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喜んでほしい

 木曜日。学園が終わると、私は前回以上にいそいそとウォルフォード家に向かった。


「いらっしゃい。ルパートはまだよ」


「こんにちは、叔母様。またお世話になります」


「いいのよ。もともとルパートは家によく出入りしているの。ルパートもユージンも男兄弟がいないせいか、昔から仲が良くて。そこに時々ヘンリーも加わったりね」


「そうなのですか」


「ああ、来たようね」


 レイラ叔母様の言葉に振り返ると、門のほうから歩いて来るルパート様の姿が目に入った。ルパート様も私たちに気づいたのか、小さく会釈した。その両手にそれぞれ荷物があった。


「こんにちは、コーウェン公爵令嬢。お待たせして申し訳ありません」


「いえ、私も今来たばかりです」


「片手ですみませんが、こちらはあなたに」


 ルパート様はそう言うと、右手に持っていた小さな花束を私に差し出した。薄い水色の可憐な花だ。


「ありがとうございます」


「花屋でこの花を見つけて、すぐにこれだと思いました。初めてお会いした日のあなたのドレスの色に似ていませんか?」


 私がもしかしたらと考えていたとおりのことを、ルパート様は仰った。


「はい。とても綺麗ですね」


「あの夜のあなたには敵いませんが」


 ルパート様の言葉に私が頬の熱さを感じかけたところで、すぐ近くから咳払いが聞こえてきた。


「はいはい、玄関先では何だから、続きは居間でどうぞ。私も邪魔しないわよ」


 ルパート様がしまったという顔でレイラ叔母様に頭を下げた。


「こんにちは、叔母上。これをどうぞ」


 ルパート様はそう言うと、レイラ叔母様に左手に持っていた包みを渡した。何となく、中身は食べ物のような気がする。


「あら、いつもありがとう。お持たせで悪いけど、お茶と一緒に出すわね」


 私はルパート様とともに居間に通され、ソファに向き合う形で腰を下ろした。

 部屋の中にはふたりきりだけど、扉は開いたままだし、おそらく近くに誰かが控えているのだろう。


 メイドが紅茶を淹れてくれた。テーブルの上には、先ほどルパート様が叔母様に渡していたものであろうお菓子も置かれた。

 一口サイズのタルトだ。上にのっているのは苺ジャムだろうか。

 お父様がお土産に買ってくるものなどに比べると形が不揃いだけど、こういうのを素朴と言うのかもしれない。


「下町にある庶民向けの店のものなんです。良かったら、召し上がってください」


「はい、いただきます」


 私は1つ摘むと、ゆっくりと口に運んでかじった。サクッとした食感のあと、優しい甘さが口の中に広がった。


「美味しいです」


「お口に合ったなら良かったです。たくさん食べてください」


 ルパート様が目を細めて笑った。


「そう言えば、下町から歩いて来られたのですか?」


 私は下町に行ったことがないし、移動は馬車ばかりなのでよくわからないが、都の地図を思い描くと歩くには距離がありそうだ。


「いえ、馬車です。ひとりでの視察と言いましたが、実際には補佐の者が付きます。彼にはすぐそこの喫茶店で休憩を取ってもらうことにして、馬車もその近くに置いてきました」


 私は頷いた。

 少し考えてみればわかりそうなことを訊いて、馬鹿な娘だと思われたかかしら。


 でも、ルパート様は気にした風もなく続けた。


「私も宮廷に入るまでは知らなかったのですが、下町にも意外と美味しいものを食べられる店があるんです。昼食も最初の頃は準備して行きましたが、この頃は向こうの店で済ませています」


