サマータイム 2
ふわり、となびいたのは白いワンピース。長い髪がなびいて、細い身体が落ちていく。その映像は、まだ瞼の裏に焼き付いているんだ。
★
セーレが風呂に入っている間、俺は部屋をうろうろしていた。潮水を含んだシャツが肌に張り付いて気持ち悪いけど、そんなの大したことじゃない。問題は、セーレが風呂に入ってるってことだ。
俺が溺れたのかと思って、涙を浮かべるセーレに、不謹慎だけどきゅんとした。濡れた帽子は、窓辺で乾かしてある。今日は天気がいいから、きっとすぐ乾くだろう。
風呂に入る前のセーレは、色っぽくて可愛かった。ワンピースがちょっと透けてて、はりついた髪が色っぽかった。俺はたくさん我慢をして、セーレを一人風呂へ押し込んだのだ。
セーレがシャワーを浴びてるところをつい想像してしまう。落ち着け、まだ昼だし、またがっついて、万が一セーレに嫌われたら大変だ。せっかく両思いになったんだから、ゆっくり進めればいいんだ。
そういえば、アーカードが、冷静になりたいときは素数を数えろって言ってた。素数ってなんだっけ。1とそれ以外で割り切れない数字だっけ。いち、さん、ご、なな、じゅういち……。
俺が頭の中で素数を数えていたら、ノックの音がした。よし、だいぶ冷静になってきた。
「はい」
「セーレですが」
俺がドアを開けたら、セーレが立っていた。
「お風呂でました」
その姿を見て、俺は息を飲んだ。
セーレはキャミソールとショートパンツを着ていた。すらっとした足や、細い腕が晒されていて、白い肌がうっすら桃色に色づいている。
俺がじっと見たら、困ったように視線を返してきた。
「レイさま?」
どうしてセーレはこんなに可愛いんだろう。セーレと両思いになれてよかった。片思いだったら、誰かに取られてたかもしれない。首筋とか鎖骨が目に毒なので、俺はバスタオルでセーレの首をぐるぐる巻きにした。彼女は嫌そうに眉をしかめた。
「レイさま、暑いです」
「セーレのためだから」
「?」
不思議そうにこっちを見るセーレも可愛い。ああ、せっかく冷静になったのに!
「風呂行ってくるね」
俺は着替えを持って、階下へ向かった。シャワーを浴びたら、落ち着くかな。
浴室に入り、コックをひねる。海で冷えた体に、お湯が心地いい。俺はシャワーを浴びながら、昔母親と、この別荘で過ごしたことを思い出していた。
──お父さんはこないの?
そう尋ねたら、
──ええ、お父さんは、お仕事が忙しいの。
母親はそう言って、バルコニーからぼんやり外を眺めた。そして、俺に絵本を読むように言って、その隙にバルコニーから飛び降りたのだ。
二階からだったから、生死には関わらなかったけど、駆けつけてきた父親は、心配するより先に、真っ青になって母を罵った。
──レイがいるのに何を考えてるんだ!
──ごめんなさい、あなた。
母は静かにそう言った。なんの言い訳もなく、母はただ父に謝った。母がしたことは、確かに間違ったことだった。だけど、父さんは怒るより先に、母さんを心配してあげるへきだと思った。
それ以来二人は別居を始めた。
なぜ母が飛び降りたのか、未だにわからない。理由なんてないのかもしれない。もしかして、父さんに来て欲しかったからなんだろうか。
俺は頭を振って水気を飛ばした。浴室から出て、身体を拭く。そういえば、管理人はまだ来ないのだろうか。服を着て脱衣所から出たとき、ちょうどインターホンが鳴った。俺は玄関に向かい、ドアを開けた。
そこには、久しぶりに見る人が立っていた。背中まで伸びた、長いプラチナブロンド、深い海色の瞳。まるで変わってない。あれから十年以上経つのに。
「母、さん?」
「久しぶりね、レイ」
母はそう言って微笑んだ。何年ぶりかしら。のんびり言う彼女は、とても二階から飛び降りた人間には見えなかった。
「久しぶり……」
「見て。貝殻を拾ったの」
彼女は手のひらに、桜貝やシマガイなどを山盛り持っていた。俺はそれを見下ろし、ああほんとだ、とつぶやいた。
──じゃなくて。
「なんで、いるの?」
「暑いから、避暑に来たのよ」
母はなんでもないように言った。彼女は実家で静養しているはずだった。近くに誰かいる様子は無い。まさか、一人で来たのか。
「あら? 誰か他に来てるの?」
母の視線は、足元へ向かっていた。セーレの靴を見下ろしている。
「セーレ・バーネットだよ。婚約者の」
「まあ」
彼女は目を輝かせた。
「会いたいわ」
俺は母を連れ、二階へと上がっていった。キョトンとするセーレに、母を紹介する。
「俺の、母親」
「えっ!?」
セーレは目を見開いた。
「お、お母さま、ですか」
「ええ。似てるでしょう?」
「ええ……な、なんというか、お若いですね」
母はそうかしら、とつぶやいて、首を傾げた。セーレは真面目な顔で頷く。
「はい」
「あなたの方が若くて可愛いわ」
「は、はあ」
セーレは戸惑っている。母さんはちょっと不思議なのだ。
「にしても、偶然ね。かち合うなんて」
母はそんなことを言いながら微笑んでいる。
つまり、母さんは一足先に別荘へ来ていたんだ。どうりで花や紅茶が補充してあったわけだ。
「ねえ、お腹が空いちゃった」
母がのんびりと言う。
「レイ、管理人さんを呼んできてくれない? 早めにお夕飯にしましょうよ」
「いいけど…母さん、一人でここまで来たの?」
「当たり前でしょう? 大人なんだから」
いや、母は一人でバスに乗ったこともないはずだ。まあ、ハイヤーで来たのだろうけど。俺はセーレに、ちょっと管理人を呼びに行ってくる、と告げた。
「あ、じゃあ私も」
「いや」
俺はセーレの言葉を遮った。母さんは一人で来たんだ。きっともう大丈夫なんだ。そう思う自分と、やっぱり一人にしたら危ない、と思う自分がいた。
「いいんだ。セーレはここにいて」
初対面の母さんと二人きりなのは、きっと気まずいだろうなとは思ったけど、セーレならきっと大丈夫だ。だって、俺が好きになった子なんだから。母さんもきっと気にいる。
「じゃあ、行ってくるね」
俺はそう言って、別荘を出た。