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陸軍下士官の受難  作者: 腕時計
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ダイニナの土地で

2 ダイニナ

ドリス皇共国と南東部で国境を接する国に、ダイニナ連合王国がある。その名の通り、複数の国が集まって出来ている連合国家であり、いわば寄り合い所帯とも言える国だ。峻険な山岳と深い森に囲まれた長閑で平和な国であったが、世界的な不況を受けて国民の政府への不信感が増大。反政府運動が激化し、やがては軍も加わる大規模な内乱に発展した。

ダイニナの北部、ゲレートン地方はドリス系住民が住む地域であり、ドリス政府は同胞を守るため、ゲレートン地方に軍を進駐させた。同時に内乱を沈静化するため、ダイニナの各地に軍を派遣。政府軍と共同で、反政府軍との戦いを始めた。しかし政府軍は士気、練度共に低く、戦力にはならず。反政府軍は各地に潜伏し、ゲリラ戦でドリス軍に立ち向かった。以後五年間、このダイニナ紛争は続いている。

ドリス軍は重要地域の確保と、反政府軍討伐のため、国内の部隊を交代でダイニナに派遣していた。フレイル駐屯地の部隊も、独立第四機動旅団と名前を変えてにダイニナに派遣された。





「来るたびに酷くなるな、ここは」

 ダイニナの大地を見下ろして、ロルフが呟いた。上空からでも大勢の難民がいるのがわかる。少しでも安全な地域に逃れようと、彼らは列を成して国境の方へと進んでいた。

ロルフ達は今、航空輸送艦に乗ってダイニナに空輸されてきたところだった。全長百メートル余の鉄の塊である航空艦が、巨大な鯨のようにゆったりと空を泳いでいる。ここ数十年の飛行機械の進歩によって、空飛ぶ船という空想事が実現するようになった。今ではこのように航空艦で空の旅をするのも一般的になった。終点が戦場というのだけが、乗客である兵士達にとっては不満であったが。

 森を切り開いて造られた即席の軍用飛行場に、航空輸送艦は降りようとしていた。地上が近づくにつれて、難民達の様子がはっきりとわかるようになってきた。誰もが俯いていて顔には生気が無く、まるで幽霊のようだ。

ダイニナの人口は六割がスタール人であり、ゲレートンに住むドリス系が二割、その他の民族が二割を占めていた。ドリス軍によって保護されるのはドリス人だけであり、その他のスタール人などは対象外であった。

 航空輸送艦が飛行場に降り立った。本当はもっと奥地、前線に近い基地に送られる予定であったが、そこはテロの攻撃を受けて輸送艦が降りるのは危険と判断されたのだ。ここで兵士達は下ろされ、トラック等の車両に乗り換える。ロルフ達は、貨物室から下ろされた自分のアウトマトスに乗って移動するのだ。

 飛行場の脇にスタール人の難民が押し寄せ、保護を求める悲痛な叫びを上げていた。中には幼い子供や赤ん坊を連れた女性の姿もあり、子供を助けて欲しいと必死に訴えていた。言葉はわからないが、概ね何を言っているかは伝わる。

 ダイニナ政府軍の憲兵隊が、有刺鉄線と銃口のカーテンを敷いて難民を押しとどめている。難民達の叫びを無視しながら、ロルフ達はトレーラーからアウトマトスを下ろす作業に取り掛かった。その中で一人だけ、難民達を見て動きが止まっている者がいた。マサヨシだ。

「おい」

 それに気づいたロルフが、マサヨシの肩を叩いた。

「何をボケっとしてるんだ。手を動かせよ」

「ロルフ…」

 急かされても、マサヨシはしばらく難民の群れから目を離せなかった。

 こうした光景を見る度に、マサヨシは胸がしめつけられるような気持ちになった。自分だってドリスの国では異民族だ。なのにダイニナに来てスタール人を相手にすると、自分も差別する側だ。なぜ人は国や血筋が違うというだけで、ここまで薄情になれるのだろう。船が空を飛ぶ時代になっても、人間は地べたに張り付いていがみ合ってばかりだ。

 マサヨシの脳裏に、ポアベル学校中等部の校舎裏のゴミ集積所の光景がよぎった。

「たまに自分が何をしてるのか、わからなくなるよ」

「馬鹿な事を言っていないで仕事しろ。俺たちは地図の上を動くのが仕事だ。陸軍もそのために給料を払ってる」

 ――仕方ないんだ…。

 諦めた様子でマサヨシは作業に取り掛かった。整備兵と一緒にトレーラーに駆け寄り、シートをどける。そこには全長約五メートルの鋼鉄の巨人、アウトマトスが横たわっていた。今回の騒動で親衛隊と共同で実戦試験を行う事になった新型機、グスタフだ。

 既に出発前に訓練を重ね、今では自分の手足のように動かす事ができる。グスタフは従来のシュペーⅢに比べ強力な砲を装備し、装甲も強化されているが、マサヨシが特に気に入ったのは格闘性能だった。鈍重そうな見た目に反してグスタフは優れた機動性を誇り、一気に間合いを詰めて接近戦に持ち込むマサヨシの戦法に合致していた。

慣れた動作で愛機の点検を済ませると、マサヨシは操縦室に入った。動力を起動させ、計器の確認を行う。機体を起き上がらせ、トレーラー脇に立たせると、改めて各部を確認した。全て異常が無い事を見て、別のトレーラーに積んである武器を受け取りに向かった。

グスタフの攻撃力を象徴する、強力な七十五ミリ対装甲ライフルだ。今まで乗っていたシュペーⅢは三十七ミリで、今回ダイニナに派遣される部隊には五十ミリ砲が装備されているが、それよりもさらに大きい。

他にグスタフには機体の腹部、人間で言う左脇腹の位置に旋回式の八ミリ重機関銃が装備されている。アウトマトスや装甲車両に対しては効果は薄いが、歩兵に対する防御火器として使用される。以前は演習なので使用されなかったが、今回は実戦なのでこの機関銃も必要になる。

 整備兵が梯子をかけると素早くそれを昇り、腹部の整備ハッチを開けて機関銃の弾丸を装填した。

 機関銃の装填が終了すると、マサヨシは七十五ミリライフルを受け取った。右腕部にそれを装着すると、エイムはせずにそのまま次の装備を受け取った。

 アウトマトスには最後の武装として近接戦闘用カッターがある。アウトマトス同士の戦闘において、文字通りぶつかるほどの至近距離で戦闘になった際に用いる、接近戦用の武器だ。特殊加工が施された金属で造られた刃物であり、アウトマトスの装甲を切り裂く事ができる。

 近年アウトマトスの進化は著しいものがあり、索敵センサーや射撃管制などの技術は日夜進歩している。そのため戦闘は遠距離での射撃戦に終始する事が多く、接近戦の距離まで接近する事は非常に難しい。ほとんどの操縦士は接近戦などまず起こらないと考えて、短いナイフ型の近接戦闘用カッターを装備している。

 しかし、ここでもマサヨシは自身の経験を反映させた。いくら技術が進歩した所で、それを扱うのは人間だ。ミスをする事もあれば、見落とす事もある。戦闘において緊張や恐怖を感じていれば、冷静さを欠いてまともに照準せずに発砲する兵士もいる。これではいくら優秀な装備を持っていても意味が無い。

