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華やかさの裏に

「公爵がこれを刺繍されたのですか。ずいぶんと手先が器用でいらっしゃるのですね」


 ルパート様の感嘆の声を聞いて、私は誇らしい気持ちになった。


「市井には男でも裁縫を生業とする者がいますが、失礼を承知で言えば、公爵にもきっとそういう才能がおありですね」


「母も同じようなことを言っておりました」


 当然、私がお父様から刺繍入りのハンカチをいただいたことを知った弟妹たちには羨まれた。

 お父様は再びお仕事が忙しくなってしまったが、落ち着いたら必ず皆にも作ってあげると約束していた。強請られたお父様は満更でもない様子だった。


 ルパート様にお会いするのは2か月ぶりだった。宮廷のお仕事はすでに始まっているけれど、学園はまだ休暇中だ。

 だけど休暇が明けたところで、さすがにお父様の刺繍を学園で誰彼構わず自慢することはできない。だからこそ、ルパート様にはハンカチを見せてしまったのだ。


 私は他にも休暇中のことをルパート様にお話した。家族で追いかけっこをしたピクニックや、館でのパーティーで上演された人形劇のことなども。

 気がつけば、私ばかりが喋っていた。


「申し訳ありません。つい夢中になってしまって」


「いえ、あなたのお話を聞いていると楽しそうな光景が浮かんできて、こちらまで明るい気分になります」


 相変わらず穏やかな微笑を浮かべるルパート様に、私の心は家族と過ごす時とは異なる温もりを感じた。


「ルパート様は、休暇中はいかがでしたか?」


「予定どおり、勉強三昧でした。出掛ける先と言えば、宮廷や図書館、それから下町くらいでしたね」


 ルパート様は自嘲するように笑った。


「ですから、もっとあなたのほうのお話を聞かせてください」


 ルパート様に請われて私はまた領地での日々を語った。彼にそれを聞いてもらえることも喜びだった。




 翌週から学園の新学期が始まり、私は最終学年になった。


 ほぼ同時に、社交界も新しいシーズンに入った。

 私が参加した最初の夜会、さらに次の夜会にもルパート様がいらっしゃった。これは偶然なのだろうか。

 気になって、ダンスの最中に尋ねてしまった。


「今シーズンは夜会によく出席されているのですか?」


 ルパート様はわずかな間の後で口を開いた。


「一応爵位を継ぐ身としては、こういう場から逃げ続けているわけにはいきませんからね」


 私は頷いた。

 お母様に付き添われながら、お父様はこの夜もたくさんの方たちと挨拶を交わしているはずだ。代わりにユージン叔父様とレイラ叔母様が私たちを見守っていた。


「私が社交嫌いだと、叔父上あたりから聞きましたか?」


 ルパート様に訊かれて、私は一瞬言葉に詰まった。だけど、ここまでの流れを振り返れば、私が何も知らないというのもおかしいだろう。


「はい。申し訳ありません」


 ルパート様は苦笑された。


「あなたが謝ることではないでしょう。……社交界の華やかな雰囲気は決して嫌いではないんです。苦手なのはその華やかさの裏側に普段は隠されているものを、何かのきっかけで見たり聞いたりしてしまうことです」


