おおかみとうさぎときつね 3
あるところに、おおかみとうさぎときつねがいました。きつねはうさぎを食べたかったけれど、銀色のおおかみがうさぎを守っていたので、かないませんでした。
昔、母さんが読んでくれた絵本のタイトルは、「おおかみとうさぎときつね」って名前だった。長いタイトルだ。内容はよく覚えてない。だけど、たしか悲しい話だった気がする。
☆
ピーッ、と笛が鳴り響き、選手たちがプールにバシャンと飛び込む。俺は日差しが照りつけるプールサイドで、ストレッチをしていた。
「レイさま」
呼ばれて振り向くと、セーレが立っていた。水着姿だ。セーレも選手なのだ。
「セーレ」
「頑張ってください」
「うん、頑張る」
俺は身をかがめ、頑張れのキスして、と言った。セーレは真っ赤になって、何言ってるんですか、と俺の肩をたたいた。
照れるセーレも可愛い。
「あーあーイチャついちゃって、真夏の太陽もうだるよねえ」
嫌味な声とシャッター音が聞こえて、俺はむっ、とそちらをみた。カメラを構えたアレックスがたっている。
「どうも」
「なんでいるの? 選手以外立ち入り禁止でしょ」
観客は、プールサイドの外で観戦しなければならない。アレックスはにやにやしながらパスを差し出し、
「見てみて〜生徒会公認のパスですう。俺こう見えて顔が広いんで」
俺を撮るとか言ってるけど、絶対やらしいこと考えてるにきまってる。セーレが撮られないようにしなきゃ。俺がにらんだら、アレックスは写真をパシャリと撮り、
「おっ、いいねその顔。普段ぼけーっとしてるんだから、いいとこ見せてくださいよ、アースベルくん」
「……おまえには見せない」
俺はセーレの前に立ちふさがった。すると、フェンスの向こうから女の子がさけんだ。
「アレックス! なにしてるのよ」
たしかセーレの取り巻きだ。名前は……。
「何って撮影してんじゃん、ルミナ」
「早くプールサイドから出なさいよ、セーレさまが汚れるでしょ!」
「俺は汚染物質か?」
うまいこと言うな。こいつとセーレを残してくのはすごく不安だけど、もうレースが始まってしまう。
「行ってらっしゃい」
セーレに見送られ、プール台にたった。
泳ぐのは嫌いじゃない。海にいって、波間で揺れてるのは結構すきだ。でも、プールに漂う塩素の香りはすきじゃない。人工的な感じがするんだ。あと、タイムを競うのもすきじゃない。
自分のペースで泳ぎたい。
泳いだあとはすごく眠くて疲れるから、俺は大抵、力を抜いて水を漕ぐ。
「いいか、レイ。全力で泳げ」
アーカードがそんなことを言っている。
全力で泳いだら、俺は絶対寝てしまう。俺が寝てる間に、アレックスがセーレを撮ったり、ちょっかいかけたりするかもしれない。でも、セーレは頑張れって言った。
頑張ったら、セーレに膝枕してもらおうかな。こちらを見下ろして微笑むセーレを想像したら、胸がきゅんとした。
うん、やる気出てきた。
色とりどりのコースロープフロートが、ゆらゆら揺れている。俺はゴーグルをして、身をかがめる。集中したら、周りの音が聞こえなくなった。
合図の笛が鳴った。飛び込んで、水をかく。みんな一斉に泳ぎだしたから、飛沫がものすごい。鼻をつく塩素の香り。だけど気にしてたら前に進めない。周りを気にしないでいるのが、俺は得意だ。ターンするとき、隣には誰もいなかった。
「レイさま、すごいです!」
セーレが頰を紅潮させている。
「かっこよかった?」
「はい」
「セーレさまってやっぱスタイルいいわー」
俺はアレックスからカメラを奪い取った。
「あっ、なにすんの」
「撮ったらダメ」
「セーレさまの肖像権はあんたが握ってるのかい」
アレックスはもうひとつカメラを取り出した。
何個もってるんだ、こいつ。彼はセーレにファインダーを向けながら、
「なあ、アースベル。リディア・セルフィーナってあんたのクラスだよな?」
「うん、そうだけど」
「あの子が転校してきた時さあ、あんた気にならなかったの?」
「なにが」
「いや、フツー、可愛い転校生が来たらきになるだろ」
「セーレの方が可愛い」
「セーレさま以外に興味持ったことないの?」
「ない」
「それがそもそもおかしいんだよなあ」
そうして、フェンスの向こうにファインダーを向けた。
「あっちもあっちだけど」
リカルドとルミナが立っていた。「まあ、でもある意味、それも強制力なのかな」
「強制、力?」
その言葉は、セーレが使っていたものだ。
「そ。あんたはリディア・セルフィーナを「絶対に好きにならない」っていう強制力だ」
「それは、セーレの秘密と関係あるの?」
「そりゃあね。リディアがいなきゃセーレさまは存在してないんだから」
どういう意味だろう。
「リディアとセーレは違う人間だよ」
「違う人間だけど、関係してるんだよ。一心同体と言ってもいい。悪役と主人公だからね」
悪役? セーレが?
