決意(ルパート)
「最初は父とロッティとアリスとメイで追いかけっこをしていたのですけれど、母がそこに加わって、私もノアと急いで混ざりました」
領地での様子を話して聞かせてくれるアメリア嬢の朗らかな声に、私はすっかり酔いしれていた。
それにしても、子どもたちと真剣に遊び、さらには娘のために刺繍までしてしまうなんて、叔父たちに聞いて想像していた以上にコーウェン公爵は子煩悩らしい。
この先、私がもっと多くの時間をアメリア嬢とともに過ごしたいと望み、公爵の前で頭を下げたとして、公爵は果たして私などに許可をくださるのだろうか。
きっと公爵は、できることならアメリア嬢を真綿に包んで箱に入れて、誰にも見せず大事に大事にしまっておきたかったはず。
それとも、これは私自身の願望か……。
アメリア嬢の語りはさらに続いた。
「その人形劇の演目は『戦場のライラック』といって、もとはオペラなんだそうですが、ルパート様はご存知ですか?」
「ああ、聞いたことはあります。確か悲劇でしたよね」
「それが、人形劇用にストーリーが変更されていて、ふたりは駆け落ちして幸せになりました、という結末だったんです」
アメリア嬢が何気なく口にした言葉で、私は束の間、身を強張らせた。
「……駆け落ち、ですか」
「でも、私は駆け落ちして幸せになれるとは思えないんです。そんなことをしたら、間違いなく両親やたくさんの方々に迷惑をかけますから。人形劇で観ているだけなら面白かったですけれど」
アメリア嬢はもう私の過去を知っているのだろうか?
いや、おそらく何も知らぬまま、人形劇を観て感じたことを素直に話しているだけなのだろう。
それはあまりにコーウェン家の令嬢である彼女らしい考えで、私はひどく安堵した。
アメリア嬢ともっと一緒にいたいという望みは、これから生まれるものなどではなく、とっくに私の中に根付いている。
これを叶えるために、私にはすべきことがたくさんあった。
私は新しいシーズンの訪れとともに社交の場に顔を出しはじめた。我が家にはそういう場への招待は割に多く届いており、その気になればいくらでも参加できた。
とはいえ、宮廷の仕事との兼ね合いもあるし、やはり長く社交から遠ざかっていた身には、いきなりあちこちに出て行くのは負担が大きかった。
同じ頃、私はアメリア嬢に関するある噂を知った。私には俄かに信じられなかったが、1度ならず2度3度と聞こえてきて、堪らずユージン叔父とレイラ叔母に真偽を確かめた。
「アメリア嬢には外国に婚約者がいるという噂は、嘘ですよね?」
「嘘だ」
「嘘よ」
ふたり揃っての即答だった。
「セディが娘を国の外になんか出すはずがない。家からだって出したくないだろうに」
「お屋敷の近さは結婚を許す最低条件の1つでしょうね」
コーウェン家を訪ねたことはないが、場所くらいは知っている。我が家との距離はウォルフォード家やバートン家よりも近い。私は密かに胸を撫で下ろした。
ついでにユージン叔父たちに訊いたところ、コーウェン公爵夫妻は最低限の社交にしか赴かないようだ。公爵夫妻にはそれで十分でも、私には足りないだろう。
しかし、アメリア嬢の美しい正装姿を見て、彼女とダンスをすることは、私が社交の場に向かうための何よりの動機になる。彼女と会える場を優先的に選ぶことにした。
だが夜会で私などが高嶺の花であるアメリア嬢を堂々とダンスに誘い、彼女が必ずそれを受けてくれるものだから、妬みの対象にもなった。
すれ違いざま、「いい気になるなよ」と呟かれるのはまだいい。中には「女性を傷つけて悦ぶような奴がコーウェン公爵令嬢に近づくなんて恥を知れ」と、面と向かって言ってくる者もいた。アメリア嬢と同じ歳頃の男だった。
私が目立ったせいで、都を離れていた間に忘れられたと思っていたあの噂が、再び囁かれるようになったらしい。アメリア嬢の耳にも近いうちに届いてしまうかもしれない。
私の以前の婚約について、ユージン叔父とレイラ叔母は当然その顛末を知っているのだし、私についての噂はコーウェン公爵夫妻が把握していてもまったくおかしくない。
それなのに、今のところアメリア嬢が知っている様子はない。
仮に公爵夫人が、私が娘婿でも構わないと考えていたとしても、アメリア嬢に何も伝えぬまま関係を進めることなどできるはずもなかった。もちろん私が直接アメリア嬢に話すべきだ。
だが、たいした取り柄もないうえに、正直に話すことを尻込みするような過去を持つ私が、アメリア嬢に選ばれて本当に良いのだろうか?
