第3章 空を駆ける少女
1
この世界を楽しむ!
……はいいんだけど、具体的には何すりゃいいんだろう?
そんな疑問が寝る直前に浮かんで寝不足になるくらい考えすぎてしまったものの、おかげで最高の目標と、それを達成するためのプランを編み出すことに成功した。
それにタイトルをつけるならこんな感じだろうか。
ずばり、『推しと親友になってやれ! 原作知識を使って正解ルートを選び続ける、陰キャオタクの人間関係無双』!
そして、その作戦実行の第一歩として私は、
「二人とも、おっはよー!」
「おはよう小宅さん、今日は元気そうで良かったよ」
「確かに、昨日はいろいろ変だったもんな」
キャサリーンたち、そして一応今は私の教室でもある一年C組の教室に、普段の五割増しに明るい挨拶をしながら入った。
朝っぱらからこのハイテンションは陰の者には結構つらいけど、顔も心の綺麗さも最強レベルの二人と本格的に仲良くなろうというなら、こういう細かいやり取りから気をつければならない。
……ただ、もっと手っ取り早い手段も、きちんと考えてはいる。
というのも、この世界が原作とは全く異なるIFではなく、昨日推理した通りの2章の世界線なら、割と簡単に二人のハートをゲットできるかもしれないのだ。
「ほんとに二人のおかげだよ。……それであの、来て早々こんな話するのもあれなんだけど」
私は自分の席につくと、二人に向けて重要な確認をする。
「最近さ、学校でなんか変なこととかなかった?」
「変なこと? それって、どんな感じ?」
「そうだね、例えば学校に置いてた物にいたずらされてるとか……」
「いやー、私はそんなことないけど、なんでそんな――」
「お、俺は……ある」
「えっ⁉ それ本当なの榊原くん⁉」
キャサリーンは心底驚いたように声を上げるが、ここで私は確信を得た。
(この勝負、もろたでエリッキ‼)
「実はさ、まだ誰にも言ってなかったんだけど、こないだの水曜に学校来たら下駄箱にあった校内履きが……」
「こ、校内履きがどうしたの……?」
うん、知ってる知ってる。
あれでしょ? びしょ濡れになってたんでしょ?
「室内の下駄箱に入ってたはずなのに、すっげー濡れてたんだよ!」
「えぇ! なんでそんなひどいこと誰がやったの⁉」
「いや、それが全然分かんなくてさ。その日は午後まで乾かさないといけなかったから、午前中の授業は靴下で受けなきゃいけなかったし……」
誰がやったかって? 私それも知ってるぅ。
「あと、その次の日も持ってきたはずの教科書が、体育の授業の後にどっかいってたんだよ」
「あぁ、英語のやつでしょ。そういうのもあったよね」
「ひどい……! ていうか、なんで健くんはそんな大事なこと黙ってたの?」
「いや、余計な心配かけたくなくてな。大した害があったわけじゃないし」
「そんなこと関係ないよ! 困ってることがあったら、まずは私を頼ってほしいって……」
「ご、ごめんキャサリーン……」
自分を頼りにしてくれなかったことに対して珍しく怒りを表し、そして悲しんだキャサリーン。
その姿を見た健くんもまた、申し訳なさそうに悲痛の表情を浮かべる……。
ただ、これは私が作り出した全く新しい状況ではない。原作にもあった名シーンだ。
まあ、段階をいろいろすっ飛ばしたのは事実だけど。
こんな感じで2章の本筋のイベントは、健くんが謎の人物からの嫌がらせに遭い、それを知ったキャサリーンと共にその犯人を捜していく、という展開になっている。
そこで、原作履修済みの私が華麗に事件を解決し、一気に二人との距離を縮めようというのが、今回の作戦だ。
だって私、犯人が〝五十嵐〟だって知ってるし、次は〝健くんの期末テストの答案を改ざんしようとする〟のもばっちり把握してるから、絶対この作戦は成功するはず……
「あっでも、なんで小宅は俺がこんな嫌がらせ受けてるって知ってたんだ? 俺、親や先生にすら言ってないんだけど」
「……えっ?」
「それにさっきも教科書としか言ってないのに、英語の教科書だって分かってたし……」
ま、まずい。
相手が知らないことを自分は知っている、っていう優越感に浸りすぎて、完全に余計なことまで言ってしまった。
健くんの眉間によったしわを見る限り多分私をちょっと疑ってるし、キャサリーンは困った表情で私と健くんに交互に目をやっている。
仲良くなるどころかいきなりのピンチ。そして何より……。
(自分が気持ちよくなるためにベラベラしゃべるとか、私の大嫌いなネタバレクソ野郎と変わんないじゃん!)
私はネタバレ絶対許すまじの精神で生きているから、『犯人は誰だ!』って言ってるような時に〝名前を思いっきりバラす〟なんてことをしないのはもちろん、未読勢の人にうっかりでも〝次の展開を話す〟ことは〝絶対ない〟のに。
小宅永遠子、一生の不覚!
