ちっぽけな男(ルパート)
他者視点を入れる予定はなかったのですが、やっぱり必要かなと思い直して書きました。
よろしくお願いいたします。
私は凡庸な人間だ。
顔立ちは地味で、あまりパッとしない。背が高く、体は丈夫だけど、運動神経は人並み程度。
頭の出来も悪くはないが、特別良くもない。
ただ、コツコツと努力することが苦にならない性格で、何事もそれなりに身につけてきた。これは長所だと思う。
それから、幼い頃から姉ふたりに常々「女性には優しく」などと躾られ、女性に対するマナーや接し方などを色々仕込まれてきた。その結果、女性に逆らってはいけないという教訓も得た。
とにもかくにも、凡庸ながらもマクニール侯爵家の嫡男として及第点と言えるくらいにはあったはずだ。
では、私はいったい何を間違えたのだろうか?
12歳の時、私に婚約者ができた。
我が家にとって不本意なその婚約が決まった時、姉たちには「優しくするにも時と場合を考えなさい」、「まったく間抜けね」と言われ、父には「運が悪かったんだ」と慰められた。
母は「縁あってあなたの婚約者になったのだから、仲良くしてあげましょう」と言い、実際に親身になって彼女の世話を焼いていた。
母ばかりに押しつけるわけにはいかず、私も彼女を婚約者として大切に扱ったつもりだった。
彼女も徐々に打ち解けてきたように見えた。
しかし5年後、彼女は姿を消してしまった。
呆然としながらも、私は両親への申し訳なさでいっぱいだった。
さらに、私を糾弾するような噂が流れ出し、私は都から逃げ出した。
領主館に引き篭もって怠惰な生活を送ることも考えたが、結局、私自身の性格がそれを許さなかった。
私はこの機に領地経営を学ぶことにした。書類に目を通したり、あちこち視察してまわったり、時には農作業を手伝ったり、馬車の操縦法を覚えたりもした。
私には領地での生活のほうが向いているのではと何度も思ったが、いつまでも領地で暮らし続けるわけにもいかなかった。
両親たちの心配は理解していたし、私は侯爵家の嫡男なのだから社交界に戻らなければならなかった。
3年で都に帰ると、昔から私を弟のように可愛いがってくれているユージン叔父の勧めもあって、宮廷に入ることにした。
宮廷では内務官室に配属され、ヘンリー叔父が同僚になった。
ヘンリー叔父は正確には私の叔父ではなくユージン叔父の義兄だが、やはり小さい頃から知っているので叔父と呼んでいた。
ユージン叔父は、私を宮廷内の様々な知己に紹介してくれた。
その中に、陛下の秘書官で、私が領地にいた間に爵位を継がれたコーウェン公爵がいらっしゃった。
コーウェン家は我が国では知らぬ者のない名家で、現公爵は国王陛下の従弟にあたるが、叔父の義兄でもあった。
社交界デビューの時に初めてお会いしたコーウェン公爵の印象は、同性の私から見てもとにかく綺麗な方というものだっだ。
2度目となる今回は、さらに冷たそうという印象が加わった。公爵からの言葉はほとんどなく、ただ無表情で睨み上げられた。顔立ちが美しいので、それが余計に怖かった。
後で叔父が「あれは気にしなくて大丈夫だ」と笑ったが、やはり気になった。
叔父たちに聞いたところでは、公爵は愛妻家で子煩悩という話だったはず。
知らぬうちに私は何かしてしまったのだろうか? それともあの噂を知っていて、よく顔を出せたなという意味なのか?
