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 数日後。学園から帰宅すると、お父様の執務室に呼ばれた。と言っても、平日の昼間はお父様は宮廷でお仕事なので、執務室の主はお母様だ。

 着替えを済ませて執務室に行くと、お母様が机の向こうで笑みを浮かべた。


「お帰りなさい」


「ただいま帰りました」


 部屋にはトニーと、乳母に抱かれたメイもいたけれど、すぐに出て行った。

 お母様にソファに座るよう促されたので従うと、お母様も私の隣に腰を下ろした。


「レイラに聞いたわ、マクニール侯爵子息のこと。もっと早く言ってくれたら良かったのに」


 お母様は特に怒ったり呆れたりするではなく言った。


「ごめんなさい。自分でもよくわからなくて、ちゃんと確かめてからと思っていたの」


「別に謝ることではないけれど……。何を確かめるの?」


「私はただ初めてダンスに誘ってくださっただけの方を、特別な存在だと思い込んでいるのではないかと」


 お母様が悩ましげに唸った。


「私もあなたに助言できるほどの経験はないけれど、難しく考えずに、あなたの心がその方に惹かれたということを大事にしたらいいのではないかしら。それに、そういう気持ちは大概思い込みから始まるものだと思うわ」


「そうなのでしょうか?」


「きっとそうよ。きっかけなんて何だっていいの。大切なのは、これからメリーがその方とどんな関係を築くか、なのだから」


「でも、私が何か間違えてしまったら、お父様やお母様にご迷惑がかかりますよね」


「メリーのことは信頼しているけれど、万が一何かあったとしても、多少のことで我が家は揺らいだりしないから安心なさい。そもそも、本来なら公爵家の娘には必要のないことを求めているのだから、その責任は私が取るわ」


 お母様は当たり前だという顔になった。

 私は「この世のすべてから守る」というお父様の言葉を思い出した。例え私がお父様のお気に召さない相手を選んだとしても、お父様があの言葉を反故にすることはないのだろう。でも、お父様が気に入ってくれる相手なんているのかしら。


「お母様は何がきっかけだったのですか?」


「え?」


「求婚されるまではお父様と結婚するなんて考えていなかったのですよね。それなら、いつお父様が特別な存在だと気づかれたのですか? 求婚された時? それとも、ほかに何かあったのですか?」


 お母様は何だか難しいお顔になった。私はこんなことを訊くべきではなかっただろうかと心配になりながら、お母様の答えを待った。


「……なかったわね」


「なかった?」


「お父様、……セディが私にとって特別な存在かと訊かれればその通りなんだけど、今のメリーが求めている意味とは少し違うと思うわ」


「それならば、どうしてお父様との結婚を決めたのですか?」


「セディの思い込みが強すぎて拒めなかった、という感じかしら。ああでも、求婚を受け入れてからそれを後悔したことは1度もないわよ」


 子どもの目にも明らかなお父様の想いを、お母様は思い込みと言い切ってしまった。でも、こうしてお父様のお話をする時のお母様はとても柔らかい表情になる。

 お母様は基本的にはお父様の意向に沿う選択をする。それはお父様が我が家の当主でお母様の夫だからではない。多分、ふたりの関係はずっと昔からそうやって続いてきたのだ。どうやらそれは、結婚という重大事を前にしても変わらなかったらしい。

 ふたりが幼馴染だったこともあるとはいえ、確かに私は難しく考え過ぎていたという気もしてきた。


「とにかく明日、マクニール侯爵子息に会っていらっしゃい」


「明日ですか?」


 私は驚いて声をあげた。


「ええ。メリーは私の用事でレイラに会いに行くという形にしてね。マクニール侯爵子息はユージンが呼んでくれるそうよ」


「偶然を装うのですか?」


「お見合いみたいな堅苦しい形にはしないほうが良いでしょう?」


 私は少し考えてから頷いた。

 確かに、1度会っただけの相手にいきなり「会いたかった」なんて言われても戸惑うだけに違いない。

 それに、お父様にもまだ言えない。むしろ、お母様が気にかけているのはそちらだろうか。




 そんなわけで翌日、私は学園からまっすぐにウォルフォード家に向かった。今までに何十回も訪れたことがある場所に行くのにひどく緊張した。

 いや、こんなに緊張したのはおそらく生まれて初めてだ。こうなると、話した翌日に再会を設定してもらえたことをありがたく感じる。こんな状態で何日も待たされるなんてきっと無理だ。


