第4章 爽やかイケメンのち、強面スキンヘッド
1
思い返してみれば、ここ数日の健くんは変だった。
こっちの世界に来てまだ一週間も経ってないけど、それでも分かるくらいには明らかに。
そう、異変の始まりは確か、五十嵐の騒動が終わった次の日。今週の火曜日からだ。
「――突然なんだけどさ、これからは小宅のこと、『永遠子』って呼んでいいか?」
「えっ⁉ 下の名前で呼ぶってこと⁉」
二日目の試験も私なりに乗り切りった直後、テストに対する悲喜こもごもの声が飛び交う教室の中にて。
私は思わず耳を疑った。
「うん、そうだけど。だってさ、キャサリーンのことは普通に名前で呼んでるのに、小宅だけ名字ってのも変だろ?」
「いや、それは分かる! 私たち三人もすっごく仲良くなれたから、その理由も理屈も分るんだけど……。そうやって改まって言われると、身構えちゃうというか……」
「そっか、じゃあ許可なんてとらずに普通に永遠子って呼ぶわ。永遠子、キャサリーン、一緒に帰ろうぜ」
「強行突破! ちょっと待って、私まだ心の準備が出来てない! きゃ、キャサリーンは女の子だから、この困惑と嬉しさと、その他不明な感情多数が入り交じったこの気持ち、分かるよね?」
「け、健くん。永遠子、さん。……あぁ! やっぱり私にはまだ無理だ!」
「キャサリーンはそれどころじゃなかった! だ、大丈夫だよ。キャサリーンはキャサリーンが呼びたいように呼べばいいんだから、無理に合わせなくていいんだよ」
「永遠子はやっぱり優しいなあ……。で、キャサリーンはなんで顔真っ赤にしてんの? なんかあったの――」
「もうそれで押し通すのね! 了解、私も腹くくって受け入れる!」
こんな感じで、キャサリーン以外には男友達ですら名字呼びだった健くんが、私を永遠子と呼ぶようになったのが最初の異変。
水曜日。
次なる異変は、三人肩を並べて帰路についている時に起きた。
「――二人はさ、今日の古文の試験できた? なんか全然話の内容が入ってこなかったし、とうとう赤点かもしれない」
「大丈夫だよ。小宅さん、あんなに真面目に古文の勉強してたんだから絶対テストもできてるって。それに、今回の問題文は小宅さんの好きな紫式部の作品だったでしょ?」
「ん? ……あぁ、そういえばそんな話もしたっけ」
古文好き女子高生という急ごしらえの設定を思い出し、私はそれに沿って話を進める。
「確かに面白いんだけどさ、古文って恋愛系の話が多いでしょ? しかも束縛とかストーカーまがいのかなり重めのやつ。ああいうドロドロしたやつは脳が受け付けないんだよね」
「そうかな? 私はあんまり気にならないけど」
「……あっ、そっか」
キャサリーンはお城で舞踏会とかやってる『シンデレラ』みたいな世界軸にいたから、ドロドロにも耐性がついてるのか。一人で勝手に納得。
「まあ、うだうだ言わずに黙って問題解けって話なんけど……。それで健くんは今日のテストどうだった? 結構難しかったよね?」
「…………」
「け、健くん?」
「……あっ、ごめん! えっと、俺は束縛とかは絶対しないって決めてるけど、好きな人にそうしたくなる気持ちは分かるというか――」
「いや、そっちじゃなくて! 私が聞いたのは、今日のテストの方だったんだけど……」
「え? ああ、そうか……。ぼちぼち、ってとこかな」
「ふ、ふーん。やっぱ、今日のは難しかったよね。ははっ……」
一応この場は収めてみたけど、健くんは一体どうしたのだろうか。
あの『粘度の高い恋愛はありなし論争』が頭に残っていたせいで、私の質問が耳に入らなかったとか?
だとすると、健くんは男子にしては珍しい恋バナが好きなタイプなのかもしれない。
「…………」
しかし、楽しいはずの三人一緒の帰り道でなぜか思い詰めた表情をしている健くんに普段の気さくな雰囲気はなく、恋だのなんだのと気軽に話せる状態ではなかった。
そして今日、木曜日。
「永遠子、ちょっといいか?」
「名前呼び、まだ慣れないなあ……。で、なに?」
「今日はさ、二人で帰らないか?」
「もちろん、そんなの全然夫……ん? 二人⁉」
頭をぶん殴られたような衝撃。
教室の喧噪が聞こえなくなるほど、意識を一気に持って行かれた。
「うん、なんかキャサリーンは今日当番の仕事あるらしくて、『先に帰っていいよ』って言われたから」
「あっ、そういうことね」
言われてみれば、確かに今日のキャサリーンは休憩時間の時も教室にいないことが多かった。
さっきもテストが終わった途端、慌てた様子で先生の方へと小走りで向かっていたし、試験週間の日直は特に忙しいのかもしれない。
……ほんとバカな勘違いをするんじゃないよ、私は。
恋愛系の話を昨日していたせいか、思い上がりも甚だしい勘違いをしてしまった。
オタク失格。作品への理解が足りてないのでは?
