脇役Cはフラグを折れない(番外編 その2)
先輩の恋愛力は小学生以下です。
リカルド・バルマン。身長178センチ、血液型はO型。リュミエールの星制度では星二つの家柄だが、絵画に非凡な才能があり、七つ星に数えられている。両親は画商を経営している。明るく穏やかな性格。苦手科目は文系。リディアをモデルに絵を描いたことで、フラグが立つ……。
リカルド先輩のことなら割と知っている。いちゲームユーザーとしてだが。
放課後、美術室に向かうと、リカルド先輩がこちらに背を向けて、机に向かっていた。先輩が絵を描いてないなんて、珍しいな。
「先輩、こんにちは」
「ああ、ルミナか」
リカルド先輩が振り向き、笑顔をみせた。濃い茶髪に橙色の瞳。いつみても、陽気で穏やかなオーラが漂っている。乙女ゲーム「真紅のリディア」の攻略対象キャラであり、私の先輩でもあった。そう、ここは乙女ゲームの世界なのだ。そして私は、そのゲームの脇役Cである。
「じつは補習を受けることになってな」
「え……先輩が?」
彼は七つ星のひとりだ。たしか文系科目が苦手だった気がするけど、補習を受けるほどだとは。
「ああ、綴りを間違えて不正解、が大量にあってな。見逃せない量だからと補修になってしまった」
リカルド先輩は困り顔で頭をかく。
「そうなんですか……」
「間抜けだろう。笑ってもいいぞ」
リカルド先輩は、たしかディスレクシアなのだ。「真紅のリディア」の攻略対象キャラクターは、みな何かの欠陥がある。
アーカード・コーンウェルは色盲、レイ・アースベルは睡眠障害、リカルド・バルマンは読み書き障害
あと二人いる攻略対象キャラクターには、私はまだ出会ったことがないが、多分彼らにもゲームの設定通りの欠陥があるだろう。
「笑ったりしません。間違いは誰にでもあるじゃないですか」
そう言ったら、リカルド先輩が目を緩めた。
「ルミナ、日曜日ひまか?」
そう問われ、私は目を瞬いた。
「ひまですが。何かあるんですか?」
「買い物に行こうと思ってな。付き合ってくれ」
「いいですけど、なにを買うんですか?」
「絵の具がなくなってきてるんだ。購買には売ってないしな」
リカルド先輩のうちは大手の画商だ。絵の具を大量にストックしていそうだけど。というか、なんで私を誘うんだろう。
こないだ指を舐められたことを思い出し、私は真っ赤になった。
「ルミナ?」
「えーと、日曜日ですね、待ち合わせはどこでしますか」
「駅前にしよう。金の時計広場」
それは、デートの待ち合わせスポットじゃないですか。いやいや、デートじゃないし。リカルド先輩はそういうタイプじゃないし。
私はぶんぶん首ふり、はい、と答えた。
☆
その夜、私は自分の手持ちの服を眺めながら、うーん、と唸っていた。べつにオシャレしなくてもいいよね、これはデートじゃないし。無難にキュロットとセーターでいいか。リカルド先輩は時計台の前で立っていた。──のはいいが。
ナンパされてるし、あの人。なんせ乙女ゲームの攻略キャラクターなので、顔立ちは整っているのだ。ああ、いやだなあ。でも行かなきゃ。私はリカルド先輩に近づいていき、
「お待たせしました」
「ああ、ルミナ」
にこっと笑ったリカルド先輩は、ナンパしてきた女の子を見上げ、
「悪いな、話はまたにしてくれ。待ってた子が来たから」
立ち上がる。女の子はつまらなそうな顔して、私をにらんだあと歩いて行った。なぜ睨まれなきゃいけないんだろう……リカルド先輩と話してると、たまにこういうことがあって、気持ちが沈む。
「先輩、またにしてくれ、って、連絡先きいたんですか?」
「いや、しらない」
だろうと思った。いい加減というかなんというか。
リカルド先輩は私をしげしげと見た。
「な、なんですか?」
「もっと洒落てくるかと思ったんだが」
「え?」
「まあいい。行こう」
それはどういう意味ですか。私の服装になにか問題でも──? そんな追求をする前に、リカルド先輩はさっさと歩いていく。足が長いので、歩くのも速いのだ。
「リカルド先輩!」
「ん?」