 それにアウトマトスに限った話では無いが、機械が額面通りの性能を発揮する事はまず無い。最良の状態を整えた実験では百パーセントの性能を発揮した機器でも、前線の劣悪な環境では九十から八十パーセントの性能しか出せないなどの事態がしばしば起こった。

 十機いるはずの敵機がレーダーの上では八機しかいなかったり、至近距離にいる敵機がなぜかセンサーに探知されなかったり、そういった事は珍しく無かった。

 なのでマサヨシは技術を過信せず、己の感覚を一番の頼りにした。実戦では思いのほか接近戦が起こる事が多かったため、マサヨシは装備するカッターを大型のブレードタイプにした。

白兵戦に備えるという点はロルフも賛成したが、そこからは珍しく二人の意見が割れた。ロルフ曰く『別にナイフ型でも充分だろ』との事だった。それでもブレード型にこだわるマサヨシを見て、ロルフはしたり顔で『やはりお前はサムライの血が流れているんだな』とうなづいた。

サムライの家計ではないが、生死の交錯する戦場において、マサヨシが戦士として研ぎ澄まされていったのは事実だ。

ライフルをエイムせずに左手を開けたまま、マサヨシはその左手でブレード型のカッターをトレーラーから受け取り、それを背部に装着した。以前のシュペーⅢでもブレード型カッターを装備していたが、グスタフはパワーも向上しているので、ブレードも少し大型化した。以前の物より肉厚になり、刃も長くなった。

先の親衛隊との演習では『どさくさに紛れて親衛隊機の腕を切り落としてやろう』とロルフにそそのかされて、ブレードを持ち込んだが、思わぬ形で使う事となった。

あの演習の事を思い出すと、エリーの事も同時に浮かんできた。やはりあの時はやり過ぎた。親衛隊は別の飛行場に降りて、この後地上で合流する計画になっている。

マサヨシはグスタフを進ませた。既に集まっている中隊の列に加わる。今回の出兵は中隊の編成はそのままに、マサヨシとロルフだけ機体を変えた形だ。シュペーⅢに乗る戦友たちから新型機に対する羨望の眼差しが向けられる。

「マサヨシ・セキノ伍長。準備よし」

 全員の整列を確認して、中隊は移動を開始した。

 中隊は飛行場の脇にある広場に集結して、それから森の中の道を進んだ。踏み固めただけの未舗装の道を、歩兵達も歩いてゆく。

頭上を灰色の雲が厚く覆っていて、あたかも空全体がマサヨシ達を歓迎せず、押しつぶそうとしているかのようだった。元々ダイニナは標高が高く、ドリスに比べて涼しい土地だ。加えてこの曇り空が、余計に寒々しい雰囲気を漂わせる。

天気が優れないというのは、気分を重くする以外にも問題があった。これだけ低く、厚い雲が垂れこめていると、航空艦や飛行機を含めて航空隊の支援は期待できない。常に雲の下を飛ぼうとすれば、反政府軍の持つ対空火器に攻撃される危険が増すからだ。航空支援というのは何も爆撃だけでない。上空から広く地上を見渡せる航空偵察も望めないのだ。おかげで攻撃力だけでなく、情報量も制限される。常に上空からの監視を恐れている反政府軍にとって、曇天というのは天の恵みとも言える。

しばらく森を進むと、景色が変わった。針葉樹の立つ緑豊かな風景が、一変して焼け野原になっていたのだ。

かつて激しい戦闘があったのだろう、樹木は全て地上から四~五メートルほどの所で折れていて、使った後のマッチ棒のようだった。剥き出しになった焦土の上に、そのマッチ棒が点々と立っている。空に合わせて、地面までもが暗い色彩に切り替わったようだった。

戦闘があったのは何日か前なのだろう、焦げた木々から燃える臭いはしない。その代わり別の臭いが鼻を突いた。腐臭だ。

元々森に住んでいた生物なのか、それとも戦闘で死んだ兵士のものか定かではないが、生き物が死んで腐った臭いが見えない霧のように漂ってきた。

やがて道の両脇に死体が並べてある所に差し掛かった。黒焦げたもの、手足の無いもの、敵も味方も問わず、腐りかけた死体がずらりと横たえてある。土中から引き上げられたのだろう、泥の臭いも混じって腐臭は一層強烈さを増した。

その先は処刑場になっていた。簡単な支柱に、絞首刑にされた死体が四~五体ぶら下がっている。その全てがダイニナ政府軍の軍服を着ていて、首から『敵方内通者』と書かれた札が下がっていた。支柱の脇にある看板にも似たような事が書いてある。

マサヨシたちにとっては四度目のダイニナ派遣であったが、ロルフの言う通り来る度に酷くなっていくように見える。

最初の頃こそ、ダイニナは政府軍も反政府軍も昨日までの隣人を相手にそこまで本気の争いはしていなかった。あくまで方針の違いから衝突しただけであって、両陣営共に捕虜の取り扱いは人道的であったし、住民を避難させるための停戦も頻繁にあった。

だが長引く内乱は互いの憎しみを加速させ、家族を失った者、故郷を失った者たちの復讐でおびただしい量の血が流れ、それがまた次の復讐を生んだ。今やどちらの陣営も住民を顧みず、民間人がいる地域であろうとお構いなしに攻撃を加える。時には食糧などを奪う事もあり、住民の中にも自衛のために武装する者が増え始めた。しかし武装した民間人はしばしばスパイ疑惑をかけられ、攻撃や処刑の対象になった。誰も他人を思いやろうとせず、疑惑と恐怖が国中に蔓延している。

少し語弊はあるが、マサヨシもロルフも戦うのが好きだった。戦いの中で命のやり取りをする間は身分などは関係無いからだ。しかし、戦闘に関係の無い民間人が苦しむのは見ていてつらかった。彼らは巻き込まれただけだ、その人数は時間が経つにつれ増える一方だ。

こういった光景を見るのは始めてでは無かったが、それでもマサヨシは気分が沈んで行くのを止められなかった。フレイルの晴れ渡った空と、どこまでも続く長閑な牧草地帯が早くも懐かしく感じられた。




日も沈みかける頃になって、ようやく中隊は旅団本隊と合流した。

旅団がいるのはフリクという街だったが、街というのは地図の上だけで、そこにあるのは廃墟だけだった。積み木の城を蹴倒したように崩れた建物と、その瓦礫が道に散らばっていて、空と同じくここも一面灰色の景色だった。将校達の司令部や兵士達の宿舎までがその廃墟の中にあり、かろうじて屋根がある建物は兵隊でごった返していた。ランプの明かりと兵士たちの会話が、石ころだらけのこの街にささやかな賑わいをもたらしていた。

中隊は、かつて百貨店だった建物を臨時の宿舎にあてがわれた。建物の脇に縦列駐車よろしく一列にアウトマトスを駐機させ、兵士達は建物に入った。砲弾によって壁はそこかしこ穴が空いていて、臨時に窓が増設されていた。二階から上は消え失せていたが、ありがたいことに地下室があり寝床には問題無かった。

予定では、マサヨシたちはここで親衛隊のグスタフ実験チームと合流する。中隊長のリスト中尉が司令部に出向いてる間に、操縦士達は携行糧食で思い思いに夕飯を採った。床に散らばっている缶詰を、面白がって拾ってみる者もいる。試しにひとつ開けてみると、中身はベビーパウダーで笑いが起こった。こんな状況でも、ありふれた会話を交わすことで人間らしさを保っていられた。ダイニナの夜は冷え込むが、地下室は風も入り込まず、一階よりは快適だった。