「……じゃあ、二人で帰ろうか!」
ただ、余りに長く沈黙が続くと不審がられるので、私は脳内反省会を早めに切り上げる。
そしてそのまま気を取り直し、元気に返事をした。
初めての経験となる、健くんと二人っきりでの下校。
今日の異変はこれかと思いつつ、私は健くんと共に学校を出た。
しかし、その考えは間違いだったことはすぐに分かった。
私の家の前まで着き、あとは別れのあいさつをするだけとなった、その時。
「――俺、小宅のことが好きだ!」
「…………へ? 好き?」
異変も異変、大異変の緊急事態が発生。
この瞬間、ここ数日の奇妙な出来事がつながったような気がした。
2
小宅永遠子よ、まずは落ち着け。
そうだ、落ち着くためには一にも二にも深呼吸が大事だ。呼吸を整えながら、まずは状況を整理しよう。
「俺、小宅のことが好きだ!」
この夢女子も真っ青なド直球台詞は今しがた、私の耳にもばっちり届いた。
もしも私が鈍感ラノベ主人公だったら『え? なんだって?』と突然の聴力低下を起こしたり、『私も好きだよ、親友!』とかの読解力ゼロの場違い発言をしたりするんだろうけど、私は物語を引き延ばす必要なんてないただのオタク。
驚きのあまり、『……好き?』と自然に声を漏らしていた。
その結果、近所のコンビニに行く時ぐらいの手ぶら状態のまま、訳も分からずにこの告白超特急に乗車。途中下車は、多分だけどできない。
それは私をまっすぐに見つめる、健くんの真剣な表情が物語っていた。
「あの、それはもしかしなくても告白って意味だよね? 冗談でもなく」
「ああ。俺は本気だ。俺は小宅のことを、一人の女子として好ましく思ってる」
「そ、そっか……」
頬が熱い。鼓動も早くなってる。
私はまっすぐすぎる健くんの視線に耐えきれず、思わず顔を逸らした。
誰かから告白されるのは、これが人生初。
その相手がこんな超絶イケメンだというだけで信じられないけど、このイケメンはただのイケメンではなく、私の『推し』。
そんなの、そんなのって……。
「永遠子、返事を聞かせてほしい。今すぐじゃなくていいけど、永遠子の本当の気持ちを」
「私の、気持ち……」
そんなものは当然もう決まっている。
健くんは『今すぐじゃなくていい』と言っていたけど、この胸に沸き立つ感情は、とてもじゃないが抑えられない。
……ただ、返事をする前に、どうしてもこれは聞いておかなければ。
「健くんはさ、なんでそんなこと言ってくれるの?」
健くんが私を好きだと感じた、その理由を。
「だって私、キャサリーンみたいに可愛くないし、時々おかしなこと言って変な行動も――」
「そんなこと、言うなって」
「け、健くん⁉」
落ちかけた日によって茜が差す、家の前の道。
この会話を邪魔するような音は一切聞こえない、そんな静寂の中、私は自分が思う自分の短所を言い連ね始めたのだが、それは突如として止められた。
私の両肩に、健くんの手が力強く置かれたことによって……あれ? このやりとり、なんか既視感あるな。
「永遠子には俺なんかのために、自分事みたいに必死に犯人捜しに協力してくれる優しさがある。永遠子には、五十嵐がテストの束を持ってるの見た途端に足が震えだした俺とは違って、すぐに足を踏み出せる勇気がある。それに……」
健くんの私の肩を掴む力が少し増した。
「永遠子が可愛くないわけない! 変なこと言ったりするのも含めて、全部が全部一番可愛いに決まってるだろ!」
「一番⁉ あ、あの、それはすごく嬉しいんだけど、なんでそんな怖い顔してるの……?」
「あっ、ごめん。つい熱くなって」
そう言ってぱっと手を離すと、恥ずかしそうにして頭をかく。
そして再び私にまっすぐ顔を向けると、今度は少しはにかみながら言った。
「でも、自分の好きな人が悪口言われてたら、怒るのは当然だろ?」
「……えっ? それって――」
「たとえ悪口を言ってるのが、その好きな人自身だったとしてもな」
その言葉を聞いた瞬間、私の頭は……って、やっぱこれ知ってるわ。
『悪ワタ』でこんな感じのシーン見たもん。
「……健くんありがと。私の気持ち、今から伝えるね」
「お、おう」
背筋をぴんと伸ばした健くんに向かって、私は一歩踏み出す。
そして心からの気持ちを、〝拳〟に込めた。
「そういうのじゃねえんだよおおおおおおぉぉ‼」
「ひでぶッ!」
私の渾身の右は、無防備だった顎にクリーンヒット。
キスでも期待していたのか、近づいていった時に目をつむっていた健くんは、無抵抗のまま固く冷たいコンクリ舗装の地面へと倒れていった。
「えっ⁉ ええっっ⁉」