「足速いです、もうちょっとゆっくり歩いてください」
「ああ、わるい」
彼はさらりと言い、なぜか私の手を握った。
「っ!」
私はびくりとするが、リカルド先輩はまったく気にしていない。駅前にあるショッピングモールの入り口に立ち、
「画材屋は三階だ。エスカレーターで行くか?」
「は、はい」
リカルド先輩は、手をつないだままエスカレーターに乗り込んだ。いや、エスカレーター乗るなら手を離したほうがよくないですか。でも先輩気にしてないし。私だけ意識してるみたいだし。先輩は絵の具を大量にカゴに入れ、
「ルミナは何か買うものないのか」
「そうですね、水彩用のスケッチブックを買おうかな」
「ついでに買ってやろう」
「いいですよ、自分で」
遠慮するな。早く早く。先輩がそう言うので、小さめのスケッチブックを買ってもらった。
「よし、買い物は終わりだ」
「解散ですか?」
「まだ来たばっかりだろう」
でも、これ以上なにをするんだろう。先輩はエスカレーター前に貼られていたポスターを見て、
「上で現代作家の個展をやってるらしい。見て行かないか」
「個展ですか。いいですね」
美術部員だから、やっぱり展覧会には興味がある。先輩が手を差し出して来たので、私は目を瞬く。
「なんですか、この手」
「なにって、手を繋ぐんじゃないか」
「いや、大丈夫です。エスカレーター上るだけだし」
「エスカレーターは危険だぞ。こないだ事故があったらしい」
ああ、日本でもたまに子供が落ちちゃったりとかしますもんね……じゃなくて。私子供じゃないんだけど。リカルド先輩ってわりと躊躇なく触ってくるよね。大きな手だなあ……じゃなくて。
この状況……なんだろう。あんまりよくないんじゃないだろうか。だって、リカルド先輩は攻略対象なわけで。当然リディアを好きになるべきなわけで。だってこの世界は、リディアのためにあるんであって、私のためにあるわけではない。私は、脇役Cなのだから。
「あ、の、先輩」
「ん? あ、ついたぞ」
結局手をつないだまま、私たちは個展会場に入っていった。フロアの一角にあるので、さほど広くはないが、内容はなかなか充実していた。私は一枚の絵をみて、
「私、この絵好きです」
「ああ、俺も好きだ」
リカルド先輩の言葉に、私はびくりとした。……いや、違う。先輩は絵が好きなんであって私がすきって言ったわけじゃないし──っていうか、いつまで手をつないでるんだろう。
個展会場には、売り場が設けられていて、絵画のレプリカが購入できるようだった。リカルド先輩はいくつかレプリカを買い、私はポストカードを買った。
「次はどうする。飯でも食べるか」
「え」
たしかにお腹が空いてはいた。またもや自分の立場というものを思い出す私だったが──ごはん食べるだけだし、べつにいいよね。リカルド先輩と手を繋ぎ、フードコートへと歩いていく。またもや手を離すタイミングを逸してしまった。
「なにが食べたい?」
「リカルド先輩の好きなもので」
「じゃああそこにしよう」
先輩は街中でよく見かけるカフェを指差した。なんでも、店内のデザインが好きなのだという。
「この配色、落ち着くだろう? 自分の部屋も同じ壁紙にした」
先輩は色や形にこだわりがあるみたいだ。私とは、違う世界が見えてるのかもしれない。この店は、セルフサービスらしく、私と先輩はカウンターの列に並んだ。ふと、テーブル席に、見慣れた二人がいるのをみつける。
「あっ」
アーカードさまとリディアだ。私は慌てて先輩の背後に隠れた。
「どうした、ルミナ」
「い、いえ、あの、この店やめませんか」
「なにか気に入らないのか」
「いや、えっと」
こちらに気づいたリディアが、目を見開く。
「ルミナ……さん?」
アーカードさまもこちらを見て、表情を険しくした。当たり前だ。私は、リディアをいじめていたのだから。
「ああ、アーカード」
リカルド先輩は屈託なくアーカードさまに近づいていく。アーカードさまはリカルド先輩に頭をさげ、
「こんにちは」
「久しぶりだな。ん? その子は、彼女か?」
