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ズ…とダンジョンの空間が歪んだ。構築してきた俺の領域を、無理やり剥ぎ取られるような感覚。


なんだ!?


内臓をまさぐるような乱暴さで、何者かが俺の内側を調べようとしている。

…俺のダンジョンがハッキングされているのか?


「ぐっ…。」

「あるじ様!」『父ちゃん!』「主殿!」


エリンたちが駆け寄ってくる。いつの間にか地面に膝を付いていたようだ。

内臓をかき混ぜられる不快さに嘔吐しそうになるのを堪えて俺は何とか立ち上がる。

人間どものようなどうにでもなる来訪者ではない。これは明確な敵だ。


「来る…ぞ…。」


仲間たちに危険を知らせねば。俺の心配をしてる場合じゃない。可能なら逃げてほしかったが、もう遅いようだ。



ダンジョンの空が割れた。

血のように赤いシミがじわじわ広がるように、ダンジョンの領域が侵食されている。


止めようにも重力そのもののような圧迫感で上から押さえ付けられ、屈伏せざるを得ない屈辱。


割れた空からぽたり、ぽたりと闇が滴り落ち、人の形を取る。


光を反射しない漆黒の闇のような長い髪。地の底を覗き込んでいるような感情のない昏い瞳。ゆとりのあるローブを羽織ってはいるが、その身体つきから女だということが見てとれる。青磁のように蒼白い肌、鳥肌が立つほど美しい容貌。


彼女の全てが、眼にするだけで全てを捧げたくなるほど俺を惹きつける。

エリンたちがいなければ圧力に任せてその場に傅いていたかもしれない。

俺が全てを捧げるということは、俺に魂を捧げてくれた子どもたちの魂をも献上するということだ。それだけは出来ないという最後の意地だけが俺の身体を支えていた。


「ルクシア…か…?」


エリンの小さな呟きが溢れた。かなり距離があるというのに彼女は真っ直ぐにエリンを見、面白そうに眉を上げる。

瞬きの後には俺たちの前で寝そべるような体勢で浮いていた。


「ほほほ、ハイエルフを生み出すとはなかなか愉快な子。妾ではいくら喰ろうても因子は得られなかったと言うのに。

 妾の城に手を出してくるやんちゃな赤子を見に来たけれど、お前、将来有望ね。つまみ食いするのは惜しいかしら。」


俺を舐め回すように眺めながら、歌うように語る。痺れるほどに甘く心地良い声。

それなのに、吐き気がするほど濃密な瘴気が彼女の体内で渦巻いている。


「まあ、それにしてもコアもレベルもまだまだね。もっと精進しなければ食べ頃にはならないわよ。」


それはダメだ。もっと喰らってこの方に召し上がって頂きたい。


…いや、何を言っているんだ。しっかりしろ、俺。


コアに意識を呑まれたときのように生命エネルギーを喰らうことしか考えられなくなるのを理性で必死に押しとどめる。

そんな俺をじっと見て、彼女は首を傾げた。


「コアとの同化が甘いようね。充填率が低いからかしら。」


気になることはたくさんあるが、俺は一言も発することが出来ない。口を開いたら俺の意思とは関係なしに服従の意を連ねてしまいそうだ。恐らく彼女もそれを望んでいる。

だからこそ、俺は何が何でも口を噤んでいた。


しばらく沈黙が続いた。黙って俺を眺める彼女の表情からは、その考えを窺い知ることは出来ない。

やがて彼女は詰まらなさそうにふいと俺から視線を逸らし、焦土と化したダンジョン内を見渡す。


「まあいいわ。見ればお前も励んでいるようだし、もう少し肥えるのを待つことにするわ。精進なさいな。」


ふわり。寝そべった体勢から空間を泳ぐように空に登りかけてふいに振り向く。


「ハイエルフのお嬢ちゃん。妾は人神ではないわよ。

 そうねぇ、妾の前身は人神の手先に討たれてしまったのだけれど…なんと呼ばれていたか、知りたい?」


その口調の気さくさとはそぐわないほど、妖艶に微笑みかける。


「魔王…。」


エリンの掠れた声。囁くような声だが彼女の耳には届いたようだ。


「ほほほ、正解よ。ご褒美に教えてあげるわ。妾は魔王アダール。不出来な神のお人形から生まれる穢れの王よ。」



魔王はそのまま空の亀裂へと登って行った。

…いや、途中で森の入り口あたりを見下ろし形の良い眉を顰める。

ルクシア教国の第二皇子が何やら喚いていた。周りの騎士どもも神よーとか言いながら皆祈っている。

いやいや、あんなにも邪悪なオーラを放ってるのに神と思えるなんてどうかしてるだろ。


だがエリンが一瞬間違えたように、その容姿は伝え聞く人神とほとんど変わりないのだろう。

自分を法皇にしろと喚く第二皇子へと煩わしげに視線をやった魔王が指をついと動かした。雷が第二皇子を穿ち、人一人分の黒い地面だけがそこに残った。


騎士どもがどよめき後退る。

魔王はそのまま亀裂の向こうに消えた。


「お前の餌を頂いて悪いわね。」


俺の耳元に囁きだけを残して。



魔王が去った亀裂を塞ぐ。向こう側がどうなっているのか好奇心が疼いたが、魔王を追うほど命知らずじゃない。力の差は嫌というほど思い知った。

ダンジョンが完全に俺の支配下にあることを何度も確認してからほっと息を吐く。正直その場にへたり込みたいくらいだが、これ以上心配させる訳にはいかないからな。


ライブラリで魔王の存在を確認するが、今知り得るのは約一万年前に勇者と聖女が召喚され魔王を打ち倒したという伝承に近い逸話だけだ。

それから新しい魔王が生まれたのか?


俺を支配した感情や彼女の話からして、彼女はダンジョンマスターを喰らう存在らしい。ダンジョンが生まれるようになって約一万年。前の魔王が倒されたのも約一万年前。

もしかしたら前の魔王が倒されてすぐにあの魔王は生まれていたのかもしれない。


人間の記録にあるだけでも、生き物をたらふく喰らって肥え太ったダンジョンがある日突然崩壊するのは知られた話だ。

ダンジョンの寿命だと思われていたそれが、魔王に喰われたのだとしたら…いったいどれだけの生命エネルギーを溜め込んでいるのやら。


今の俺では逃げることさえ難しい。さっきだって魔王がつまみ食いする気になっていたらなす術なく喰われていただろう。

だが彼女は明確に俺を喰う意志を示したのだ。いつかは戦わなければならない。




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