 ルパート様の表情が翳ったように見えたが、すぐにいつもの柔らかい笑顔になった。


「すみません。まだデビューしたばかりのあなたにこんな話をしてしまって」


「いいえ」


 むしろルパート様の胸の内をもっと話してほしかったが、曲が終わってしまい、私とルパート様は叔父様たちのほうへと歩き出した。


「どうせ出るならアメリア嬢とダンスをしたい、とは考えて選んでいます」


 すっかり油断していたところにそう囁かれて、私は思わず息を呑んだ。




 それから数日、私はルパート様の言葉の意味を考えた。そうして自分なりに出した結論を、次にウォルフォード家でお会いした時に思いきって口にした。


「先日ルパート様が仰っていたのは、つまり、社交界の方々の悪意、といったもののことでしょうか?」


「え?」


 ルパート様が目を瞠った。おそらく、大きく外れてはいなかったのだろう。


「私も貴族の娘ですから、まったく知らないわけではありません。ルパート様もご存知だと思いますが、私の両親は社交の場では必ずふたり一緒に行動します」


「ええ、仲睦まじいご夫婦ですよね」


「そのように好意的に捉えてくださる方がほとんどですが、中にはお母様のことを悪し様に仰る方もいるのだそうです。常に見張っていないと夫の浮気が心配なのだろう、とか」


「ですが、実際には夫人から離れたがらないのは公爵のほうで、夫人は浮気の心配などする必要もない、ですよね?」


 今度は私が目を丸くした。どうしてそこまでと言いかけて、気づいた。


「もしかして、ヘンリー叔父様にお聞きになったのですか?」


 ルパート様が肯定するように笑みを浮かべた。


「ですが、1度でもおふたりの並ぶ姿を見ていれば、あの睦まじさは偽りのないものだとわかると思いますよ」


「つまり、母を悪く仰るのはそれを理解できない方か、母を貶めたい方ということになります」


 ただし、あのお父様の気持ちなんて誰でも気づくはずで、前者なら自分の見たいものしか見ないような方だろう。


「社交界は華やかな場所で、皆が優雅に笑っているけれど、それが全てではない。まことしやかに語られる言葉を鵜呑みにしてはいけない。そう教えられました」


 逆に、自分の全てを曝け出してはいけないとも言われている。


 ルパート様はゆっくりと頷いた。


「笑いながら嘘を吐き、平然と人を貶める。自分がいるのがそういう場所だと気づいて、私は怖くなったのです。情けないことですが」


 そう零したルパート様のお顔はどこか辛そうで、私の胸がツキリと痛んだ。

 だけど、こんな時にどんな言葉をかければいいのか、私には思い浮かばなかった。




 それから少しして、王宮の夜会が行われる日になった。


 私は初めてお父様以外の相手にエスコートされた。といっても、この夜会でデビューした従弟のアシュリーだけど。


 会場に入ると、私はルパート様の姿がないかとキョロキョロしていた。先日からずっと、ルパート様の様子が気になっていたのだ。

 それに、この夜はルパート様と初めてお会いしてからちょうど1年。王宮の夜会にはルパート様も必ずいらっしゃるはずだと思っていた。


 だけどルパート様が見つからないまま、私はアシュリーとダンスをすることになった。

 上の空でステップを踏んでいた私の耳に、ふいに「ルパート」という名前が聞こえ、私は慌ててアシュリーへと意識を向けた。


「今、何て言ったの?」


 アシュリーは眉を寄せながらも、口を開いた。


「だから、メリーとルパート兄上にはまだ婚約の話とかは出てないの?」


「え?」


 私は目を見開いたが、アシュリーは呆れたように言った。


「そんなに驚くことじゃないだろ。家でデートしてるんだから、気づかないほうがおかしいよ」


 それもそうか。


「……まだないわ」


「ふうん。早くはっきりさせればいいのに。俺の同級生にもメリーを狙ってるの、結構いると思うよ。エスコートするって言ったら羨ましがってた」


「ねえ、ルパート様にそういうお話はないの?」


「最近はないんじゃないかな。もしかしたら兄上はこのまま独身を貫くのかとも思ったし。だからメリーとのことを知って、安心したんだ」


「そうなの」


 最近は、ということは、以前はあったということだろうか。気になるけど、そこまでアシュリーに聞くのは躊躇った。


「まあ、メリーがルパート兄上をっていうのはちょっと驚いたけど、兄上が良い人なのは間違いないし」


 私は首を傾げた。


「何で驚いたの?」


「え……?」


「え?」


 アシュリーは何となく気まずそうな顔になって、視線を泳がせた。


「そうか、毎日セディ伯父上の顔を見てて、しかもメリーも伯父上似だからな」


 ブツブツとよくわからないことを呟いてから、アシュリーは改めてという感じで私に向き直った。


「ちなみに、メリーはうちの父上とヘンリー伯父上ならどっちが好み? あ、性格は置いといて、外見で」


「ユージン叔父様ね」


「じゃあ、コーウェン前公爵と前陛下なら?」


 お母様が聞いたら不敬だと叱られそうな質問だ。


「お祖父様」


「やっぱりな」


 アシュリーは納得したように頷いていたが、結局、私は疑問に対する答えをもらえなかった。


 アシュリーとのダンスを終えて叔父様叔母様方のいるところに戻りかけた時、ふいと視線を向けた先にルパート様のお顔が見えた。ルパート様もこちらを見ているようだった。

 ルパート様はすぐに大勢の方々の中に紛れて見えなくなってしまった。でも、私に気づいたはずだし、きっとダンスに誘いに来てくださるに違いないと思っていた。


 だけどその夜、私がもう1度ルパート様の姿を目にすることはなかった。

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