もう一度
翌朝。食堂に入って行くと、弟妹たちが夜会のことをあれこれ聞きたがった。
私も色々と話したい気持ちはあるものの、後からお母様と一緒にやって来たお父様がチラチラとこちらを窺っているので、ちょっと話しづらい。
「学園から帰ってから話してあげるわ。早く朝食にしましょう」
とりあえず、そう言ってその場は誤魔化した。
学園に行っても、教室での話題の中心はやはり前夜の夜会だった。
「メリー様、昨夜の公爵は何だか怒っていらっしゃるようでしたが、大丈夫でしたか?」
あの場にいた方たちが集まって来て、そのうちのひとりが不安そうな声で訊いた。やはりお父様の感情は誰の目にも明らかだったようだ。
私は笑って返した。
「大丈夫よ。ちょっとした行き違いがあっただけで、別に怒ってはいなかったわ」
拗ねていたけれど。
「それなら良かったですわ。でも、怖いお顔も素敵でした」
「……そうかしら?」
私は笑顔を浮かべたまま、心の中で溜息を吐いた。果たして、馬車の中の状況を見ても同じことが言えるのだろうか。
もちろん、あんなお父様は他人には見せられない。ノア以下の弟妹たちだってまだ知らないはず。知っているのはお母様と私と、あとは執事のトニーくらいかしら。
「父のことよりも、皆様のお話を聞きたいわ。夜会で何かありませんでしたか?」
私がそう振ると、ようやく皆の意識がお父様から離れてくれた。
お屋敷に帰ると、弟妹のほかにお祖父様お祖母様も揃っていた。再び請われて、私は今度こそ夜会のことを皆に話した。
お父様とのダンスからはじまって、ドレスを褒められたこと、ルパート様と踊ってからたくさんの男性方にも誘われたこと。最後のお父様とのいざこざ以外は問われるままに語って聞かせた。
しかし、さすがにお祖父様とお祖母様は察したようだ。
「メリーが注目されてしまうのは仕方ないが、セディは気が気でなかっただろうな」
「特定のお相手が決まってしまえば安心なのだけど、セディは違うかもしれないわね。メリー、気になる方はいたのかしら?」
お祖母様に訊かれて、私は曖昧に首を傾げた。
「まだ、何とも」
話しているうちに気がついたのだが、何人もの男性から名乗られて、お顔やお名前は何となく覚えているのだが、その組み合わせはあやふやだった。
完全に一致しているのはルパート様くらい。その後に踊ったおふたりもどちらがどちらだったか、という感じ。これは拙い。次回からはもっとしっかり覚えないと。
そんなこんなで気になる方と言えばやはりルパート様なのだが、1度ダンスを踊っただけだし、まだよくわからないというのが正直なところだ。生まれて初めてダンスに誘ってくれた方だから特別に感じてしまうだけかもしれない。
近づいて来る姿がやけにくっきりと見えたことも、人懐こい笑顔も、大きくて暖かい手も、低い声が耳に心地良かったことも、すべて私の思い込みかもしれない。
とりあえずもう1度ルパート様に会って、話をして、それを確かめたい。その機会はきっとあるはず。誰かにルパート様のことを話すのはその後だと思う。
その夜、宮廷から帰宅したお父様は王宮近くにあるチョコレート専門店の包みを手にしていた。
お父様がこんな風におみやげを買ってきてくれることはよくあるけれど、これは明らかに私のためだと思う。私がこのチョコレートが1番好きだということは、お父様も知っている。
嬉しそうにきゃっきゃと声をあげているロッティとアリスの手に包みを渡しながら、お父様が父親らしく注意した。
「皆で仲良く分けてね」
「はあい」
「はあい」
奥へと駆けていく妹たちを見送って、私はお父様をまっすぐに見上げた。
「お父様、ありがとうございます」
私が満面の笑みでお礼を言うと、お父様は照れたように視線を逸らした。
「……僕にも分けてね」
「はい。皆で一緒に食べましょう」
「夜にあまり食べては駄目よ」
お母様も笑いながら、それでも冷静に言った。
その夜、私の部屋を訪れたのはお父様だった。お母様とふたりで一緒に来ることはあるけれど、お父様ひとりでというのは珍しい。
何か話したいことがあるのはわかったので、私はソファに座って聞く態勢になった。お父様も向かいに腰を下ろすと、ゆっくりと口を開いた。
「あのね、メリー」
「はい」
「僕はメリーが生まれた時、すごく嬉しかったんだ。だから、メリーに婿を迎えて家を継いでもらおうと思って、相応しい相手も探そうとしたんだけど、クレアに止められた」