「これで白いシーツと、ふかふかのベッドでもあれば完璧だぜ」

 コンクリートの破片の上に座り込んで、ロルフが言った。彼も床に落ちている缶詰を拾ってみた一人で、何が入っているのかラベルから推測している所だった。隣に座るマサヨシは、思いつめたように空間の一点を見つめていた。

「ロルフ、あれからずっと考えていたんだが…」

「考えるのは俺たちの仕事じゃないぞ」

 言外に黙れという意味を含ませた言葉だったが、マサヨシは続けた。

「俺はやっぱり、この国では余所者なんだよ。あの親衛隊の少尉を見て、そう思った。あれはあの少尉だけじゃなくて、きっとドリス全体の声なんだ」

「あのなぁ、マサヨシ」

 ロルフは手に持っている缶詰を傍らに置くと、うんざりしてはいるが優しげな口調で語りかけた。

「確かにお前は生まれこそヤマシロだが、今はドリスの人間として国のために働いてるじゃないか。そのお前を受け入れられないとしたら、それはこの国が間違っているんだ。それに、あの少尉が言うことが本当だとどうして言える?ドリス人全員にそう聞いて回ったのか?少なくともここにいる人間にそんな奴はいないぞ?」

「そうですよ」

 一人の下士官が会話に加わってきた。他の下士官たちはそれぞれの雑談をしていて、二人の話している内容に気づいていなかった。

「セキノ伍長が余所者なら、俺だってそうです」

 トーマス・テッドウィル伍長は階級こそ同じ下士官であったが、操縦士としてはマサヨシたちより後輩だ。勤務年数は短くないが、実戦に出るのは今回が初めてだ。

 白い頬にそばかすがあり、年齢よりずっと若く見える。

「俺の親父だってカンタベリからドリスに流れてきたんです」

 カンタベリ王国はルーノ大陸の西にある島国で、古い歴史のある国だ。

「肌の色が同じだろ。その程度じゃ余所者とは言わないさ」

 マサヨシが返す。

「カンタベリの人間は、遡ればドリスと同じ民族だ。ドリスからカンタベリに移る奴だっている。別に珍しくなんかない」

「それを言うなら、遡ればみんな同じ人間じゃないですか。ヤマシロからドリスに移るのだっておかしい事じゃありません。セキノ伍長は余所者なんかじゃありませんよ」

「同じ人間か…」

 ロルフが呟いて、軽い笑みを浮かべた。

「それを反政府軍の連中にも……スタール人にも言ってやれよ」

 自分たちの話していることが急にむなしく思えて、三人は力の無い笑いを浮かべながら床に目を向けた。

 せめて話題を変えようと思って、ロルフは話を振った。

「トミー、お前確か前線に出るのは始めてだよな?」

「ええ、そうです」

 照れくさそうに童顔の後輩は鼻をこすった。

「訓練で的を撃った事しか無いので、少し不安です。でも、しっかりやります」

「俺が言いたいのはそういう事じゃ無いよ」

 ロルフがにやりと笑う。口の端から白い犬歯がちらりと覗く。

「前線に出れば手当が増えるって話だよ」

「そうなんですか?」

「そうだぞ。お前知らないのか」

 ロルフが得意気に胸を張る。

「任務を帯びて駐屯地を出れば、それだけで出動手当がつく。国境を越えれば国外派遣手当、前線に出て戦闘に加われば戦闘手当がつく。まだ戦闘には参加してないから、今の段階では国外派遣手当までしか発生していないな。あと外国と戦争になれば、駐屯地にいても国防手当が支給される。ただし、俺達が今やってるのは紛争鎮圧だから、これに関しては発生していないな」

「そんなに色々おまけがつくんですね」

 感心した様子でトーマスが微笑む。

「そうだぞお前、次の給料をもらったら驚くぞ。すでにかなりの金額が発生してるはずだからな。帰国して最初の休暇は、派手に遊べるぞ」

「俺の故郷ではな」

 隣で聞いていたマサヨシが、苦笑いを浮かべながら口を挟んだ。

「そういうのを『取らぬ狸の皮算用』って言うんだぞ」

「どういう意味です?」

 首をかしげるトーマスに、ロルフが答えを教える。

「まだもらってもいない給料の話をするのは、馬鹿だと言いたいのさ。こいつは」

 それから笑いながらマサヨシの頭を小突いた。

「余計なお世話だぜ、全く」

「えと、その戦闘手当ですけど。具体的にはどうすれば発生するんです?」

「そうだな。言ってみれば、敵がこっちに向かって発砲してくれば、その時点で発生すると思っていい」

 ロルフがそう言うと、それに相槌を打つかのように、建物の外で爆発が起こった。

 かなり近い位置での爆発であり、地下室にいるロルフ達も飛び上がった。地面が大きく揺れて、上から埃が降ってきた。これは砲弾が落下してきた類の爆発だ。その証拠に、耳をすませば口笛のような音と共に次の砲弾が落下してきた。次の砲弾は少し離れた所に落ちたが、それからも散発的に砲弾は降ってきた。

 慌てて立ち上がろうとしたトーマスをつかんで、ロルフは床に伏せた。隣ではマサヨシも、姿勢を低くして頭を抑えている。

 実際には一分にも満たない時間だったが、トーマスには一時間も砲撃されていたように感じられた。ようやく周りが静かになって、トーマスは恐る恐る顔を上げた。同じように顔を上げたロルフと目が合う。

「今ので戦闘手当が発生した。と言う事は」

 トーマスはオウム返しに尋ねた。

「と、言う事は?」

「その給料分の仕事をしなければならないと言う事だ」

 言ってからロルフはトーマスの肩をつかんで立たせた。それから地下室の出口に向かって駆け出した。すでに一歩先をマサヨシが走っていて、もう階段を登っているところだった。少し遅れて他の操縦士達も駆け出していた。行く先は決まっている。

一番最初に百貨店跡を飛び出したマサヨシが、一番早く自分のグスタフに乗り込んだ。動力を起動させると、素早く各部を点検する。このように突発的に戦闘が始まった状況では、細かいチェックは省略される。マサヨシは操縦席の計器のみで確認を済ませた。それから準備を完了した事を無線で中隊長に報告しようとしたが、そこで異常に気がついた。機体ではない。まだ司令部に出向いたままのリスト中尉が、戻ってきていない事に気がついたのだ。さっきの砲撃で負傷したのか、それとも何かしらの理由で身動きが取れないのか。ともかく、今この中隊には隊長が不在なのだ。他の操縦士達も、自分の機体を動かせる状態にまでした所で、それに気づいた様子だ。まごつく下士官達に、聞き覚えのある声が無線から呼びかけてきた。