そして何が起きたのか全く分からず、痛むであろう顎を押さえながらキョロキョロと周りを見渡している。
そんな私が知っている『推し』とはほど遠い姿に向かって、
「こちとら親譲りの根っからのカプ厨なんだよ‼ それなのに、一体何をしてくれてんだ⁉」
自分の秘めたる性癖を、この世界の全てに響き渡るぐらいの声量でぶちまけた。
3
『そういうのじゃないんだよ拳』
公式には抗えない哀れなオタクが解釈違いという苦境に立たされ、何もできず、ただ涙を流しながらひたすらに拳を振るったことから生まれたとされる伝説の奥義。
例えば、
・ずっと主人公に優しかった幼なじみが、ぽっと出の口の悪いツンデレ野郎に負けた時。
・清純キャラのえちえち抱き枕カバーが公式から発売された時。
・ようやくカップルが成立して完結したかと思った矢先、作者がうきうきで負けヒロインとのIFルートを書き出した時。
などで発動する……のだが、これには使い手の無力感を紛らわせるぐらいの効果しかない。
つまりはただの気休め。あるいは断末魔と言い換えていいかもしれない。
それもそのはず。だって使い手とはすなわち、公式からのお恵みが無ければ生きていくことすらできない、か弱いオタクなのだ。
そんな者がいくら泣きわめいて暴れたところで、作者や出版社、制作委員会には太刀打ちできない。できるはずもない。
――しかし、とあるカプ厨に奇跡が起こった。
本来ならば何の力も持たない『そういうのじゃないんだよ拳』に力が宿ったのだ。
作品の中にいるという特殊な状況が生んだ、〝干渉する力〟。
彼女が、その拳が、何千何万ものオタクが挑んでもなしえなかったことを成し遂げようとしていた。
小宅永遠子は今、全オタクの想いを背負って戦っている。
4
「かぷちゅう? 言ってることが全然分からないんだけど、俺は何? 振られたの?」
「振るとか振られるとかそういう次元じゃなぁぁい! これは魂の戦いなんだから!」
「ちょっ、まじで分からん!」
非オタにとっては理解しがたい言葉を次々に並べられ、いよいよ頭を抱え始めた健くん。
しかし、お姫様を守る勇者並みに闘志が燃え上がっている私は、それに構うことなく話を続ける。
「いい? カプ厨ってのは他人の色恋沙汰に興奮するだけじゃ飽き足らず、恋愛要素の全くない二人でさえ妄想でくっつける変態のこと」
「へ、変態⁉」
「そう。つまりは私も変態だから、割と重度の」
健くんは驚愕が顔に張りついたように小さく口をパクパクさせているが、話はこれからが本番だ。こんなところで離脱されては困る。
「それなのに何で私に告白しちゃうの⁉ そんなことしたら、私の推しカプが壊れちゃうじゃん!」
「えっと、それはつまり……?」
「こんな変態オタクじゃなくてキャサリーンに告白しろってこと! だって健くん、キャサリーンのことが好きなはずでしょ!」
この世界の原作、『悪ワタ』に出てくる榊原健という男は、一途にキャサリーンのことを想っていた。
キャサリーンと初めて出会ってしばらくは自分の気持ちに気づけないでいたが、一度その胸に渦巻く感情の正体が分かってからは、ひたすらに。
だからこそ、私は二人が初めて手をつないだ時には笑みをこぼし、初めてキスをした時には絶叫し、それから二人の距離がぐっと近づいたり時には離れたりする様子をハラハラしながら見守ってきた。
しかし、今目の前にいる健くんが見ているのは、キャサリーンではない。
私はこの世界を楽しもうとして、逆にこの世界の秩序とも言える部分を壊してしまっていたのだ。
だから私は、それを修復しなければならない。
「私は健くんの気持ちを知ってるんだよ。だから健くんが私のことをす、好き……とか思うのも、きっと勘違いで――」
「そんなことない!」
すると、今まで私に押されっぱなしだった健くんから力強い声が突如として上がり、照れが入って詰まりかけた言葉が完全に遮られた。
「えっ⁉ ちょっ、急にどうしたの⁉」
こうなると、次に困惑するのは私の番。
健くんは勢いよく立ち上がると、覇気が戻った瞳を私に向け、熱い想いを再び語り始めた。
「俺の永遠子への想いは本物だ! 勘違いなんかじゃない!」
「何これー⁉ めっちゃストレートに言うー!」
キャサリーン相手だとこんなにはっきり好きだって伝えるのにラノベ3巻分、文字数にして約35万字もかけてたのに、なんで私には出会って7日目でこんな剛速球を投げてくるの⁉
あっでも、この世界の設定だと一応私もクラスの一員だから、出会ってから3ヶ月は経ってることになるのか。
……いや、そんなことどうでもいいわ!
