スィエテ~七番目の少女~
レジスタンスの作戦後、たった一人の生き残りとして命からがら逃亡した少女は、協力者の男と出会う。協力者の機転と手引きによって、彼らはなんとか列車に乗り込んだ。
*喫煙する描写がありますが、喫煙及び未成年者の喫煙を推奨するものではありません。
登場人物
少女♀
:レジスタンスに所属する少女。17歳。普段は物静かだが、正義感が強く激情家。姉と呼べる存在がいるようだが……。
協力者♂
:レジスタンスの協力者。35歳。平時は主に娯楽品を扱う商売人。少し粗野な所もあるが、頭が良く、柔軟な思考の持ち主。愛妻家。
所要時間:20~30分
少女(N):車窓から暗い眼が見つめている。全てを失ったかのような、暗い眼だ。目を逸らすように更に向こうへと目線を移すと、故郷の田舎を思わせるような一面の畑が広がっている。時刻はそろそろ夕刻に差し掛かろうという時分だろうか。
協力者:何を見ている?
少女:何も。
協力者:そうか。
少女(N):男は興味なさげに隣に座ると、肘掛けに頬杖をつきつつ、周囲に視線を配っている。
少女:あの。
協力者:なんだ。
少女:これからどうするんですか。
協力者:ソレアに俺が経営するバーがある。まあ、ほとんど倉庫みたいなもんだが。ここから二駅先に入荷用のトラックを停めてあるから、陸路でソレアに向かい、そこで二、三日様子を見る。
少女:そうですか。
少女(N):ソレア……。姉さんに会えるのは、まだ先になるかもしれない。
少女:あの。
協力者:なんだ。
少女:私は、何かを成したのでしょうか。
協力者:さあな。それを知るのはこの先の状況を見てからだ。
少女:たくさん、殺しました。たくさん、殺しました。敵も、そしてたぶん味方も。
協力者:そうか。
少女:仲間が死にました。あの乱戦の最中、愚かにも躊躇ってしまったんです。彼の背中を見て、私が殺らなきゃって思って、気が付いたら、手当たり次第、肋骨の隙間を突いていました。その中には、あの人の背中もあった気がします。
協力者:覚えているのか。
少女:わかりません。たぶん、必死でしたから。
協力者:じゃあ気に病んだって仕方ねえだろう。作戦は成功したんだろう。それが全てだ。
少女:ええ、ですが、彼らが死に、正しく報いることができたのかと思うと。
協力者:作戦は成功したんだろう。その上でお前が生き残った。全滅は防げたんだ。上々だろうが。
少女:そういうものでしょうか。
協力者:庇われたんだろう。じゃあその誰かにとってお前が生きていることこそが正しいことだったってやつだ。
少女:……。
協力者:悪いが、俺は協力者であって信奉者じゃない。戦いの意味が、なんて話なら、俺にするのはお門違いだぜ。
少女:……そうですね。すみません。あなたにも感謝しないといけませんね。助けていただいて。今さらかもしれませんが。
協力者:構わんさ。他人を気遣ってやれるような状況じゃなかった。お互いにな。こっちこそ、悪かった。思いっきり殴っちまって。
少女:いえ、見事な演技でした。本当に殺されると思いましたから。
協力者:そりゃこっちの台詞だぜ。お前、鏡見たことあるか? ありゃ子供がしていい眼じゃねえぞ。お前俺のことも殺す気だったろ。
少女:いえ、そんなことは……。
協力者:こっち見て言え馬鹿。まず縛り上げた俺の判断は間違っちゃいなかったわけだ。
少女:すみません。彼のことは……。
協力者:いいさ。どうせただの隣人だ。どの道、口封じは必要だった。正直言うと、あの騒ぎの渦中にこんな子供がいたってのも予想外だったからな。情報がなかったら普通に見捨てていた。まあ、俺もお前もあの場面であれ以外やりようがなかっただろうさ。むしろ、最初に見つけたのが俺だったのは幸運だった。
少女:神様のお導きに感謝を。
協力者:感謝を。
少女(N):男はそう言うと懐から葉巻を取り出す。
少女:煙草……。
協力者:あ? なんだ、嫌いか?
