お父様にも報告
宮廷から帰宅したお父様をお迎えする頃には、私の表情はどうにか私の意志に従ってくれるようになっていた。
それでも夕食の間、私は落ち着かない気分だった。
食事が終わって居間に移ると、いつものようにソファに座ったお母様を家族皆で囲んだ。
ノアは昼に家庭教師から教わったことを語り、ロッティは新しいリボンを強請り、アリスは仲良しのお友達の話をした。メイはお母様にべったりとくっついてニコニコしている。
弟や妹たちの話が済むまで待つつもりで一歩退がると、そばをウロウロしているお父様の姿も目に入った。
私にとってあまりに日常的なこの光景から私がいなくなる日が、そう遠くない将来訪れる。
そう考えると少し感傷的になってしまい、ルパート様と新しい日常を作るのだと思い直した。
とりあえず、もうしばらくはお父様やお母様、そして弟妹たちとの日常を過ごそうと決め、お父様の腕を掴んで、引いた。
お父様は哀しそうに私を見つめた。
「僕もクレアに聞いてほしいことがあるんだよ」
ちょっぴり情けない表情だけど、お父様は本当にお母様が大好きなのだ。もちろん、お母様だって。
いつまでたっても仲の良い、私の理想の夫婦。
「私たちが終わってからお父様でしょう。きちんと順番を守らないと、またお母様に叱られますよ」
私は腰に手を当てて、お父様に厳しい顔を向けてみせた。あちらから、お母様が申し訳なさそうな表情で私に頷いてみせた。
お父様は目を見開いて私を見つめ、それから嬉しそうに笑った。
「最近メリーはますますクレアに似てきたね」
本当にそうなら嬉しいですが、お母様には中身もお父様に似ていると言われましたよ。最近は自分でもそう思います。
「私もお母様も長女だからではありませんか」
「そうだね。いつも皆の面倒を見てくれてありがとう」
必要だと思えば、謝罪も感謝も伝えることを厭わない。私もお父様のそういうところこそ真似たいと思う。
「お父様も、たまにはお母様と一緒にあの子たちの話を聞いてあげたらいかがですか?」
皆だってお父様のことも大好きだから、話を聞いてもらえれば喜ぶはず。
そして何より、これから私がする話はお父様に聞いてもらえないと意味がないのだ。
私の思惑など気づかずに、お父様は感心したような声をあげた。
「なるほど。そうすれば、僕は堂々とクレアの隣にいられるわけだ」
「いえ、そういうことではなくて……」
私が最後まで言い終えないうちにお父様は皆の中に入っていき、メイを抱き上げて自分がお母様の隣に収まると、メイはそのまま膝に乗せた。こんな時ばかりの早業だ。
「僕にも皆の話を聞かせて」
メイが吃驚したのは一瞬だけで、やはりお父様に抱かれて嬉しそうだった。
仕方ないわね、という顔でお父様を見てから、お母様が私を手招きした。ついに来た。
私は緊張を覚えつつ、家族の輪に加わった。
「メリーは何かある?」
お母様の問いに、私はゆっくりと口を開いた。
「お母様に報告があります」
お父様のお顔を見て演技する自信がなくて、私はお母様だけを視界に入れた。
「あら、何かしら?」
「実は、求婚されました」
知らせていなかったロッティとアリスが、きゃあとはしゃぎ声をあげた。
「ええええ。メリー、結婚なんてまだ早いよ」
お父様の大きな嘆きには、一時的に耳を塞ぐことにした。
「まあ、相手はあの彼?」
お母様が尋ねた。本当に初めて聞いたような表情だ。
「はい。ルパート様です」
「誰? ルパートってどこの誰?」
「それで、お受けしたのね?」
お母様もお父様を放っているので、やはり後ろめたいのかもしれない。
「はい。よろしいですか?」
「よろしくないよ。その人、何で先に僕のところに挨拶に来ないの?」
「もちろんよ。おめでとう」
お母様が私を抱き寄せ、私もしっかりとお母様の背中に両腕を回した。
「ありがとうございます」
弟妹たちも口々に「おめでとう」と声をかけてくれた。
「ちょっと、何で皆そんなに呆気なく受け入れてるの? この家の当主は僕だよ」
私はお母様から離れて、いよいよお父様と向き合った。お父様は目に涙を浮かべていた。
私の胸がちょっぴり痛んだけれど、ここで退くわけにはいかなかった。