「確かに永遠子の言うとおり、俺にとってキャサリーンは大事な存在だよ」
「……ん?」
私が余計なことを考えていると、聞き捨てならないワードが聞こえてくる。
キャサリーンが大事? いいよ、続けて。
「あいつと仲良くなってからそんなに長くないけど、一緒にいてすごく楽しいし、あいつの優しさに救われたことだって何度もある。だってさ、あいつって超がつくほどのお人好しだろ?」
「分かる分かる! それにすっごく努力家なところも魅力だよねー」
さすがはこの物語の中心である健くん、よく分かってんじゃん。
「そうやって二人で時間を過ごしていくと、キャサリーンの笑う顔を見るたびに胸の奥がざわざわするようになったんだ。それに、『もっと一緒にいたい』って思うようにも……」
そこまで言って、健くんの言葉が詰まる。
まるで何か大事なことを思い出したかのように。
「……! やっぱり⁉ ほら、しっかり考えたら自分の気持ちもよく分かったでしょ!」
まったく、手間かけさせやがって。ここまでしないと自分が今誰を好きなのかも分からないなんて、所詮はまだお子様ということか。
私みたいな優しいお姉さん(一学年上)がいて良かったね、健くん。
「でも、その気持ちの正体が『友情』だってことを、永遠子が教えてくれたんだ!」
「……なに? なんだって?」
私は現実逃避をした。
今度こそは数多の鈍感系主人公がやってきたように、全部なかったことにしよう。
「えっ、聞こえなかった? じゃあもう一回……。でも、その気持ちの正体が『友情』だってことを、永遠子が教えてくれたんだ‼」
はい、失敗。
鈍感系さーん、聞き返すぐらいじゃあ会話は流れたりしないみたいですよ?
「永遠子が犯人捜しに協力してくれた時にはまだ優しい友達っていう風に思ってたけど、あの瞬間に全てが変わったんだ」
「あの瞬間って……?」
「あれは窓から飛び降りていった永遠子を追いかけて、息を切らしながら中庭に着いた時だった。俺を散々苦しめてきた犯人が意気消沈して正座してるすぐ横で、腰に手を当てて堂々と立ってる永遠子の姿を見たんだよ。……あの凜とした姿で、俺は恋に落ちた」
健くん……いや、こいつは一体何言ってるの?
推しカプとの時間を邪魔されたくない。そんな不純な動機で五十嵐と交渉してた姿見て惚れたとか、冗談にしてもたちが悪い。
「それはもう、ビビビッ! って感じで胸が貫かれたんだよ!」
……こいつを、今すぐ黙らせないと。
さもなくば、またあの『奥義』を繰り出さないといけなくなってしまう。
「あの、もうそれぐらいで――」
「それで、『あぁ、これが恋ってことなら、キャサリーンに感じていた胸のざわめきは友達としてのあれか!』って気づいたんだ」
そこまで聞いて、一回ぶん殴った後はどうにか保っていた理性が吹っ飛んだ。
こいつ、『悪ワタ』エアプか?
榊原健はキャサリーンのことを愛してるんだよ。愛してなきゃ駄目なんだよ!