そんな今更な疑問を抱いてしまった私は、王宮の夜会でアメリア嬢と目が合ったにも関わらずそばに行くことを躊躇い、早々に帰宅した。
しかし、すぐに後悔を覚え、ウォルフォード家で会ったら釈明しようと考えていたのだが、アメリア嬢との約束の日の視察の予定が変更になってしまい、約束は取り消さざるを得なかった。
「おまえがダンスに誘いに来ないから、メリーががっかりしていたぞ」
アメリア嬢への伝言を頼んだユージン叔父からそんなことを言われ、心中でますます夜会での己の行動を詰った。
そんな中、私は仕事で下町へと向かった。先輩ふたりが一緒だった。
主な視察先は下町を流れる水路だった。改修の必要性が検討されていたのだ。
ある橋の袂から水路を眺めていると、向こうのほうから下町には不釣り合いな馬車が近づいてきた。
その馬車や御者の顔に見覚えがある気がして見つめていると、やがて家紋が目に入った。それはコーウェン家の、いつもアメリア嬢が使っている馬車だった。
馬車はわずかに速度を落としただけで私たちの傍を通り過ぎていったが、窓から中にいるアメリア嬢の顔をはっきりと確認できた。彼女は私をまっすぐに見つめていた。
私が馬車が去っていくのを呆然と見送る横で、先輩たちが怪訝そうに言った。
「コーウェン家の馬車だったな。こんなところに何の用だ?」
「さあ。ご令嬢が下町見物でもしていたんじゃないですか」
確かに、アメリア嬢は下町について私が語るのを興味深そうに聞いてくれていたけれど、この日の彼女の目的は違うはず。
私に会いに来てくれたんだ。自惚れかもしれないが、私はそう信じた。
振り返れば、アメリア嬢と偶然再会できてから、少しでも彼女と一緒に過ごしたい、何とか彼女を喜ばせたいと思っていたはずなのに、王宮の夜会でアメリア嬢に背を向けた私はまったくもって最低だった。
アメリア嬢が私に向けてくれる好意に気づき、自分も彼女に対して好意を示しながら、私のせいで彼女を傷つける可能性や彼女がとり得る行動には思い至らず、自分のことばかり考えていた。これでは、昔と何も変わらない。
やはり、早くきちんとアメリア嬢にすべてを話そう。私の過去も、今のアメリア嬢への想いも、将来の望みも。
ようやくそう決意したものの、アメリア嬢にはなかなか会えなかった。
とにかく仕事が忙しかった。任される仕事量が増えてきたのは私の成長を認められたということだから嬉しいことなのだが、何ともタイミングが悪い。
アメリア嬢には「しばらく待ってほしい」と伝えてもらったものの、果たしてこんな私を待っていてくれるのだろうかと不安で仕方なかった。
アメリア嬢に会えぬまま半月ほどたって、我が家で夜会が開かれた。
私は嫡男として挨拶回りに励んだ。時おり、内ポケットに忍ばせたアメリア嬢のハンカチに触れて己を励ましながら。
だが、突然姉たちに捕まった。
「どうして彼女が来るって言わなかったのよ」
「ちゃんと私たちに紹介しなさいよ」
ふたりから怖い顔で迫られても、私にはさっぱりわからなかった。
「何のことですか?」
「コーウェン公爵令嬢のことに決まってるでしょう」
「……彼女が来ているんですか?」
公爵夫妻は来られないと聞いていたので、アメリア嬢だけが来るとはまったく予想していなかった。
「何よ、あなたも知らなかったの?」
「ユージン叔父様方と一緒にいたそうよ」
長期休暇の前くらいから、姉たちと顔を合わせても結婚が話題にされることがなくなっていたので、叔父たちから両親に何か伝わったのだろうとは思っていた。
とにかく、今はそれどころではない。
私は急いで会場の中からユージン叔父を探した。お互い背が高いので、こんな時は本当に助かる。
叔父の姿はすぐに見つかった。しかし、近寄っていってもその周囲にアメリア嬢の姿は見えなかった。
「アメリア嬢が一緒だと聞いたんですが」
「ああ。飲み物を取りに行ったよ」
飲み物や食事は隣室に用意していた。
私は大広間からバルコニーを通って隣室に向かおうとしたのだが、そこでとんでもない会話を交わす3人の令嬢に出会した。
よくも我が家のバルコニーでアメリア嬢に関する雑言を口にできるものだ。いくら相手が女性でも、優しい顔をしていることも黙っていることも到底できなかった。
令嬢たちが去ってから、私は改めて隣室に向かった。
部屋の中を見回しても、アメリア嬢の姿はなかった。行き違いになったのかと思いかけた時、視界の隅で淡い水色が動いた気がしてそちらを見ると、アメリア嬢が青ざめた顔で柱の陰に座り込んでいた。
私が慌ててアメリア嬢のそばに膝をつくと、彼女の両目から涙が溢れ落ちた。彼女もバルコニーでの会話を聞いてしまったことはすぐに察せられた。
私は何をしていたのだろう。もっと早く彼女が来ていることに気づいていれば、いや、彼女が私に伸ばしてくれている手を迷わず取っていれば、こんな風に痛々しく泣かせることはなかっただろうに。
私がアメリア嬢を守りたい、守らねば。
いつもより小さく見えるアメリア嬢を支えながら、私は強くそう思った。