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「御子様。不躾なお願いとは存じますが、ここまで同行してくれた皆を街まで帰すためにお力添えをいただけませんでしょうか。」
カムラの願いはその一点だった。
曰く、自分と妻は元々世界樹のなるべく近くで死去することを望んでいる。そもそもここまで辿り着けるとは思っていなかったので、今ここで魔物に喰い殺されても本望。御子の迷惑にならない場所で命を捧げる予定。
だが同行者たちは、それぞれに同行の理由があったとしても帰せるものならば帰したい。とはいえ迷いの森から生還というだけでも厳しい上、彼らの実力ではこの辺りの魔物を退けることは不可能だろう。御子の庇護下から離れた瞬間に死が待っている。
カムラからの相談はその彼らが無事に街まで帰れるように協力してほしいというものだ。
うーむ。森を抜けるまで案内するのは容易いが、なぜ俺がそこまでやってやらねばならんのだ、というのが正直な感想だ。
あれだな、魔物から助けちゃったからお人好しだと思われたんだろーな。こちとらダンジョンマスターだっての。
ダンジョンで命を奪ってなんぼの商売だぞ。
とはいえこの人間どもが魔物に喰い殺されてしまったら、しばらく飯がまずくなるのは目に見えているよな。
俺は内心ため息を吐きながらサリアに目をやる。
「奥方殿もそれがお望みですか?」
サリアは驚きに目を見張り、少し怯えを含んだ目で俺を見て、チラリとカムラの方を見た。表情はほとんど変わらないが目は雄弁だな。サリアの挙動不審な様子にカムラも戸惑っている。
「…御子様にお願いがございます。そちらのハイエルフ様は、世界樹様に纏わるお方でいらっしゃいますか?
もしそうであれば、お話させて頂きたく存じます。」
しばらくエリンと俺の間で視線を彷徨わせていたサリアが意を決したように話し出す。
「エリン、どうします?」
「あるじ様の御意のままに。」
「エリンが拒まないなら構いませんよ。どうぞ。」
人間は世界樹とハイエルフが同じ存在だと知らないとエリンが語っていたから少し驚いたが、どんな用なのか興味はある。
カムラの方は顔に戸惑いと疑問符を浮かべているから、サリアの個人的な事情なのだろう。
「ハイエルフ様に我が一族の罪の証を受け取って頂きたく存じます。」
「罪の証とな。それは何ぞ。」
「この場所では差し支えが…。出来れば屋外の、少し開けた場所でお渡ししたいのですがよろしいですか?」
俺とエリンは顔を見合わせ、サリアに向かって頷いてみせた。
あまり人目に触れたくない様子だったので世界樹のある裏庭に案内する。
夫妻は世界樹を間近で目にして驚嘆を隠せないでいる。分かるよ、この大きさだけでもまず脳がバグるよな。
「驚かせてしまうかもしれませんが、誓って攻撃するつもりはございません。どうぞ離れていてください。」
そう言ってサリアはボンヤリと黒い霧に包まれた。瘴気だな。この場所から瘴気を集めることは不可能だろうから、体内に瘴気を蓄えていたのか?
瘴気の中でサリアのシルエットが変わっていく。高さが人の背丈ほどもある蜘蛛。その上に女性の上半身。アラクネだ。
俺たちは事前に知っていたから黙って見ているだけだが、カムラは腰を抜かしている。やはり知らなかったのか。
やがて瘴気がアラクネに吸い込まれ、サリアの顔を持つアラクネが姿を現した。
「サ…サリア…これは…。」
カムラの言葉を無視してサリアはその身の内から何かを取り出した。蜘蛛のように枝を付け折れ曲がった小さな枯れ木。
「それは…世界樹か?」
「おっしゃる通りでございます、ハイエルフ様。今から五百年ほど前、我がアラクネの一族の者が朽ちかけた世界樹様を見つけ、それを喰らいました。その者は世界樹様のお力で魔人へと進化し、一族を率いてムルスイの里を築いたのでございます。
しかし世界を見渡しても世界樹様はその数を減らしている折…。我々は世界の宝である世界樹様を手に掛けた一族として、代々の長がその罪を背負い、世界樹様の一部を身の内に受け継いで参りました。」
サリアの罪を自覚した真摯な眼差し。
あーこれはあれだわ。単なる魔物だったアラクネが栄養満点の世界樹の抜け殻を本能の赴くままに食べたのはいいけど、その後急速に賢くなった頭でヤベーことしちまったって考えてビビり散らかしたんだな。
でもなー、弱れば世界樹でさえも喰われるのは世界の摂理だ。大きな声では言えないが俺も弱ったエリンを喰っちまったわけだし。恐らく同じような状況だったんだろう。
そのままじわじわ魔素と溶けたか、アラクネの進化の糧になったかの違いにすぎない。
「近くの街で、この地で生を終えたものは世界の礎と還ると窺いました。どうかこの罪の証とともに、私も世界の礎へとお加えください。」
サリアの決死の訴えにエリンが一歩前に出る。
「…あるじ様、妾から一言よいかの?」
「ああ、もちろん。」
「アラクネの長よ。世界樹を呑んだことを恐れることはない。ソレも単なる世界の一部。其方らの血肉となりて世界を巡っておるだけじゃ。
成長できるだけのエネルギーを持った世界樹であれば、そもそも魔物なんぞに喰われはせん。」
「ハイエルフ様…。ありがとうございます。ありがとうございます。」
エリンは蜘蛛の脚を器用に折り曲げ傅いた。ぼろぼろと涙を流しながらもスッキリとした顔をしている。
「奥方殿…。あなたの生命の灯火が急速に小さくなっています。その欠片を戻された方が良いのでは?」
「いいえ、御子様。これは一度取り出せば二度と戻らないのです。本来ならば新しい長を決める際に、世界樹様を受け入れられた者が長となる仕組み。古き長も、長に選ばれなかった者も、皆それまでの生命と覚悟しております。」
えー…そんなもん徐ろに出しちゃダメでしょ。
ほら、カムラが真っ青になってるぞ。蚊帳の外すぎて可哀想になってきたな。




