出会いたい
公爵家の娘であれば、親の都合で婚約者が決められるものだと思うのだが、私にはいなかった。
自らお母様を妻にと望んだお父様にだって、自分が娘の婿を選ぶという発想がなかったわけではないだろうが。
そもそも、お父様とお母様は幼馴染だった。お母様は4つ歳下のお父様が赤ん坊だった頃を覚えているし、お父様はお母様のことをずっと「クレア姉様」と呼んでいたらしい。
しかし、そんな2人にもまったく会えなかった時期がある。前コーウェン公爵、つまりお祖父様は外交官だったため、そのお仕事の都合でお父様は6年間も外国で暮らしていたのだ。
帰国したのはお父様が17歳の時。どうしてお母様がそれまで独身だったのか詳しくは知らないけれど、ともかく、お父様はお母様に再会した日に求婚。お母様がそれを受け入れて、2人は無事に結ばれた。
この辺りの流れに、お父様の娘である私が驚くべき要素は特にない。お父様らしいと思うだけだ。
そんな両親の話を幼い頃から聞いて育ったため、私もいつか素敵な誰かに求婚されるのだとぼんやり思い描いていた。
しかし、幼馴染と言って私の頭に浮かぶのは歳下の従兄弟たちで、私の恋愛対象にはならなかった。
もう少し成長してから、ヘンリー叔父様とエマ叔母様は学園の同級生だったと聞いて、私もそこで出会いがあるのではと新たな期待を抱いた。
お母様の弟であるヘンリー・バートン伯爵は、お父様とは異なる方向で変わった感じの人だけど、女性を見る目は間違いなくあるのだろう。エマ叔母様はヘンリー叔父様にはもったいないくらい良い人だ。
でも期待とは裏腹に、14歳になって学園に入学してみると、私は何となく遠巻きにされた。
後に知ったことだが、国王陛下とも縁戚にある公爵令嬢の肩書きに加え、お父様譲りの顔立ちのせいで男子からは高嶺の花、女子からは近寄りがたいと思われてしまったらしい。
同じクラスにヘンリー叔父様の娘セシリアがいたので孤立はせずに済み、そのうちに同級生たちと打ち解けることもできた。
すると今度は、見た目と中身の落差に驚かれたりした。「思ったより話しやすい」とか、「意外と姉御肌」とか。
そうこうするうちに、周囲では次々と婚約が結ばれていき、セシリアにも2歳上の婚約者ができた。私は取り残された。
痺れを切らした私は、2人きりになれた折にお母様に訊いてみた。私に婚約の申し込みは来ていないのかと。お母様の返事は簡潔だった。
「たくさん来たわよ」
「それなら、候補くらいはいるのですか?」
「いないわ。お父様が全て断わったの」
「私の婚約について、お父様には何かお考えがあるのでしょうか?」
私は僅かな望みに賭けてそう尋ねたが、お母様の答えは予想どおりだった。
「考えていない、というか、まだ考えたくないのでしょうね」
「それならば、お母様のお考えは?」
「私は、できれば結婚相手はあなた自身に選んでほしいわ」
「だけど、私には外国に住んでいて婚約者のいない幼馴染なんていません。のんびり探していたら、今は候補になり得る人にもすぐに婚約者が決まってしまいます」
私の言葉にお母様はクスクスと笑った。
「まだ焦らなくても大丈夫よ。私だって求婚されるまではお父様と結婚するなんて考えたこともなかったわ。今ではお父様やあなたたちのいない人生なんて想像もできないけれど」
「お母様はお父様と結婚して幸せなんですね」
あんな困った人なのに、とは口にしなかったが、お母様には私の心の声が聞こえたかもしれない。
「もちろん、とても幸せよ」
結局のところ、お父様とお母様は相思相愛なのだ。だからこそ、お母様は私がそういう関係を築ける相手を自分で見つけろと言う。
「ところで、あなたの社交界デビューのことなんだけど」
「はい」
15歳になった私は、次の王宮の夜会がデビューの舞台となる予定だった。
王宮なんて普通のデビュタントなら緊張するのだろうが、私にとってはお祖母様のご実家であり、王族方は親戚なのでむしろ心強い。
「お父様がドレスのデザインを決めてくれたわよ」
そう言って、お母様は私の前に一枚のデザイン画を取り出した。そこに描かれていたのは、私が着たことのないような大人っぽくて品のあるドレスだった。紙には生地の切れ端も貼り付けてあった。色はほんのりとした水色。
私は思わず溜息を吐いた。
「綺麗」
「私がお父様と婚約して初めてもらったドレスも淡いブルーだったけど、これはさらに繊細な色ね。出来上がりが楽しみだわ」
「私に似合うかしら?」
「大丈夫。お父様の目は確かよ」
そう言うお母様だが、結婚してしばらくするまではお父様がお母様のドレスを選んでいたことを知らなかったそうだ。
私などは、物心ついた時にはお父様が選んでくれるのが当たり前だったので、セシリアや他の子は違うと知って驚いたものだったけど。
「そう言えば、レイラはデビューの夜会でユージンと知り合ったのよ」
「そうなのですか?」
私は目を見開いた。
お母様がお父様と再会して求婚されたのが王宮の夜会だとは聞いていたけど、私はすでにふたりのことを参考にする気はなかった。
だけど、レイラ叔母様もとなれば話は別だ。なるほど、大勢の人が参加する王宮の夜会は出会いの場に違いない。