「何だか楽しそうですね」


「もちろん、食べてばかりではありませんよ。仕事もきちんとしています」


 ルパート様がおどけたように言うので、私はクスクスと笑ってしまった。




 ルパート様と過ごす時間はあっという間だった。


「次は再来週の火曜日なのですが、いかがですか?」


 ルパート様の問いに、私はこくりと頷いた。次の約束をいただけたことがとっても嬉しい。


「またマクニール侯爵子息にお会いできる日を楽しみにしております」


 ルパート様は束の間何かを考える様子になり、それから口を開いた。


「できれば、ルパートとお呼びください」


 私は目を見開いてルパート様を見上げた。

 お名前を口にしたこともあるけれど、ご本人に許されて呼びかけるのはやはり特別だ。


「……ルパート様」


 ルパート様は柔らかく笑った。この方の笑顔が好きだなあと、しみじみ実感する。


「あなたのことも、アメリア嬢とお呼びしてよろしいですか?」


「はい、もちろん」


 本当は「メリー」と呼んでほしいけれど、さすがにそれはまだだろう。


「では、アメリア嬢。またお会いしましょう」


「はい、ルパート様」


 ふたりでレイラ叔母様に挨拶してから屋敷の表に出ると、ルパート様はやはり私が馬車に乗るのに手を貸してくださった。




 帰宅すると、次にルパート様にお会いできる日が、遥か先のことに感じられて溜息が溢れた。

 学園の課題に取り組もうと机の上で教科書を広げたが、気づくとルパート様のことを考えていて、まったく進まない。課題は諦めて読書をしようとしても、結果は同じ。

 仕方なく弟妹のいる居間に行けば、「お姉様、ぼんやりしてどうしたの?」などと心配される始末だった。


 これでは駄目だ。慕う方ができたから何も手につかないなんて、コーウェン家の娘として恥ずかしい。

 それに、ルパート様だって私のこんな姿を見たらがっかりされるかもしれない。


 私は再び自分の部屋に戻ると気を引き締め、今度こそ課題に集中して向き合った。

 課題を終わらせてホッと一息吐くと、棚の上の花瓶を見つめた。屋敷に戻ってから着替えをするより前に、ルパート様にいただいたお花をそれに活けたのだ。


 初対面の時に私の着ていたドレスからルパート様が選んでくださった水色のお花。まるで、私と出会ったことを喜んでいると言われたような気分になる。

 私もルパート様に何か贈りたい。でも、何を贈ればいいのかしら。


 夕食後、いつものように家族が居間に揃う場で、私はお母様に相談した。


「男性には何を贈れば喜ばれるのでしょうか?」


 お母様が首を傾げた。


「そうねえ。セディ、あなたがもらって嬉しかったものって何?」


 普段、この時間はお母様に相手にされずに私たちの後ろでソワソワしているばかりのお父様は、お母様からの質問に目を輝かせた。


「ええとね、クレアからもらったものはどれも嬉しかったよ」


 あまりにお父様らしい答えに私は落胆したけれど、お母様はさらに尋ねた。


「特に嬉しかったのは?」


「……求婚への返事」


 お母様が呆れたように言った。


「セディ、今聞いているのはそういうことではないわ」


「メリーは何でそんなこと知りたいの?」


「それは、後学のため、です」


「ふうん」


 お父様はちょっと訝しむような顔をしていた。




 結局、参考になるような答えを得られなかった私は、翌日、別邸のお祖母様を頼った。

 お祖母様の口からは、さらりと答えが出てきた。


「定番は、手作りのものかしら」


「手作り、ですか?」


「別に大袈裟なものでなくていいのよ。メリーは初心者なのだから、まずはハンカチに刺繍ね」


「刺繍……」


「お祖父様は、それでとても喜んでくれたわ」


 お祖母様はにっこりと微笑んだ。

 私は、最初からお祖母様のところに来れば良かったと思った。


「あまり経験がないのですが、教えてもらえますか?」


「もちろん」


 さっそくメイドの手でお祖母様の刺繍道具が運ばれてきた。

 お祖母様は道具の使い方を説明してから、何種類かのステッチを実演して見せてくれた。

 その後で、私もやってみた。お祖母様のように滑らかに針を刺せず、あまり巧く縫えなかった。


「上出来よ。道具を貸してあげるから、もう少し練習しなさい。それから、図案も考えてみて。あまり複雑なものは駄目よ」




 お祖母様の言葉どおり、私は刺繍道具を自室に持ち帰って、コツコツと練習した。ステッチは徐々に整っていった。

 お祖母様に合格をいただけたので、私は図案を決め、いよいよ本格的な刺繍に取り掛かった。


 私の初めての刺繍は、木をモチーフにしたものになった。少しずつ布の上に糸で絵柄を表していく作業は思いのほか楽しかった。

 1本の予定だった木は、3本になった。


「上手にできたじゃない。メリーは器用ね」


 私の刺繍したハンカチを見て、お母様は褒めてくれた。

 お母様は何でもこなすようでいて、実は刺繍が苦手だそうだ。だけど、お母様にはゆっくりと刺繍に取り組む時間などなかっただろうから、練習すればすぐに上達すると思う。

 私がそう言うと、お母様は眉を寄せた。


「それは、どうかしらね。むしろ、こういうことはお父様のほうが得意なのではないかしら?」


「お父様が刺繍?」


 私は思わず声をあげたものの、その姿を想像してみて、何となく納得してしまった。


「確かに、やればできそうですね」


 そして、意外とはまりそう。刺繍したものをお母様に贈る場面まで思い浮かぶ。




 私は3本の木を刺繍したハンカチを、お父様に贈った。最初からそのつもりで縫っていたのだ。


 お父様は目を丸くして、大喜びしてくださった。


「ありがとう。これ、メリーが刺繍したの? すごいね。明日、さっそく使おう」


「これを宮廷にお持ちになるのですか?」


 客観的に見れば、とても宮廷人が持つような図柄ではない。


「うん。皆に自慢しないと」


「いえ、自慢なんてしないでください。次はもっと上手くできると思うので、せめてそちらにしてください」


 次は家紋かイニシャルにしますから。


「もう僕のだもん。僕の好きにするよ」


 お父様にそう言われて、私は諦めた。

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