「だからずっと悩んでたモヤモヤを解決してくれたって意味でも、永遠子には感謝してる」
「……ふーん、そっか。そうなんだ」
「うん。これが今の俺の、嘘偽りのない心からの気持ち」
目の前の異端者はそう言うと、今度は自ら片膝をついて、高校生がするにはだいぶ重めの告白体勢に移行した。
「だから永遠子! 俺のことをキャサリーンにも気があるのに永遠子にも告白するような浮気者だと思ったなら、それは勘違いだ! 俺が好意を寄せるのはたった一人だけ……」
私は右足を一歩後ろへと引き、再び拳を強く握る。
「それは小宅永遠子、お前だ! 俺は永遠子を愛してる‼」
「ああああぁぁぁぁ! 分からないなら分かるまでやってやる‼ くらえ!」
「――ちょ、ちょ、ちょっと待ってストーップ!」
健くんが私のことを好き。
そんな幻想をブレイクするため放った私の拳が顔面に当たる直前、脳内にどこかで聞いたことがあるような異音が入り込んできた。
しかもそれだけではない。
(あ、あれ? 体が動かない……?)
振り下ろした右手はもちろん、口や指先といった体の端々までガチガチになっている。
そして瞬きすらできなくなった目で確認すると、殴りかかったことで目と鼻の先にいる『悪ワタ』エアプもまた、まるで銅像のように一切の動きが消えていた。
(私だけじゃない。この世界の『全て』が止まってるんだ)
そのことを理解した瞬間、私の意識が――――
完全に途切れた。
5
目が覚めると私は、何か柔らかな物の上に寝そべっていた。
寝ぼけ眼をこすりながら起き上がると、それまで私に掛けられていたらしい毛布が肩から滑り落ちる。
それには見覚えがあった。
私が中学に入った時に、お母さんが買い換えた夏用毛布。
幼稚なキャラ物はもういいって自分から言い出したくせに、いざ機能性重視のシンプルデザイン布団が代わりに部屋にやって来たら急に寂しさを感じたことを今でもよく覚えている。
「……あぁ。寝ちゃってたんだ、私」
頭がぼんやりとしていて寝る前の記憶があやふやだけど、寝てる間に見た夢の内容はやけにはっきりと頭に残っていた。
「なんか良いんだか悪いんだかよく分かんない夢だったなぁ……」
途中までは完璧な夢だった。
私の大好きな『悪ワタ』の世界に入ってキャサリーンや健くんと仲良くなれたし、気にくわない五十嵐を追い払ったりもした。
……でも、最後のインパクトが余りに強すぎる。
「健くんが私に告ってくるとか、まじで勘弁だわ。あんな爽やかイケメンに告られる夢とか普通だったら大喜びできるけど、推しカプの片割れだからなー」
夢の最後の方では健くんをぶん殴ってたけど、あの解釈違いはそれぐらいしても当然なぐらいのひどさだ。
一発じゃあまだ足りない。もう一発食らわせても……。
「ん? 確か殴るのは二回目もいったような気もするけど、どうだっけ?」
私は何か違和感を覚えて頭を悩ませるも、その答えはなかなか出てこない。
私の夢は不思議なことに、一番記憶に残りそうな目の覚める直前が不明瞭だった。
だからどうしても最後のやり取りが思い出せず、今も腕を組んで唸りを上げているわけだが。
「……ま、悪夢パートは思い出せなくてもいいや」
このまま良い記憶をメインに頭に残しておけば、万事解決オールオッケー。
そのように思い至った私は、一度大きく伸びをして、頭と体に『そろそろシャキッとしろ』というシグナルを送る。
そろそろ、夢から現実へと戻る頃合いだ。
「でもお腹空いたなあ……。ていうか、今って何時?」
今が朝か昼か、はたまた夜かによって、お母さんにリクエストするご飯の種類が変わってくる。なので早急に現在時刻を確認しなければ。
扉の横に掛けられた壁時計を見るべく横を向くと、明かりが無いはずの右手から明るい光が輝いているのを感じた。
私はふとそちらに視線を向けた。
「お、おはようございまーす。……あっ、その顔は! 分かる、分かるよー、その気持ち。部屋に誰もいないと思って独り言言ってた時に誰かいたら、恥ずかしいよねー」
明るさの正体は、部屋の照明を反射させているスキンヘッド。
その下には強面フェイスと、小ぶりのアフロぐらいの毛量はある立派な赤茶色の髭があり、来ている服をパンパンに張らせた筋肉モリモリの剛体はちょこんと正座していて……
「私の部屋にプロレスラーがいるッ!」
「ぷ、プロレスラー⁉ いや、我はそんな……って、えっ⁉ だ、大丈夫――」
可憐なJKの部屋に見知らぬ大男がいるという異常事態によって、私の意識は再び闇へと消えていった。
更新が遅れて申し訳ございません。
次回は、8月13日(日)に更新予定です。
どうかよろしくお願いします。