「こちらクローバー軍曹。中隊長がいないから、臨時で俺が指揮を執る」

 リスト中尉を除けば、この中で最も階級が高いのはロルフであったし、何より経験が豊富だった。無言を了承と受け取って、ロルフは指揮を執った。

「点呼を取る。各自異常は無いか?」

 中隊の操縦士が順番に返事を返す。一機が砲撃により損傷したため、行動不能と報告してきた。リスト中尉がいないので、これで中隊の戦力は十機だ。

「まずは上に状況を確認する」

 ロルフは無線のチャンネルをいじって、どこか上級部隊の指示を引き出そうとした。大隊でも連隊でもかまわない。とにかく情報を得て、それから指示を受ける必要があった。

「こちらアウトマトス第二中隊のクローバー軍曹だ。どこか応答してくれ」

 それからロルフはチャンネルをいじりながら、指示を求める呼び掛けを続けた。しばらくして無線の相手を見つけたロルフは、短い会話をするとその内容を中隊に伝えた。

「南から街に向かって敵が近づいているらしい。そっちに向かって防戦に加わるぞ」

 ロルフのシュペーⅢを先頭に中隊は前進した。周りでは砲撃が終わってから、歩兵達が慌ただしく走り回っていた。負傷兵を救出する者もいるが、大多数は南に向かって走ってゆく。

 中隊は街の南端までたどり着いた。そこから先は灰色の廃墟は無く、真っ暗な夜の森が広がっていた。どこからともなく照明弾が発射される。パラシュートを付けた人工の星が、眩い光を放ちながらゆっくりと落下していく。照らし出された森は、何本かの樹木が使用後のマッチ棒になっていたが、それでも八割方の木は生きていた。誰かが潜んでいるようには見えない。

 中隊は横隊に展開して森を睨んだ。周りでは歩兵も集まって、建物の影から銃を構えて待機している。照明弾が落ちるにしたがって、周囲はだんだんと暗くなり、最後には完全に真っ暗になった。不気味な静寂と闇が、森を覆った。

 雲が厚く垂れ込め、月も星も見えない闇夜だ。夜襲を仕掛けるには絶好の条件である。

―――必ずここに来る。

 全員がそんな予感を感じていた。

 センサー類は当てにならない。ロルフは全ての神経を研ぎ澄まして、森を見つめた。

 不意に、照明弾がまた撃ち上がった。破裂音と共に、空中に白銀の星が生まれる。すると、さっきまで誰もいなかった森に大勢の歩兵がいた。まるでたった今、地面から湧いて出てきたような表れ方だった。

 照らし出された数百人の歩兵は、見つかった事を受けて一斉に突撃に移った。ドリス軍の歩兵がライフルや機関銃を撃ちまくり、たちどころに辺りは銃火の応酬となった。

 トーマスが五十ミリ砲の弾丸を、榴弾に交換しようとした。アウトマトスや戦車を相手にするときは、装甲を貫通するための徹甲弾を使用し、歩兵を相手にする時は爆薬の充填された榴弾を使用する。歩兵相手に徹甲弾を撃っても、直撃でなければ効果は無い。

 それを見て、ロルフが無線で制止した。

「よせトミー、何もするな」

「どうしてです?」

「他の奴も、撃つんじゃないぞ!俺が合図するまで撃つな。徹甲弾を装填したまま待機しろ」

 中隊に射撃待機を命じてから、ロルフはトーマスに理由を説明した。

「どこかにアウトマトスか戦車が隠れてるはずだ。そいつらの位置がわかるまで、撃つんじゃない。こっちが先に撃つと的になるぞ」

「どうしてわかるんです?」

「勘だ」

 マサヨシが補足する。

「もし連中が、歩兵だけで攻撃を仕掛けるほど間抜けなら。こんな紛争は半年で終わってるさ」

 その言葉を裏付けるように、森の中で一瞬大きな光が瞬いた。一拍遅れて、廃墟の一つが吹き飛ぶ。砲弾だ!

「そら来た!」

 ロルフが機体に装備されている照明弾を、その方向に向けて放った。窪地から身を乗り出しているアウトマトスが照らし出された。土木作業用の機体に武装を施したタイプであり、戦闘力は高く無い。

「土木用だ。十一時の方向!」

「確認した」

 マサヨシが七十五ミリ砲を発砲した。オレンジ色の弾丸が木々の間を抜けていき、吸い込まれるように目標に命中した。満足な装甲も無い土木用アウトマトスは、粉々に砕け散った。

 中隊の他のシュペーⅢも照明弾を打ち上げた。照らされた森の中に、他にも土木用がうろついているのが見えた。発見されて混乱しているらしく、相手は発砲もせずに隠れる地形を探して右へ左へ歩き回っていた。

 未熟な相手が操る性能の低い機体など、ロルフ達正規軍からすれば的も同然だった。中隊は容赦なく、目標に向かって撃ち込んでいく。無線からは命中を知らせる声が相次いだ。歩兵同士の戦いもこちらが優勢らしく、敵の突撃は統制を失っている。立ち上がる敵兵は次々と味方兵士の銃弾に捕まっていた。ここで戦闘が発生している事を受けて、後方から照明弾が次々と撃ち上がる。周囲は昼間のように照らし出され、すでに夜襲の利点は失われている。

 このまま一方的な展開になると思われた時、無線から悲鳴が聞こえた。

 見ると、一機のシュペーⅢが煙を上げて崩れ落ちていた。ハッチが開いて操縦士が這い出て来る。どこかにシュペーⅢを撃破できるだけの敵がいる。ロルフは森を睨んだ。

「畜生!ティーポッドだ」

 ロルフは発見した相手が何であるか、即座に理解した。ランス王国で製造された「ジョゼフⅠ号」というアウトマトスで、丸っこいシルエットからドリス軍の間ではティーポッドと呼ばれている。戦前にダイニナ陸軍が、ランスから輸入して運用していた機体だ。歩兵の支援を目的とされていて、とにかく装甲が分厚い。武装は三七ミリ砲で、しっかりと命中させればシュペーⅢでも撃破する事ができる。

 ティーポッドがいるという事は、今ロルフ達が相対しているのは、かつてはダイニナ正規軍であり、今は反政府軍についた部隊と言う事だ。計画的な夜襲、歩兵と装甲兵器の連携、そして夜間でも目標に命中させる射撃技術がそれを裏付けていた。

「これでも喰らえ!」

 ロルフはティーポッドに向けて七十五ミリ砲を放った。徹甲弾が胸部装甲を貫通して、破孔から鮮血のかわりに炎が吹き出た。シュペーⅢの五十ミリ砲では装甲の薄い部分を狙わなければならないだろうが、グスタフの七十五ミリ砲は場所を選ばず装甲を貫くことができる。かつての難敵をあっさりと撃破して、ロルフは操縦席で拳を握り込んだ。

「各機へ、ティーポッドが来てるぞ!最優先で撃破しろ。しっかり当てれば問題無い」

 まだティーポッドが森から発砲してくるが、情報を受けた中隊の各機に次々と撃破されていった。元々ドリス陸軍の練度は世界でも屈指のレベルだ。相手がダイニナ正規軍だからと言って負ける気はしない。その精強さを恐れられて親衛隊が生まれたのであるが、それは陸軍が強い事の裏返しでもあった。

 だが、ロルフ達の目の前でまたも味方のシュペーⅢが撃破された。今度は尋常では無かった。シュペーⅢの腹部に命中した砲弾が、そのまま背中まで突き抜け、貫通された動力部が炎を上げた。被弾したシュペーⅢは破孔を中心に爆発を起こすと、上半身と下半身が別れて、別々に倒れた。