そう問いかけられ、リディアが真っ赤になった。アーカードさまは照れくさそうな顔をし、私の方に目を向けた。若干冷ややかな口調で尋ねる。
「バルマン先輩は、その子と付き合ってるんですか?」
「ん? いや違うぞ。部活の後輩だ」
「そうですか」
「混んできたし、一緒に食べていいか?」
アーカードさまはちらりとリディアをみた。リディアは微笑んで、はい、と言う。私はリディアの前に座った。手が震えている。どうしよう。リディアが、私に嫌がらせされたことを話したら。リディアと先輩が自己紹介し合う。
「よろしくな、リディア」
先輩は初対面にも関わらずリディアを名前でよぶ。こういうことを臆面もなくできてしまう人なのだ。
「おまえたちは確か同じクラスなんだろう? ルミナとリディアは仲がいいのか?」
心臓がどくりと鳴った。仲がいいわけがない。喉がひどく乾いて、目の前がぐらぐら揺れる。
「はい、転校してきたとき、親切にしてもらいました」
リディアの言葉に、私は呆然と顔をあげた。リディアは赤いリボンをゆらして、私に笑いかける。
「あの時はありがとう」
──ちがうのに。あれはセーレさまが。私はなにもしていない。ただの脇役である私が、リディアに影響を与えることなどないのだ。私の役割は、ただの、悪役令嬢の取り巻き。なのにどうして私はいま、ここにいるのだろう。
リカルド先輩の隣に、座っているのだろう。私は椅子を引いて、席を立つ。
いきなり立ち上がった私を、リカルド先輩が不思議そうにみた。
「ルミナ?」
「ご、めんなさい、用事を思い出して。先輩、私、先に帰りますね」
そのまま足早に店を出る。自分がひどく醜く思えて、ここにいたくないと思う。早く帰りたかった。足音が追いかけてきて、腕を引かれる。
「ルミナ、どうしたんだ?」
「なんでもないんです」
「あの二人と……なにかあるのか?」
「いえ、なにも」
先輩と目を合わせられなかった。もし、リディアにしたことを話したら嫌われる。私はそんな、ずるいことを考えていた。
最低だ。
「リディア、かわいいでしょう?」
「え? ああ、そうだな」
リカルド先輩がうなずいた。
「派手じゃないが、かわいい子だ」
やっぱり、先輩もリディアに惹かれているんだ。当たり前だ。リディアは可愛くて性格もいい、このゲームのヒロインなのだから。
「かわいいから、私、リディアのこと妬んだんです。リディアを、体育倉庫に閉じこめようとしたり、噴水に落とそうとしたり」
リカルド先輩は、じっと私をみていた。
「それで?」
「……それだけです。私がしたことは」
「そんなこと聞いてない。あの子に謝ったのか?」
「え」
私がかぶりを振ると、先輩が腕を引いた。
「謝りに行こう」
腕を引かれるまま、私は先輩のあとについていく。謝るなんて、考えもしなかった。カフェに戻ると、リディアが席から立ち上がり、こちらへきた。
「あの……どうかしたの?」
私と先輩を見比べて、困惑気味に尋ねてくる。私はリディアに向かって、頭をさげた。
「ごめんなさい」
ついで、先輩が頭を垂れた。
「ルミナが悪かった。俺からも謝る」
どうして先輩が謝るんですか。先輩は、なにもしてないのに。私が、そうさせているんだ。先輩に頭をさげさせてる。
下を向いているせいで、涙がにじむ。リディアは私の肩にそっと手を置いた。
「サンドイッチ、残ってるから食べましょう?」
顔をあげたら、彼女は微笑んでいた。赤いリボンが滲んで見える。私はうなずいて、涙をぬぐった。リカルド先輩は私の頭をくしゃくしゃ撫でて、席へ戻る。アーカードさまは私たちを見比べ、少しだけ瞳を緩めた。リカルド先輩はサンドイッチを半分に割り、私に差し出した。
「ルミナ、俺のたまごサンドを半分やる」
「え、い、いですよ」
「交換だ。そっちのも食べてみたい」
私はしかたなく、サンドイッチの半分をリカルド先輩にあげた。リカルド先輩は嬉しそうにサンドイッチを頬張っている。私たちのやりとりを、リディアがくすくす笑いながらみている。
