サマータイム 1
青い空、白い雲。夏の風は、日本ほどじめっとしていない。もうすぐ、夏休みがやってくる。レイと過ごす最初の長期休暇。
体育館で、終業式が開かれている。壇上では生徒会長が挨拶をしていた。私はちら、と横に座っているレイを見る。レイは眠いのか、うとうと頭を揺らしていた。私はそっと手を伸ばし、レイの脇を突いた。
レイは薄眼を開け、ぼんやりこちらを見た。私の肩にこてん、と頭をもたせかけてくる。
「っ!」
私たちを見て、くすくす笑いが響いた。
「レイさまったらまた寝てらっしゃるわよ」
「よほどセーレさまの隣が安心なのね。可愛らしいわ」
私は真っ赤になり、レイを起こそうとしたが、彼が気持ちよさそうに目を瞑っているので、仕方なく羞恥に耐えた。
☆
終業式後、私が荷物を鞄にしまっていたら、レイがいつもの、不思議な雰囲気を醸し出しながら、私に話しかけてくる。
「セーレ、夏休み、俺の別荘にこない?」
「別荘、ですか?」
「うん。海辺にあるんだ」
「海ですか。でも、ご家族で行かれるんでしょう? 私はお邪魔では」
「大丈夫。父さんは仕事だし」
「あの、お母様は」
「母さんは……俺どころじゃないんだ」
「どういうことですか?」
レイが口ごもった。きっと、言いたくないことなんだろう。私は明るい口調で、
「わかりました、お邪魔させていただきますね」
レイはホッと息を吐き、いつがいい? と尋ねてきた。
「そうですね、今月末まで夏期講習があるので、その次に」
「じゃあ、来月、迎えに行くね」
彼はそう言って、にこ、と笑った。
☆
この世界は、西暦を採用している。つまり、時間の進みは地球と同じなのだ。
今は八月。庭にはひまわりが咲いている。私が花に水をやっていたら、門の前に車が停まるのがみえた。私服姿のレイがおりてきた。
「セーレ」
「レイさま」
駆け寄ると、レイがふわっと笑った。
「そのワンピース、かわいい」
「え? そうですか?」
「うん。妖精みたい」
どちらかといえば、レイのほうが妖精っぽいけど……。私は荷物をもち、父に声をかけた。
「お父様、行ってきますわ」
「ああ。レイくん、久しぶりじゃないかね」
玄関から出てきた父は、レイの肩をばしばし叩いた。私はハラハラしながらそれを見守る。レイは動じるでもなく、
「こんにちは」
父はニコニコと、
「いやあ、仲睦まじいことで結構だ。なんならそのまま一緒に住んでしまったらどうかね」
「はい」
「はい、じゃないですわ。レイさま、行きましょう」
私はレイの腕を引いた。
「はは、尻に敷かれんようにな!」
父の声が追いかけてくる。ああ、恥ずかしすぎる。
車に乗り込むと、レイが口を開いた。
「ねえ、セーレ」
「はい?」
「一緒に住んだら、ベッド一個でいい?」
ぼんやり顔でなにを言ってるんだ、この人は。
「な、それは冗談でしょう!」
「冗談なの?」
レイはしゅんとした瞳でこちらをみてきた。うっ。なんですか、その目は……。
「私たち、まだ学生ですし」
「卒業したら、結婚してくれる?」
「それは、ええ、婚約者ですから」
「ほんと?」
レイがぱっ、と顔を明るくし、小指を差し出した。
「指切り、しよ」
「……」
私はレイの指に、自分の小指を絡めた。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます、指切った」
絡めた小指をふり、レイが約束だよ、と言って微笑んだ。
「……はい」
運転席から咳払いが聞こえてきたので、私は慌てて小指をほどいた。
☆
車は海沿いを走り、丘の上に立つ白い建物の前で止まった。車から降り立った私は、建物を見上げて感嘆した。
「わあ、すごく素敵」
「そうかな。毎年きてるから、よくわかんないや」
海風が髪を撫でていく。潮の香りがした。
「それでは、私はこれで」
「ありがとう」
運転手が頭を下げ、車に乗って去っていく。レイが別荘の鍵を取り出し、ガチャリと開いた。
「どうぞ」
「お邪魔します」
私は一礼して、靴を脱ぐ。レイは鍵をチャリチャリ鳴らしながら廊下を進んだ。彼は廊下の突き当たりに置かれた花瓶を見て、
「あれ? 花が飾ってある」
「百合の花ですね。綺麗」
「なんでだろ。誰も来てないはずなんだけど」
清掃の人かな。レイはそう呟いて、百合の花に触れた。
「母さんが好きな花だ」
「そうなんですか」
私はレイの母親について思い出していた。たしか、父親とは不仲で別居しているのだ。何も言えないでいると、
「客間に案内するね。こっち」
レイが二階を指差した。私は彼について階段を登る。レイは部屋を指差し、
「セーレの部屋はここ」
「ありがとうございます」
私は部屋に入って、室内を見渡した。落ち着いた壁紙はアイスブルーで、レイのイメージと合う。
「俺の部屋は隣だから」
「そうなんですか」
「本当は一緒の部屋がいいけど」