「なんだ今のは?」

 ベテランのロルフも一瞬慌てた。シュペーⅢがここまで派手に撃破されたとなると、相手にはかなり大口径の砲があるはずだ。

「正面、十二時方向!未確認機です」

 無線から上ずったトーマスの声が聞こえた。言われる方向に目を向けると、そこには窪地から上半身だけを出したアウトマトスが見えた。全身は見えないが、その機体の肩幅の広さから、グスタフと同等かそれ以上の巨大である事が察せられた。その機体の右腕で閃光が光った。次の瞬間には、またもう一機のシュペーⅢが爆発した。

「やりやがったな!」

 怒りに燃えるロルフは未確認機に照準を合わせて、トリガーを引いた。数秒後には爆散する敵を見れる、はずだった。

 砂の詰まったドラム缶を叩いたような鈍い音がして、未確認機の胸で火花が散った。それだけだった。砲弾がはじかれたのだ。ロルフは再度徹甲弾を放ったが、やはり砲弾は命中すれど装甲を貫通しなかった。

「なんだと?」

 その未確認機がわずかにこちらを見た。実戦での経験で、ロルフは自分が狙われた事を感じ取った。

 ロルフは機体を後退させ、廃墟の影に入れた。

「畜生、これは何の冗談だ?」

 次の瞬間、廃墟の壁が吹き飛んだ。幸いにもロルフからは少し離れた所だったが、もし命中すれば壁越しでも無傷では済まなかっただろう。壁の吹き飛びかたから見て、それだけの威力があるのがわかった。

「全機、中央にいる未確認機に射撃を集中しろ!とんでもない奴がいる」

 ロルフは無線で各機に通達した。

「命中しても貫通しません。撃破できない!」

 ロルフと同じ結果になったのだろう、トーマスの困惑した声が聞こえた。

「やめるな。撃ち続けろ!」

 廃墟の影を少し移動して、別の場所からロルフは射撃を再開した。相変わらず、命中しても撃破できない。砲弾は全てはじかれるか、明後日の方向にはねとばされている。ロルフもトーマスも、マサヨシも、中隊全機が今や未確認機に対して集中砲火を浴びせていた。既に目標は土木用もティーポッドも撃破してしまっている。残っているのは、あの未確認機だけだ。しかし、その一機が倒せない。

「クソ!」

 普段は冷静なマサヨシが珍しく悪態を吐いた。全員が声に出さず、同じ言葉を胸中で叫んだ。しかし続けさまに被弾するので、未確認機は照準ができないようで、目隠しでもしてるような覚束無い足取りでゆっくりと前に進んできた。

「化物かよ、あれは?」

 悪態まじりにロルフが叫んだ。未確認機は被弾しながらも、確実に接近してくる。

「援護しろ。俺が斬り込む」

 マサヨシがブレードを抜刀して、ロルフに呼びかけた。

「いや、待て!」

 中隊の目の前で、未確認機はゆっくりと膝を着いた。それから映画のスローモーションのように、緩慢な動作で地面に横向きに倒れた。

「…やった?」

 しばらくしてから、自信の無い声でトーマスが呟いた。

 抜刀したままマサヨシが近付く。既に敵の歩兵は散り散りに敗走していて、この未確認機が最後の敵だった。

 マサヨシがブレードの先で未確認機を突っついた。まるで人間の生死を確認しているかのようだ。

 無線機からマサヨシが深呼吸するのが聞こえて、

「やっつけたみたいだな…」

 独り言のようにそう漏らした。

 最後の照明弾が消えて、森には静寂と闇が戻った。



 一晩明けて朝が来ると、昨夜の状況がはっきりした。敵は南だけでなく東や西からも攻撃を仕掛けたようで、旅団全体の死傷者は百人を超えた。戦死者の中には、ロルフ達の中隊からも二名が加わっていた。最後に表れた未確認機に撃破された操縦士だ。二人とも経験が豊富な下士官であり、過去にロルフ達と共にダイニナに派遣された事もあった。共にフレイル駐屯地で訓練に明け暮れた仲間であり、そこから死者が出るのはベテランのロルフ達でさえ、心地の良いものでは無かった。

 トーマスは悲しいというより、信じられないという気持ちの方が強かった。残骸となったシュペーⅢから出てきた死体は、人間の原型をとどめておらず、肉塊と成り果てていた。あれがよく知った仲間だと言われても、すぐには実感がわかなかったのだ。

 ロルフとマサヨシは、撃破された未確認機の調査に加わっていた。仲間が死んだことは悲しかったが、悲観にくれた所で生き返るわけでもない。そんな事より、自分や他の仲間がそちらに加わらないように、何かしら工夫を凝らす方がはるかに意味があった。そして、この場合の工夫とは未確認機の性能を調べる事だった。

「どんな具合で?」

 ロルフは未確認機の調査をしている、整備班の班長に話しかけた。

 整備班長のヨアヒム・トルマン大尉は、フレイル駐屯地の整備班の中では一番の年長者であった。例え階級が上でも、機体の整備を任せている以上、アウトマトスの操縦士はトルマンに頭が上がらない。兵卒から腕っぷしで将校まで上り詰めた人物で、ロルフも一目置いている。口にこそ出さないが、トルマンもロルフを気に入っていた。マサヨシと二人でアウトマトスの整備を手伝っているし、階級や身分を笠に着て威張り散らす連中が嫌いという点でも同じ考えだった。実力を重んじる者同士、この二人は変に気があった。

 トルマンの顔には深い皺が刻まれており、無精ひげと相まって老熟した雰囲気を出していた。だがその顔の中で、目だけは鋭く未確認機の調査書を睨みつけている。

 ロルフに話しかけられて、トルマンは舌打ちしながら調査書から目を離した。

「とんでもない化物だぜ、こいつは」

 トルマンは目の前で横たわる未確認機を見上げた。整備兵が何人かよじ登り、動力部や関節などを調べている。

「出力だけでシュペーⅢの二倍はある。かなりの重装備だが、多分機動性はシュペーⅢより上だろうな」

 それからトルマンは未確認機の胸部を顎でしゃくって見せた。未確認機は昨夜倒れてからそのままの状態で、左腕を下にして真横に倒れていた。おかげで正面も背部の様子もよくわかる。

「胸部装甲に五十ミリ砲弾が三十発命中しているが、貫通してるのは一発も無い」

 未確認機の胸部は、文字通り蜂の巣と言えるほどへこんでいた。だが言われた通り、貫通している破孔は一つも無い。全て数センチ程度のへこみだ。

「どうしてこの野郎は突然ぶっ倒れたんで?貫通弾は無いのに」

「これだけ上からぶっ叩けば、貫通しなくたってぶっ壊れらぁ」

 ぶっきらぼうに答えて、トルマンは地面に唾を吐いた。

「被弾の衝撃で内部の回線やフレームがイカレちまったんだ。人間で言えば、内出血や骨折みないなモンだな。外側はまともでも、中はズタボロだ」

「何か弱点は無いんですかい?出くわす度に二、三十発もお見舞いしなきゃならないなんて、手間が掛かりすぎる」

「膝関節か肩関節を狙って撃ち込むしかないだろうな。グスタフの七十五ミリなら腹部でも貫通できる」

「昨日の戦闘では貫通しなかったぞ」

「ありゃ一番装甲の分厚い胸部に撃ち込んだからだ。腹なら貫ける」

「なるほど」

「あとは…」

 トルマンは未確認機を眺めているマサヨシの方を見た。

「お前さんの相棒の、マサに斬り込んでもらうぐらいだろうなぁ」

 同じ事を考えていたロルフは軽くうなづいた。

「何か他にわかった事はありますかい?」

「主武装は七十五ミリ砲だ。こっちの射程外からシュペーⅢを撃破できる。とことん気に食わねぇ奴だ」

 その威力に関しては、昨夜ロルフは身をもって味わっていた。この機体の七十五ミリ砲の直撃を喰らえばひとたまりも無い。グスタフでも無事ではすまないだろう。グスタフも同じ七十五ミリだが、砲身の長さと発射薬の量から言って威力は敵の未確認機のが強力だ。