……とはいえ、今はオタクの個人的なポリシー違反よりも、健くんに与えてしまった誤解を解く方を優先しよう。
「じ、実はさ、たまたま見ちゃったんだよね……犯人。教室と下駄箱で」
「えっ、小宅見たの⁉ マジで⁉」
「健くんが大事にしないようにしてたから今まで私も言わなかったんだけど、マジ中のマジ。校内履きにペットボトルの水かけたのも、鞄から英語の教科書をさっと抜き取っていくのも、この目で」
私は大げさに自分の両目を指し示し、さっきの失言の挽回を図る。
実際、小説でその場面はちゃんと読んでるし、なんなら五十嵐が水ぶっかけてる時の、『ふっふっふっ。これであいつも……』っていう心の声までインプット済み。
だからこそ、嘘偽りないキラッキラの瞳で、堂々と二人を見ることができる。
「そう、だよな……。小宅を疑うようなこと言って悪かった……」
「いやいや、気にしないで。私も話の切り出し方がちょっと変で、自業自得みたいなもんから」
「こ、これで誤解は解けたみたいだね。私も少し変だとは思ってたけど……、とにかく二人がギスギスしなくて良かった!」
よし! これでひとまず、私がえん罪を被るという最悪の事態は回避できた。
……ただ、ここで犯人を見たと言ってしまうと、一つ困ったことが起きてしまうのも事実。
「それで誰がやってた? 小宅の知ってる人か?」
そう、このままの流れで『隣のクラスの五十嵐!』なんて言うと、私は単なる目撃者Aになってしまうのだ。
それだと事件を解決するヒーローになって二人に急接近するという目論見がパーなので、ここからは女優になる必要がある……。
「いやー、靴箱で見た時は朝早くてまだ薄暗かったし、教室で見たときも暗く……はないな。あれは昼だったもん。……あっ、そうだった! 教科書の時は、私掃除ロッカーに入ってたから、あのほっそい隙間からしか見れなかったの。だから犯人は男子だったってくらいしかは分かんないなー」
「そうか、顔までは分からなかったか……、ん? な、なんで小宅はロッカーの中になんていたんだ? それに、俺らのクラスはその時グランドで体育だったよな?」
「そ、そんなの決まってるじゃん! 教室に戻ってきた人を驚かせようとしたんだよ! 私ってほら、友達の誕生日会では陽気な三角帽にクソデカパーティー眼鏡とかつけちゃうエンタメ全力女でしょ?」
「それはよく知らないけど……」
私ですらそんなパリピは知らないので健くんの困惑はごもっともだが、私は構わず続ける。
「だからそんな些細なドッキリのためでも、授業サボって一時間ロッカーの中とか全然やっちゃうの。ここまでオッケー?」
「お、オッケー……」
「キャサリーンも大丈夫?」
「わ、私⁉ えっと、かなり意外な一面だったけど、そういう小宅さんも良いと思う!」
「……うん、ありがとう。それで、こっからが重要な話。私、犯人の顔は見えなかったんだけど、『声』は聞こえたの。それも、次の犯行を示唆するような重大なやつ」
「ほ、ほんとか⁉ それで犯人はなんて⁉」
「確か、『榊原の鞄から教科書を抜いた瞬間、背徳感と共に願望の結実が近づく確かな感触を得た。しかし、それを確実に実現させるには、もっと大胆な行動が必要となってくる。……指導者たちの聖域に存在する試練の証を改竄する。それほどの大胆なものが』って言ってた」
「……えっ? それ口に出してたの?」
「う、うん。自分に酔ってべらべらしゃべってた」
「まじかよ、そんな変な奴が犯人なのか……」
犯人にいらない属性がくっついてしまい、健くんは今までとは違ったタイプの恐怖に顔をゆがませている。
実際のところ、さっきのは心の声ですらなくて地の文なんだけどね。……健くん、ごめん。
あと一応五十嵐、ホラー映画に出てきそうな狂人ポエマーに仕立てちゃって、めんご。
「で、でも、そのおかしな口調はともかく、言ってる内容から考えると、犯人は『職員室から榊原くんのテストを盗って、それを書き換えようとしてる』ってことだよね?」
すると、健くんと同様にやばめの犯人に怯え気味だったキャサリーンが、意を決したように口を開いた。
「あぁ、指導者たちのなんちゃらってそういう意味か。キャサリーンよく分かったな、あんな変な言葉の羅列で」
「そ、そんなことはいいから! とにかく、犯人が次に動く前にそれを止めないと!」
(きた! これこそ私の待ってた展開!)
「榊原くん、私が絶対犯人を見つける! それでもう二度と榊原くんが怖い思いをしないよう――」
「あっ、待って。私も手伝う! 私に優しくしてくれた健くん、それにキャサリーンを放ってなんかおけないって」
「小宅さんも⁉ ……危ないから私一人でやりたいところだったけど、小宅さんは犯人の情報を持ってるもんね。うん、一緒にやろう!」
ここで自然とキャサリーンと目が合う。そして私たちはそのまま、熱い握手を交わした。
……おいおい、青春かよ。
「おいおい、ちょっと待てよ! こうなるから嫌がらせのことは誰にも言ってなかったのに……。でも、『もっと人を頼れ』って、さっき怒られたばっかりだもんな……」
健くんはそう言うと、腕を組んで下を向き、唸るような声を漏らして頭を悩ませ始めた。
おそらく、自分自身の問題に私たち、特にキャサリーン、を巻き込むことに抵抗を感じているのだろう。
――ただ、健くんが悩んだ末にキャサリーンの申し出を受け入れることは、この世界ではすでに決まっている。
「あぁ! 分かったよ! じゃあ二人には犯人捜しを手伝ってほしい。……危ないことは絶対しないっていう条件付きで」
顔をバッと上げた健くんから答えを聞いた瞬間、私とキャサリーンの目は再びばっちりと合った。
そして、
「絶対にいがr……犯人の奴を見つけてやろう!」
「おー!」
「お、おう……」
窓際の席へと歩み寄った私たちは、今度は二人で一緒に健くんの手を取り、正体不明犯人確保を誓い合った。
「……ちなみに聞くけど、試験っていつからあるの?」
「来週……だけど、忘れちゃったの?」
「ら、来週⁉ ……あと、昨日から曜日という概念を無視してたから聞きたいんだけど、今日は何曜日?」
「学生でよくそんな感覚でいられるな……、今日は金曜だよ」
「今日が金曜日で、来週からテストが始まる……。なるほどね」
はい、私の終わり(赤点)が確定しました。
2
五十嵐京二。
『悪ワタ』の主要キャラの一人で、キャサリーンたちと同じ高校で同学年の、1年B組に所属している。
そして2章では、健くんに嫌がらせを行う黒幕として暗躍するのだが、その理由は『自分が一目惚れしたキャサリーンと仲良くしている健くんに嫉妬した』というもので、結構しょうもない。
こんな小物感あふれる三下は、普通はすぐにフェードアウトしていく……はずなんだけど。
なんと、こいつは3章以降、二人の友達キャラへと変貌して物語に残っていくのだ!
