おおかみとうさぎときつね 2
プラチナブロンドが額を擦る。レイの唇が、私の唇に触れた。長い指先が、耳の裏をくすぐる。
「っ」
「セーレの耳、すごい、熱い」
「や、レイ、さま」
レイの唇が、私の耳たぶをかすった。かすかに痛みが走って、私はびくりと震える。かま、れた。
「レイさま、あ」
レイの舌が耳朶に這う。柔らかい感触に、ぞくぞくして、私はぎゅ、と目をとじた。
「……セーレ」
少し掠れた声に、頭の奥が熱くなる。
レイの長い指先が胸元を這い、ネクタイをほどいた。
私は思わずその手を掴む。
「待って」
「どうして?」
「レイさま、変です」
「なにが?」
いきなりこんな。なにか、変だ。私はレイの頰をなでた。
「レイさま、私をみて」
深い海色の瞳が、私を見つめた。熱をはらんだその目が、徐々に平静さを取り戻す。その目尻が、だんだん赤くなる。彼は私の上から退いて、ベッドの端に体育座りした。恥ずかしそうに顔を覆っている。
「……ごめん」
「どうしたんですか?」
「わかんない。夢見たからかも」
「夢?」
「セーレと、いちゃいちゃする夢」
いちゃいちゃ。その言葉に、私は赤くなった。
「嫌だったよね、ごめん」
「その、嫌というか、突然だったので」
「……あと、あいつが」
「あいつ?」
「アレックスが、セーレは耳の裏が弱いって」
「なっ」
私は真っ赤になって耳を押さえた。
「そんなのデタラメです!」
「でも、弱かった」
「ちが、偶然です!」
レイはちら、と私をみた。
「ほんと?」
「当たり前です、誰にも触られたことないです、レイさまにしか」
「俺だけ?」
顔を綻ばせたレイに、私は目を泳がせた。
「は、い」
レイは嬉しそうに寄ってきて、私の肩に頭をもたせかけた。私は彼の頭を撫でながら呻く。
うう、なんか変なことを言ってしまった。
とにかく──あの男と、話をしなければ。
翌日、私は一年B組へ向かった。通りがかった生徒に、アレックスを呼び出すよう告げる。生徒は焦り気味にアレックスを呼び、アレックスはだらだらこちらにきて、
「セーレさま、どうも」
のんきに手を挙げた。
「どうも。ちょっとよろしいかしら?」
「よろしいですけど、なに?」
私は無言で彼を校舎裏に引っ張っていった。
「なにこれ。俺、ボコられるの?」
「レイさまに何か言ったそうね」
「何か? ああ、セーレさまの秘密を知ってるって。すげー妬いてたよ」
「耳が弱いだのなんだの、ホラ吹いたでしょう」
「ああ、テキトーに言ったけど、当たりだったのお?」
私はアレックスをにらみつけ、
「余計なことは言わないでくれるかしら」
アレックスはす、と目を細めた。
「セーレさまって、ほんとレイ・アースベルにぞっこんなんだ。なんか妬ける」
「冗談はやめて。私たちの間を引っかき回してなにが楽しいの」
「だから、せっかくゲームの世界にきたし、俺もイベントに参加したいんだって」
私は眉をしかめ、
「イベント?」
「ほらほら、あるだろ? 「真紅のリディア」で、最後に、ヤドリギの下でキスすると永遠に結ばれる、ってやつ」
「ああ……」
十月に行われるリュミエールの学園祭。その後夜祭が、ゲーム最後のイベントなのだ。リディアはヤドリギの下で、誰が来るのかを待つ。
「セーレさまとキスしたいなって」
「絶対にお断りよ」
大体、リディアでなければ意味がない気がする。
「じゃあ、アースベルとするんだ?」
私はかあ、と赤くなった。
「わあ、乙女ー」
「からかわないで。とにかく、余計なことはしないで。いいわね」
私が踵を返そうとしたら、アレックスが声をかけてきた。
「ねえ、セーレさま」
振り向いたら、彼は少しだけ真面目な顔をしていた。
「レイ・アースベルはゲームのキャラクターだよ。忘れてないよな?」
「……もちろんよ」
また、レイが好きなのはあくまでセーレ・バーネットだ、とでも言うつもりなのだろうか?