 いくらロルフとマサヨシが強力なグスタフに乗っているとはいえ、こちらの主力はシュペーⅢだ。シュペーⅢの五十ミリ砲で膝や肩などの弱点を狙うにしても、かなり近距離まで近づかなければならない。それに対して、相手は遠距離からでもこちらを撃破できる。もし正面から撃ち合いになったら、こちらが不利だ。

「それから、砲の構造でこいつの出どころがわかった。こいつはオルシャ製だ」

「クソ!」

ついにロルフが我慢できなくなって悪態をついた。

「あの連中が絡んでやがったか」

 オルシャとはオルシャ連邦の事であり、ドリスとは北東部で国境を接している国だ。昔から強大な軍事国家であり、近代以降は西方進出を狙ってドリスと戦いを繰り返してきた。ここ数十年は平穏を保っていたが、やはりドリスを疲弊させるべく、このように水面下で手を打っていたのだろう。

「いくら反政府軍の数が多いからと言っても、後ろ盾が無ければ五年も戦えないだろう。おそらくは内乱の初期の段階から、オルシャが反政府側を支援していたんだろうな」

「裏でコソコソしやがって、頭に来るぜ」

「反乱軍が自前で調達したとは考えにくいな。たぶんオルシャも実験で投入したんだろう」

 改めてトルマンは未確認機を見上げた。倒れてなお、その姿は大きく映る。

「そうだ。こいつにも名前があるんだ。目撃した連中がそう呼んでいたんだが、今じゃすっかり定着しちまった名前だ」

 ロルフがトルマンの顔を見て、先を促す。

「こいつは『ゴーレム』って名前だ」

 ロルフは鼻で笑った。

「まさしくそんな感じだな」

 ゴーレムとは、おとぎ話に出てくる岩の巨人で、力持ちとして有名である。誰が名付けたのか知らないが、ぴったりな呼び名であった。

 未確認機改め、ゴーレムの残骸を見上げてロルフは、頭の中で新たな強敵の倒し方を考えた。性能はグスタフとほぼ互角。どの程度の数があるのか不明だが、グスタフはダイニナ派遣軍でもたったの四機。そのうちの二機はまだ連絡が取れていない。もしゴーレムの方が数で上になられたら都合が悪い。しかし操縦士としての技術なら負ける気はしない。

「俺からも聞いていいか、ロルフ?」

 トルマンの声で、ロルフは思考の海から浮上した。

「これに乗ってた操縦士はどうしたんだ?」

「死んだ」

 そっけなくロルフは答えた。それから、ばつがわるそうに頭を掻いた。

「自殺したんだよ。歩兵がよじ登ってハッチを開けたら、中で拳銃を握りしめたまま死んでいたらしい」

 国際法によって戦時捕虜はその身分を保護することになっているが、反政府軍の兵士は正規の軍人では無いため、必ずしもそれが適用されるわけではなかった。政府軍が反政府軍の兵士を捕まえた場合は、ほとんどが銃殺された。ドリス軍では極力捕虜を後送し、ダイニナ政府の管理する収容所に収容させたが、全てがそうとは限らなかった。捕まえたその場で射殺される事もあれば、仲間の敵討ちとして処刑される事も珍しくなかった。そういった死人はけして書類に記載される事はなく、判明したとしても誰もそれを咎めなかった。

そのような扱いを受けるならむしろ自分の手で、という事だったのだろう。反政府軍には時折こうした熱意を見せる者があった。

「そうか、生きてたなら話を聞こうと思ったんだがな…」

 若干残念そうにトルマンは呟いた。

「こっちは誰かやられたのか?」

 ロルフの顔が少し曇った。

「ヨーゼフと、アントンが…。このゴーレムにやられた」

「俺に断りなく逝きやがって…」

 トルマンは腹立たしげに漏らした。ロルフに調査書の写書きを手渡しながら、静かに、そして力強く言った。

「お前は勝手にくたばるんじゃないぞ。命令だからな」

 写書きを受け取って歩きだしたロルフの背中に、トルマンは少し声を張り上げて伝えた。

「あと俺の整備した機体を、勝手に壊しても許さんからな!その時はぶっ殺してやる」

 ロルフは後ろ手に手を振った。




 ロルフはマサヨシと一緒に、宿舎として使っている百貨店跡の地下室に戻った。他の操縦士と一緒に、ゴーレムに関して話し合うためだ。

「本当なのか?」

ティモシー・フレデリクス軍曹が、ロルフの話を聞いて顔をしかめた。ロルフ達と同期の操縦士であり、ダイニナに派遣された経験もある。今回の派遣の直前になって軍曹になった男だ。仲間内ではフレディの愛称で親しまれている。

「トルマン大尉が調べた結果だ」

 ロルフが念を押す。

「それにあの化物はお前だって見ただろう」

「フレディ。自分の中の観念にとらわれては、真実は見えないぞ」

 マサヨシにも諭されて、フレディは自分の栗色の縮毛を撫でた。チェックメイトを宣言されたような顔で、ロルフの持ってきた写書きを見つめる。

「機動性もパワーも、武装も装甲も、シュペーⅢとは段違いだ。これが本当なら、こっちは野うさぎみたいに狩られる事になるぞ」

「今からでも自分の足を撃つか?」

 隣でドミニク・ビアッジ伍長が冗談を飛ばした。

「お前は軍曹で、基本給料は俺達より上だろ?出動手当やらなんやらで、もうかなり儲かってるはずだ。ここいらで適当な怪我でも作れば国に帰れる上に、負傷手当そのほかも付いて大分お得だ」

 商品を紹介するセールスマンよろしくビアッジはまくしたてた。冗談に乗り切れなくてフレディは辟易した表情で返す。

「ビアッジ、お前が俺の立場ならそうするか?」

「するわけないだろう」

 当然と言わんばかりに、ビアッジは堂々と答えた。

「軍曹に上がったと思ったら、すぐにダイニナだ。おまけにこの有様だよ、いよいよもって縁起が悪い」

 フレディは独り言のように呟いた。兵士達の間では、昇進してすぐに前線に出るのは縁起が悪いとされていた。最初の一年以内に死ぬという噂があるのだ。

「コントはその辺にしてもらっていいか?」

 ロルフが二人の茶番に幕をおろした。

「弱点は無いんですか?」

 トーマスが尋ねる。

「狙うとしたら膝だな。装甲が厚くて重量がある分、脚部にかかる負担も大きいはずだ」

 ゴーレムに限らず、アウトマトスにとって脚部は共通の弱点である。例え片方でも、損傷してしまえば行動不能になる。

「他に挙げるなら、乗ってる奴の腕だな」

 ロルフの言葉にマサヨシが賛同する。

「昨夜の奴もそうだが、いくら性能が良くても操る人間の技量ではこちらのが上だ。満足に訓練をする余裕もない連中が、俺達より優秀だとは思えない。腕が上なら、負ける事は無い」