少女:いえ、そういうわけでは……。私にももらえますか。
協力者:お、嬢ちゃんいけるクチか。だが、やめとけ。嬢ちゃんはまだ子供だ。
少女:私は子供じゃありません。
協力者:ああ……。まあ、いいか。ちょっと待ちな。
少女(N):男は葉巻に火を点けるとしばらく、煙を燻らせつつ、吸い口をこちらに向けた。
協力者:ほらよ。
少女(N):受け取り、口に咥える。
協力者:ゆっくり吸いな。少し口に溜めて味わうんだ。
少女(N):少し息に詰まりそうになりつつ、煙を留める。舌がピリピリして、目の前がぼんやりと揺れた。
協力者:どうだ。美味いか。
少女:……はい。
協力者:ふんっ、無理するな。嬢ちゃんの舌にゃ、ちょっと渋いだろ。
少女(N):男は葉巻を取り上げると、自然に咥えた。
協力者:モンテ・クリストの4番。ビギナー向けだなんて言う奴もいるがな。結局は好みの問題さ。それに、こういう時だからこそ、その名にあやかってみたくもなるものさ。
少女:岩窟王……。数々の復讐を成し遂げた復讐鬼。でも、あれは創作です。
協力者:はっ、お前らの言う神だって創作みたいなもんだろう。
少女:っ、神様は!
協力者:おっと、そう怒るなって。言っただろう。俺は別に信奉者じゃねえ。
少女:……神様はいます。だからこそ、私たちがいて、報われない人々のために戦っている。その時が来れば、あなたも理解するはずだ。今の態度をいずれ悔い改めるでしょう。
協力者:ご忠告どうも。だが俺は嫌いじゃねえんだぜ。お前たちの神は娯楽品を大いに認めている。酒、煙草、女。子供のお前が一丁前に煙草を欲しがるくらいだしな。だから俺は協力してんだ。是非とも、この国の法律を変えてくれよ。
少女:ちっ、欲に眼の眩んだ守銭奴め。
協力者:なんだ、そっちが素か? 何が不満だってんだ。協力してやってんだ。その恩恵に与かろうと思ったっておかしなことがあるか?
少女:私たちは!
協力者:ちょ、おい!
少女(N):突然声を上げて立ち上がった私に、驚いた乗客の視線が集まる。無礼な男を睨み付けたまま、再度席に座った。
協力者:あんまり目立つんじゃねえよ。俺の苦労を無駄にする気か。
少女:私たちは、そんな低俗な目的のために立ち上がったのではない。
協力者:そうかよ。だが俺には興味がない。俺に興味があるのはお前たちが政権を取った後の世界だ。もっと言うなら、その世界で得られる利益だな。
少女:あなたは、下らない金のために友人を見殺しにしたと言うのか。
協力者:パトリシオのことか? おいおい、ありゃお前が殺したんだろう。勝手に俺のせいにするんじゃねえよ。
少女:あなたが金のために彼の友情を反故にしていたのは事実だろう。
協力者:あのなぁ、それをお前が言うのかよ。俺がこうしてんのは、お前らのためだろうが。
少女:ふんっ、語るに落ちたな。あなたの頭にあるのは金のことだけだろう。
協力者:おっと、これは一本取られたか。金が大切なのは事実だ。だが別に金そのものが欲しいわけじゃない。俺にだって守りたいものはある。
少女:人々の愛より大切なものがあるものか。
協力者:優先順位があるのさ。パトリシオはただの隣人だった。そういう場合もあるだろうさ。お前のような子供にはわからんだろうがな。
少女:わかりたくもない。あなたのような人間がいるから、神様の愛が人々に届かないんだ。飢える子供たちがいなくならない。人としての正しさも忘れた背信者め。恥を知れ。
協力者:あー、はいはい。もうそれで構わんよ。
少女:良い年をした大人が。真剣に考えろ。今も多くの子供たちが路地裏で飢えている。あなただって富める者だろう。その富を世のために使おうとは思わないのか。
協力者:おい、話が飛躍してるぞ。お前らに協力するのと、俺が稼ぐことは関係ないだろう。
少女:関係ないわけがない。あなたのような人が、あなたのように力を持つ人が正しい心を持てば、もっと多くの人を救えるのに。
協力者:……あー、なにか? もしかして俺は勧誘されているのか?
