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想える幸せ(ルパート)

 コーウェン公爵令嬢との最初の約束は無事に終えた。


 初めて会った時に彼女が着ていたドレスと同じ淡い水色の花を、彼女は喜んで受け取ってくれた。

 ウォルフォード家への土産として持っていった菓子も、「美味しい」と言って食べていた。


 短い時間ではあるが、居間でふたりきりになった。もちろん、開いたままの扉の向こうで彼女の乳母やウォルフォード家のメイドが待機していたけれど。

 彼女は私の話を聞いて楽しそうな表情をし、時には声をあげて笑っていた。


 そして、何と言っても彼女は私が「アメリア嬢」と呼ぶことを許してくれたし、私を「ルパート様」と呼んでくれた。

 彼女の声が私の名前を呼んだというただそれだけのことなのに、なぜこんなにも興奮できるのだ。


 そして、なぜ次の約束の日ははるか先なんだ。


 つい先刻分かれたばかりのアメリア嬢に思いを馳せ、宮廷に戻る馬車の中、私は深く溜息を吐いた。




 長期休暇が近くなり、宮廷は忙しくなっていた。

 私は先輩から「週末にあそこの視察をしておいてくれ」と指示されて、土曜日の午前中に下町へと向かった。


 仕事が済んだ頃には昼食時だったが、下町の食堂はどこも混雑していた。

 そこでユージン叔父のところでご馳走になろうと考え、ウォルフォード家に行くことにした。


 玄関で迎えてくれたレイラ叔母は、私を見て不思議そうな顔をした。


「誰かに今日のこと聞いたの?」


 私は意味がわからず首を傾げた。


「仕事で外に出たので寄っただけですけど、何かあるんですか?」


「これからお姉様が来るの。子どもたちを連れて」


「……お姉様って、まさかコーウェン公爵夫人ですか?」


「そうよ。お茶を飲むだけだけど、ルパートもこのままいるでしょ?」


 アメリア嬢と会える機会を逃すことなどできない。私は一も二もなく頷いた。

 心の中で、休日の視察を私に振った先輩に感謝した。


 昼食をいただいてから、叔父や叔母と居間で公爵夫人やアメリア嬢たちが来るのを待つことになった。


「公爵夫人はアメリア嬢と私のことをご存知なんですよね?」


「ええ。粗相しないよう気をつけなさいよ」


 叔母は冗談半分という顔だが、私は一気に緊張してしまった。


「だけど、ルパートはメリーの前だと顔が違うわよね。普段はいかにも弟って感じなのに、無理して大人ぶって」


 叔母の言葉に、叔父も可笑しそうに続けた。


「ヘンリーも『あいつに伯爵呼びされた』って笑ってたな」


 私は顔を顰めた。

 当然じゃないか。こっちが5つも歳上なのだ、アメリア嬢には余裕ある大人の男だと思われたい。


「王宮の夜会の時はやけにすました顔で近づいてきたからどうしたのかと思ったが、あれもメリーが目当てだったわけだ」


 気づかれてたのか。まあ、私と叔父の仲だ。恥ずかしいけど、仕方ない。


「アメリア嬢には変なこと言わないでくださいよ」


「言わないわよ。メリーの夢を壊したら悪いし。でも、向こうは向こうで、ねえ?」


「そうだな」


 ふたりは目を合わせて笑ったが、私にはまったく意味がわからない。


「何ですか、いったい?」


「そのうちわかるだろ」


 やがて、コーウェン公爵夫人と子どもたちが到着したと知らせがあった。叔父一家が出迎えに行き、私はひとり居間に残った。

 しばらくして叔父一家と公爵夫人たちが居間に入ってきた。私に気づいたアメリア嬢が目を丸くしていたのが可愛らしかった。


 公爵夫人には子どもの頃に何度か会い、社交界デビューの時には公爵とご一緒のところに挨拶に行った。

 姉妹だけあってレイラ叔母とどことなく似た顔立ちに柔らかい微笑みを浮かべた様子は、まさに淑女だ。

 しかし、優しい雰囲気に油断はできない。きっと私がアメリア嬢に相応しい相手かどうか、じっくり観察しているに違いない。


 とりあえず、突然のことだったが概ね旨くいったのではないかと思う。

 公爵夫人は私の挨拶ににこやかに応じてくださったし、私はアメリア嬢の妹たちに気に入られたようだった。

 私は昔から従弟妹や甥姪、領地の子どもたちなど小さい子らに懐かれやすい。姉には「精神年齢が近いからでしょ」と言われるが。


 子どもたちが庭に出ていったので、私も公爵夫人の許可を得てアメリア嬢と一緒に出た。


 ようやくアメリア嬢とふたりになれたものの、子どもたちがはしゃぐ和やかな光景を彼女と並んで眺めていると、私たちの間に何とも穏やかな空気が漂っているようで、無理に話したりしてそれを壊すのがもったいない気がした。