 フレディは呆れ顔で首を振った。

「お前に言われても説得力が無いよ。俺はお前と違って普通の人間なんだ、一緒にしないでくれ」

「俺だって普通の人間だぞ」

「嘘つけ。ニンジャの末裔なんだろう、お前は?」

 またしてもコントが始まりそうになった時、地下室にリスト中尉が入ってきた。

「これは中尉殿。お早いお帰りでございますな」

 皮肉たっぷりに、ロルフが大きな声で迎えた。結局リスト中尉が部隊に戻ってきたのは戦闘が完全に終わった後だった。

さっきも司令部に呼び出されていて、ゴーレムの調査などは完全にロルフたちに任せていた状態たった。肝心な時に部隊にいなかった事を後ろめたく思って、リスト中尉は暗い顔をした。

「すまなかった」

 普段ならロルフの無礼な態度に何かしら言い返す所だが、今回は珍しく謝った。様子が違うと感じて、ロルフが眉をひそめる。

「あの、そのだな…」

 何か言い出そうとするも躊躇っている様子のリストを見て、マサヨシが助け舟を出した。

「何か悪い話か、中尉?」

 リストは深くため息を吐いた。

「そうだよ。悪い話だ、セキノ」



 話は昨日に遡る。ロルフ達の中隊がこのフリクの街で反乱軍の襲撃を受けていた頃、ほぼ同じタイミングでこの地域の反乱軍が各所で一斉に攻勢に出たのだ。ゴーレムを複数含む機甲部隊と歩兵による大規模かつ周到な作戦で、ドリス軍は現在も各所で苦戦を強いられている。比較的早期に攻勢を跳ね除け、安定した状態にあるここ独立第四機動旅団は他部隊への救援を命じられた。しかし救援を求める部隊が多数あり、兵力を分散せざるを得ない。

「それで、俺たちが向かうのはどこの火事場だ?」

 ロルフが先を促す。

 リストが即席のテーブルとして使われているコンクリートの破片の上に地図を広げる。

「この、ドラドという高地にある飛行場だ。敵に包囲されて救援を求めてる」

「聞いたことがないな」

 ロルフが周りの顔を見回す。どの顔も無言で「俺も知らない」と返事をしていた。

「ここは、その、親衛隊の飛行場だ」

 赤点をとったテストを親に見せる子供のように、リスト中尉はたどたどしくそう告げた。地下室の空気が一気に冷める。

「…はっ!」

 ―――そろそろ来るな。

 そう思ってマサヨシは耳をふさいだ。

「ふざけるな!」

 地下室にロルフの怒声が響いた。耳をふさいでいなかったトーマスが飛び上がる。昨夜の砲撃より驚いている。

「どうせ親衛隊が独自に使用するために秘密で作った飛行場だろう!陸軍には使わせもしない分際で、困ったときだけ助けに来いと言いやがる!おまけに今現在飛行場を奪還することにどれだけの意味があるのか怪しいもんだ。こりゃ完璧にコーシュの城って奴だ!」

 コーシュの城とはドリスにある昔話で、砂浜に城を造り満ち潮と同時に城が崩れた話から『無駄な仕事』『報われない努力』という意味の言葉として使われる。

 ロルフの言うとおり、敵に包囲されて陸戦に巻き込まれている飛行場を奪還することにどれほどの意味があるのか怪しい所ではある。包囲を解いた所でそこは戦闘地域の真っただ中であり、飛行場としての機能を回復できる望みは薄い。これは親衛隊が自分たちの陣地を包囲下に置いておくのが我慢できないという意地にこだわった作戦であり、ロルフたち陸軍はそれに振り回されている形だ。

「飛行場を放棄して撤退させればいい。そうすれば部隊の全滅は避けられる」

 既に決定した作戦に、このように下士官が意見するというのはよくない事だ。それでもロルフの言う提案はあらゆる点でまともだった。価値の無くなった飛行場など破棄して部隊だけでも撤退させればいい。戦力を失わなければ反撃の機会もある。

「だが、もう旅団で決められた事で…」

「今から断ってこい!」

 いよいよどちらが上官かわからないようなやり取りになってきた。

 しかし他の下士官もこの任務には乗り気でなかった。

「俺からもいいか?中尉」

 遠慮がちに、だが確実に言いたい事がある様子でフレディが手を挙げた。

「昨日ここまで移動してきてそのまま戦闘で、俺たちはまだ補給を受けていない。燃料と砲弾が足りない状態で攻撃に向かうのは無謀すぎやしないか?」

「そうだ。補給はまだ受けられない。でも、旅団からはすぐにでも攻撃に向かえという命令だ」

「無茶だ」

「だから手持ちの砲弾と燃料を集中させて、完全に物資を整えた一個小隊で攻撃に向かう」

 ――勘弁してくれ。

 そんな表情が地下室に並んだ。その反応を予想していたリスト中尉は慌てて説明を補足した。

「その代わりと言っては何だが、七五ミリ砲の補給は受けられる」

「結局俺たち頼みか」

 隠すそぶりも無く、ロルフは不快感を露わにリスト中尉を睨んだ。

「それと、増援も受けられる…」

 ぴくり、とマサヨシの頬が動いた。

「親衛隊か…」

「そうだ。昨日早朝にドラドに到着した部隊で、こちらと合流するために昨日の夕方にフリクに入った。その部隊が攻撃に加わる」

「このタイミングでフリクに入った親衛隊と言えば一つしかないな」

 マサヨシが自身の推測を確認するようにロルフに目配せした。当の相方は同じ考えに行きついて額に手を当てた。

「ハノーヴァー君、入って来てくれ」

 地下室の入口に向かってリストが声をかけた。その名前を聞いて、マサヨシとロルフの眉がぴくりと動いた。

 リストに呼ばれて件の親衛隊少尉が階段を降りてきた。それを見た瞬間、悪い予感が的中したロルフは唇をかみ締めた。

 エリザベス・アシュリー・ハノーヴァー。以前フレイル駐屯地で行われた親衛隊と陸軍の合同演習。そこで陸軍側に対して打ち合わせを無視した攻撃で大混乱に陥れ、その直後に返り討ちにあった人物だった。

 戦場での生活でいくぶんかやつれていて、鮮やかな金髪も宝石のような碧眼も、どこか色あせて見えた。しかし足取りはしっかりとしているので、まだ心までは死んでいない様子だった。

