70話 Wの驚劇(前編)
人は気持ちひとつでこうも変わるものと、身を持って体験したのは生まれて初めて。
いつも渋々“やっつけ仕事”をしてる私が、次の日の仕事を意欲満々にこなしている姿は、どうやら同僚たちの目を丸くさせて、何か物言いたげ。
それに気づきながらも、今の私にはどこ吹く風。怠けてるんじゃないんだもの。四の五の言わせないわ。
いつも午後5時までが長くて仕方なかった毎日も、この日はまるで半日分だけタイムスリップしたかのように、帰宅時間が訪れた。
───さてと、明日の土曜はさゆみの家ね。
そう決めていた。私の誕生日をお祝いしてくれただけじゃなく、人生最大のイベントをコラボさせてくれた心からの親友。
昨日のうちにメールでアポもとってるし、手土産にはさゆみの大好きな、創作堂の生チョコ苺ロールを買って持って行くつもり。
もう死語だけど、ルンルン気分ってこのことなんだとつくづく思う私。
でも、興奮して寝付けなかった昨夜と比べると、今夜はぐっすり熟睡できそうな気がする。
それは私にとって、この上なく満たされた心に他ならないことは、十二分に理解していたから。
そして翌日。
そんな気がした通り、まさに熟睡できた朝を迎えた私。
今までの人生ではなかなかこんなことはなかった。
10時間も寝た上に、目覚めがとても清々しいだなんて。
私は朝食は食べずに見支度を整え、メイクにかかる。
デートじゃないから念入りとまではいかないけれど。
その後、自宅を出たのが午前11時。
今日はさゆみの家でちょっとだけお茶して、そのあと外でランチの予定。
リュウヤはどこか田舎のなんとか祭りの営業が入ってるから、会えない週末。
再デビューしたてだもの。アピールするためにも、もらえる仕事はとても貴重。
さゆみは1LDKの賃貸マンションに一人暮らし。
彼氏は転勤で他県へ異動。遠距離恋愛になってから2年目。
彼女も辛い立場なのに、いつも世話をやかせるのは私の方。
さゆみに対してはお詫びとと感謝の気持ちでいっぱい。
予定通りにロールケーキを買って、彼女のマンションの玄関前に到着した。
チャイムを鳴らそうとする直前、急にドアが開き、中から予想もしなかった人物が現れた。
「え?モッチー!」
思わず口をついた私の叫びに彼もビクッとたじろいだ。
そしてその表情を確認した私も更に驚くこととなる。
───モッチーが…泣いてる?
明らかに涙目で、赤く充血している。
それを少しでも隠そうと、モッチーはすぐに私から目をそらす。
しばし呆然としてる私に、彼は目を合わさないまま口を開いた。
「安佳里さん。もう…リュウヤを離したらダメですよ」
「…え?」
そう言うと、彼は私に背中を向け、巨体には似合わない早足で立ち去った。
と、思ったら出口の方向を間違えたようで、Uターンして私の前を体裁悪そうにうつむきながら通り過ぎて行った。
「ちょっとさゆみー!」
玄関はモッチーが出たばかりでロックはされていない。
事情の呑み込めない私は、チャイムも押さずに中へ入った。
ちょうどさゆみがロックをかけようとしに来たのか、ポーチでバッタリ鉢合わせ。
「あら安佳里、来るのまだ4分早いよ?」
早く来たら都合が悪かったんだろうか?
モッチーとさゆみのやりとりって一体何?