 アメリア嬢もこの心地良さを感じているのだろうかと隣を伺うと、子どもたちのほうを見ていると思っていた彼女と目が合った。アメリア嬢は慌てたように視線を子どもたちへと向けた。

 もしかして、私を見ていたということなのだろうか。何ともこそばゆい気持ちになりながら、少しの間アメリア嬢を見つめていると、再び彼女が私を見上げ恥じらうように微笑んだ。




 この状況は、何かに対するご褒美なのだろうか?


 アメリア嬢が私に好意を向けてくれているなんて信じがたい。私は騙されているのだろうか。

 だが、あのアメリア嬢が人を騙すとはとても思えない。だいたい彼女がそんなことをしても何の得にもならない。


 アメリア嬢は夜会のドレスに限らず、身の回りのものも食事も教育も愛情も、公爵からすべて最高級品を与えられているはずだ。私の元婚約者とは違う。

 それでも彼女が私から得たいものがあるなら、むしろ自ら進んで差し出したい。

 というか、今は切実にアメリア嬢の欲しいものを教えてほしい。何か気の利いたものを贈りたいけど、何でも持っていそうな彼女に何を贈ればいいのかさっぱり思いつかない。


 元婚約者にも贈り物はしたが、母の用意した物を渡すことが多かった。こんな風に悩んだことは記憶にない。

 そもそも彼女と接する時は常に婚約者としての義務という気持ちが強くて、彼女を喜ばせたいと考えたこともなかった。婚約の経緯からどうしても私の中には彼女に対して屈託があった。私がそれでは彼女が心を開くはずもなかったのだ。

 彼女が姿を消した時も、彼女のために色々してくれた両親を裏切ったことに腹が立つばかりで、私自身は彼女との結婚がなくなって正直ホッとした部分もあった。


 だが、彼女と婚約していなければ、今頃私には別の婚約者あるいは妻がいて、アメリア嬢を想って悩むこともできなかっただろう。

 そう考えれば、あの時、私が転んだ令嬢を助け起こしたことは間違いではなかったのかもしれない。

 もちろん、元婚約者のしたことを赦すことはできないし、彼女に感謝などするつもりもない。だが、彼女が彼女の選んだ相手と幸せになっていれば良いと、初めて思える気がする。




 結局、2度目の約束の日に私が用意したのも、アメリア嬢が夜会で着ていたドレスと同じ黄色の花だった。それに加えて、弟妹たちと一緒に食べられるよう下町のお菓子をお土産用に買ってきた。


 驚いたのは、それらを渡した後だった。アメリア嬢が私に差し出した小さな包み。それを開くとでてきたのはハンカチだった。淡い水色の花が刺繍してあった。

 アメリア嬢が私のためにこんなことをしてくれたのだと思うと、感動しすぎて適切な言葉が見つからなかった。「大切に使います」なんて言ったものの、使えるはずがない。


 この日は仕事の都合であまりゆっくりできなかったうえ、次に会えるのは長期休暇が終わってからだった。辛い、泣きたい。


「どうかお元気で」


 そう口にしたアメリア嬢は微笑んでいたけれど、瞳が潤んでいるように見えた。彼女も私と同じ気持ちなのだろうか。

 あまりに心魅かれる表情に、ますます離れるのが惜しくなってしまったが、私もどうにか笑みを浮かべた。




 長期休暇中は都の人口は激減する、というのは貴族と一部の裕福な庶民にのみ当てはまることで、下町の活気にあまり変化はなかった。


 図書館で調べ物をしたり、宮廷の当番勤務を務めたりする一方、アメリア嬢に会えない憂さを少しでも忘れるために下町を歩きながら、やはり遠い地にいる彼女を想わずにはいられなかった。

 私は常にアメリア嬢からもらったハンカチを持ち歩いた。もちろん汗を拭くためではない。いつでも取り出して眺められるようにだ。


 アメリア嬢もたまには私のことを思い出してくれているのだろうか。

 最後に会った時の彼女の笑顔を頼りに、私は長く暑い季節を乗り切った。

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