ユージン・ウォルフォード侯爵はお父様やヘンリー叔父様に比べて体が一回りほど大きく、とても優しい人だ。レイラ叔母様との仲は良い。
「私にも素敵な方との出会いがあるといいのですけど」
「そうね。でも、まだお父様を驚かせないであげてね」
「わかっています」
私は大きく頷いた。
2か月後、いよいよ私のデビューの日が来た。
私の夜会ドレスの実物はさらに素晴らしかった。
私が部屋でドレスを纏ってから皆の前に出ていくと、お母様や弟妹、さらにお屋敷と同じ敷地内にある別邸から見に来てくれたお祖父様お祖母様も褒めてくれた。お父様だけは感慨深げに私を見つめるだけで無言だ。
「お父様、素敵なドレスをありがとうございます」
私はお父様の前でくるりと回ってみせた。スカートがふわりと美しく靡いた。
お父様は眉間に皺を寄せてコクコクと頷いた。
私はお父様とお母様と一緒に王宮へ向かった。もちろん、お母様のドレスもお父様が選んだもので、お母様にとてもよく似合っていた。私のドレスと同系色の深い青色なのは、きっとお父様のこだわりだ。
婚約者がおらず兄弟も従兄弟も歳下ばかりの私は、エスコートを頼むのに適当な相手が見つからなかったため、お父様がお母様と私をエスコートしてくれた。
私の初めてのダンスもお父様とになった。この日のために、私はお祖母様の特訓を受けてきた。だが、いざ踊り始めると、私よりもお父様のほうが固くなっていた。
「本番でクレア以外の女性と踊るのは初めてなんだ」
「練習では他の方とも踊ったんですか?」
私にはそちらのほうが意外だった。
「お祖母様とだよ」
「ああ、何だ」
「それと、カイル」
カイル様は隣国の王弟殿下だけど、お父様とは学生時代からのお友達だ。私も何度かお会いしたことがある。
「女性ではないですね」
「うん。踊りにくかった」
お父様は懐かしそうに笑った。おかげで無駄な力が抜けたのか、ステップが滑らかになった。
私とお父様がダンスを終えてお母様のところに戻ると、叔父様や叔母様方が合流していた。セシリアもやはりこの夜会がデビューだが、婚約者と一緒にいるのでご両親とは別行動だそう。
そこでも私のドレスはひとしきり褒められた。レイラ叔母様などは「今夜のメリーは一段と麗しい天使ね」なんて大袈裟なことを口にした。
お父様とお母様は2人で一曲踊ってから、色々な方にご挨拶へと向かった。
私はそのまま残り、ヘンリー叔父様やユージン叔父様とダンスをしたり、レイラ叔母様やエマ叔母様とお喋りをしたりした。本当は私も会場内を歩き回りたかったが、お父様に皆と一緒にいるよう言われていた。
せめて同年代の男性がダンスに誘ってくれないかと密かに待っていたのだが、誰も私に声をかけに来てくれなかった。会場には人が溢れ、皆が入れ替わり立ち替わりダンスをしているというのに。
私は少し哀しくなった。叔父様方と一緒にいるからだろうか。それとも、やはり私の外見は声をかけにくいのだろうか。
と、その時、少し離れた場所からユージン叔父様を呼ぶ声が聞こえた。叔父様がそちらを見て応えた。
「ルパートか」
私たちのほうに近づいてきたその男性は、ユージン叔父様と同じくらい背が高いためか、何となく周りから浮き出て見えた。
彼は皆と挨拶を交わし、最後に私を見た。
「ああ、ふたりは初めて会うのよね」
レイラ叔母様の言葉に私も彼も頷いたけど、彼は言った。
「でも、すぐにわかりました。コーウェン公爵家のアメリア嬢ですよね。初めまして」
「初めまして」
「メリー、これは私の甥のルパートだよ。マクニール侯爵の嫡男だ」
ユージン叔父様が私にルパート様を紹介してくれて、ルパート様と私は互いに紳士淑女の礼を交わした。
再びルパート様を見上げると、ルパート様も私を見つめていた。何となく、今までにないふわふわしたものを胸の中に感じた。
「今日がデビューなんですよね?」
「はい。どこかおかしいですか?」
「いえ。その割に堂々として見えるので。ああ、こんなことを言うのは失礼ですね」
私はすぐに首を振った。
温和そうなお顔のせいか、それとも穏やかな口調のためか、ルパート様からは嫌味な感じは受けなかった。
「その辺りはさすがお姉様の娘よね」
レイラ叔母様の言葉に、ユージン叔父様が首を傾げた。
「いや、意外とセディのほうじゃないか。王族の血を引いてるんだから」
「そう言えばそうね」
どちらに似たのでも構わないけど、ルパート様に悪い印象を持たれていないかと、私はなぜかそんなことが気になった。
だけど、ルパート様は笑顔のままで私に言った。
「アメリア嬢、良かったら私と踊りませんか?」
思いがけずやって来た初めてのお誘いに、私の心は弾んだ。
「はい。あ、でも……」
咄嗟に頷いてから、私はお父様の言葉を思い出した。
「大丈夫だから行ってこい。セディはまだしばらく戻らないし、こっちを気にする余裕なんかないだろ」
ヘンリー叔父様にそう言われて、私は改めてルパート様に頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
私はドキドキしながら、ルパート様の差し出した大きな手に自分の手を重ねた。