向けられた悪意
ルパート様を信じて、大人しく待っているべきなのかもしれない。だけど、お母様に言われたように、後で悔いることになるのは嫌。
悩んだ末、私は学園帰りにレイラ叔母様を訪ねた。
「最近は、ルパート様はこちらにいらっしゃってますか?」
「ええ、来ているわよ」
「次はいつ来られる予定ですか?」
「いつも約束して来るわけじゃないのよ。気が向いたら突然、って感じで」
「そうなのですか」
それならば、以前のようにユージン叔父様にお願いしてルパート様を連れて来ていただくのが確実だろうか。
「だけど、このところ忙しいみたい」
「お仕事が、ですか?」
「お仕事もそうだし、社交の場にも出ているらしいわ。次期侯爵として、いつまでも逃げていられないからって」
確か、夜会でお会いした時に私にも同じようなことを仰っていた。
そうだ、あの時は私とダンスをしたいとも言ってくださったのだ。なのに、あれから1度もルパート様とダンスをしていない。
「どちらに行かれるのか、今後の予定はわかりますか? 私も出席できるところなら、行きたいのですが」
私は我が家に届く招待状の山を思い浮かべた。お父様とお母様が出席されなくても、代理という形を取れるだろう。どうにかしてお父様の許可を得なければならないけれど。
「来週、夜会に出ると言ってたわね。私たちも出席するから、一緒に行く?」
「いいんですか?」
「アシュリーにエスコートさせるなら、セディも許してくれるでしょう」
「是非お願いします」
私はレイラ叔母様とユージン叔父様、そしてお母様の後押しのおかげで、無事にお父様のお許しを得ることができた。
そうして連れて行ってもらえた夜会だったが、結局ルパート様にお会いすることはできなかった。
「私が来ると察して、出席を取りやめてしまったのでしょうか」
私の言葉に、ユージン叔父様もレイラ叔母様も苦笑された。
「いや、おそらく仕事のほうの都合だよ」
「ルパートのことは残念だったけど、せっかく来たのだからそんな顔してないで楽しみましょう」
「はい」
私は気を取り直して笑みを浮かべた。
翌週には、お父様お母様と夜会へ行った。
さらに次の週には再びレイラ叔母様方と夜会に出掛けた。ルパート様のお父様であるマクニール侯爵主催の夜会だった。
今度こそルパート様に会えるという期待で、私の胸は膨らんでいた。
会場に着くと、私はウォルフォード一家とともにマクニール侯爵夫妻にご挨拶に行った。
アシュリーにエスコートされた私がコーウェン家の娘だと聞いて、侯爵夫妻は興味深そうに私を見つめていた。
夫妻から離れた後で、私はレイラ叔母様に尋ねた。
「もしかして、ルパート様のご両親も私のことをご存知なのですか?」
「もちろん知っているわよ。あのとおり、今は静観の姿勢でいらっしゃるけどね」
「私、こんな形で来てしまって良かったんでしょうか?」
「大丈夫。本当はメリーのこと大歓迎したいはずだから」
「メリー、ほら、あそこ」
アシュリーの示したほうに目を向けると、ルパート様のお姿が見えた。同年代の方々とお話されているようだ。
「行く?」
私は少し迷ってから首を振った。
「今夜は主催側で色々大変でしょうから、後にするわ」
「そう」
私はアシュリーとダンスをした後は叔父様叔母様のそばで広間を眺める振りをしながら、ルパート様のお姿を目で追っていた。男性方からダンスへのお誘いはあったけれど、それを受ける気にはならなかった。
ルパート様はダンスはせずに、侯爵家の嫡男として挨拶回りをされているらしかった。
私に気づいてほしいという気持ちと、やはり押しかけるような真似はしなければよかったという気持ちがせめぎ合っていた。
叔母様たちに断わって、私は飲み物をいただきに隣の部屋へ行き、そのままバルコニーへの出口近くに立った。
ふいに聞き覚えのある声がしてそちらを見ると、広間からバルコニーへと3人の令嬢が出てきたところだった。
「婚約する予定だったお相手があの方に惑わされて、婚約が延期になったのですって」
「でもあの方は、どこかの国の王族か貴族との婚約が決まっているとお聞きしましたわ」
3人のうちのふたりは学園の同級生だった。あとのひとりも1学年上にいた令嬢だ。
私は彼女たちのほうへ行こうとして、踏み留まった。何となく、教室で顔を合わせる時と雰囲気が違う。
「それなら、男漁りのようなことは早くおやめになればよろしいのに」
「まだ遊びたいから婚約を発表されないのよ」
「コーウェン家の令嬢でしかもあのご容姿なら、いくらでも殿方は寄ってくるでしょうね」
気がついた時には、私は柱の陰にしゃがみ込んでいた。立ち上がらなければと思っても、足に力が入らない。
「何も知らないようなお顔をして、怖い方だわ」
「こんな場所ですべき会話ではありませんね」
新たに耳に届いた声に、私は息を呑み、柱の陰からそっとバルコニーを覗いた。
3人の令嬢と対峙するように、ルパート様が立っていた。
「あら、あなただって被害者ではありませんか。まさかお気づきではないのですか?」
「あなたみたいな方、あの方が本気でお相手していると思っていらっしゃるの?」
私ばかりか、ルパート様のことまで、面と向かって傷つけるようなことを言うなんて。バルコニーに出て行って、私が何か言い返さなければ。
だけど、体が震えて言うことを聞いてくれなかった。