「いらっしゃい。早かったわね」


 お屋敷に着くと、レイラ叔母様がいつもと同じ笑顔で迎えてくださった。

 対して、私は意味もなく溜息を吐いてしまった。


「そうですよね、早すぎますよね。申し訳ありません」


 宮廷でのお仕事が終わるまでにはまだだいぶ時間があるばかりか、同じ学園で1学年下の従弟アシュリーもまだ帰宅していないようだった。

 私も図書室などでしばらく過ごすことも考えたのだが、落ち着いて読書などできそうになかったのだ。


 私の様子を見た叔母様が可笑しそうに笑った。


「いいから、居間でゆっくりしていなさい」


「はい。お邪魔します」


 居間のソファにレイラ叔母様と向かい合って座り、そわそわしながら紅茶をいただいていると、居間の扉がノックされて、私はビクリとした。


「違うわよ」


 叔母様の言葉どおり、やって来たのは3歳下の従妹ダリアだった。


「メリーお姉様、こんにちは」


「こんにちは、ダリア」


「お姉様がおひとりなんて珍しいですね」


 確かに、いつもなら家族皆で訪れる。

 私がレイラ叔母様を伺うと、叔母様は小さく首を振った。私の訪問の目的をダリアは知らないという意味だろう。


「お母様が忙しいから、私が代わりに来たのよ」


「それなら、すぐに帰ってしまうの?」


「もう少し居ても構わないかしら?」


 私が訊くと、ダリアは嬉しそうに頷いた。


「ええ、もちろん。今日はルパートお兄様もいらっしゃるのよ。お姉様もご一緒に夕食を食べましょう」


 私ははじめからその予定だったのだが、何も知らないはずのダリアの口からルパート様の名前が出たので動揺した。


「ル、ルパート様?」


「そう。あれ、お姉様は知らないの?」


 ダリアが不思議そうに首を傾げた。

 まだダリアの中で、父方と母方の従兄弟がすぐには区別できないのかもしれない。もっとも私には母方にしか従兄弟がいないので、その感覚は想像するしかないのだけれど。


「ああ、いえ、知っているわ。夜会で1度お会いしたの」


 私がそう言うと、ダリアの目が輝いた。


「お姉様は夜会デビューされたのでしたね。いいなあ」


「ダリアだってすぐよ」


「まだまだ先です。でもこの前、ルパートお兄様にダンスを教わったの」


 話題がルパート様から離れかけたのに、また戻ってきてしまった。


「へ、へえ。それは良かったわね」


「ルパートは姉ふたりの中で育ったから女性に優しいのよ。ダリアが相手でもね」


 レイラ叔母様はダリアみたいな子供でも、というのを本人を前にぼかしたようだ。

 それならば、ルパート様の目に私は大人と子どもと、どちらとして映ったのだろうか。あの時の私は、淑女として扱われた気になっていたけれど。


 その後、ダリアがルパート様のことを話して聞かせてくれ、レイラ叔母様も時々それに補足するように言葉を挟んだ。さらに、途中でアシュリーも帰宅して、話の輪に加わった。

 それによると、ルパート様は私より5歳上。私の想像していたとおり、学園を卒業してしばらくは領地で暮らし、それから宮廷入りしたそうだ。


 ダリアやアシュリーがルパート様に可愛いがられてきたことを知るうちに、私はモヤモヤした気持ちを覚えた。ずっと昔からルパート様と知り合いのダリアやアシュリーが羨ましい。

 私もルパート様もウォルフォード家に出入りしていたのだから、もっと以前に顔を合わせていてもおかしくはなかったのだ。だけどその場合、それこそ私たちの関係はただの親戚になっていたかもしれない。

