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朝靄の中を進む軍隊。
神聖ルクシア教国とソードライト王国の混成軍だ。両軍一万程の兵を出して来ているようだ。…まだ増えるのか?
街道沿いの平原から森を囲むように兵を配置しているな。つくづくこれだけの武力をよくもこの国が受け入れたものだ。森周辺の平原は名目上どの国にも属していないが、街道は全て同じ国の領土内だ。ここに来るまでにはどうしたって国境を跨ぐ必要があるだろうに。
何か餌を吊るされたか、国としての力がよほど弱いのか。理由によってはアナンシには悪いがこの国も共犯だな。
騎士の作法か戦争の作法か知らんが両国の代表が森の前でがなり立てている。ソードライト王国の方は知らない人間だが、ルクシア教国の代表は例の第二皇子か。
神を騙る者、魔の領域からの侵略者、国を問わず死にゆく者を集める悪魔。なるほど、ほとんど間違ってはいない。だがロノの祝福を受けた少年が皇族と発表され一悶着あったようだし、本音は私怨か祝福狙いだろうな。
俺を討伐して世界樹の恩恵を人類に、だって?笑える。
ダンジョンとバレないようにしつつ人間と上手くやろうとしていても、結局こうなってしまうのか。面倒だなぁ。
ルクシア教国の騎士の主軍は森の入り口の獣道からこちらへ向かうようだ。森の中に拠点を作りながら徐々に増軍を呼び込むつもりだろう。大軍で押し寄せても獣道では縦に長くなって各個撃破の的にしかならんぞ。
ソードライト王国は騎士と傭兵を合わせた30人程の隊で周辺のあちこちから道なき道を進む。森を進むにはこちらがよほど現実的だが、一隊程度じゃ俺は倒せない。森の周りを固めている兵士らは俺たちの逃亡防止だろうか。北の崖や砂漠地帯はノーガードなのが片手落ちだな。
「あるじ様、殺さずに無力化など甘いことを考えてはおらぬじゃろうな?」
う、エリンに釘を刺されてしまった。さて、どうしたものかな。
正直なところ、俺のダンジョンには殺傷能力はあまりない。ライブラリ経由の魔法なら何でもありだが、あまり森を荒らしたくないと思うと即死系の魔法に限定されてしまう。それはちょっとな。
そうなるとダンジョンの機能を使ってトラップを仕掛けるのが手っ取り早いか。ダンジョンの精霊たちが巻き添えを食わないよう世界樹の元に集めておく。
アナンシの子蜘蛛たちの犠牲は目を瞑ることにしている。あちこちで巣を張ったり罠を仕掛けたりと魔物として不自然ではない程度に戦うつもりらしい。
俺は森を浅部、中部、深部と居住区のある最深部に分けて浅部と中部の間に新しく地下階層を作り、延々と続く鬱憤とした森に設定した。魔物はいないが、方向感覚を狂わせる効果のある深い霧の中、体力や魔力を奪うエナジードレイン系の植物や眠りを誘う植物が至る所に生えている。
浅部もまた幻覚の作用を持つ濃い霧で覆い、地下階層との境目に気付かせないようにする。
この森は普通に迷うと最深部に辿り着いてしまうので、地下階層で思い切り彷徨わせて体力魔力を奪い、出来ることなら寝ていて貰おうという作戦だ。地下階層はかなりポイントを注ぎ込んで元々の迷いの森三個分くらいの広さになっている。
いざ戦うとなればライブラリの魔法になるだろうし、大勢の人間から生命エネルギーも入ると皮算用しここはポイントを使い切る勢いで拡張した。
元から森にいる魔物たちは何も言わずとも殺る気マンマンだったので、ロノとアナンシを通して狩り尽くされないようにという通達を出している。今だけは普段の縄張りを無視して子どもは人間の進軍ルートから離れたところに避難させる。
俺のせいで森の魔物が絶滅するのは困るからな。
中部以降は上位の魔物も多いが、正直軍相手には時間稼ぎ程度にしかならないだろう。軍が深部まで来たら俺も本気で戦うと決めている。
自分でも情けないとは思うが、そこまではなるべく殺さない方針でやっていこうと思う。
ライブラリを通してダンジョンコアの震えが伝わる。武者震いか。コアの舌舐めずりの音が聞こえるようだ。喰いたくて仕方ないんだろう。
『父ちゃん、あいつらもうあんなところまで。』
人間が攻めて来て約一ヵ月。思ったより王国軍の進軍速度が速い。
隊によって戦力にバラつきがあるのは当然だが、すでにいくつかの隊が地下階層を抜けようとしている。
ちなみに教国の方は森の中に拠点を張れずまだ浅部で長蛇の列を作っているので時折子蜘蛛の糸で釣り上げて無力化し、ダンジョン内の適当な所に転がしている。教国の総大将殿はよほど自分の安全が大事らしい。
『あ、あいつ!じーちゃんを虐めたやつだ!』
一番に地下階層を抜けて中部に進んだ隊。その隊長らしき騎士を見てロノが叫んだ。
聞けば龍騎士のじーさんが龍装備を巡って国の上層部とやり合った際に、じーさんに手傷を負わせた男らしい。あのじーさんに傷を負わせるなんてかなり危険じゃないか。
『あいつ変な術を使うんだ。じーちゃんもいつ斬られたか分からないって驚いてた。』
ふーん、見ていると普通の騎士のように見えるが…なるほど、本職は呪術師なのか。禁呪を使ったのもこいつかな。
中部には魔物たちがいる。地下階層を抜けて来た者たちに真っ先に飛び掛かったのは魔狼だった。あれ、あいつら最初にうちの裏庭に住んでたやつらじゃないか。
飛び掛かる魔狼が、空中で一瞬止まったかに見える。同時に呪術師がその場から一歩も動かないまま剣を振るった。次の瞬間、魔狼の首が落ちその口から断末魔の叫びが漏れる。
「…なんだ?今の。」
何が起こったのか分からず解析に思考を取られる。その一瞬の隙の出来事だった。
「いかん!ロノ、戻るんじゃ!」
エリンの焦りを多分に含んだ声に意識を戻すと、なぜかライブラリの映像にロノが映っている。…え?
子狼だ。今はすっかり大人になっているが、ロノとよく遊んでいた魔狼の子が怒りを露わに呪術師を睨みつけている。今にも呪術師に襲い掛かろうとするその子狼の首根っこを、子馬サイズになったロノが咥えて逃がそうとしている。
呪術師が腕を振るう。ダメだ。ダメだ。
俺はロノの元へ座標を定める。ロノと呪術師の間へ。
「あるじ様っ!」
エリンが俺を呼ぶ悲鳴のような声を最後まで聞くことなく、俺はロノの元に転移した。