確かに、なぜかセーレは、みんなに怖がられていた。
「セーレは、リディアの代わりに嫌われるように、なぜかなってる、ってこと?」
アレックスはおや、という顔をした。
「ぼうっとしてる割に結構鋭いんだね」
「最近はそんなにぼうっとしてない。変な奴がセーレに近づくし」
「まあ二人の愛にはまったく太刀打ちできないけどねえ」
「本気でセーレのこと、好きなの?」
そうは見えない。アレックスは、セーレに関心があるんだと思う。だけどそれが、恋愛感情にはあまり見えない。でも、アレックスはセーレにキスをした。だから俺は、こいつのことがよくわからない。
「すきだよ、美人だし」
「それだけ?」
「十分でしょ。だって他人の中身なんてわかんないじゃん。結局外見がよくなきゃな」
「それだけなら、諦めて」
アレックスがこちらを見た。
「俺はセーレじゃなきゃダメなんだ。他の子を、すきになって」
彼は目を細め、
「その言葉、忘れんなよ」
パシャリとシャッターを切った。
☆
競技が終わったあと、俺は更衣室で制服に着替えた。更衣室から出たら、シャワー室のベンチに、セーレが座っているのがみえる。俺はセーレに近づいていき、声をかけた。
「セーレ、お疲れ様」
「レイさま。お疲れ様です」
セーレは身体を拭きながら、こちらを振り向いた。濡れた髪が色っぽい。俺はドキドキしながらセーレの隣に座った。
「すごいね、ダントツだった」
「他の子達が頑張ったからです」
アーカードはフェンス越しにリディアと話している。トロフィーを持ったクラスメートたちが、アレックスに写真を撮ってもらっていた。
結局、男女ともにA組が勝ったみたいだ。セーレは疲れたのか、ため息をついている。
「ねえ、セーレ。膝枕してあげようか」
「え? そ、そんな、いいです」
慌てた様子のセーレに、膝を叩いてみせた。
「ここ、みんなからは見えないとこだから大丈夫だよ」
セーレは目を泳がせて、そっと俺の膝に頭をもたせかけた。
「重くないですか?」
「うん、全然重くないよ」
俺はセーレの髪を撫でた。少し濡れていて、塩素でキシキシしている。
「レイさま、眠くないですか」
「うん、意外と平気」
「そうですか」
セーレはちょっと眠そうだ。
「寝ていいよ。しばらくしたら、起こしてあげるから」
「え……」
いきなり寝ろと言われても、眠れないみたいだ。俺なら、五秒で寝れるけどな。
「おはなししてあげようか」
「おはなし、ですか?」
「うん、おおかみとうさぎと、きつねの話」
俺は口を開いて、話し始めた。
ある森に、おおかみとうさぎが、仲良く住んでいました。おおかみは銀色で、とても綺麗でした。うさぎはおおかみの綺麗な毛並みが大好きで、おおかみは可愛いうさぎが大好きでした。
ある日、森にきつねがやってきました。きつねはうさぎを見るなり、ごちそうが歩いてる! と思いました。
きつねはうさぎを食べたくて、おそいかかる隙をねらっていましたが、うさぎのそばにはいつも、銀色のおおかみがいました。きつねがおおかみに敵うはずがありません。返り討ちにあうにきまっています。
きつねはお腹がぺこぺこでした。なんとかしてうさぎを食べなければ、しんでしまいそうでした。そんなある日、きつねはいいことを考えました。
「おおかみに、違う仲良しをつくればいいんだ」
きつねはよその森に行き、メスのおおかみを連れてきました。それから、偶然をよそおって、銀色のおおかみにあわせました。
銀色のおおかみは、初めてみるメスのおおかみに戸惑いましたが、すぐに仲良くなりました。
「銀色おおかみさん、私と一緒に、よその森に行きましょう」
メスのおおかみにそう言われ、銀色おおかみは頷きました。
「うん、いいよ。うさぎさんも一緒でいい?」
「だめよ、うさぎは弱いから。おおかみはおおかみ同士が幸せなのよ」
銀色おおかみは迷いました。おおかみの仲間にあえたのは嬉しいけれど、うさぎさんも仲良しなのです。
「満月の晩に、ここにきて。待ってるからね」
メスのおおかみは、そう言って去っていきました……。
そこまで話した俺は、すやすやと寝息が聞こえてくるのに気づき、言葉を止めた。
「セーレ、寝ちゃった」
長い睫毛がゆれている。かわいい寝顔だ。俺が幸せな気分でセーレの寝顔を見下ろしていたら、
「で、銀色おおかみはどうしたのお?」
むかつく声が聞こえてきた。俺はセーレの寝顔を手で隠し、後ろを振り向く。案の定、アレックスがにやにや笑いながらこちらを見下ろしていた。
「……覗くなよ」
「人目をはばからずいちゃこいてるからでしょ。掃除するから早く出ろってさ」
「セーレ」
俺が肩を揺らすと、セーレが身じろぎした。瞳を開いて、恥ずかしそうな表情で起き上がる。
「ごめんなさい、寝てしまって」
「いいよ。俺が寝てって言ったんだし」
セーレはそそくさと立ち上がり、取り巻きの女の子たちと更衣室へ向かった。あとにはアレックスと俺だけが残される。こいつ、いつからいたんだろう。俺はベンチから立ち上がり、アレックスのそばを通り過ぎようとした。
「ねえねえ、銀色おおかみはどうしたの?」
「自分でしらべて」
「えー、教えてくれてもいいじゃん」
「俺も知らない。母さんが読み聞かせてくれたんだけど、いつも途中で寝たから」
「へー。タイトルは?」
「おおかみとうさぎときつね」
アレックスはメモを取ってる。ほんとに調べる気なんだ。変なやつ。
「あ、そうだ。セーレさまの写真いる? 一枚500リラ」
俺はアレックスからカメラを奪い取って、フィルムをビーッとひきぬいた。
「あーっ!」
「じゃあ」
「このぼんやりスケベー!」
アレックスの声を背に、俺は夕暮れのプールサイドを歩いて行った。