 それならば、私とルパート様が出会うタイミングはやはりあの夜だったのだろう。そう考えて、私は自分を納得させた。




 やがてユージン叔父様がルパート様を伴ってお帰りになった。レイラ叔母様が2人を出迎えに行き、私もそれについて行った。

 玄関ホールに入ってきた叔父様のすぐ後ろにルパート様がいらっしゃるのはわかったけれど、何だかそちらに視線を向けられなかった。


 ユージン叔父様が私を見て言った。


「メリーも来ていたのか。いらっしゃい」


 当然、ユージン叔父様にとって私の訪問は予定どおりなのだが、演技がお上手だ。貴族ならそれが普通なのだろうけど、お父様だったらとてもこんな風にはいかないはず。


「お邪魔しています」


「お姉様のお使いで来てくれたんだけど、せっかくだから夕食を一緒にと思って」


 レイラ叔母様の言葉に、ユージン叔父様が頷いた。


「ああ、それがいい。ええと、確かルパートにはもう会ったことあるよね?」


「はい」


 私は答えながら、ルパート様を見上げた。ルパート様は何かに気づいた様子もなく、微笑みながら私を見つめ返した。


「お久しぶりですね」


「はい、お久しぶりでございます」


 私はルパート様の言葉をおうむ返しにするだけで、それ以上何も言えなかった。心臓がバクバクして、うまく呼吸できない。

 この数か月、何度も思い描いていたルパート様が目の前にいるのだ。

 叔母様にそっと肩を叩かれるまで、私はルパート様のお顔から目が離せなかった。


 私はルパート様とダリアとともに再び居間に。叔父様は着替えのために叔母様とご自分のお部屋に行かれ、アシュリーも一旦自室に戻った。

 居間に入ると私の向かいにルパート様、隣にダリアが座った。

 そこまでに、私はどうにか言葉を取り戻していた。ただし、また凝視してしまわないように視線は少し下げた。


「あの時は本当にありがとうございました」


「お礼を言われるようなことをした覚えはありませんが」


「その、とても楽しかったので」


「それならば、私もお礼を言わなければなりませんね。ありがとうございました」


 それは、ルパート様も楽しかったという意味に捉えて良いのだろうか。


「夜会のドレス姿の時は大人びた方だと思いましたが、その格好だとずいぶん違って見えますね」


 この日の私は学園の制服姿だった。あくまで偶然会う形にするためだ。

 もちろん帰宅して着替える余裕はあったのだが、その場合、何を着るかで大いに迷ったに違いない。


「子どもっぽいですか?」


「いえ、年相応という意味です」


 私が密かに安堵していると、ダリアが口を開いた。


「メリーお姉様のお家では、セディ伯父様がドレスを選んでくださるんですって」


「公爵が? それは凄いですね。あのドレスは本当にお似合いでした」


 ルパート様の感嘆の声に、私は嬉しくなった。


「ありがとうございます。父の特技なんです。家族限定ですけれど」


「伯父様、私のデビューの時も選んでくださらないかしら?」


 ダリアの問いに、私は首を傾げた。


「ダリアならお願いすれば大丈夫、かしら?」


 他人なら絶対に受けるはずないけれど、ダリアなら可能性はありそうだ。


「ダリアはもう社交界デビューする時のことを考えているのか」


 ルパート様が驚いたように言った。


「淑女にとってデビューの夜会はとても重要なんです。ねえ、お姉様?」


「ええ、そうね。私にもやはり特別でした」


「そうですか」


 私がチラと視線をあげると、ルパート様は目を細めて笑っていた。とっても優しい表情だけど、やはりルパート様にとって私はダリアと大して変わらないのかもしれない。

 そんなことで気分が落ちるくらいに、私の想いは決定的だというのに。


 そうこうするうちに食事の用意ができたと知らせが来た。

 途端にダリアが立ち上がり先に居間を出て行ってしまったので、私は何となくルパート様と視線を交わした。


「私たちも行きましょう」


 ルパート様の言葉に、私は頷いた。


「はい」


 私は意図せずルパート様と並んで移動することになった。さらに食堂でも隣同士の席に案内された。


 目を向けなくても体の右側にばかり意識が向いてしまい、お料理の味はよくわからなかった。ただ、食事のマナーは幼い頃からしっかり躾けられていたため、頭で考えずとも体が自然と動いてくれた。

 皆で会話を交わし、和気藹々とした雰囲気のまま食事は進んだ。そんな中で、私はやっぱりルパート様の声は心地良いと思った。




 食後少し休んでから、私とルパート様は帰宅の途につくことになり、ウォルフォード家の皆に見送られて玄関を出た。表ではマクニール家とコーウェン家の馬車がそれぞれ待っていた。


 分かれる前に何か言わなければと慌てて言葉を探していると、ルパート様が先に口を開いた。


「今日も楽しかったです。ありがとうございました」


「私こそ、ありがとうございました」


 ルパート様は、わざわざ私をコーウェン家の馬車まで送り、御者の代わりに扉を開けて、私が馬車に乗るのに手まで貸してくださった。


 私は少し躊躇い、だけど後悔するのは嫌なので、扉が閉まる前に思いきって言った。


「また私と会っていただけますか?」


 ルパート様を見ると、馬車灯に照らされて、その目がわずかに大きくなるのがわかった。


「はい。是非また会いましょう」


 その言葉は社交辞令かもしれない。

 だけど、私をまっすぐに見つめているルパート様の顔に浮かんだ人懐こい笑みに、また会えるような気がした。

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