以前にも誰かに聞いたことがあった。お父様は本気だったし、お祖父様もかなり乗り気だったとか。
「もちろん、その後でノアやロッティやアリスやメイが生まれた時もすごく嬉しかったよ。皆とこのまま一緒にいられたらいいなって今も思うくらいに」
お父様の声は静かで、自分自身に向けての独り言のようにも聞こえた。
「でも、多分ノアがこの家を継いで、他の4人は出て行くんだよね。それは淋しいけれど、哀しいことじゃなくて、喜ばしいことなんだ」
お父様は微笑を浮かべたけれど、どうにも淋しそうに見えた。
「ええと」
そこでしばらく声が止まった。お父様は何か考えている様子だった。
「僕が何を言いたかったかというと、つまり、メリーを愛してるってこと」
私はゆっくりと1度だけ瞬きをした。お父様はいつになく真剣な顔で続けた。
「僕はメリーが生まれた時、ううん、クレアのお腹の中にいるってわかった時に、絶対にこの子を守るって決めたんだ。その役目はいつか誰かに奪われるのかもしれないけれど、それまでは僕がこの世のすべてから守るから、だから、もうしばらくは僕のそばにいてね」
「はい。私はまだまだお父様のおそばにいます」
私がそう言うと、お父様はまた微笑んで立ち上がった。
「あ、もちろん、ずっとここにいても全然構わないからね。じゃあ、おやすみ」
足早に部屋を出て行こうとするお父様の背に、私も慌てて返した。
「おやすみなさい」
明かりを消してベッドに入ってから、何だか笑いがこみあげてきた。
その後も私は、お父様とお母様が参加する夜会に連れて行ってもらえた。もちろん、お父様が選んでくれたドレスを着て。
シーズン中は都のあちこちで夜会が開かれているらしいし、我が家にはたくさんの招待状が届くが、お父様とお母様が出席するのはそのうちのほんの一部だけ。お父様が社交がとても苦手だから。
お父様は絶対にひとりでは社交の場に赴かない。基本的にはお母様が同行する。
だけど、妊娠中などお母様が一緒に出席できないことも多々あった。それでも2年前まではお父様は次期公爵の立場で、表に立つのはお祖父様だったからそれほど問題はなかった。
困ったのは、お父様が公爵位を継いだ直後に、お母様の妊娠がわかった時だ。
お母様は頼れるところは叔父様方に協力してもらったけれど、あくまで他家の方なので都合の悪いことも色々とあった。
そのため、引退したお祖父様に再び出張っていただくことになり、領地で暮らすことを検討していたお祖父様とお祖母様は隣の別邸に移っただけで今に至っている。
そんなわけで、私が夜会に出席できる機会は決して多くない。
私は毎回お父様やお母様のそばにいて色々な方にご挨拶をしたり、ふたりの許可を得てダンスの誘いを受けたりした。
王宮の夜会でお会いした方と再会することもあって、少しずつお顔とお名前の一致する方も増えていった。だけど、ルパート様の姿を見つけることはなかった。
何度目かの夜会にレイラ叔母様とユージン叔父様もいらっしゃったので、それとなくルパート様のことを訊いてみた。
「王宮の夜会でお会いしたマクニール侯爵子息はどうしていらっしゃるのですか? その後、お見かけしませんが」
「ああ、ルパートはこういう場があまり好きではないから、夜会にはほとんど参加しないんだ」
「そうなのですか」
お父様と違って、ルパート様は女性をダンスに誘うことに慣れている感じがあったし、会話なども滑らかだったので、あの方も社交が苦手だなんて想像もしていなかった。私には考えも及ばない理由があるのかもしれない。
だけど、ルパート様が夜会に来られないのでは、いつまた会えるかわからない。まさか、来年の王宮の夜会だろうか。会えないと思うと、会いたい気持ちが強くなった。
「メリー、もしかしてルパートに会いたいの?」
レイラ叔母様にズバリと訊かれて、私は少し迷ってから頷いた。
「その、まだ自分でもよくわからないんですけど、あれから何となくあの方のことが忘れられなくて、もう1度お会いすればこれが何なのかはっきりするような気がして……」
レイラ叔母様は首を傾げつつ私の纏まらない話を聞き、それからゆっくりと言った。
「ルパートも未婚で今のところ婚約者もいないから、メリーが望むなら会わせてあげることはできると思うわ。ただし、あなたのお母様に内緒でというわけにはいかないわよ」
「もちろんです。どうかお願いします」
私は叔母様にしっかりと頭を下げた。