「私とあの方との間のことをあなた方に説明するつもりはありませんが、さっきのことを本気で仰っているなら、貴族のご令嬢として人を見る目を養われたほうが良いでしょうね」
ルパート様の声はいつもより冷たく聞こえた。
「なっ……」
「失礼ではなくて?」
「申し訳ありませんが、あなた方をもてなせる器量を私は持ち合わせておりません。お帰りいただくことをお勧めします」
「もちろん、そういたしますわ」
3人の令嬢たちが広間に消えると、ルパート様は溜息を吐き、それから私のほうへと歩いてきた。私は慌てて柱の陰に身を隠した。今だけは見つけてほしくない。
そう思って身を縮めていたのに、部屋の中に入ったところで立ち止まり、ぐるりとあたりを見渡したルパート様と目が合ってしまった。
「アメリア嬢、大丈夫ですか?」
ルパート様は慌てた様子で私のそばに膝をついた。
「はい、大丈夫です」
そう答えた声は情けなくも震えていた。
ルパート様に見つかりたくなかったはずなのに、以前と変わらない優しい眼差しにひどく安心して、熱いものが頬を流れ落ちた。
「す、すみません」
こんな人目のある場所で座り込んだうえ、泣き出すなんて恥ずかしい。
「これを使ってください」
ルパート様に差し出されたハンカチを受け取って、急いで涙を拭った。
「あちらに行きましょう。立てますか?」
私はルパート様に支えられて、導かれるまま別の部屋へと移動し、そこにあったソファに腰を下ろした。
ルパート様は1度部屋を出て行かれたけれど、すぐに戻ってきて私の隣に座った。扉は開いたままだ。
「叔父上たちには伝言を頼みました。しばらくここで休んでください」
ルパート様の声は普段どおりの穏やかなものだった。
「ありがとうございます」
「……あれを、聞いていたのですね」
私は頷き、膝の上でハンカチを握り締めた手を見ながら口を開いた。
「私は、誰かに悪意を向けられることがどういうことなのか、まったくわかっていませんでした。母はいつも毅然としていましたから。それとも、私が弱すぎるのでしょうか?」
「そんなことはありません。突然あんなことを聞かされたのですから、あなたの反応は当然のものです」
「私のせいでルパート様にまで嫌な思いをさせてしまって」
「アメリア嬢のせいではありません」
ルパート様はきっぱりと言い切った。
私はルパート様を見上げた。ルパート様も私をまっすぐに見つめていた。
「大人しく待てなくて、すみません」
「いえ、こちらこそ中途半端なことをして申し訳ありませんでした」
「中途半端?」
「正直に言うと、あなたのような方の相手が本当に私でいいのかという気持ちがずっとありました」
「あの、私は……」
「彼女たちの話していたような意味であなたを疑っていたわけではありません。私自身の問題です。それで、しばらくあなたとお会いせずに、自分の気持ちを見つめ直そうかと思ったのですが、あなたが下町に現れて」
私は慌てて頭を下げた。
「ご迷惑も考えずに申し訳ありませんでした」
「公爵家の令嬢があんなところまで来られるなんて、褒められたことではありません」
「はい」
「ですが、嬉しかったんです」
ルパート様の言葉に私は再び視線を上げた。ルパート様は少し照れたように微笑んだ。
「アメリア嬢が私のためにわざわざあんなところまで来られたことが」
私はしばらくの間、ただルパート様を見つめていた。
「それとも、やはり下町見物をされていただけでしたか?」
私がブンブンと首を振ると、ルパート様はフッと笑った。
「まあ、本当は自分の気持ちなんてとっくにわかっていたんです。休暇の間、早くあなたに会いたくて仕方なかったんですから」
私は目を見開いた。
休暇の間、私と同じ気持ちでいてくれたのだ。
「ただ、次にあなたにお会いしたら、きちんと話をしなければならないと思うと、どんな風に話せばいいのか迷ってしまって」
「どんなお話ですか?」
ルパート様の様子だと、あまり楽しい話ではなさそうだ。でも、きっと私たちには必要なこと。
「今度お会いする時に必ずお話しします。仕事のほうが少しバタバタしているので、すぐには無理かもしれないのですが、待っていてもらえますか?」
「はい。今度はちゃんと待ちます」
私の答えに、ルパート様が頷いた。
「そろそろ戻りましょう」
「はい。あ、ハンカチ、ありがとうございました。新しいものを買ってお返しします」
「あ、いえ、それを返してください」
私はすっかり皺にしてしまったハンカチを見下ろして、初めて気がついた。水色の花の刺繍に。
「これ」
「すみません、いただいたものをお貸ししてしまって」
「使ってくださっていたのですね」
「使うというか、御守り代わりに持ち歩いています。それを見ると、大変な仕事や苦手なことも乗り越えられそうで。使うのにもう1枚持っていたのですが、咄嗟にそちらを出してしまいました」
「そんな力はないと思いますが……」
嬉しいけれど、恥ずかしい。
「今夜のドレスは、初めて会った時と同じものですね」
「はい。あの時より背が伸びたので、少し直してもらいました」
急遽参加を決めた夜会だったので、以前着たものからドレスを選んだ。ルパート様に初めてお会いした日に着ていた、1番のお気に入りの淡い水色のドレス。
「あれから1年以上が経ちましたからね」
ルパート様がそう呟いて目を細めた。