優しすぎる二人が、2章のラストで土下座までして謝った五十嵐を許したとはいえ、最高の作品である『悪ワタ』の中で私は、唯一この展開だけは納得がいっていない。
だってあいつ、友達になってからもキャサリーンを諦めきれずに、ちょくちょくちょっかい出してくるんだもん! 気に食わん!
……ということで今回は、あいつの嫌がらせを防いで二人と仲良くなるのはもちろん、あわよくば五十嵐を二人から遠ざけることも狙っていこうと思う。
私がいる間くらいは、作品を私好みにアレンジしたって問題ないでしょ?
――てな感じで嫌がらせ犯をとっ捕まえることを決意したのは、もうすでに先週の話。
昨日とおとといは、犯人とどうやって対峙するかの作戦会議と、全くのノー勉だと打ち明けた私にみっちり勉強を教えるため、二人が私の家にやって来るなんていう神イベントが発生していたが、今日は頭の切り替えが必要になってくる。
なにしろ、試験の解答用紙が職員室内にあることと、先生全員が参加する職員会議が大会議室で行われるために職員室が空になることが重なるのは、今日の試験初日だけ。
つまり、今日こそが五十嵐の決行日というわけだ。
「――お、おい、押すなって。これ以上前に出たら向こうから見えちゃうだろ」
「いやでも、少しとはいえ私は犯人を見てるんだから、しっかりこの目で見ておかないと……。キャサリーンはちゃんと職員室の入り口見えてる?」
「いや、小宅さんの後頭部しか見えてないけど。……まあ、私が監視してもあんまり意味ないから、今はサポートにまわるよ」
時刻は夕方五時過ぎ。場所は職員室の前にある吹き抜けの階段。
私たちは相手に存在を悟られないよう、念を入れて職員室から二つ上の階の壁際に身を潜めていた。
ここからだと職員室に入ろうとする人がいれば見逃すことなく確認できるが、先生たちが会議室に向かってから十分ほどがたった今も、まだ怪しい人影などは見ていない。
「会議は一時間くらいあるんだっけ? だったら、犯人が来るのもまだ先かもな」
「そうかもしれないね。部活とかで会議にちょっと遅れる先生とかもたまにいるらしいし。……ってことで、暇つぶしに聞くけど小宅さん? 今日のテスト、週末の勉強会の成果は出た?」
「きゅ、急にぶっこんでくるね。もちろんバッチリだったよ、おかげさまで。まったく、あんまり見くびらないでほしいなぁ……。ははっ」
突然耳の痛い話を振られ、苦笑いと調子の良い返事でごまかす私。
週末あんな丁寧に勉強を教えてもらっといて、平均以下の赤点ギリ回避の手応えしかないなんて、なかなか言い出しづらい。
現実世界では高2のくせに、今日の高1の問題に大苦戦したってことは色んな意味でもっと言えない。
ほんとに、異世界から日本に来てまだ半年も経ってないはずなのに人に教えられるくらい賢いキャサリーンがうらやましいよ。と、日本の義務教育を修了したはずの私は恥ずかしげもなく羨望してみたり。
「……ん? あっ、二人とも静かに。誰か来た」
すると、最前線で入り口の監視を続けていた健くんから不意に声が上がり、話が少々脱線しかけていた私とキャサリーンにも緊張が走る。
「小宅どう? ロッカーにいて犯人の顔は見えなかったにしても、雰囲気とかがあそこの男と似てたりしてないか?」
「ちょ、ちょっと待ってね。今見てみるから……」
小声で会話しながら、私も入り口の方を見てみると、そこには確かに一人の男子生徒がいた。
そいつは扉の前で何をするでもなく突っ立っていて怪しいことこの上ないが、こっちに背中を向けていて顔が見えない。
これじゃあ、あれが五十嵐かどうか分からな……い?
