3話
「うおっと!」
飛び出た根っこに足を引っ掛け転びそうになり、思わず声が出る。けど、それも仕方ないと思って欲しい。森に転移するまでは街の中のコンクリートの上を歩いていたのに、急に緑豊かな森の中を歩くことになったので慣れていないのだ。
角の生えた狼に追いかけられていた時は、今いる森と違ってあまり根っこが出ていなかったために転ばずにすんだ。つまり、運が良かったのだ。
「ふう・・・。危ない危ない」
「大丈夫?」
俺の声を聞き、前を歩いていたラスが立ち止まって振り返る。その顔は心配そうに眉尻が下がっているように感じるが、ラスはあまり感情が顔に出ない事が会ってから分かった数少ないことだ。今も、少しだけ下がっているのが分かったから良かったが、パッと見分からない可能性の方が高い。さっき森に入る時に見せた照れるなどの表情はレアだったのかもしれない。
ところで、顔からは感情が分かりづらいラスではあるが、声の方は顔に比べて分かりやすい。そのため、心配してくれているのは言葉や声で分かる。
「ああ、大丈夫。心配してくれてありがとう」
その返事を聞いて確認するように目を見つめてくる。
「・・・」
「・・・」
数秒見つめ合ったあと、満足気に頷いて再び歩き始めるラス。それに首を傾げながらも付いて行く。
「・・・改めて考えてみても凄いよな。こんな森の中に一人で住んでるなんて。それも一人で」
「そんなことない」
鳥の声や草を踏む音しかしない無言の時間が気まずかったため、先程聞いた事を尋ねることにした。それに対するラスの返答は、短く素っ気ない印象を与える。
これも会ってから分かった数少ないことだが、ラスはあまり口数が多い方ではなく、会話は大抵早めに終わってしまう。
やっぱり、森に入る時にした会話の長さも珍しかったのかもしれない、と思う俺だった。
◆
「ん?」
森の中を歩くこと数十分。突然、目の前を先導していたラスが、その歩みを止めた。
それを不思議に思い、声を掛ける。
「どうした、ラス?」
しかし、それには返事をせず、その場にしゃがむようジェスチャーをしてくる。
一体何だと思いながらもしゃがんだ俺は、ラスが茂みの先を指さしているのに気づき、その方向を覗き見てみる。
「・・・―――っ!?」
そっと指差す先を見た俺は目を見開いた。
なぜなら、茂みの先には、少し違うが見覚えのある生物が横になり昼寝をしていたのだから。
「あ、あれって・・・?」
「虎」
小声で確認のために問いかけると、予想通りの答えが返ってきた。
俺は、その答えを聞いてからもう一度、虎の方へと視線を向ける。
「・・・」
静かに眠る虎は、腹でも膨れているのか満足そうだ。
しかし、俺が目を向けているのは、その満足気な表情でも膨れた腹でもない。額に生えた一本の角に注目していた。この世界に来た直後に襲ってきた狼達。その狼の額にも角があった。もしかしたら、この世界の獣全てに角が付いているのかもしれないが、角があることによる恐怖は大きい。只の突進でも刺されば致命傷になりかねないのだから。
「ど、どうする?」
「あれは角持ち。だから、バレないように行く」
角持ちだからバレないように行く、という言葉に不安を覚えながらもラスの言う通りにするしか俺に出来ることはない。
「分かった」
小声での話し合いが終わり、音を立てない様に慎重にラスの後を付いて行く。
虎から徐々に距離をとっていき、ゆっくりと迂回するように歩く。そして、あと少しで安全な距離まで離れられるといった所で―――虎が起き上がった。
「・・・・・・ッ!!」
突然動き始めた虎を見てラスが、俺の腕を引っ張りその場に隠れようとするが、すぐさま手遅れだと察する。先程、腹が膨れていたように見えた虎は、新しい獲物を見つけた喜びで涎をダラダラと流して、此方を見ていたからだ。
「どど、どうする?」
虎に見つめられて怯えながら対処法を聞いてくる俺に、ラスは一瞬だけ視線をよこしながらも、すぐに虎へと戻す。
もし、自分が目を離している隙を突かれて攻撃されては駄目だと判断したのだろう。
「角持ちは、強い」
「じゃ、じゃあ・・・」
「逃げるのは、難しい」
「嘘でしょ・・・」
不安げな顔で自分を見てきた俺に、淡々と現実を告げるラス。そして、教えてもらった現実に顔を青くさせながら、ラスを見つめる。
「落ち着いて」
そんな俺に、静かに言葉を発する彼女の目は、怯えているでも諦めているでもない。涎を垂らしている虎と同じく、獲物を見つけた目をしていた。
「逃げるのは、難しい」
俺を安心させるように優しげに言う。
「けど」
怯える俺を守るように一歩前へと出る。
「戦うのは、少し楽」
ラスの右手が前方の虎へと向けられる。多少汚れてはいるものの綺麗な手だった。そして、そんな手を向けられて怯むような虎ではない。まるで自分の腕を差し出したかのようにも見える人間の行動に、涎を垂らしながらゆっくりと歩み寄ってくる。警戒心など皆無のようだ。
そんな虎を真剣に見つめるラス。
「ラ、ラス・・・」
不安げに名前を呼ぶ俺の声を気にしながらも、虎から目を離さずに慎重にタイミングを見定めているように見えるラス。感情が分かりにくいが、今は真剣であることが読み取れる。
手をかざしてから少しして、虎があと少しで飛びかかれるといった所まで来た。虎が歩いてきた道には、まるで涎が道しるべとなるように点々と垂れていた。
そして、ゆっくりと近づき、脚に力を込め・・・
「ガア!!」
餌へと向かって飛び出した。
牙を剥き出しにし、涎をまき散らしながら無防備なラスに接近する。
「ラス!」
思わず叫んでしまう俺だが、今のラスに気にしている余裕は無い。
そして、あと少しで剥き出しの牙がその身に突き刺さろうとした瞬間。
「ガッ―――!?」
ラスの眼前で虎の動きが止まった。いや、止められたのだ。その大きな体を貫通する勢いで飛び出してきた土の槍に。
「ふぅ・・・」
少し安心したように、そっと息を吐くラス。
その目と鼻の先には、胴体や腕、脚を貫かれた虎が空中で動きを止めており、その体からは既に大量の血が土の槍を伝って地面へと流れている。
そんな瀕死の虎を見つめた後、俺の方へと向き直って声を掛けてきた。
「大丈夫?」
茶色い瞳に見つめられながら、俺は黙って頷いた。ラスの瞳を見つめ返すことも忘れ、空中で息絶えていく虎から目を離せずに。
そして、小さく、ボソッと呟く。
「なんで、気分が悪くならないんだ・・・?」
過去の、道の端で死んでいる動物を見て、気分を悪くして吐いた自分を思い出しながら。
一人称視点に変更しました。