「な、何言ってるんですか」
私が動揺するのを見て、レイは柔らかく笑った。冗談だったらしい。
「お茶淹れるから、荷ほどきがすんだら下に来て」
彼はそう言って、部屋を出ていく。私はふう、と息を吐いて、ベッドに腰掛けた。スプリングがぎしりときしむ。天井は見知らぬ高さだった。これからここで過ごすんだ。レイが待ってる。早く行かないと。トランクを開けて、荷物を取り出した。
☆
階下に行くと、紅茶のいい香りが漂ってきた。私は息を吸い込み、匂いのする方へと向かう。レイがキッチンに立ち、紅茶を淹れていた。私を見て微笑む。
「セーレ」
「アールグレイですか?」
「うん。茶葉、替えようと思ったんだけど、新しくなってた」
「優秀な管理人さんなんですね」
「去年はこんなことなかったんだけど」
レイはクッキーを皿に空け、私に紅茶を差し出した。
「食事は管理人が作ってくれる。あんまり美味しくないけど」
「え……」
だからこれ非常食なんだ。レイはクッキーを指差す。セーレは目を瞬いた。
「ええと、失礼ですが、なぜ管理人さんを替えないんですか?」
「この辺あんまり人いないし、多分父さんは替えるのが面倒なんだよ。仕事以外に興味ない人だから」
レイはそう言って、クッキーをかじった。そうだった、アースベル家は家族仲があまりよくないのだ。私が言葉に困っていたら、レイがこちらを向いた。
「ねえ、これ食べたら海に行こう」
「海、ですか?」
「うん。海、綺麗だよ」
「はい」
レイと共に海へ向かった。レイの言う通り、美しく澄んだ海には、誰もいなかった。この季節にこの閑散ぶりの原因は、ひとつしかない。
「プライベートビーチ?」
「うん。セーレの家にもあるでしょ」
「はい」
私は頷いて、足元を走るカニを見下ろした。波が打ち寄せると慌てて避け、またよたよたと歩いて行く。私はふふ、と笑った。
「可愛い」
しゃがみこんで眺めていたら、レイがじっと私を見ているのに気づいた。
「な、なんですか?」
「うん? カニを愛でるセーレが可愛いから」
「よくわかりません」
なんだか恥ずかしくなって、私は立ち上がった。海風が吹いて、帽子がふわりと浮き上がる。
「あっ」
手を伸ばすも間に合わず、飛ばされて、海へと落ちてしまった。
「俺、とってくるから、待ってて」
レイはそう言って、海の中に入っていく。
「レイさま、濡れてしまいます」
「もう濡れてるよ」
バシャバシャと水をかき分け、レイは海へ入っていく。私はハラハラしながらレイを見守った。と、いきなりレイの身体が消える。
「!」
私は目を見開いて、海の中へ入っていく。薄い生地のワンピースは、あっという間に水を吸った。
「レイさまっ」
水の抵抗のせいで、うまく前へ進めない。心臓がどくどく鳴っていた。いきなり深瀬になっていたのだろうか。と、レイが消えたあたりで水面が揺れ、バシャッ、と水が跳ねた。
「!」
キョトンとした顔で、レイがこちらを見ている。
「セーレ、どうしたの?」
「れ、レイ、さま」
「帽子、あったよ」
レイが得意げに帽子を差し出す。
「そんなの、いいです」
私は顔を歪め、レイのシャツにしがみついた。
「着衣水泳は危ないって、学校で習ったでしょう!」
「……泣いてるの?」
レイの指先が、私の髪を撫でた。
「泣かないで、セーレ」
「泣いてないです」
「俺、泳ぎ得意なんだ」
「……知ってます」
レイはこう見えて、運動神経がいいのだ。だからアーカードも、運動行事があるたびに、レイを引っ張り出す。それでも、レイがいなくなってしまうような気がしたのだ。
彼は私の前髪を濡れた手で撫でて、そっと目元に口づけた。深い海色の瞳は、優しく私を見つめている。この人は海のようだ。広くて、綺麗で、見ていると心臓が高鳴って、なぜか少し切なくなる。
「濡れちゃったし、帰ろっか」
私ははい、と答え、レイの手をぎゅ、と握りしめた。
☆
家に入る前、念入りに服の水を絞った私とレイは、どちらが先に風呂に入るかで争っていた。
「セーレは女の子だし、身体冷やしたらダメだ。先入って」
「ダメです、私のせいで、レイさまは濡れてしまったんだから」
彼はセーレの意地っ張り、と呟き、耳元に唇を寄せた。
「じゃあ、一緒に入る?」
「っ!?」
「恋人だし、変じゃないよね」
「え、あ」
レイが私の腕を引っ張った。浴室にたどり着いたら、彼がシャツを脱いだ。私はどくどく心臓を鳴らし、レイを見つめる。銀髪が乱れているせいで、やけに色っぽい。
「セーレも脱いで」
固まっている私に、レイが近づいてくる。私はびくりとして叫んだ。
「さ、先に入ります!」
レイはあっさりと、
「うん、そうして」
「へ?」
「俺、自分の部屋にいるから。着替えあるよね?」
「は、はい」
レイはさっさと浴室を出て行った。なんだか、私ばかり動揺しているような気がする……。私はため息をついて、着替えを取りに二階へと向かった。