……小宅永遠子、ここで重要なことに気づく。
(私、五十嵐を文字情報でしか知らないから、顔を見たとてそれが五十嵐か分かんないわ)
キャサリーンと健くんの時は、二人がたまたま互いの名前を言ってたからすぐ分かったけど、今回ばかりはそうもいかない。
どうしよう、職員室って先生がいない時でも部室の鍵取ったり宿題出したりする人いるから、中に入った=犯人=五十嵐、とはならないし。
と、とりあえず落ち着いて考えよう。確か小説の中で五十嵐の見た目は、『短めの髪をツーブロックにした』って書いてあったはず。
それを踏まえてあいつを見てみれば……。
「あっ、ツーブロック! 健くん、あいつが犯人だよ。間違いない!」
「ほんとか⁉ まじかよ、まさか3年の先輩が犯人だったなんて……!」
「3年? あの人、3年生なの?」
「だってほら、うちの学校って学年によって制服の襟に入ってる色が違うだろ? こっからだと少し見づらいけど、あの人の差し色は赤で、あれは3年生の――」
「ごめん、よく見たら全然違った。あの人は絶対、何があっても犯人じゃない」
「な、なんで急に意見が真逆になるんだよ……。でも確かに、あの人中に入らずにそのまま行っちゃったわ」
「職員会議があるって知らずに、用のある先生に会いに来たのかな? とにかく、突っ込んでいっちゃう前に気づけて良かったね」
「ほんっと、その通り。……気をつけないと」
危ないところだった。あのままだとヒーローになるどころか、職員室前で騒ぎを起こして五十嵐を取り逃がしていたかもしれない。
よくよく考えれば、ちょっと洒落っ気がついた男子高校生なんて八割くらいはツーブロックだし、髪型だけで判断するのは危険すぎる。
五十嵐がどんな風に描写されていたか。それをもっと思い出さなければ。
「おっ、また一人来た。今度は俺らと同じ学年だけど、どう?」
……えっと、身長は低めで、キャサリーンより少し高いくらいだったはず。
「小宅? お、おい。なんでこのタイミングで自分の世界に入っちゃうんだよ。あいつ中に入っていったぞ!」
で、生意気なことにイケメン属性まで付与されている。……うーん、でもやっぱり小説に書かれてることだけで見た目を推測するには、ちょっと無理が――
「小宅さん小宅さん、戻ってきて!」
「ん? ど、どうしたのキャサリーン? そんな焦っちゃって……」
後ろから背中をポンポンと優しく叩かれ、ふと我に返った私。
そしてそのままキャサリーンの方を見てみれば、その顔がちょっと青ざめていて。
……あれ? また私なんかやっちゃった?
「小宅さんが榊原くんの背中を凝視してる間に、一人職員室に入っていったんだけど……、見えてなかったよね?」
「うっそ! ごめん、犯人の特徴を思い返してて完全に見逃しちゃった……」
「まあ、過ぎたことはしょうがない。それに、さっき入ってった五十嵐は隣のクラスだから知ってるけど、多分課題か何か出しに来たんだろ」
「……隣のクラスの五十嵐? あっ、さっきの嘘。ほんとは健くんの背中越しにちゃんと入り口も見てたけど、今入っていた奴が犯人と激似。ていうか犯人そのものだったよ」
「い、五十嵐が⁉ ……って、おい、一人で行くなって!」
五十嵐という名前を聞いた途端、私は居ても立ってもいられずに、職員室に向けて階段を降り始める。
いよいよ、私にとっての大一番がやって来た。
「なあキャサリーン、さっきは小宅、『俺の背中越しに見てた』とか言ってたけど、そんなことできんの? もしかして俺って透けてたりする?」
「ふふっ。もしかしたら、穴とか開いてたのかもね」
「ちょっ、怖いこと言うなって!」
急ぎつつも足音を立てないように移動している最中も、後ろからついてきている二人は軽くイチャつくような会話を交わしている。
これが街で見かけるようなしょぼいカップルから聞こえてきたなら癪に障ることこの上ないけど、二人が言う分には尊さすら感じるのは何でなんだろう?
私個人の意見だと、『交際』という段階に至ってないからこそ関係に不確実性があって、それが関係がどう動くかのドキドキを生んでるんだと思う。あと、好き同士だって分かってるからこその安心感とかも影響してるはず。
あるいは、単純に二人のビジュアルが良いからかもしれない。
まあ、今はそんなオタク的自由研究は置いといて、こっちの問題を先に片付けてやろう。
「……中からガサガサ音がする。ノートを出しに来たって感じじゃなさそうだし、残念だけど、本当に五十嵐が犯人みたいだな」
私たち三人は一気に中に入ることなく、いったん扉の前で耳を澄まして中の様子を窺う。
このタイミングで行けば、五十嵐は言い訳のしようがない現行犯だ!
