初めての夜会だから
ルパート様のステップは、お父様のようにリズムを外すことはないし、ヘンリー叔父様のように変な癖もないし、ユージン叔父様よりも軽やかだった。初めて会った方なのに、とても踊りやすい。
「そう言えば、どうして私のことがおわかりになったのですか?」
「レイラ叔母上からあなたたちのことは聞いていましたから。それにあなたはコーウェン公爵によく似ていらっしゃるので」
「父とお知り合いなのですか?」
「いえ、少しご挨拶させていただいただけです。私は最近宮廷で働き始めたばかりで、叔父がコーウェン公爵に紹介してくれたんです」
宮廷に入るのは学園を卒業してすぐの17、18歳が多いけれど、何年か家の仕事などをしてからという場合もあるという。ルパート様は私よりもずっと大人っぽく見えるので、おそらく後者だろう。
「コーウェン公爵が男の私から見ても綺麗な方で驚いたものですが、そのご令嬢もやはり美しいのですね」
聞き慣れた言葉なのに、ルパート様に人懐こい笑顔で言われて、何だかドギマギしてしまう。
「お褒めいただきありがとうございます」
「この会場にいる男は皆、あなたに目を奪われていますよ」
「そうでしょうか? どなたも私をダンスに誘ってくださいませんでしたが」
「それは牽制しあっているか、様子を見ているのでしょう。さしずめ、私は漁夫の利を得たというところです。きっとこの後は、あなたと踊りたい者たちが列をなしますよ」
ルパート様が冗談めかして言うので、私もフフと笑った。
だけど、冗談ではなかった。
ルパート様とのダンスを終え、叔父様たちのところへ戻ろうとした私の前を、何人もの男性方が塞いだのだ。
彼らはそれぞれに名乗りを上げてから、私に向かって手を差し出してきた。
「コーウェン公爵令嬢、私と踊ってください」
「いえ、是非私と」
「それよりも私と踊りましょう」
どうして一遍に来るのかしらと思いつつも、私は最初に声をかけてくれた方と踊り、さらに2番目の方とも踊った。
どちらの方もダンスはお上手だったし、私の容姿を褒めたり、色々な話題を提供してくださったりしてそれなりに楽しかったのだが、私の心はルパート様の時ほどには弾まなかった。
私はさすがに疲れを感じて他の方々は丁重にお断りし、飲み物をもらいに行った。
その近くに見知った顔が並んでいた。同級生の令嬢たちだ。普段の学園の制服姿ではなく、それぞれが夜会に相応しい装いに身を包んでいるので不思議な感じがした。
彼女たちは、待ってましたとばかりに私を取り囲んだ。
「メリー様、素晴らしいドレスですわね」
ドレスの質はそのまま家格を表す。だから同級生たちの中でもっとも高価なドレスを纏っているのは私だ。それをひけらかすつもりはないが、謙遜する必要もない。
とはいえ、お父様は自身の持つ感覚に従ってデザインや生地を決めているだけで、おそらくその価値なんて考えていないだろう。お父様はそういう育ちなのだ。
我が家がお金に糸目をつけるかつけないかは何事においてもお母様次第だが、余程のことがなければお父様の選んだドレスに駄目出しなどはしない。
「私に1番似合うものを父が選んでくれたのよ」
私がそう言うと、やはり皆驚いた顔をする。
「まあ、公爵が選ばれたんですの?」
「そう言えば、メリー様のファーストダンスのお相手がコーウェン公爵なのですよね?」
訊かれて、私は頷いた。
「ええ、そうよ」
「私、歳の離れたお兄様かと思いましたわ」
私は思わず苦笑した。
「よく言われるの」
別の女子が夢見るような表情で言った。
「でも、本当に素敵な方ですね。本当にお兄様で独身なら、是非紹介していただきたかったですわ」
数人がそれに賛同したが、私には彼女たちの気持ちはよくわからなかった。私はお父様のように中性的で綺麗な顔立ちよりも、男らしい方のほうに魅かれる。
もっとも、私自身がお父様に似ていることも理由だろうし、お父様が褒められること自体に悪い気はしないけれど。
「公爵の後も、ずいぶん歳上の方とばかり踊っていらっしゃいましたね」
「誰にも誘っていただけない私を憐れんで、叔父たちが踊ってくださったの。セシリアのお父様のバートン伯爵と、ウォルフォード侯爵よ」
「その次の方は?」
「あの方は、ウォルフォード侯爵の甥のマクニール次期侯爵ですって」
「何だ、ご親戚ばかりだったのですね」
初対面だったルパート様を叔父様方と同列に並べられることには抵抗を感じたものの、敢えて口にすることとも思えず黙っておいた。
「でも、先ほどは大人気でしたわね」
「メリー様と婚約したい男性はまだまだ大勢いますわ」
それは私とではなくコーウェン家と繋がりたい方だろうと思う。
もちろん貴族の結婚はそれが普通で、私の両親が特殊だということは理解しているけれど、できれば私も特殊な相手を見つけたい。