少女:……そういうわけではありません。あなたのような人は嫌いですから。
協力者:はぁ、まったく、お前らは本当に分かりにくい。
少女:…………
少女(N):男は呆れたようにため息を吐くと、再度姿勢を通路側に向け、駅のホーム、列車内に視線を送っている。列車は一駅を過ぎ、景色は少しずつ街に近づいていく。目的の駅まで、あと少し。
協力者:俺にもな、ガキがいる。嬢ちゃんよりもずっと幼いが。
少女:ならば、あなたにも私たちの理念は理解できるはずです。
協力者:…………。
少女:生活に苦しむ親が、子供を泣く泣く捨てる。捨てられた子供は飢え、苦しみ、日を生きるために盗みを働き、捕まれば武器を持たされ、玩具にされ、そして生まれた子供を目の前で殺される。こんなこと、許されていいはずがない。こんな狂った世の中を、それを作り出す欲の皮が張った役人や政治家を。人々が変わらなければ、この国は変わらない。あなただって、人の子の親ならばわかるはずです。こんなこと間違ってるって。
協力者:……ああ、嬢ちゃんは、『そう』なんだな。まあ、わかるよ。俺みたいな奴でも、この国の現状に思う所がないわけじゃない。
少女:だったらっ……
協力者:ついさっきだ。事態の深刻さを実感したのは。ここから先、俺の中でも何か変わることがあるのかもしれないが、悪いな、今はここまでだ。
少女:……そうですか。すみません。出過ぎた真似をしました。
協力者:いいさ。信奉者って奴らはいつもそうだ。
少女(N):しばらく、沈黙が差した。次の駅までの道のりが嫌に長く感じる。お互い反対の方向に目を背け、列車の揺れに身を任せる。思えば、姉さんはこういう時の対処法は教えてくれなかった。どうして良いのかわからず、また暗い眼を見つめていると、ふと囁くような、思わずこぼれた呟き、独白するような声が聞こえた。
協力者:嬢ちゃん、名は何と言う。
少女(N):何を言われたのかわからず、困惑していると、それを察したのか、男は再度問いを投げた。
協力者:名前だ、名前。嬢ちゃんの名は何と言う。
少女:……スィエテ。
協力者:お前、それは…………。
少女(N):初めて、彼の眼を見た気がした。先ほどまでと違い、苦しげな……。こんな眼を大昔に誰かに向けられことがある気がして、不思議な気持ちを覚えた。
少女:私の名前がどうかしましたか?
協力者:いや、何でもない。
少女(N):ふっと逸らされた眼に、なぜだか寂しさを感じた。その表情はもう先程までの何気ない表情に戻っていた。
協力者:俺の娘の名は、フロレンシア、と言う。咲き誇る花の意味だ。
少女:とても、良い名だと思います。
協力者:ああ、ありがとうよ。俺はな、娘にはそんな風に育ってほしいと思っている。人から愛され、そこにあるだけで周囲の人を幸せにする。本当にそうあってほしいと願っている。
少女:素晴らしいと思います。
協力者:ああ、だがそのために、娘の未来を守ってやるためには、今の俺では力不足だ。だから、こうやって意地汚く裏方に徹している。金が必要なんだ。
少女:…………。
協力者:嬢ちゃん、苦しんでいたな。人を殺して、悩んでいた。助けてやりたいと思ったさ。娘の未来を重ねた。だが俺の力は弱い。腕は二本しかない。片手で抱えて、取り零すわけにはいかねえんだ。だから、嬢ちゃんには悪いが、俺にできるのはここまでだ。
少女(N):その眼はとても綺麗とは言えないけれど、頼もしく感じた。
少女(N):列車は何事もなかったかのように進む。もう目的の駅は目前だった。
協力者:降りるぞ。周りを警戒しつつ、堂々としていろ。
少女:はい。
少女(N):栄えてはいないがそれなりに大きな街。ホームに降り立ち、出口に進む。人は少しまばらながら、少なくはない。この駅に来たことはないが何故だか胸がざわついた。周囲の人々の話し声が嫌に耳に付いて離れない。
協力者:様子がおかしい。
少女:え。
協力者:少し話を聞いてくる。そこの柱の影で待っていてくれ。
少女:わかりました。
少女(N):彼はそう言って、立ち話をしている男性たちに近づいていった。
少女(N):胸がざわざわする。無性に逃げたくなった。ソレアまではまだ掛かる。姉さんたちは無事だろうか。私たちの方は上手くいったはず。大丈夫。ここを乗り切れば首都にも手が届くって姉さんが言ってた。大丈夫だ。
協力者:アベイラが政府軍に空爆されたらしい。首都を中心にこの辺りにまで政府が警戒網を張ってる。県境を越えるのは難しいかもしれない。
少女:え?
少女(N):一瞬理解が遅れた。アベイラが空爆された。なぜ。決まっている。でも信じたくない心がその推測を拒絶した。
少女:アベイラ、が、空爆?