「よし、ここからは危ないことになるかもしれないから、俺が一人で中に入る。だからキャサリーンと小宅はここで――」
「観念しろい‼」
私は全力で扉を開け、突入した。
「いや話聞けよ!」
3
「まじでどこにあるんだよ。早く見つけないと、さっきみたいに人が来ちまうじゃんか」
職員室にいざ入ろうとした時には誰か入り口の真ん前にいたけど、そういう人がまた来ないとも限らないんだ。
だから、さっさとC組の答案を見つけないといけないってのに……。
「AもBもDも机の上あるのに、なんでCだけないんだよ、くそっ」
俺は日本史の先生の机を、引き出しから重なった教科書の間まで、その全てをひっくり返す勢いで探しているが、どうしてもC組、榊原の答案が見つからない。
一瞬、今日あった他の科目のテストを探そうかとも思ったが、あとは現代文と数学で、すぐに書き換えられるものではなく、すぐに断念。
仕方なく、適当に置かれた書類やら筆記用具やらで散らかっている机の上を改めて見てみるが、ここは何度も確認済だ。
「やっぱりねえ。ちくしょう、テストを狙えるのは今日しかないってのに……」
事を進めるにはもってこいの大チャンスをみすみす逃すことになり、足に力が……。
ドサッ
「あっ、やば!」
倒れかけた体を机に手をつくことで支えたまでは良かった。
ただ、その衝撃で立てかけてあったファイルが三つほど倒れてしまったのは、隠密行動が必須の今の俺にとって最悪だ。
しかも一つは床にまで滑り落ち、中身が床に散乱する。
「急いで片付けないとまずいことに……あ、あれ? これは……」
それを拾おうと慌てて膝を落とした瞬間、俺の目に思わぬ物が目に飛び込んできた。
「C組の答案じゃねえか! これだけファイルに入ってたってことかよ!」
俺自身も今日解いた日本史テストの解答に、クラス欄のところにしっかりCと書かれた大量のテスト用紙。
お目当てのクラスだけが全く見つからず、今日の俺はツイてないと思っていたけど、こんな偶然が起きるなんて案外ラッキーなのかもしれない。
「……いや、かもしれない、じゃないな」
そう考えが変わったのは、散乱したテスト用紙の一番上に、『榊原』の名前を見つけたからだ。
俺は床に散らばったテストを一つの束にまとめてそれを左手に、そして右手にはようやく見つけた待望のブツを持ち、ゆっくりと立ち上がる。
「今日の俺は、完璧にツイて――」
「観念しろい‼」
……え?
「いや話聞けよ! 危ないことはしないって約束だったろ⁉」
「ちょっと健くん、そんな細かいこと言ってる場合じゃないよ。ほら、あいつを見てみて」
け、健? それって、あの?
俺は肝がどんどん冷えていくのを感じながら、声の方向へと顔を向ける。
すると、
「あっ、五十嵐」
「あっ……」
考えられる限りの最悪なタイミングで、最悪な人物と目が合ってしまった。横にいる女子は、誰かよく分かんないけど。
……と、とりあえず落ち着け。書き換えてる真っ最中ならともかく、この状況ならまだギリギリ言い訳の余地はあるはず。
計画はだいぶ遅れることになってしまうだろうが、今はそんなことよりも、この場を切り抜けることに全力を注ごう。
「えっと、これはな、俺だけ補習用の宿題みたいなのが出されてて、それを机に置いて提出しようとしたら、これを落としちゃって――」
「おいてめえ! なめたこと抜かしてると、叩き○すぞ!」
あ、あれ? 何だ今の?
女子の声で女子のものとは思えない暴言が聞こえてきたけど。気のせいかな?
「健くん、キャサリーン、私ちょっとあいつの根性をたたき直してくる」
「お、小宅さん⁉」
あっ、気のせいじゃないわこれ。
俺をものすごい形相で睨んでる女がどんどん近づいてきていて、『これは覚悟が決まっている顔だ』と、嫌でも分かる。
……うん。あいつに捕まったら何されるか分かんないし、逃げよう。
「おい小宅、俺が行くからお前は下がれって!」
ここでタイミング良く、入り口の扉のところに立っていた榊原がこちらに向けて歩き出し、逃げるためのスペースが生まれた。
もう間近にまで迫ってきたこいつも迫力があるとはいえ、あくまでも女子は女子。勢いに任せて横を走り抜ければ、俺を止めることはできないだろう。
俺は両手に持ったテストを机に置きながら、扉までの逃走ルートを一瞬で算出すると、すぐにそれを実行に移した。
「おいお前! そこをどけ――」
「そっちから近づいてくるなんて、話が早いね‼ 五ィィィ十嵐くゥゥゥゥン‼」
予定変更。
走り出した足を急停止させ、俺は必死の思いで方向転換する。
(あの女子怖すぎるって! 目がイッちゃってるじゃん⁉)
この先には壁と窓しかないと頭では分かってるんだけど、あんな恐ろしい姿を見せられたら考えるよりも先に体が動いてしまう。
「お、小宅! 止まれって!」
お願い! あんたのテスト改ざんしようとしといて虫がいいけど、そのヤバい人をどうにか止めてください!
――ただ、学校の中では一番広い部屋の職員室とはいえ、あくまでも部屋は部屋。そんな淡い願望を頭に浮かべていると、あっという間に壁にぶつかって逃げ場がなくなる。
(あいつは、榊原の言うこと聞いて止まったか……?)
そんなわけないとは思いつつ、おそるおそる後ろを振り返ってみると、
「そこ動くんじゃねえぞ! クソ野郎が!」
案の定、なんならさっきより怖い顔で、さっきよりスピードを上げて俺に向かっていた。
「やってやる! 絶対にやってやる‼」
「何をするつもりだよ⁉ あぁもう! こうなりゃヤケだ!」
ぼちぼち命の危険すら感じ始めた俺は、やぶれかぶれの気持ちで窓を開けた。
そして、
「どりゃああああ!」
「あっ、お前――」
あのイカれた女の声を置き去りにして、勢いよく窓から飛び出した。
職員室があるのは本校舎の二階。
あいつらも、こんな大それた行動は予測不可能だっただろう。
俺はすさまじい重力と風を感じつつも、華麗に着地を……
ドンッ‼
「……ッ! 痛ったぁぁぁ‼」
決めたがったが、約三メートルの高さとアスファルトがもたらす衝撃は凄まじく、両方の足と膝が悲鳴を上げる。
ぴょんぴょんと跳ねて痛みに悶えるこの姿は無様としか言い様がない。
「で、でも、これでひとまず逃げ切れるな」
形はどうあれ、放課後で人もいない中庭に逃げられたんだ。
あとはすぐにこの場から立ち去って、全てをうやむやに――
スタッ!