「わかってないよ、多分ね」
「レイさまは、ちゃんと存在してる」
ゲームのキャラクターでも、この世界の人々は、みんなちゃんと生きている。
「そこまで信じてるんだ。じゃあ賭ける?」
「なにを」
「もしレイ・アースベルがあんたを好きじゃなくなったら、俺と付き合ってよ」
私は怪訝な目でアレックスをみた。
「……そんな賭け、乗れないわ」
「邪魔しないから」
アレックスの言葉に、ピクリと肩をゆらす。
「賭けに乗ってくれたら、あんたとアースベルの仲を一切邪魔しない」
どういうつもりなのだ。邪魔はしないが、レイの気持ちを変えてみせるとでも言うつもりなのか。
「……わかったわ」
アレックスは、私に向かって小指を差し出した。
「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます、指切った」
「約束したわよ。一切余計なことはしないで」
「はーい」
彼がひらひら手を振るのをみたあと、私は歩いて行った。
☆
教室に戻ったら、レイがいなかったので、どこへ行ったのかと視線を動かした。
「バーネット」
「アーカードさま」
声をかけられて、私は振り向いた。
「レイならプールにいる。おまえが探していたらいけないから、伝えるように言われていた」
「ありがとうございます」
私はアーカードに礼をし、歩き出そうとした。
「バーネット」
振り向いたら、アーカードがじっとこちらをみていた。
「色々、悪かった」
「え……」
「ずっと、おまえを敵視してきた。だが……レイがおまえを慕うのをみていたら、悪人ではないのかもしれないと、思うようになった」
私は胸が疼くのを感じた。
「レイさまは……本当の私を好きになってくれた、唯一の人です」
「本当の、私か」
アーカードは瞳をゆらした。
「似てるのかもしれないな、俺と、おまえは」
そうだ。きっと、アーカードにはリディアが。私にはレイが。唯一の人なのだ。
☆
プールサイドに向かうと、水面をいく人影があった。バシャバシャと水を漕いでいき、対岸にタッチする。彼は水面に顔をだし、ぶるぶる首を振った。
「セーレ」
「おつかれさまです。競泳大会の練習ですか?」
「うん」
レイはばしゃり、と水から出て、からだを拭いた。
「珍しいですね、レイさまが練習なんて」
「うん、面倒だけど、アーカードが今度こそ俺を入れて勝つ、とかいうから」
「ああ、球技大会は欠場でしたからね」
「そうなんだ。アーカードってほんとおせっかい」
彼は頭にタオルをかけ、ドリンクを飲み干した。髪から落ちた水滴がぽたり、と地面に垂れる。
「でもレイさまは、アーカードさまと仲良しですよね」
「仲良し……ではないけど。なんだろ。アーカードは、変わってるから」
アーカードは、他の人間と見えている世界が違う。他の人よりも少ない色彩で世界をみている。それは、彼が選ばれた人だからだ。アーカードもレイも、特別な男の子だからだ。欠けている部分があるからこそ、リディアに選ばれる、特別な人たちだ。
本来、レイが私を選ぶなんて、ありえないのだ。
「レイさまも、ですよ」
レイはうなずいた。
「うん。だからかな。セーレもだけど。変わってるから、俺にイライラしないのかも」
「イライラ、ですか?」
「父親は、俺にイライラしてる。ダメなやつだから」
「そんなことありません」
私はレイの手をぎゅ、と握りしめた。
「レイさまは、ダメなひとなんかじゃ」
「うん、セーレといると、そうかな、って思える」
レイはこちらを見て微笑んだ。
「セーレといると、自分のこと、好きになれる」
唇が近づいてきて、合わさる。私は顔を赤らめ、目を伏せた。レイはちら、とフェンスの向こうを見た。私もその視線を追った。アレックスが立っている。レイは私の腕を引き、腕の中におさめた。
「レイ、さま」
「俺、ちょっと意地悪な気分」
「え、っ」
また唇を塞がれる。レイの髪の毛から滴り落ちる水滴が、私の眉間を滑り落ち、胸元に垂れた。塩素の匂いがする。身じろぎしたら、垂れた水滴を、レイが舐めとった。私はびくりと震え、
「あ」
こちらを見つめる深い海色の瞳に、からだが痺れた。見たことのない色をしている。男の人の目だ。
「俺、あいつが嫌いだ。セーレに、幻滅されるかもしれないけど、あいつに、セーレは俺の恋人だって、見せてやりたい」
「アレックスは、もう邪魔しないと言ってました」
「どうして?」
「レイさまが、私を好きじゃなくなるから、って」
レイがむっ、と眉をしかめた。
「そんなこと、ありえない」
「もしそうなっても、私はレイさまがすきです」
「そんなこと、ないよ。俺はずっとセーレがすき。なにがあっても、だいすき」
そうだったらいいのに。このまま、ずっと幸せな日が続いたらいいのに。
私はレイの頭を、ぎゅっと抱きしめた。
☆
着替えるから待ってて。レイにそう言われ、私はプールの入り口で佇んでいた。パシャッ、とシャッター音が鳴る。目を向けたら、アレックスがにやにや笑いながらこちらをみていた。
「絵になりますねえ、美女と夕陽」
「なに、そのカメラ。盗撮する用?」
「いやいや、違うよ。俺写真部なんだ。この世界スマホもないし、超暇じゃね?」
「隠し撮りばっかりしてそうね」
「しないって。俺、どんだけイメージ悪いの」
「盗撮を疑うくらいには」
ひでーな。アレックスは笑い、目を細めた。
「らぶらぶで羨ましいねえ」
「覗き見なんて最低」
「またまた、見せつけてたくせに。風紀が乱れてるから、取り締まってほしいよな」
一番風紀を乱していそうなくせに、何を言っているのだろう。私が呆れ気味に彼をみていたら、着替え終えたレイがやってきた。アレックスをみて、む、と眉をしかめる。そんなレイに、アレックスはあくまで軽い調子で笑みを浮かべる。
「あっ、アースベル。競泳大会出るんだろ? 頑張ってねー。いやー、A組にはコーンウェルとアースベルがいるから撮り甲斐があるね」
「撮ってどうするの」
「そりゃあんたたちのファンに売りつけるんですけど。これが結構いい小遣いになるんだよなあ」
「セーレ、いこう」
レイが私の手を握って歩き出した。アレックスは歩いていく私たちに向かい、シャッターを切る。ひらひら手を振るアレックスの影が、やけに濃く見えた。
この程度ならレイティングいらないか……レイだけに