思い悩む
ルパート様だと思ったのは別の方だったのかもしれない。いや、私がルパート様を見間違えるはずがない。
ルパート様は私に気づいていなかったのだ。目が合ったような気がしたのに。
ああ、何かすぐに帰らなければならない事情ができたのだ。きっとそう。急用だったのだろう。体調を崩されたりしたのでなければいいけれど。
そう思って私は自分を納得させていたのだが、夜会の4日後にウォルフォード家で会う約束だったのが、その前日になって取り消された。
仕事の予定が変わったという理由を疑いたくはない。だけど、ルパート様はもう私に会うつもりがなくなったのかもしれないという考えが、どうしても頭を過ぎった。
何がいけなかったのかしら。
知っているような顔をして生意気なことを言ったからだろうか。それとも、私みたいな子どもの相手をすることが面倒になったのだろうか。
「何を悩んでいるのか知らないけれど、メリーは何もいけなくないよ」
突然聞こえた声に、私はギョッとして振り向いた。いつの間にか私の隣に座っていたお父様が、心配そうにこちらを見ていた。
しまった。家族皆が集まっている夕食後の居間で、物思いに耽ってしまっていた。
「あの、私、声に出していましたか?」
「ずっとブツブツ呟いてたけど、内容ははっきりとは聞き取れなかった。友達と喧嘩でもしたの?」
気がつけば、お父様以外の家族も私のほうに目を向けていた。お母様とノアには、私の「喧嘩」相手まで見えているに違いない。
しかし、そこで声をあげたのはアリスだった。
「喧嘩したお友達って、あの人でしょう? ええと、ル、ル、ル……」
「ルルって娘なの?」
お父様の問いに、アリスが首を振った。
「ううん。ルー何とか様」
誰かが正しい答えを口にするのではないかとヒヤヒヤしたが、皆がそれについては口を閉ざしてくれた。
「お姉様、早く仲直りしたほうがいいわよ。明日、ごめんなさいするの」
真剣な表情で言ったのはロッティだ。
「……仲直りしたいけど、でも理由がわからないの」
目頭が熱くなってきた。私は長女なんだからしっかりしないといけないのに、皆に心配をかけてしまっている。
「それなら本人に聞いてみればいいですよ。あの方は聞けばきちんと教えてくれるのではないですか?」
ノアはまるで自分より歳下の子を諭すような調子だった。
「メリーがそのルーとこれからも仲良くしたいなら、その娘を信じて、逃げたら駄目だよ」
お父様の言葉に、私はただ頷いた。
翌日、いつものように学園まで迎えに来た馬車の御者マシューに頼んだ。
「下町に行って」
「下町ですか?」
マシュー、それに乳母のカーラも驚いた顔をした。
「下町はお嬢様が行かれるような場所ではありません」
「でも、ルパート様は下町でお仕事をされているわ」
カーラとマシューは当然、私とルパート様のことを知っている。
ルパート様は予定どおりならこの日も下町で視察をされているはずだった。予定が変更になって私との約束を取り消されたのかもしれないけれど。
どちらにしても私は下町を見てみたかった。そこでルパート様に会えたらという気持ちももちろんあった。
「お願い。少し見るだけでいいの」
カーラは困惑している様子だったが、やがて嘆息してから口を開いた。
「本当に見るだけですよ。何があっても馬車から降りることは許しません」
「ええ、わかったわ」
下町、と一言で言っても実際にはその範囲は広く曖昧だ。
私が以前ルパート様から聞いたお話を頼りにマシューにおおよその場所を説明すると、マシューは南に向けて馬車を出発させた。
馬車が私の見慣れた景色から出るまでに、それほどの時間はかからなかった。
馬車がガタガタと揺れる頻度が増した。道路の両脇の建物は大きいけれど、一棟の中に何家族もが暮らしているのだと聞いたことがある。
建物の一階はたいてい店舗になっていて、様々なものが売られていた。ルパート様がよく利用されているのもこんなお店なのだろうか。
私は周囲に目を凝らした。このあたりにルパート様がいるかもしれない。
マシューは道を少しずつ変えながら、そのあたりをしばらく回ってくれた。
「お嬢様、そろそろ帰りましょう」
カーラの言葉で、私も諦めかけた時だった。御者台との間の窓からマシューの声が聞こえた。
