69話 ミスト・レイン
帰りの電車の中。乗客もまばら。
そんな中、乗降口のポールの隅に、ひとり不自然なニヤけ顔で座ってる私。
こんなとこ人に見られたら、きっと神経がやられてる女に思われても仕方ない。
幸い、誰も私に注目する人なんかいないし、気づいていても無視するのが自然な流れ。
でもそんなの、今の私には全然平気。へとも思わない。
妄想と回想は得意中の得意。というか人生の一部。
ベッドじゃないから、自分の気が済むまでとはいかないけれど、降りる駅に着くまではその余韻に浸っていられる至福の時間。
この日はいつになく珍しく、高校時代にリュウヤと公衆トイレの前で出会ったことから、社会人になって再会するまでの回想が順序よく流れたいた。
不思議なことに、その間に付き合った男やセフレもいたのに、そんな思い出など一切出てこないし、顔さえも記憶の外。
そもそも思い出と呼べるものがないからなんだろうけど。
こうして、自分に都合の良い私の回想は、ついさっきまでの出来事に辿り着いた。
───あのとき、終始リュウヤはメガハンバーグを食べながら私と会話をしていた。
かしこまって話すよりは、お互いの緊張もほぐれて良かったと思う。
「安佳里もわかってると思うけどさ、今の俺にはほとんど稼ぎがないんだ」
こんなセリフのわりには、神妙な面持ちとは裏腹に、がっつきながらハンバーグをむさぼるように食べるリュウヤ。
言葉と行動のギャップに、普通は違和感を覚えるんだろうけど、私にとってはそれが逆に安堵感に繋がった。
だって、心にウラのない証拠だもの。私にカッコイイとこを見せる男ほど信用できない。過去にはそれが多すぎた。
「だからさ、いずれ貧乏させることになるかもしれないけど、大丈夫か?」
口の中をモゴモゴさせながらも、その眼差しはしっかりと私の目をとらえていた。
余計な詮索だけど、リュウヤが“いずれ”と言ったのは、今はまだ貯蓄があるから安心ということなんだろう。
でも毎日これを切り崩して生活費に充てるとなると、先がなくなるのは目に見えて明らか。
「うん…大丈夫だよ。貧乏は平気。私も働いてるんだし、リュウヤは物欲がないじゃない?」
「そうだけど…そんなことよく覚えてたな」
「えへ(*^ - ^*)ゞ だからなんとかなるよ」
「ならいいけどさ」
と彼の前では言ったものの、正直なところ貧乏が全く平気なわけじゃない。
最低限、守りたい生活レベルってものもある。
でも今の私にはそれが言えない。言うべきじゃないと思ったから。
それには私も努力すべきだと思ったから。
その後、がっつき過ぎのリュウヤがお約束のように食べ物をのどにひっかけてむせたので、
「リュウヤ、食べ終わるまでしゃべらなくてもいいから。そしてもっとゆっくり食べて」
と私が言うと、すまんと彼は素直に従ってくれた。
こうして数分の間、私はリュウヤの食べ顔を見続けていた。
新たな会話が始まったのは私の方から。
やはり、どうしても確認しておきたいことがあるから。
プロポーズは受けたけれど、私の中でくすぶっている不安が全て消えたわけじゃない。
「私、リュウヤが思ってるような女じゃないかもしれないよ。それでもいいの?」
ちょうどメガハンバーグ食べ終え、グラスの水を飲みほしたリュウヤが即答する。
「そんなこと言うなよ。俺もバカじゃない。第一印象や外見だけで判断してるわけじゃないんだよ」
「だけど私……怒らないで聞いて」
「ああ」
「私、恋なんかしちゃいけない女なんだって、ずっと頭の隅から離れないでる自分もいるの」
「すごいマイナス思考だな。…トラウマのことか?」
核心をついてくるリュウヤ。私のことを理解してくれるのは彼しかいないと思う。
それだけに、彼に負荷を負わせてしまうのも私にとっては辛いこと。
「そう…もちろんそれもあるけど、私自身、人間ができてないし…」
「そんな完璧な人格者なんて、この世にいないよ」
「違うの。私、自分に甘すぎるもの。今まで何の試練もなくここまで来たわ。都合よく遊んで、男と付き合ってはすぐ別れて。そして一人で落ち込んで。相手の気持ちも考えずに傷つけてきたかもしれない。それでもまた同じことを繰り返してきた学習能力のない女。そんな私がリュウヤと幸せになってもいいのかな?」
この期に及んで何を今更と思われても仕方ない。
でも、このことを踏まえた上でじゃないと、あとで絶対後悔すると思ったから。
リュウヤの次の言葉を待つ私。
彼は自分のグラスに水を注ぎ、一気に飲み干すとニッコリ私に微笑んだ。
「安佳里が自分のことをそこまでわかってたらもう大丈夫だ。俺には何の不安もないよ」
「本当に?」
「安佳里は子供の頃からトラウマで苦しんできた。セフレかなんか知らないけど、遊んで来たのは安佳里が精神的に追い込まれていただけで、それは本当の心の裏返しに過ぎない。俺はそう思ってる」
「リュウヤ……」
「安佳里は純粋だよ。何の心配もいらない。俺の稼ぎの方が心配だ。ハハ…笑いごとじゃないけどな」
この瞬間、心のつかえが体からスーッと抜けていくのを肌で感じた私。
この人は…リュウヤは、私が思ってる以上に心がおおらかで寛大な人なんだ。
もうここで不安を拭い取らないと、彼に対してとても失礼なことになる。
────決めた。もう、この人に全て委ねよう。
例えこの先、彼が芸人として限界が来たとしても、私が支えてあげよう。
そう心に誓った瞬間でもあった。
「あーまだ食い足りない。ギガハンバーグ一緒に食わない?」
「え~?またぁ?」
「またじゃないさ。さっきはメガ。今度はギガだよ」
「まぁそうだけど…(^_^;)」
自宅近くの駅に着いた。
最後にリュウヤとマジでギガハンバーグを食べ、お腹がはち切れそうでまだ苦しい。
そんな中、ガラスドアに映った自分の顔を確認してみる。
───やっぱり二ヤケてる。
お腹の苦しさより、心の満腹感が勝ってる証拠。
外は霧状の雨。傘なんか持ちあわせていない。
昔なら気持ちがくすんでしまうだけだった。
でも今夜は違う。
傘なんていらない。逆に持ってたら放り投げたい。そしてこの雨に打たれたい。
私は構内を出て、空を見上げて両手を広げた。
───リュウヤ、だ~い好きっ!!
こんな日が来るなんて…
ただ、うっとうしいだけだったミストレインが、こんなに素敵な夜に思えるなんて。。
(続く)