協力者:ああ、蟻も残さないような酷い有り様らしい。いったいなぜあの街を…………おい、どうした?
少女:あ、いえその、なにも…………
協力者:おい、まさか…………
少女(N):彼は呆ける私を隠すように立つと顔を寄せた。
協力者:正直に答えろ。大事なことだ。アベイラが要か。
少女(N):息を飲んだ。
少女:し、知らない。ただ、姉さんたちはそっちだって、ちょっとだけ、聞いて……。
協力者:……なるほどな。政府の対応が早過ぎる。つまりはそういうことか。嬢ちゃん、俺は先にトラックを取りに行く。三十分もしたら駅を出てこい。いいな。
少女:は、はい、わかりました。
少女(N):彼はそう言うと、少し俯きつつ、出口へ向かっていった。
少女(N):姉さんは無事だろうか。怪我などしていないだろうか。それだけが頭の中をぐるぐると回っている。憲兵の姿が見えた気がして、思わず体が震えた。三十分が永遠に感じた。
少女(N):三十分後、何かから逃げるように駅を出た。
協力者:っ! お、お前は!
少女(N):その声に顔を上げると同時に視界がぶれた。
少女(N):何が起こったのか分からなかった。口の中がムズムズして、何かを吐き出す。視界がグラグラして気持ちが悪い。
協力者:すまんな。
少女(N):その声に目線を上げた。誰かが私を押さえ付けている。彼だ。服が違うから一瞬分からなかった。地面が近い。白いものが転がっている。歯だ。私の。
少女:何のつもりだ! 離せ! 離しなさい!
協力者:捕まえたぞ! パトリシオの敵! 誰か! 憲兵を呼んでくれ! テロリストだ!
少女(N):何を言っている。何を言っている。
協力者:くそっ、暴れるな! 誰か、早く憲兵を! こいつ武器を持ってる!
少女(N):そう言いながら、彼が私の手を押さえ付けた。気付けば、その手にはナイフが握らされている。私のナイフだ。
少女(N):嵌められた!
少女:違う! 私はテロリストなんかじゃない! 離せ、裏切り者!
少女(N):再度、奴の顔が見えた。
少女(N):なんだ、その顔は! なんだ、その眼は!
少女:あああああああああ!
少女(N):急に解けた拘束に疑問に思う余裕もなく、私はナイフ片手に男に突進した。
ーーそして、しばらく。
協力者:……ええ、大丈夫です。ありがとうございました。……いいえ、何も。市民の義務ですから。
協力者(N):憲兵に射殺された少女の遺体が引き摺られていく。可哀そう、とは思わない。おそらくあの子は捨て駒だった。この状況、彼女を見捨てたとて、俺の立ち位置は変わらない。すぐに俺の店にも捜査の手は届くだろう。ならば、実績が必要だ。
協力者(N):そう、全てには優先順位がある。ならば、いずれこの国も変わるだろう。それを成し遂げるのが彼女ではなかったというだけの話だ。
協力者(N):そしてーー
協力者:すまんな。これが、人間だ。
協力者(N):引き摺られていく人形に黙祷を捧げる。せめて、俺くらいは覚えておこう。七番目、いや、優しい世界を願った、『スィエテ』という少女を。
ちょっと用語解説
・スィエテ:数字の『7』、スペイン語
・モンテ・クリストの4番:葉巻の種類
御拝読ありがとうございます。
さて、突然の終わり方に驚かせてしまったかもしれません。本当のところ、書き始めた当初、少女が射殺されてしまうということは私も考えていませんでした。決まっていたのは、アベイラが空爆されたことを知るところまで。その後の展開は、協力者が勝手に動き出してしまったというものです。彼があのように動いてしまったのは、彼が人間であったからだと私は思っています。正直なところ、少女があまりにも報われない、かわいそうだとは私も思いました。せめて、協力者の台詞、少女を押さえつけるシーンでは「すまんな。ここまで来て……」とするか、最後の最後まで悩みました。ただ、その一言があるだけで、彼の決意を大きく歪めてしまうと考えると、泣く泣く省かざるを得なかったのです。
と、色々語りはしましたが、実はこのお話、久々に面白い夢を見たので書き起こしてみたというものです。やはり夢というのは、こうして書き起こそうとすると、細かいところがぶっ飛んでいますので、夢の大枠は維持しつつ物語として成立するための作業に少々苦労しますね。しかし、夢で得られる発想は本当に宝物です。神様のお導きに感謝を。