。
ハランセルが死んで、魔物も入れるようになったのだろう。気づけば熊が僕の背後にいた。腕を振り上げて僕に切りつけようとしているところだった。けれど僕は熊の首を掻っ切り、瞬殺する。
熊の巨体は大きな音を立てて倒れた。首が飛んでいるその姿は、森で迷子になっていた時にハランセルが切った熊と酷似していた。あの頃はこの熊一匹でさえハランセルに頼らなければならないほどだったのに、今更こんな力が手に入るとは皮肉なものだった。
もう一度空を見上げる。左から右に、雲が次々に逃げていく。左から新しい雲は一切出てこない。
『……』
これから、どうすれば良いのだろう。
何よりも大切なパララを失い、自分を養ってくれる人を失い、安全な家を失い。ここから神は何を為せというのか。
空を見上げる。僕の視界内には、もう雲はなかった。
『……!』
為すんじゃないんだ。全てを守れなかったものの搾りかすとクズしか無い僕には、そんなことをする権利なんてない。
護る、こと。
『ははは……』
それは僕が為せなかったこと。それを違う人々に、一生をかけて尽くすんだ。あの世に行った時に、パララに胸を張って『今度こそ、守ってあげる』と言うために。
『ははははは……!』
とんでもない冒涜だ。僕は一番大事なところで何も為さずに、どうでもいい奴らを護るのか。そんな僕の姿を見て、パララは何と思い、言うのだろう。もう一度、あの言葉をかけてくるのだろうか。もう、その言葉を聞きたくはなかった。
『いいや、』
違うな。聞きたくないという望みを持つことは、贖いとは真逆の行動だ。だから、僕は全てを受け止めなければならないんだ。
どうかこのクズに、もう一度、あの世であの言葉をーーー
口から出かけたそんな言葉を呑み込むと、左から黒い雲が雨を降らしながらこちらに急接近するのが見えた。
僕は慌てて木陰に入った。
葉から零れた水滴が、僕の前髪に滴り落ちた。