じんじんと痛む膝をさすっていると、すぐ近くで軽やかな音が上がった。
「こんなことで逃げられると思った?」
「……もうやだ」
目の前でアメコミヒーローばりの着地を決めた〝こいつ〟。名前は「おやけ」とか言われてたっけ。
この女に対する恐怖からか、あるいは単純に足にガタが来たからなのかは分からないが、自然と後ろに崩れて尻餅をつく。
抵抗する気力も、もう残っていない。
「あんたは今までに何度か健くんに嫌がらせをしてて、さっきはテストを改ざんしようとしてた。そうでしょ?」
「は、はい。その通りです……」
「そんだけのことをしでかしたんだから、私の『頼み』くらい聞いてくれるよね」
おやけはそう言うと、不気味なほどに場違いで温かな笑みを向けてきた。
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「――それじゃ、流れはさっき言った通りで。よろしくね」
「わ、分かりました……」
「うん、素直でよろしい」
すっかり従順になった五十嵐から前向きな返事が返ってきて、私は一つ手を叩く。
さっきまであんな派手な逃亡劇を演じていた張本人とは思えないほどの変わりぶりだけど、調教……もとい説得の手間が省けてこっちは非常に助かる。
なにしろ、作戦決行の時間はすぐにやって来るのだから。
「おい小宅! 大丈夫か⁉」
すると、やはりと言うべきか、後ろからドタドタとこちらに駆け寄る足音が聞こえてきた。
「榊原くん……、ちょっと待ってよぉ!」
さらに少し遅れて、息を切らした少し苦しそうな声も耳に届く。
これで役者は揃った。
「おっ、二人とも見てみて! このとおり、五十嵐をバッチリ捕まえてやったよ!」
校舎のエントランスの方から走ってきた健くんとキャサリーンが近くまでやって来ると、私は隣で正座している五十嵐を意気揚々と指し示した。
「そ、そんなことよりさ、お前大丈夫なの⁉」
「大丈夫……って何が?」
「いやいや、さっき窓から飛び降りていったじゃん! 小宅さんは怪我とかしてないの? ……あ、あと一応五十嵐くんも」
「あぁ、そういえばそうだったね……」
確かに今気づいたけど、私よくあんな大それたことできたな。
あの時はアドレナリンが出てて恐怖も痛みも全く感じなかったけど、改めて指摘されるとちょっと膝が痛いような気が……
「わ、私は全然大丈夫! 普段は全然運動とかできないけど、さっきはビタッときれいに着地できたし、火事場の馬鹿力ってやつかな? こいつも多分大丈夫だよ! ……な?」
「……はい」
ただ、ここで二人に余計な心配をかけて本題に入れないと困るので、急に湧き出てきた膝の痛みをこらえつつ、五十嵐にも泣き言を言わないように釘を刺した。
目配せで『やれ!』という合図を送りながら。
「まあ、それなら良かったけど――」
「す、すみませんでした‼」
「えっ、ちょっ、ちょっと⁉」
健くんの言葉を遮るようにして、五十嵐の絶叫にも近い声が響いたのもつかの間。少し緩み始めていたこの場の雰囲気が一気に変わった。
それは五十嵐が額を粗いアスファルトにこすりつける深い深い土下座を五十嵐がやり始めたからで……。
(ちょ、ちょっと待って。まずは健くんに謝れとは言ったけど、土下座しろとまでは言ってないんだけど)
「こんなことしても許されるとは思っていませんけど、ほんとにすみません!」
「いや、土下座されると逆にこっちが困るというか……。どうしようかな、これ」
健くんは困惑を隠しきれずに頬をかく。
そりゃそうだ。だって、さっき打ち合わせしたはずの私ですら若干引いてるもん。
今まで書いた小説では、着替えの場面に遭遇したくらいでもポンポンやらせてたけど、リアル土下座重すぎ……。
……もしかして、それも落選の理由だったりする?
だったら次応募する時には……って、現実での嫌なことは忘れるって決めたじゃん! 今はこの世界をより良くすることに集中しろよ、私!
それにこいつの場合は土下座でも足りないくらいの悪行をしてたわけだし……。
「まあ、とりあえず頭上げろよ」
そんな雑念が頭をよぎっていると、しばし続いていた沈黙が破られた。
「謝るのはいいんだけど、なんで俺にあんな嫌がらせをしてたのか、その理由を教えてくれない? それが分かんないと、許すも許さないもないだろ」
「理由……ですか」
健くんからの言葉を受け、再び正座の状態に戻った五十嵐の言葉が詰まる。
しかも膝の上で固く握られた手は少し震えていて、まるで『理由だけは答えられない』とでも言いたげな様子だ。
(……おい言えよ! 何もかも全部正直に話すって、さっき約束したじゃん! こいつ原作では『キャサリーンが好きで嫉妬のあまり……』とか恥ずかしげもなく言ってたくせに、なんで私が介入したら躊躇するんだよ⁉)
こうなったら、多少強引な手段が必要かもしれない。
「り、理由ってあれでしょ? 二人が来る前、私には言ってたじゃん。だから二人にも、自分の口でちゃんと伝えな」
「――!」
話を促すために少し口を挟むと、五十嵐の肩が一瞬ビクッと跳ねる。
二人が来る前に私には嫌がらせをやった理由を伝えた、なんてのは咄嗟の作り話なんだから驚くのも無理はないか。
ただ、これで作戦遂行の念押しはできたようで、五十嵐は意を決したように口を開いた。
「お、俺は…………」
五十嵐の眉間には皺が寄り、表情が一層神妙なものへと変わる。
……あれ? こいつ今、健くんの方を見た?