「お嬢様、あちらではありませんか。橋のところの……」
急いで前方に目を向けると、少し先にある小さな橋の向こうに宮廷服姿の男性が数人いらっしゃるのが見えた。その中で、背の高いルパート様の姿はすぐにわかった。
「停めて」
咄嗟にそう口にしたが、カーラの声に遮られた。
「いけません。このまま通り過ぎて、お屋敷に戻ります」
マシューはカーラの言葉に従い、やや速度を落としたものの馬車を停めることはなく橋を渡っていった。
橋の袂にいた方たちが馬車を見上げた。ルパート様の目が大きくなるのが見えた。
馬車がコーウェン家のものであることは家紋でわかるだろうし、中に私がいたことにも気づいたのかもしれない。
私は後ろを振り返ってルパート様を見つめ続けていたけれど、少し行ったところで馬車が道を曲がったので、見えなくなってしまった。
「ご挨拶くらいさせてほしかったのに」
私はカーラへの恨み節を口にした。
「お嬢様がご挨拶だけで済むとは思えません。殿方のお仕事の場に押しかけて邪魔をするなど、淑女にはあるまじきことです。お嬢様にそんなことはさせられません」
カーラの言葉に、私はしばし口を噤んだ。カーラが正しい。
「ルパート様にご迷惑をおかけするところだったわ。ありがとう」
ルパート様が私と約束してくださるのは、おひとりでの視察の時。ルパート様のほかにも宮廷服を着た方がいらっしゃったのだから、視察の予定が変更になったのは本当だったのだ。
私に会いたくなくて嘘を吐かれたのではと疑ったことが恥ずかしい。カーラの言うとおり、こんなところまでやって来て図々しいと、今度こそ思われたかしら。
とにかく、私がこうして下町に姿を見せたことに対して、きっとルパート様から何かしらの反応があるはずだ。
2日後、ウォルフォード家を介してルパート様から私に届いたのは、「しばらく待ってほしい」という言葉だった。
いつかのように、お父様の執務室でお母様からそれを聞かされて、私はその意味を考えた。
やはりルパート様にはしばらくお会いできないということだろうが、お仕事が忙しいからなのか、他に理由があるのかはわからない。
だけど、「もう会わない」と言われたわけではないのだから、私にとって悪い状況ではないわよね。「待て」と言っておいて、そのまま有耶無耶に終らせてしまうようなこと、ルパート様がするとは思えない。
でも、もしも待ち続けた先、ルパート様に「やはりもう会いません」と言われる可能性もあるのではないだろうか。
そもそも、ルパート様はなぜ私なんかにここまで付き合ってくださったのかしら。
「メリー、もうそのへんにしておきなさい」
お母様の声で私は我に返った。また周りが見えなくなっていたようだ。
「私、また口に出してましたか?」
私の問いに、お母様が頷いた。
ああ、これも淑女にあるまじきことなのではないだろうか。
「あなたはしっかりしているようでいて、意外と中身もセディに似ているわね」
「そうでしょうか?」
「あなたもセディも、他の人たちが泣いて羨むくらい素晴らしいものをたくさん持っているのに、それに気づかず自分を過小評価しているわ。20年前の私がメリーを見れば、やっぱり羨ましく思っていたでしょうに」
「でも、私が持っているもののほとんどはお父様やお母様からいただいたものです。私自身の力では何も……」
「そんなことを言うなら、お父様や私が持っているものだってお祖父様やどなたかからいただいたものってことじゃない。それに、メリーはコーウェン家の娘であると自覚して、自分を律することができるわ。だからこそ私たちは安心してあなたに与えられるの。メリーは私たちの自慢の娘なんだから、『私なんか』なんて言って自分を卑下しないでちょうだい。哀しくなるわ」
「……ごめんなさい」
「ついでに言わせてもらえば、私の大事な娘をこんなに悩ませる相手になんかさっさと見切りをつけて、早く次を探せばいいと思うわ」
「お母様?」
私は驚いて声をあげました。
「でも、そんな簡単に割り切れるものではないわよね。とにかく後悔しないように。それから、1度ルパートとしっかり向き合って話をすることかしら。必要なら、私でも、レイラやユージンでもいいから頼りなさい」
「はい。ありがとうございます」
だけど、私はここからどう動けばいいのかしら。