65話 胸のうちすべて
ある意味、こんな状況でのプロポーズなんてズルい。
ドラマティックな見せ場を作っておいて返事を求めても、私にノーという選択肢はないもの。
来客の誰もが、ここはイエスに決まってると確信しているに違いない。
けど、どうしてもすんなり返事を言えない私がいる。
別に私はノーと言いたいわけじゃない。決してそんなわけじゃない。
こういうのって、何かが違うような気がするから。
こんなグズグズなところが私の欠点なのかもしれない。
ここですんなりイエスが言えたら、今までの悩みも後悔も全て解消するかもしれないのに。
ずっとモノトーンで生きて来た人生にカラーがつくかもしれないのに。
そうなったらどんなに楽になることだろう。
理屈ではわかってるのに。。
今、ほとんどの視線が私に降り注がれている。
この静まり返った間を早く埋めないと、どう答えても不自然になる。
───よし、決めた!もう少し時間を下さいって言おう。
私はゆっくりと席から立ち上がり、胸の内で自問自答をする。
───これなら断ったことにはならないもの。そうだよね?
───うん、そうそう。
───ホントに?
───もし、ごめんなさいって言ったらどうなると思う?
───バカね。大ブーイングに決まってるじゃない。会場のムードぶち壊しよ!
───そうよね…やっぱりこれがベストなのかな?
───悩んでる時間ないよ!さ、早く!
うつむき加減の私。緊張と恥ずかしさで、リュウヤを真っ直ぐみることができないまま返事をしようとした。
「あのぉ……もうすこ…」
と、言いかけた瞬間、突然リュウヤの声に私の言葉が遮ぎられた。
「安佳里、その前に聞いて欲しい。そしてお客さんにも」
───えっ?
お客さんの視線が私からまたまたリュウヤに移る。
一斉に首が振り返るのを見て、心持ちホッとした私。
知らない人から注目されるのは、有名人でもない私には正直しんどい。
それにしてもリュウヤは一体、何を語ろうとしてるんだろう?
私もお客さん同様、リュウヤに視線を合わせた。
「安佳里ごめん。返事は別に今しなくていいんだ」
リュウヤの表情にはわずかながらの笑みはあるけど、それは明らかに意識的なもので、緊張しているのがよくわかる。
「しばらく会ってもいないのに、安佳里にいきなりプロポーズすること自体、非常識なのは俺の方だし」
静まり返った店内。注文した料理に手を出してる人は、おそらく誰もいないと思う。
「率直に言う。俺が間違ってた。俺が相当のバカだった。どうしようもないほどアホだった」
出だしから自暴自棄のリュウヤ。今の私はただ黙って彼の言葉に耳を傾けるしかない。
そばでは相方のモッチーも、3メートルほど後退した位置から真顔で彼を見守るように立っている。
「安佳里、俺は見当違いをしてた。安佳里と距離を置けば、お互い本当の気持ちが見えて来るものだと思っていたんだ。そうすることで相手を思う心の深さや度合、必要性を知ることができるものとね」
リュウヤはひとつ咳払いをして軽く深呼吸をした。
そしてさっきよりもやや顔を上げ、話しの続きをし始めた。
「でもこれは…何度も言うけど俺の間違いだった。自分に都合の良い建前にすぎなかったんだ。実際の俺はただの臆病者で意気地なしなのさ。高校時代からずっと安佳里を思い続けて来たのは一方的に俺の方なのに、煮え切らない態度しかできなかったバカな男なんだ。だから、安佳里に幻滅されてるんじゃないかとか、飽きられてるんじゃないかとか、被害妄想ばかりが膨らんで…」
リュウヤの両手は両脇に下りたまま握りこぶしだった。力もかなり入ってるように見える。
「俺は安佳里に嫌われたくなかった。自分の欠点を見せたくなかった。欠点を知られて冷めた目で見られるのがイヤだった。他の人間ならそんなの全く気にしない。けど安佳里だけは…安佳里だけには…」
感極まったリュウヤが言葉に詰まった。これは絶対にお芝居なんかじゃない。そんな人を騙す能力なんて彼にはないもの。
「わりい。ティッシュ持ってる?」
リュウヤが背後のモッチーにティッシュの要求。ポケットティッシュを受け取ったリュウヤは、
「ちょっとすみません」
と言って、後ろを振り返り“ブミッ!!”という大きな音を一度だけ立てて、鼻をかんだ。
「失礼しました。あの…お客さんには退屈かもしれませんが、もうちょっとだけ聞いて下さい。そんなの裏で話せと思われる人も多いでしょうが、これも訳あってのことなんです。その理由もこれから話しますし、もう少しで終わりますんでどうか勘弁して下さい…」
丁重に深々とお辞儀をしたリュウヤ。
その反応として意外や意外。店内のいくつかの席から掛声があがる。
「がんばって!」
「最後までしっかり!」