ずっとうつむき加減だった五十嵐の視線の動きが少し気にはなったが、考えがまとまるよりも先に話が動き出した。
「俺は今好きな人がいて、だから……、だから! ……つい」
「す、好きな人⁉」
その言葉に反応したのは、今まで展開を静かに見守っていたキャサリーンだ。驚きの余り口に手をやると、どうしたものかと健くんに困った顔を向ける。
さすがはこっちに来るまでは、善も悪も様々な感情が渦巻いていた社交の場に身を置いていた元令嬢。
若干天然なところもあるが、今の五十嵐の言葉を聞いて大まかな事情は理解したようだ。
「えっ、キャサリーンは今ので分かったの⁉」
超絶イケメンとはいえ、普通の男子高生である健くんは分からなかったみたいだけど。
「……えっと、なんかすごい勇気出して言ったっぽかったから申し訳ないんだけど、好きな人がいるのと俺に嫌がらせすんのがどうつながるのかを、もう少し詳しく――」
「ッ! だから責任をとって、もうお二人には二度と近づきません! 本当にすみませんでした‼」
「あっ、ちょい!」
健くんが核心に迫る質問をした次の瞬間。
五十嵐は飛び跳ねるような勢いで立ち上がると、そのまま脇目も振らずにこの場から走り去っていった。
その後ろ姿を、私は少し複雑な感情で見送る。
――誠心誠意しっかり謝ったら、健くんとキャサリーンと距離を置け。
「二人は優しいから、ひどいことをしたお前であっても自分から遠ざけたりはしない……。でもそれじゃあ、なんのケジメにもならないよ」
そんな理由を付けて伝えた、私の『頼み』。
五十嵐はそれを完璧にやってのけたわけだけど、何だろう。この胸に残る違和感は。
原作では明確に言っていたキャサリーンの名前を、さっきは『好きな人』とはぐらかしていたこともそうだし、何より五十嵐のあの目がどうしても……。
「ひとまずはこれで解決、ってことかな?」
すると、五十嵐のことでいっぱいになりかけていた頭が、全く別の情報を受信する。
ハッと目線を上げると、キャサリーンは慎重に言葉を選びつつも、この嫌がらせ騒動の収束を図ろうとしていた。
「五十嵐くんも『二度と近づかない』って言ってけど、その場しのぎの嘘には思えなかったし……。もちろん、榊原くんが納得しないと駄目なんだけど! ……榊原くんは、あの人のこと許すの?」
「まあ、あんなマジの土下座までされるとな。あいつはあいつでなんか思い詰めてたみたいだし、今さら先生に突き出したりはしねえよ」
次やりやがったら一発アウトだけどな。最後にそう付け加えた健くんだったが、その少し緩んだ頬からはどこか清々しさが感じられた。
……そうだった。私はこの笑顔を見るために、今まで頑張ってきたんだった。
笑い合う健くんとキャサリーン。間近で見る推しの笑顔。
これ以上の幸せなんてあるだろうか。いや、ない!
(そうだよそうだよ。ここは私の理想が詰まった夢みたいなもんなんだから、私の落選続きの小説も、ずっと気にくわなかった五十嵐も、気にせずに楽しめばいいんだ!)
ようやく頭をエンジョイモードに切り替えることができた私は、静かに拳を握って小さくガッツポーズを……
「そうだ、まだ小宅とキャサリーンにお礼言ってなかったっけ」
していたところ、不意に名前を呼ばれた。私は手を腰の位置に慌てて戻した。
「二人とも、今回は俺のためにいろいろと協力してくれて本当にありがとう」
「いやいや、そんな改まって言わなくても……。ねえ?」
「ほ、ほんとだよ。困ってる人がいたら助けるのは当然だし、それが榊原くんなら、なおさらだから!」
「それでも言わなきゃ気が済まないんだよ。……特に、小宅には」
「えっ、私⁉」
今度は私だけを名指しされ、驚きから声が漏れる。
健くんは私が落ち着くのを待ってから、優しく語りかけ始めた。
「だってほら、小宅はすごい必死で五十嵐のことを追いかけて、最後は捕まえてくれただろ」
「いやー、あんなのどうってことないよ。へへっ」
すごい。これめっちゃ嬉しいな。
私がやったことは全部、好感度獲得という目標の達成につながっていたわけだ。大成功大成功。
「俺の言うこと無視して職員室に突入したり、危ないことはするなっていう約束だったのに窓から飛び降りたりしたのは、どうかと思うけどな」
「そ、それは、えっと……すんません」
前言撤回。大成功とはいかず、少し減点が入った『ちょい成功』くらいのようだ。
「そ、その件については私も反省してるんだけど、逃がしちゃ駄目だと思って必死だったから、あんまり覚えてないというか……」
「でも、本当にありがとう!」
私の苦し紛れの弁明を遮るようにして差し出された健くんの右手。
私はあれこれ考えるよりも先にそれを握り返すと、健くん、そしてキャサリーンの顔を見た。
そこには、さっき二人で笑い合っていた時よりもずっと明るい笑顔があり、つられて私も笑みがこぼれる。
……さらに前言撤回。やっぱり、今回の作戦は『大大大成功』だ。
「じゃあ、今日も三人で帰ろっか。……あっ、そうだ! せっかく事件も解決したことだし、小宅さんの家に行ってお祝いでもする?」
「いやいや、今は試験週間まっただ中だぞ。キャサリーンは賢いからいいかもしれないけど、俺と……、特に小宅には遊ぶ余裕なんて無いから」
「えっ、私は全然遊びたい! でも遊ぶなら私の家じゃなくて、渋谷とか原宿がいいかも!」
「小宅さんの家はここから1.2キロメートルの距離にあって、ルートは――」
「あっごめん。今の忘れて」
5
結局は試験勉強が優先ということになり、私たちは普通に一緒に帰るだけとなった。
そしてその道中。他愛もない雑談もしていたのだが、話題は自然と私の大立ち回りへと移っていった。
「でも小宅さん、ほんとすごいよ! 私はあの人が窓から飛び降りたのを見ただけで腰を抜かすほど驚いたのに、小宅さんは全く同じルートを使って追いかけていっちゃうんだもん!」
「まあ、無我夢中って感じで何も考えてなかったからね。もう一回やれって言われても、絶対無理かも。今回は奇跡的に無事だったけど、次こそは私の運動神経の無さが出て大けがしちゃいそうだし……」
「誰も『もう一回やれ』なんて言わねえよ。……まじで、ああいうのは心臓に悪いから二度と御免だからな」
健くんはその時の光景を思い出したのか、胸のあたりをさすって自分を落ち着けている。
一方、キャサリーンは目をキラキラさせていて、そこにはどこか羨望のようなものを感じ取れた。
もしかしてこの子は、危ないことに憧れがあるやんちゃ属性でも持ってるの?