そんなことを考えていると、私の頭の中に再びルパート様の姿が浮かんできた。
もう一度あの方とお話できないかと叔父様方のほうを見るが、そこにルパート様はいない。ぐるりと会場を見渡しても、人が多すぎて見つかりそうになかった。
婚約者でもない方と2曲も踊ることはできないけれど、すぐにルパート様と離れて別の方の誘いを受けたことに少し後悔を感じた。
しばらくモヤモヤした気分に耽っていたが、ふいに私を呼ぶ声が聞こえてきて意識を引き戻された。
気がつけば、私はまた知らない男性方に囲まれて、ダンスの誘いを受けていた。同級生たちはさらにそれを囲むようにして様子を窺っている。
せっかくの初めての夜会なのだから、楽しまないともったいない。そう考えて私は差し出された手を取ろうと自分の手を伸ばしかけたが、男性の手に触れる前に横から現れた別の手にがっしりと掴まれた。
それは私のよく知っている手で、誰のものかを確認する必要もなかった。
「メリー、お待たせ。そろそろ帰ろうか」
私の前に立っていた男性方の顔色が変わった。お父様は、不機嫌を内に隠すという貴族なら当たり前にできるはずのことが苦手なのだ。
お父様の言いつけを今さら思い出してももう遅い。とにかく逆らうことはせず、素直に頷いた。
「はい、お父様。皆様、申し訳ありませんが私はこれで失礼いたします」
私はお父様に手を握られたままでもできるかぎり美しく見えるよう礼をしてから、その場を後にした。誰も引き止めたりはしなかった。
「ヘンリーたちと一緒にいてって言ったのに、あんなどこの誰かもわからない男たちと……」
馬車に乗りこむと、案の定お父様はブツブツと言いはじめた。
私の顔をまっすぐに見ながらだったらまだ良いのだけど、お父様は私からは完全に目を逸らして壁のほうを向いている。何なら膝を抱えそうな勢いで、いじけた子どもそのものだ。
あの場にいたのは王宮の夜会への参加を許された方々だし、きちんと名乗ってくださった、なんてことはとりあえず置いておく。
私は反省を示そうと、努めて沈んだ声を出した。
「お父様、本当にごめんなさい。初めての夜会で、つい浮かれました」
「セディ、あなたが素敵なドレスを選んでくれたから、メリーは会場で誰よりも美しかったわ。あなたの娘が男性に声をかけられるのは当たり前なのよ」
お母様が穏やかな声で言った。お父様を宥めるように、その腕に自分の腕をそっと絡めていく。
お父様がこうなってしまうとお母様が頼りだ。私はお母様に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「だったら、もうメリーのドレスを選ぶのはやめる」
私は慌てて口を開いた。
「お父様、そんなこと言わないで。お父様にドレスを選んでもらえるのは私の自慢なの。お願いだから、次のドレスもお父様が選んでください」
「私からもお願いよ。これからは私ももっと気をつけるわ。だから、メリーを信じてあげてちょうだい」
お父様がゆっくりとこちらを向いた。まだ眉が顰められているけれど。
「ね、セディ?」
すかさずお母様が呼びかけると、お父様は渋々といった感じで頷いた。
お父様の不機嫌はいつも長続きしない。自分が臍を曲げているうちに、逆にお母様に背を向けられてしまわないかと不安になるから。私は、お母様は絶対にそんなことしないと思うのだけど。
馬車に乗ってから初めて、むっつりとした顔ながらお父様が私を見た。
「楽しかったの?」
「とっても」
「ふうん。それは良かったね」
「お父様のおかげです。ありがとうございます」
お父様の表情が少しずつ緩んできた。
「でも、知らない人には本当に気をつけないと駄目だよ」
「はい、肝に命じます」
私は安堵しつつ、神妙に答えた。
屋敷に戻って就寝の準備が整った頃、いつものようにお母様が私の部屋に来た。
「お母様、申し訳ありませんでした」
「いいのよ。初めての夜会を楽しみたいと思うのは誰しも同じでしょう」
「お母様もそうだったのですか?」
「ええ、もちろん。だけど、お父様だって意地悪であなたに叔父様たちと一緒にいろと言ったわけではないのよ。私たちのそばにいるのでは退屈するだろうし、かと言って、ひとりにするのは心配だったからなの」
「はい、わかっています」
だから私もお父様の言葉をきちんと守っていたのだ。途中までは。
「そうね。メリーはお父様の気持ちも理解できるわよね」
「お父様、また私を夜会に連れて行ってくださるかしら?」
私が尋ねると、お母様は微笑んだ。
「お父様もね、メリーと踊れて楽しかったみたいよ。皆様にあなたのことを褒めていただいて、鼻を高くしていたし」
私は目を瞬いた。
「そうなのですか?」
お母様が頷いた。
「次の夜会も楽しみなさい。ただし、お父様の娘であることを忘れず、それに相応しい振る舞いをしてね」
「はい、お約束します」