まさか、この時の公爵に近い未来に起こることが見えていたはずはないだろう。
社交の場に出ることはまだまだ気が重かったが、宮廷に入った以上、王宮の夜会に顔を出さないわけにはいかなかった。
それでも私は悪足掻きして、可能な限り遅刻して会場に向かった。
大広間では知った顔もチラホラ見かけ、学園の同級生などには驚かれたりもした。
その中のひとりが私に尋ねた。
「おまえ、コーウェン公爵と親戚だったよな?」
「公爵夫人の妹の夫の姉が、私の母というだけだが」
「……とにかく、関係はあるんだな。だったら、令嬢とも知り合いなのか?」
レイラ叔母たちからコーウェン家の5人の子たちについては何度も聞いたことはあった。子息がふたりに、令嬢が3人。
「いや、会ったことないが、なぜそんなことを訊くんだ?」
「令嬢は今日がデビュタントなんだが、とにかく美しい方なのにまだ婚約者がいないらしくて、今や会場中の独身男が狙っていると言っても過言ではない」
今日がデビュタントなら、おそらくその令嬢は公爵の長女アメリア嬢のことだ。
確かレイラ叔母は「アメリアは天使みたいに可愛いのよ」と言っていたが、会場中の男がというのはさすがに過言だろう。
「エスコートとファーストダンスは公爵がなさっていたが、あんな見目麗しい父娘は初めて見たな」
まったく、いちいち大袈裟だ。
「興味があるならダンスに誘えばいいだろ」
「それが、公爵夫妻と離れてからも、まるで彼女を守るようにそばにピタリとついている方々がいて、なかなか近づくのは難しそうなんだ」
私は半ば呆れながら彼と分かれた。
広間の隅から会場をぼんやり眺め、そろそろ帰ろうかと考えていると、ふいにダンスをしている人々の群れの中にユージン叔父を見つけた。パートナーは後ろ姿しか見えないが、レイラ叔母ではなかった。
しばらく見つめているうちに、叔父とパートナーの位置が入れ替わり彼女の顔が窺えて、私は息を呑んだ。
遠目でもわかるほどに美しいあの女性が、コーウェン公爵令嬢に違いなかった。公爵によく似ている。
私は先ほど同級生と会話を交わしながら考えていたことも忘れ、コーウェン公爵令嬢から目を離せなくなってしまった。
冷たい表情だった公爵と違い、楽しそうに笑っている令嬢は輝いて見えた。彼女と踊る叔父が羨ましかった。
令嬢と叔父がダンスを終えて退がっていくところまで見守ってから、私はしばらく悩んでいたが、やはり初対面とはいえ一応親戚という立場を大いに利用して彼女に近づくことにした。
どうせ私などが彼女に選ばれるはずもないのだから1度くらい、という自嘲の気持ちも大きかった。
あくまで叔父への挨拶が目的ですという顔をして、私はコーウェン公爵令嬢のいるほうへと歩いていった。
幸運なことに、令嬢のそばにいたのはユージン叔父夫妻とヘンリー叔父夫妻で、私は実に自然な流れでコーウェン公爵令嬢に紹介された。
間近に見る彼女は美しさの中に可愛いらしさもあって、私には彼女の魅力を形容するに相応しい言葉が見つけられそうになかった。
彼女は私のダンスの誘いをあっさりと受けてくれた。嬉しそうに顔が綻んだのは私の目の錯覚かもしれない。
私はコーウェン公爵令嬢の小さな手を引いて、ダンスの輪に加わった。舞い上がっているのを押し隠すのに必死で、彼女とどんな会話を交わしたのかもよく覚えていない。
あっという間に私と彼女のダンスは終わってしまった。私と分かれた彼女は瞬く間に他の男たちに囲まれた。
私は叔父たちにもう1度挨拶してから、そのまま出口に向かった。彼女が他の男と踊る姿など見たくなかった。
短くも幸せだった思い出だけを胸に抱え、私は帰途に着いた。
その後、夜会でコーウェン公爵令嬢と踊ったことについて、あの時の同級生たちから妬まれたりもしたが、「叔父に挨拶に行ったら彼女が一緒にいて、流れでああなっただけだ」とあながち嘘でもない説明で誤魔化した。
どうせあれが最初で最後。忘れよう、忘れなければ。そう思い、私は早く仕事に慣れようと励んだ。
しかし、私は気づけば彼女の笑顔や小さな手、私を見つめた瞳のことを思い出してしまった。忘れるどころか、彼女への思慕は強くなるばかりで、どうすればまた彼女に会えるかと考えもした。