「……真似しちゃ駄目だからね」
「あ、当たり前だよ! そんなのは当然、分かってる、から……」
ビンゴ。
どうやら小説を読んでるだけじゃ分からなかった一面も、二人にはまだまだ沢山ありそうだ。
もう二人との距離をガッツリと詰められたわけだし、これからはそんな隠れた個性を発掘していくというのも悪くはないかもしれない。
……この『悪ワタ生活』は数週間くらいを予定してたけど、延長もありだな。
余りに分かりやすい反応を見せるキャサリーンに、『ほんとかなー?』と、ぐいぐい顔を近づけてからかっていると、そんな考えがふと頭に浮かんできた。
「――それでさ、これだけはどうしても聞きたかったんだけど」
「……ん?」
少し頬を膨らましたキャサリーンが恥ずかしそうに私を押し返す。そんな微笑ましい反撃が繰り広げられる和やかな空間に、さっきまでとは雰囲気が違う、真剣さを帯びた健くんの声が響いた。
そのただならぬ雰囲気に、きゃいきゃいとはじゃいでいた私とキャサリーンの足も自然と止まる。
「小宅は、なんであんなに必死になってくれたんだ?」
同じように立ち止まった健くんは、さらに続ける。
「本当に嬉しかったし感謝もしてるんだけど、俺と小宅ってつい最近までほとんど話したことなかっただろ? それなのに自分から犯人捜しに協力するって言ってくれて、その上危険も顧みずに五十嵐を追いかけて……って、何? そのキョトンとした表情」
「あぁ、ごめんごめん。健くんってばすごい真剣な顔だったから身構えてたんだけど、すごく拍子抜けしちゃって」
何を言い出すのかと思っていたら、出てきたのが意外と単純明快な質問で良かった。
これに対する答えは、私の中で揺らぐことはない。
「私は二人のことが大好きな、二人の大ファンだからだよ!」
だからこれは、自信を持って言うことができる。
……二人にお近づきになるため、なんていう似て非なる下心丸出しの理由は、胸に収めたままにするけど。
すると、その答えがツボに入ったのか、キャサリーンは無邪気に笑い出した。
「えー、ファンって何? おんなじクラスメイトなのに変なのー」
「だってさ、キャサリーンはめっちゃ可愛くて優しい子だし、健くんもかっこいい上に可愛いところもあるでしょ? そりゃあ推したくもなるって」
「えっ、俺も可愛い部類に入るの⁉」
「あー、でも私もそれは分かる気がするかも」
「キャサリーンまで!」
健くんの方はというと、女子二人がかりでからかわれ、たじたじといった様子。
ただ、『そういうのはいいから』とさらに追求するでもなく、苦笑いしながらも受け入れている様子を見ると、一応は私の答えで納得してくれたようだ。
これで納得されないと、下心の方を言わないといけなかったので本当に良かった。
「じゃあちょっと、これ以上しゃべるとボロが出そうだから、私先に行くね!」
それプラス、本音ぶちまけて今さら恥ずかしくなってきたプラス、また家の前で幽霊みたいに消えられると怖いっていう理由も追加で。
私は立ち止まっていた二人から一歩前に出ると、軽く手を挙げた。
「ぼ、ボロ? よく分かんないけど……、また明日ね!」
「……分かった。今日は本当に助かったけど、明日も普通に試験だから勉強はしろよな」
さすがは私のことをよく分かってくれている二人だ。こんな突拍子のないことを言い出しても、もういちいち騒いだり驚いたりすることはない。
「それじゃあ、また!」
私はそう言うと、この世界での家に向かって走り出した。
胸を張って『親友』だと言える二人からの見送りを受けながら。
――しかし、この時の私は知る由もなかった。
笑顔で手を振るキャサリーンの横で、健くんの瞳に宿る感情が、『友情』から一歩先に進んだものへと変わっていたことに。
読んでいただきありがとうございます。
次回は8月6日(日)に更新予定ですので、よろしくお願いします。