「今私、ドアの外ででモッチーと出くわしたんだけど?」
「あらヤダ。やっぱり?だからもっと早く帰れって言ったのに…」
そう深刻な表情も見せないさゆみ。至ってあっけらかんとしている。
「まさか、ゆうべモッチーを泊めたとか?」
「バカね。いくらいとこでもそれは無理。アタシは親が来ても泊めないよ。泊めたのは元彼くらいよ」
「じゃ何で来たの?リュウヤとモッチーは今日、営業のはずだよ?」
「そうなのよ。ギリギリになるから早く帰らせようとしたんだけど、あいつ泣き出してさ」
「だから一体、何がどうしたのよ?全然わかんない」
さゆみは(;-_-) =3 フゥッとため息とついて、
「玄関先もなんだから、あっちで話しましょ」
と、二人一緒にリビングへ。
さゆみはPOPライター。
いわゆる広告ポスターや売り出しのプライスカードの作製。
手書きの文字書きは彼女独特のセンスがあって、インパクトがあると私は思う。
数件の店舗と契約していて、作業はその現場が多いけど、自宅に持ち帰ることもある。
けど最近では素人でもパソコンで簡単に作れるので、彼女の仕事はめっきり減っていた。
そんな彼女も今はフルにパソコンを利用しながら作業を進めている。
リビングのデスクには大事なPOPが無造作に散乱している。
全部できてから整理すりゃいいことだからとさゆみは簡単に言う。
そんなところが、彼女の大雑把な性格を物語っている。
「言おうかどうしようかと迷ってたんだけどさぁ…」
さゆみがお茶を淹れながらそう言う。
コーヒーか紅茶かと思ったら、本当にお茶だった。
しかもペットボトルの“お~いお茶”を紙コップに注いだだけ。
まぁそんなことは今どうでもいいんだけど。。
「孝則なんか言ってた?」
「うん。リュウヤを離したらダメだって。泣いてたよ」
「ありゃりゃ…」
「ありゃりゃじゃなくって、どういうこと?」
「ん~そっかぁ…見ちゃったら話さないと安佳里も納得できないでしょうし…」
何かじらしてるような気配のある素振り。
言いにくいことなのか、できれば言いたくないのか…
ちょっとだけど不安がよぎる私。
「何?悪いことなの?」
「ううん。安佳里にとっては全然平気だと…思うけど」
「その不安な言い方は何よ?(⌒-⌒;」
ちょっとうんざりしながら、首を横に振った私。
何気に見たその視線の先に、は?と思わせるPOPが目に入った。
“ポカリスエッチ 1本58円”
「(*≧m≦*)ププッ。ちょっとさゆみコレ」
思わず噴き出した私が、誤字を指摘すると、さゆみ自身バカウケして笑いこけていた。
「イヒヒヒヒー♪ヾ(≧▽≦)ノ彡☆ばんばん!!ヤダアタシ。文字列がひとつズレちゃったんだわ」
「お店に出したら大変よ」
「アハハハハ。このまま持って行こうかな」
「やめなさいよもう…(*^m^*)」
なかなか本題に入れない。今もこうして笑いながら話しがそれる。
でもその本題は、まだ笑いがおさまらないうちに始まった。
「いやー、可笑しかったわ。じゃあこのムードのうちに言っちゃうね。孝則はパンツ…じゃなくてリュウヤさんが好きだったの」
───は?────え?
私の笑いは瞬時に固まった。でもさゆみは至ってまだ愉快そう。
「アタシ前にも安佳里に話したことあるよ。いとこに失恋してばかりいる子がいるって」
そう言われてちょっと思い返してみた私。
「あー、そういえばそんなことが…でもそれって、女の人じゃなかったの?」
「孝則の心は女よ。でも欠点は巨体でブサイクなオカマだってこと。今までにも随分泣かれたけど、今日も久々にね」
あっけにとられて口を開けっ放しの私。
「安佳里、口に虫入るよ。さっき蚊が1匹飛んでたから」
私はハッと我に返って口を閉じた。
「モッチーが…オカマ?全然そんな素ぶりなんて、今までなかったよ?」
「人前で何度もバカにされてるから封印してるのよ。実際はバリバリの女言葉よ」
「おすぎとピーコみたいに?」
「たとえ古いわね。KABAちゃんとか仮屋崎先生みたいなもんよ」
「……へぇ。。」
「相手が安佳里なら、素直に諦めるってよ」
そうだったんだ。だから玄関であんなことを。。
私はあらためて考えさせられた。
思えば、モッチーが恋愛に対しての心理分析が適切なことは、全て自分の経験から引き出されているのに違いない。
数知れない場数を踏んで撃沈した辛い経験や思い出が、人の真相心理を探る知識となったのだ。
「あの子も不憫な子なの。安佳里、あんたは孝則の分までリュウヤさんを支えてあげてね」
「う、うん…」
何とも言えない複雑な心境の私。
「そうそう、この話はここまでね。それよりもっとビックリする情報があるのよ」
いきなり話題が変わり、さゆみの表情が別な意味の驚きに変わる。
「なに?まだ他になんかあるの?」
「さっき孝則から聞いたんだけどね。週刊誌にあの日のことスクープされたみたいなの」
「!!!!」
(続く)