しょっちゅう訪れる叔父の家で、今まで彼女に会ったことはなかった。せっせと夜会にでも通ったほうが可能性は高いだろうか。できれば行きたくないが。
もっとも確実なのは叔父夫妻に頼むことだが、そうする勇気は出なかった。
姉たちからは、顔を合わせるたびに「そろそろ真剣に結婚を考えろ」と迫られた。
私の気持ちを慮って両親がはっきりと言えずにいることを、姉たちが代わりに口にしていることも理解していた。
しかし、私にはまだ結婚など考えられなかった。最終的には、姉の子を養子にすればいいという気持ちもあった。
もしも相手が彼女ならという妄想は、頭の隅に追いやった。
そのまま数か月がたったある日、私は宮廷でユージン叔父から「今夜、来ないか?」と誘われた。こういうことも珍しくない。私はすぐに応じた。
仕事が終わってから、私は叔父の馬車に同乗し、王宮を後にした。ウォルフォード家の屋敷に着くと、表に他家のものらしい馬車が止まっていたが、すでに暗くてどこの家のものかまでは確認できなかった。
叔父について屋敷の中に入った私は、とうとう願望ゆえの幻を見たのかと疑った。
レイラ叔母の隣に、コーウェン公爵令嬢が立っていた。叔父が彼女に呼びかけたので、私が目にしているのは幻などではないとわかった。
私はまた彼女に会えたのだ。
この夜も私の気分はすっかり高揚したものの、どうにか彼女と会話を交わした。夜会のことでお礼を言い合ったり、彼女のドレスは公爵が選ぶと聞いて驚いたり、彼女がなかなか私のほうを見てくれず、なのに1度こちらを向けばしばらく見つめてくるのでドキドキしてしまったり。
しかし、やはり楽しい時間はあっという間だった。
私はコーウェン公爵令嬢と一緒に外に出て、彼女を馬車まで送った。再び彼女に会える日は来るのだろうかと考えながら歩いた。
ふと湧いてしまった、また彼女の手に触れたいという己の欲求に負け、私は馬車に乗り込む彼女に手を差し出した。
彼女は何も気づかぬまま、私のちっぽけな望みを叶えてくれた。
だが、そんな私に対し彼女は最後にこう尋ねたのだ。
「また私と会っていただけますか?」
今度は幻聴? いや、違う。暗くても、彼女の目はまっすぐに私を見つめていた。
「はい。是非また会いましょう」
彼女の顔に安堵するような笑みが浮かび、私の心も浮き上がった。
彼女と会うためにはいつどこで落ち合えばいいのか。選択肢などほとんどなく、悩む必要もなかった。
私はレイラ叔母からコーウェン公爵夫妻と令嬢が参加する夜会について情報を仕入れ、足を運んだ。
そこで無事に彼女を見つけたが、他の男とダンスの最中で、やはりあれは夢だったのかと逃げ帰りたくなった。
しかし、どうにか思い留まり、やはり会場にいたヘンリー叔父夫妻のもとに行った。
「ああ、来たな」
ヘンリー叔父は私に気づくとニヤニヤと笑った。
どうやら私が来ることをユージン叔父あたりから聞いていたらしい。
「こんなところで待ってないで、あの男からメリーを奪ってきたらどうだ?」
「そんなことできるわけありません」
「ま、とりあえず頑張れよ。おまえたちのことを知ったらセディがどんな顔をするのか、今から楽しみだ」
あのコーウェン公爵について平気な顔で軽口を叩くのは、ヘンリー叔父くらいではないだろうか。この人に裏表があるとは思えないので、本人の前でも気にせず言ってそうだ。
そんなことができるのは公爵夫人の弟だからなのか、あるいは幼馴染ゆえなのか。私にはわからないが、今ばかりは尊敬に値する存在かもしれない。
コーウェン公爵令嬢はさらに別の男と踊ってから、ヘンリー叔父のほうへと戻ってきた。私の姿を見てわずかに驚いた表情を浮かべたが、それだけだった。
私はモヤモヤした気持ちに抗えず、つい大人げない行動をとってしまった。疲れているであろう彼女をダンスに誘ったのだ。
わざわざ「お疲れでなければ」なんて口にした己の醜さが嫌になったが、やはり彼女は可憐に笑って私の手を取ってくれた。
私はここから挽回しようと必死に言葉を紡ぎ、さらにダンスの後にはウォルフォード家で会う提案をして、何とか約束をすることができた。
本当は迷惑がられていないかと不安にもなったが、彼女の表情からはそんな様子は伺えず、とりあえず安堵した。