ここに私がいるのはおかしいけれど、今日ここでリディアと会えてよかった、と思う。リカルド先輩のサンドイッチは、たまごの優しい味がした。
リディアとアーカードさまと別れた私たちは、金時計の前、ベンチに座っていた。リカルド先輩は息を吐き、
「ああ、腹がいっぱいだ。あの店、美味かっただろう?」
「はい」
「あ、鳩だ」
リカルド先輩は寄ってきた鳩に、鳴き真似をきかせている。私はちらりとリカルド先輩をみて、ぎゅ、と拳を握りしめた。
「あの、リカルド先輩」
「ん?」
「私、リディアとのこと、応援しますから」
リディアはアーカードさまと両思いだけど、まだ付き合い始めたばかりだろうし、先輩に全くチャンスがないわけじゃない、と思う。先輩はキョトンとしている。
「どういう意味だ?」
「だから、その、リディアが可愛いって、言ってたし」
「まさか、俺があの子に一目惚れしたのかと思ったのか? アーカードの彼女を変な目で見たりしないぞ」
「そ、そうですか」
どうやらフラグは立たなかったらしい。私はほ、と息を吐く。──あれ? なんでいま、ホッとしたんだろう。
「しかし、ひどいことをするんだな」
「え?」
「体育倉庫に閉じこめようとするなんて」
「は、い」
なんにせよ、私が先輩に軽蔑されたのは確実だった。
「もうしたらダメだぞ、ルミナ。そんなことしても、だれも幸せになれないんだから」
「はい」
私は、悪役の取り巻き、っていう役割を果たさなきゃいけないのだと思っていた。たぶん、セーレさまもそうだ。だけど、結局、無理が出て、ぼろが出てしまう。
私たちはゲームのキャラクターじゃなく、生身の人間なのだから。
「それに、リディアに嫉妬する必要なんかないぞ。ルミナはじゅうぶん──」
鳩がバサバサ翼をはためかせ、空へ舞い上がる。リカルド先輩の、橙色の瞳がこちらを向いた。
「かわいい」
私はその言葉に真っ赤になった。
「ふ、普通って、言ったじゃないですか」
「うん、普通だけどな。かわいいぞ」
どっちなんですか。この人の言うことは、真に受けないでおこう。
「先輩って、いろんな子とフラグ立ててそうですよね」
「フラグ? 旗を立ててどうするんだ」
「多分、違う世界に行ったらダンジョンでチートとかできますよ」
「だんじょん? チーター? おまえはたまによくわからないことを言うな」
「わからなくていいんです、先輩は」
先輩がリディアを好きになるかはわからないけど、私と先輩のフラグは、たぶんこれでおしまいだ。
☆
翌朝、登校した私はリディアの後ろ姿を見つけ、鞄の取っ手を握りしめた。近づいていき、声をかける。
「お、おはよう」
リディアは赤いリボンを揺らし、こちらを見た。
「お、おはよう」
「おはよう」
笑顔が返ってくる。と、背後からセレナの声がした。
「おはようルミナ」
彼女たちはリディアをみて、怪訝な顔をする。
「なに? リディアとなにか話してたの」
「ううん、なんでもない」
私は脇役C。リディアと仲良くなったりしない。あまつさえ、先輩とフラグをたてたりなんか──
☆
「ねえ、きいた? ルミナ、リカルド先輩とデートしたんだって?」
「うっそ、マジで?」
そんな声が聞こえてきて、私は美術室のドアを開けようとしていた手を止めた。
美術部は女子部員が多いので、リカルド先輩はアイドル扱いなのである。
「なんでルミナなの」
「そーよね、あんなつまんない子」
それは私が聞きたい。中に入っていく勇気はなかった。私はため息をついて、ドアから手を離す。踵を返そうとしたら、リカルド先輩が立っていた。
「!」
「入らないのか? ルミナ」
「えーと、あの」
しどろもどろになっていた私の耳に、とんでもない言葉が飛び込んできた。
「あの二人ってさ、付き合ってんの?」
「それよね。まさかあの子、リカルド先輩を身体で釣ってるとか?」
「ないでしょ。どうやって釣るわけ」
嘲るような笑い声が聞こえてきた。頭の奥がじわりと熱くなる。なんてことを言うんだ。よりによって、リカルド先輩が目の前にいるのに。これは天罰なのだろうか。リディアに嫌がらせをした、報い?