「逆に、なぜお父様はルパート様の名前もご存知ないのですか? 今までもこの時間を利用してお母様にルパート様のことはお話ししてきましたから、お父様のお耳にだって入っているはずです」
ここでは「ルパート様」ではなく「マクニール侯爵子息」とか、1度など「ルー」なんて呼ばれていたけれど。
「ルパート様ね、優しくて、僕好き」
お母様との約束どおり、メイがお父様を見上げてはっきりと言った。
「ルパート様が義兄上になるなら、何の心配もいりませんね」
ノアも彼らしく援護してくれた。ロッティとアリスまで続いた。
「いつも美味しいお菓子とか綺麗なお花をお姉様にくれるのよ」
「ねえ」
「そんなもので釣られたら駄目だよ。というか、皆会ったことあるの?」
「ルパートはユージンのお姉様のご長男よ。あなたも1度くらい会ったことあるのではない?」
正確には3度だそうです。
「ユージンの甥? そういえば、何年か前に宮廷に入ったって挨拶に来てくれたかも。顔はよく覚えてないけど」
いえ、我が家の夜会でお会いしたばかりですし、さすがに覚えているはずです。
「でも、メリーに求婚するなんて挨拶は絶対になかったよ」
「きっと近いうちにあるわよ」
そうそう、後で週末のお父様お母様の予定を伺わないと。
不満そうなお父様に、お母様はにっこり笑って対した。
「ルパートは真面目な人だし、メリーを大切にしてくれているわ。挨拶に来てくれたら、決してルパートを無碍に扱ったりしては駄目よ」
「でも、メリーはまだ17歳だよ」
お父様はむっつりと言った。
「あなたは私と結婚した時の自分の歳を覚えていないの?」
「……17です」
「あなたは求婚と父親への挨拶の順番をどうこう言えるの?」
「……言えません」
お母様がお父様との距離を詰めた。こんな時のお母様がどんな表情をされているのかは、私もまだ知らない。
「いいわね、セディ?」
お母様の普段より少しだけ低い声に、お父様は急いでコクコクと頷いた。
「お父様も認めてくださって良かったわね、メリー」
私を振り向いた時には、すっかりいつものお母様だ。私もすかさずお父様に頭を下げた。
「お父様、ありがとうございます」
当然、お父様は納得できてはいない様子だ。
「あ、う、うん……。ええと、ルパートって婿に来てくれるのかな?」
「ルパートは長男だと言ったでしょう。だいたい、家にはノアもメイもいるのよ」
お母様が顔を顰めた。
「だって、メリーがいなくなったら淋しい」
「それはそうだけど、会えなくなるわけじゃないわ」
何だか、執務室でメイと交わした会話と同じような内容だった。
私も付け足した。
「それにお父様、とりあえず婚約するだけで、今すぐにこの家を出て行くわけではありませんから」
「本当? 2か月後には結婚とか、婚約してすぐ一緒に暮らすとかしない?」
「結婚には色々と準備が必要ですから、そんなことできませんよ」
私だって、まだこの家族の中から出て行く覚悟はできていない。それにルパート様は焦らなくて良いと言ってくださった。
お父様が確認するようにお母様の顔を見ると、お母様は安心させるような笑顔で頷いた。
「あなたと私みたいに、メリーもルパートと幸せな結婚をできるよう、私たちにできることをしてあげましょう」
「クレアと僕みたいに?」
「ええ」
「……うん。わかった」
お父様がようやく折れてくださった。
ホッとした私は、お父様へのあのお願いも口にした。
「お父様、私、お父様にウェディングドレスのデザインを決めてほしいわ」
「あら、ルパートに選んでもらわなくていいの?」
お母様に訊かれ、私は頷いた。
「ルパート様もそれがいいって言ってくれたわ。ね、いいでしょう?」
私が小首を傾げて頼むと、お父様の表情に少し明るさが戻ってきた。
「うん、いいよ。じゃあクレア、さっそくドレスの仕立て屋に注文して」
「でもその前に、あちらと正式に婚約を結ばないと」
お母様の冷静な言葉に、お父様の肩がまた落ちた。
「ああ、そうだね」
お読みいただきありがとうございます。
ようやく1話の場面まで辿り着きましたが、こんなにかかるとは予想していませんでした。
よろしければもう少しだけお付き合いくださいませ。