side 龍騎士グラン
龍殺しのグランとして騎士に取り立てられ持て囃されたのは、今はもう昔の話だ。
年老いたこの身体では龍はおろかグレートベアーすら倒せないだろう。この龍牙の剣を持ってしてさえも。
それなのに儂がこんな所にいるのは、彼の龍の矜持を守るためだ。
三日三晩続いた死闘の最中、儂らは確かに心が通じ合った。
互いを認め、称え、感嘆し、喜び…そして最後に立っていたのが儂だったというだけに過ぎぬ。
龍は死した後も認めた者にしか仕えぬという。
儂のこの装備は龍の魂そのものだ。
それだというのに、あのボンクラ王は年老い戦えなくなった儂に龍の装備を献上しろという。
それも有望な若手に装備させるためでも何でもなく、ただ己の見栄のために。
他国への牽制だなどと抜かしていたが、使われることのないハリボテの鎧が何の牽制になろうか。
断った儂を、ボンクラ王は戦争の最前線に送った。護衛という名の盗っ人を付けて。
騎士だろうと、儂が死んだら装備を回収するだけの役割など盗っ人以外の何でもあるまい。命を狙ってるフシもあったからむしろ強盗に近い。
だが衰えてもこの儂が戦場で死ぬはずもない。龍と戦ったこともない小童どもに殺されると思うな。
さすがに魔物の巣窟やダンジョンに送られていればそのうち力尽きたろうが、龍の装備が魔物に喰われたりダンジョンに呑まれるのを厭ったのだろう。
くだらぬことだ。
とはいえ寿命は近い。儂が死んだらボンクラ王は嬉々として龍の魂を冒涜するだろう。
国への忠誠はとうに尽き果てた。
もはやそんなものよりも半生を共にしてきた龍の矜持を守りたかった。
儂は死に場所を探して旅に出た。
誰も辿り着けない場所へ。儂が死んでも龍の魂を冒涜するもののいない場所へ。
追手は斬り捨てた。死に場所を知られるわけにはいかぬ。
だが国を離れても、どれだけ斬り捨てても、奴らは儂を追い続けた。
龍騎士が乱心だと?ならばボンクラ王は妄執に取り憑かれた愚か者だ。
もう時間がない。
竜の谷と呼ばれる龍の生息域を訪れ龍に殺されるのも一興と思うていたが、仕方がない。
儂は迷いの森と呼ばれる魔の森に向かった。森の奥に向かい帰ってきた者はいないという。ここならよしんば追手が死体から装備を剥ぎ取ったとしてもボンクラ王の元には戻れないだろう。
森の奥へ。
慌てた追手が襲ってくる。もう躱す力も残っていない。何度も斬られ、斬られ、斬られ。剣を振るい、振るい、振るい。
とにかく森の奥へ。抱いた者を放さない魔の腕の中へ。
迫り来る者は全て斬り捨てた。追手を斬ったのか、魔物を斬ったのか、もう分からない。
突如として現れたそれは、儂の意識を引き戻すのに十分なものだった。
濃い瘴気の只中にあって、そこだけが清浄な空気を纏っていた。
深い雪ですらそこだけ避けているようだ。
あれはなんだ?…家?
こんな魔の森の中にあるとは思えないほどの牧歌的な家だ。大型の魔物が歩けばすぐにでも踏み潰されてしまうだろう。
あまりにも面妖な光景に儂は思わず身を隠し、その家を観察する。
木造りにしては立派だな。その辺の村の家とは明らかに違う。大きな丸太を幾つも使っているようだが、まさかこの森の木を切り出したのだろうか。一本一本が魔素を蓄え斧など弾き返しそうなこの木を?
よく見ると木製の柵を境目に、何らかの結界が張られている。魔物避けだろうか。なるほど、それでこの森にあって無事なのだな。
庭には草木が青々と繁り、何やら光るものが歩いているように見える。あれは…まさか精霊様ではなかろうか。
驚きのあまり儂はフラフラと家に近付いて行った。
精霊様など、昔神聖なる癒しの泉で一度お見かけしたきりだ。精霊様を崇める排他的な一族を出し抜いて泉に辿り着いたものの、神々しく輝くあまりお姿は拝見できなかった。
精霊様のご尊顔を拝めた者は死した後天の国に行けるという。戦いに明け暮れた罪深い儂でも、先立った妻に天の国で会えるだろうか。
しかし木の柵の前で我に返る。
このように神聖な場所に住んでいるのはどんな人物であろうか。癒しの泉のように敬虔なる一族が代々崇め守ってきたのだろうか。
だとすると追い返されるやもしれぬ。その前に庭の精霊様のご尊顔を拝めぬであろうか。
儂は目を細めて輝く精霊様をじっと見つめる。だが光と半透明の結界に遮られてよく見えぬ。
驚くことに精霊様は一体ではなかった。庭をいくつもの光が移動している。
む、あちらの精霊様は比較的柵に近いぞ。近寄ってみるか。
そっと足を踏み出し柵に沿って歩き出したそのとき、何の前触れもなく玄関の扉がガチャリと開いた。
しまった。家主に気付かれたか。儂は思わず剣に手を掛けるが、家から出てきたお方を見て腰を抜かした。
艶やかな黒髪黒眼。柔らかに黄味掛かった肌に優美なお顔立ち。すらりと細い手足は戦えそうには見えないが、万が一斬りかかっても勝てるイメージが浮かばない。いや、斬りかかるなど想像することすら不敬である。
淡く輝くローブを纏い、儂を見て目を見開く様さえ気品を感じさせる。
間違いない。神の子孫…いや、神の御子だろう。
「おや。旅のお方ですか。このような所でどうされました。」
神の御子が儂に話しかけてくださるなど、なんと恐れ多い。だが儂はそのゆったりとしたお声に誘われるように、考える前に口を開いていた。
「ここは…神の家か?」
彼の御方は不敬を咎めるでもなく、わずかに微笑んだまま首を傾げた。