私は先輩にぎこちなく頭を下げ、その場を離れようとした。先輩が私の腕を引く。
「どこ行くんだ、ルミナ」
「どこって、ちょっと、お手洗いに、わっ」
先輩は私を引き寄せ、ガラ、と扉を開けた。中にいた子達が、笑うのをやめ、ギョッとした目でこちらをみる。
「り、リカルド先輩」
「今の話は間違ってるぞ。俺がルミナを買い物に誘ったんだ」
「なんでそんな子を」
「ルミナが好きだからだ」
リカルド先輩のせりふに、美術室にいた子達が息を飲んだ。私はぽかんとしながら先輩を見上げる。
「話があるなら俺に言ってくれ。ルミナの悪口は言うな」
「べ、べつに悪口なんか言ってないよね」
「うん、言ってない」
「あっ、バスの時間」
彼女たちは荷物をまとめ、そそくさと部室を出て行った。先輩は帰るのか、気をつけてな、とか言っている。彼は部室に入り、荷物を置いて、イーゼルを手にした。ぼけっと立っている私を振り返り、
「ん? どうしたルミナ。入らないのか?」
「え、あ」
私はギクシャクした動きで教室に入った。リカルド先輩は不思議そうに私をみている。とても恋する表情には見えなかった。
「どうしたんだ」
「せ、先輩、あんな嘘、つかなくていいのに」
「嘘?」
「私を、すきって」
「ああ、嘘じゃないぞ。俺はルミナがすきだ」
「後輩として、ですよね」
「ん? まあそうだな」
あの子たち、絶対勘違いしたよね。
「また一緒に展覧会でも行こう。いいだろう?」
「……誤解されますよ、付き合ってるとか」
「ああ、そうか」
リカルド先輩はしばし考え、名案を思いついたとでもいうように指を立てた。
「そうだ、本当に付き合うというのはどうだ?」
「はい?」
私はぽかんとした。リカルド先輩はうんうん頷き、
「我ながらいい案だ。よし、付き合おう」
「ちょっ、無理ですよ」
「なんでだ?」
「だって、すきでもないのに」
「俺はおまえがすきだぞ」
「だからそれは、恋愛感情じゃないでしょう?」
変だぞこの人……絵の才能はあるけど、こういうことはからきしなのだろうか。
「恋愛感情か。俺は恋をしたことがないからよくわからないが、おまえにはわかるか?」
橙色の瞳で見つめられると、どきまぎしてしまう。
「わ、私も……よくわからないですけど」
「なら、付き合ってみよう。わかるかもしれないぞ」
なら、ってなんなんですか。私は目を泳がせて、
「私、脇役Cだし、先輩と付き合うなんて、分不相応っていうか」
ふと、先輩が唇を尖らせているのに気づいた。
「あの、先輩?」
「おまえは俺が嫌いなのか? さっきから断ろうとしているだろう」
「っそんなこと、ないです」
私は慌ててかぶりを振った。だって、付き合うなんて、フラグが立つどころの騒ぎじゃないし。
「もういい。付き合いたくないんだろう?」
「あ」
先輩はぷい、と背を向けてしまった。イーゼルをたてる、カチャカチャという音だけが響いていた。
よくわからない。この気持ちは、恋なんだろうか? 先輩に近づいたらいけないと思う気持ちと、近づきたいと思う気持ちがまざって、頭の中が混乱する。
フラグ立てたとしても、折らなきゃいけないのに。だって私は、脇役だから。
私は鞄の取っ手を握りしめ、先輩に近づいていく。彼のシャツを、ぎゅっ、と握りしめた。先輩の動きが止まって、橙色の瞳がこちらを見た。
「私、普通で、つまらない、ですけど……また先輩と出かけたりしたい、です」
「……つまらなくないぞ」
先輩はこちらを向いて、私の頰を撫でた。
「ルミナはかわいい」
ドキドキして、顔があつくなる。
「かわいいとか、誰にでも言ってそう」
「言ってないぞ」
「絶対、うそです」
リディアにだって言っていたし。たしか、セーレさまにも美人って言っていた。あの二人に比べたら、私はきわめて普通だ。
「じゃあ指切りしよう。ルミナ以外には、かわいいって言わない。おまえは俺の、彼女だからな」
差し出された小指に、自分の小指をからめる。
「ゆびきりげんまん、嘘ついたらハリセンボンのーます、指切った」
「おまえの小指、ちいさいな」
「先輩が大きいんです」
私と先輩の小指は、指切りしたのにきれなかった。
結局、フラグが立つどころの騒ぎじゃなく、私は先輩の彼女になってしまった。