その言葉に後押しされたのか、背筋がピンと伸びたリュウヤは、視線をハッキリと私に向けた。
「俺は自分のふがいなさに後悔ばかりしていた。安佳里の方から好きだと言ってくれた最大のチャンスの時がありながら、バカな俺は疑念ばかり抱いて信じようとしなかった。俺の一方的な気持ちに安佳里が仕方なく折れただけだと思い込んでたんだ。それがイヤで俺は逆に安佳里を遠ざけるようになってしまった…」
今、私は初めてリュウヤの心の葛藤を知った。
彼は彼なりに相当苦しんでいたんだと思うとなんだか胸が痛くなる。と同時に自分を恥じた。
「安佳里、俺ってバカみたいだろ?自分では気づかないヘンなプライドがあったりしてさ。お客さんもそう思うでしょ?」
数人の女性がコクリとうなづくのが見えた。
「そして俺はこんな曖昧な気持ちのままに、リリアと番組の共演がきっかけで付き合い始めた」
リュウヤの口から出た“リリア”という言葉に、会場がざわめいた。
“リリアって横瀬リリアのこと?”“だよね?”というような囁きがあちこちから聞こえて来る。
けど、それにはお構いなしにしゃべり続けるリュウヤ。
「リリアに対しても失礼なことをしたと思ってる。結局、彼女とも色々な事情があって短い付き合いで終わってしまった。その後の俺の生活はもうグズグズな毎日ばかりだった。安佳里か俺のアパートに来てくれたときも、俺はろくなことが言えなかったような気がする。酔っ払ってたからよく覚えてないけど…」
気づけばリュウヤは話し方がとても上手になっている。
最初は少し噛みながら、しかも自分のことを“僕”と言いながら話し始めていたのが、いつの間にか“俺”に変化している。余計な緊張が解けたのかもしれない。
「その後俺が再び安佳里と会って、距離を置こうと言って別れたあと、俺はこいつにえらい説教をされたんだ」
そう言ってリュウヤは、人を紹介するように、斜め後ろに立っているモッチーに左手を差し出した。
「こいつに言われたよ。ふざけるなって。お前が最初から心に決めてたのは誰なんだ?って」
後ろのモッチーは、少し照れくさそうに頭をかいていた。
「こいつにはめちゃくちゃ言われたんだ。リリアとは終わったじゃないか。ここで区切りをつけて原点に戻ればどうすればいいかわかるじゃないかって」
私はモッチーを見た。彼は私に対してもリュウヤに対しても、影の強い存在であり、支えになっていることがわかった。
リュウヤの目はずっと私に向けられている。
ただひとつ腑に落ちないのは、ここまでのプレイベートな事情を、赤の他人であるお客さんに話す必要があるのかということ。
でもそれは彼がさっき言った通り、承知の上でのこと。私は只々、黙って話しを聞くしかない。
「俺が安佳里と距離を置こうとした本心も、こいつは全て見抜いていたんだ。度胆を抜れたよ。あとからじわじわ心にも沁み渡った。あまりに的確すぎてさ。その時こいつはこう言ったんだ」
───お前はリリアにふられたショックを安佳里さんと重ねて合わせて考えている!そんなんじゃ絶対ダメだ!
シーンとした店内からゴクリという生唾を飲み込む音が聞こえた。
それほど会場は、リュウヤの話しに誰ひとり集中が切れる人がいなかったんだと思う。
「俺はこいつの図星な言葉に衝撃を受けた。俺は逃げていたんだ。安佳里と付き合って失望されるのが怖かった。自分に自信をなくした俺は、リリアと同じことが繰り返されるのが怖かった。安佳里に愛想を尽かされたらとても耐えきれないと思った…」
私は潤んだ目で視界がぼやけていた。
人によってはこんなだらしない男は願い下げだという人もいるだろう。
けど私はそうは思わなかった。
私なんかより、リュウヤの方が何倍も苦しんでいたのかもしれないもの。
私は自分のことばかりで、リュウヤの歩んで来た道のりも複雑な心境も、推し量ることすらしてなかった。
なのにリュウヤは自分を追い詰めるように、人前で自分の欠点をさらけ出している。
全てをさらけ出して、私の審判を仰ごうということなの?なぜ?
私なんて、取るに足らない女。リュウヤがここまでするほど価値のある女じゃない。
長年慕ってくれてることには感動するほど嬉しい。こんなに思われているなんて、きっと幸せ者なんだと思う。
それだけに、リュウヤにここまでさせた私は大バカ者だと恥じていた。
このあと、リュウヤが話す最後の〆の言葉が、私の決断のときなんだろうか?
返事はあとでもいいと言ったけれど、それではいけないような気がする。。
そう……絶対にいけない。今までどれほどの時間を費やして来たことか。
もう、時間稼ぎは終わりにしなきゃなんない。
───そうよ。ここで、この場でハッキリさせなきゃ!!
(続く)