「エリザベス・アシュリー・ハノーヴァー。親衛隊少尉です」

 表面上は礼儀正しく名乗り、エリーは敬礼をした。

「このハノーヴァー君が、現地までの道案内をしてくれる」

 改めて、リストがそう説明する。ロルフが引きつった顔で皮肉な笑みを浮かべた。

「やぁ、また会えて嬉しいぜ」

「私もよ」

 全く嬉しくなさそうな表情で、エリーも返す。

「相方はどうした?ブラウン少尉は一緒じゃないのか」

「機体で待ってるわ」

「お前ら親衛隊のヘマを、俺たち陸軍が尻ぬぐいするわけか」

「高貴な身分の人間を助ける事を光栄に思いなさい」

「口の利き方に気をつけろよ、今度は演習場じゃないんだ。弾は前からだけじゃないぞ、貴族サマ?」

 これが中世だったら、とっくに二人はサーベルを抜いていただろう。

 周りの人間はロルフが拳銃を取り出さないか、ヒヤヒヤしながら行方を見つめていた。

「俺は行く。この任務を引き受ける」

 流れを変えたのは意外な人物の意外な一言だった。全員がその人物を――マサヨシを――見つめた。全員、逆回転する時計を目撃したような目つきだった。

「移民をコケにする連中を助けるのか?」

 少し棘のある口調でフレディが尋ねる。フレディ自身はそこまで差別を受けた経験はないが、以前この少尉が演習でマサヨシに放った一言を知っていた。

「命令は選べない。俺たちの仕事は、いつもそういうものだろう」

 呆れた様子でフレディはかぶりを振った。エリーに限らず、親衛隊はマサヨシのような移民を差別して馬鹿にする。それでもマサヨシはそれを怒ったりする事はなかった。何も恨まず、ただ与えられた仕事をこなす。理解はできないが、そんな愚直なまでの真っ直ぐな性格をフレディも気に入っていた。

「わかった、行くよ。俺もだ」

 フレディも賛成した。隣でビアッジが屈託のない笑みを浮かべる。

「女の子の頼みじゃ断れないな」

 トーマスもうなづいた。元々この男には任務を断るなどという考えはない。

 諦めたようにロルフも了承した。

「俺も行くよ。これだけいれば十分だろう。残ってる物資の関係からも、この辺が限度だな」

 一度動くと決めてしまえば、あとは早いのがこの男だ。

「トルマン大尉の所に行って、物資の分配と必要な物を調達してくる」

 そう言ってロルフは早速地下室を出る階段を上り始めた。

「俺たちは地図を見てルートを決めよう」

 マサヨシが言い、他の下士官たちが周りに集まる。

「これじゃ誰が中隊長かわからないな…」

 リストが自嘲気味に漏らす。地下室から出ようとしていたロルフが、一瞬足を止めて振り向く。

「まともな指揮を執ったことがないんだから当然だ」

 それだけ言い残すと、ロルフは言い返される前に階段を登っていった。

 エリーが憐憫の眼差しでリストの顔を見る。

「部下に恵まれていませんね…」

 リストは何もかも諦めた様子で肩をすくめた。

「いいさ、慣れてる」



 トルマン大尉の指揮で、中隊は残った物資をドラド救出部隊に集中した。グスタフの七十五ミリ砲弾は親衛隊の補給部隊から半ば強引に貰い受けた。

「この砲弾は親衛隊の予算で調達された物よ。正規の書類無しで陸軍に譲渡できないわ」

 いかにも現場慣れしていない杓子定規な文句を、エリーがこぼした。

「お前の昼飯は陸軍の倉庫から出るが、それも正規の書類が出るまで待った方がいいか?」

 既に昨日の内に手持ちの非常食を食べ尽くし、今朝から何も口にしていないエリーの胃袋は既に降伏寸前だった。

 結局、前線では書類など重大な力を持たない事を学び、エリーは陸軍の非常食を受け取った。

「事後承諾って言葉を覚えておくんだな、少尉」

 金髪の軍曹は厭味ったらしく笑った。

 包囲されているドラドの飛行場までは、アウトマトスなら一日で行ける距離だが、敵との遭遇を避けるために迂回などをすると考えると二日かかると予想された。念のため三日分の食料と水が用意された。アウトマトスの背部、動力パックの上に、食料を入れた小型コンテナが固定される。操縦室の小型ロッカーには、護身用に歩兵が使うのと同じライフルが積み込まれた。少しかさばるが、全員が腰に拳銃ホルスターを吊ったベルトを巻いた。予備マガジンの入ったケースも一緒だ。もちろん機体の動力源と弾薬は持てるだけ持った。

 大袈裟に見えるかもしれないが、敵の支配地域になっている森を抜けて、包囲されている味方を救出しに行くという任務の困難さを思えば、これでも足りないくらいだった。一番困難が予想されるのは、包囲網にたどり着いてからだった。かなりの数の敵が包囲してるはずであり、しかも飛行場の部隊を救出するためには戦闘は避けられない。

 百貨店跡の一階で、全員が車座になって昼食を摂りながら、簡単な打ち合わせが行われた。

 街の東側で散発的な戦闘が発生しているようで、小さく銃声が聞こえる。それほど差し迫ったようには聞こえないので、誰も気にはしていなかった。

「俺とマサヨシで先頭を歩く」

 ロルフが言い出した。

「大まかな道程はそこの少尉の案内に頼るが、ここに来た時通った道をそのままたどると、敵と出くわす危険がある。地図とコンパスを頼りにして、少しルートから離れて進む」

 エリーが書き込みをした地図を見ながら、マサヨシが話す。

「地図の上だと、目的地までは平坦な森が続いている。だがこの地図は内乱が起こる前に作られた物で、今も正確かどうかは定かではない。地図には無い細かい道が出来ていたり、逆に地図にある道が消えていたりする。それに地図に書ききれない小さな起伏や、地形のうねりがかなりあるはずだ」

 そこでマサヨシは一旦エリーを見た。ここまで言って、何か間違いがないか確認する目だ。

 エリーは小さくうなづいた。

「そうよ。確かに地図の上だと平な地形だけど、実際には窪地や倒木が多くて、あまり平らとは言えないわね」

 ここはダイニナに派遣された回数が多いゆえの経験の差だろう。すでに地図と地形に相違があることを指摘されて、エリーは内心驚いていた。

 自分の意見に間違いが無かった事を確認して、マサヨシが先を続ける。

「それだけ起伏があれば、アウトマトスで移動していても簡単には見つからないだろう」

「前を歩く奴が優秀なら、な」

 フレディが付け加える。

「そういう事だ」

 ロルフが相槌を打つ。

「俺とマサヨシが先頭で、見つからないように地形を選びつつ前進する。余程の事がなければ、こっちが先に見つかる事は無いだろう。もし敵を見つけたら、可能な限り戦闘は避けて行動する。なんたって森の中は反政府軍の支配地域だ。いちいち目に付く敵をやっつけていたら、きりがない」

 ロルフが人数分のトランシーバーを取り出した。

「トルマン大尉に頼んで用意してもらった。全員これを持って行け」

 歩兵が個人通信などで使用するタイプであり、あまり性能が高いとは言えない。

「普段はこれで連絡を取り合うんだ。シュペーⅢに積まれている無線機は電波が強くて、数キロ先まで受信できる。うかつに使うと敵に傍受されて、こっちの存在がばれる。その点、こっちは安心だ。電波が届くのはせいぜい数百メートルで、敵に傍受される可能性も低い」

 フレディがビアッジの肩を突く。

「お前がおしゃべりしても大丈夫だな」

 ビアッジがにやりと笑う。

「助かるね。おかげで独り言を言わなくて済みそうだ。ほら、俺って話さないと呼吸ができないからさ」

「…そのまま窒息してくれ」

「おい、勘弁してくれよ兄弟」

 気を取り直してロルフが話を続ける。

「先頭は俺とマサヨシ、その後ろをハノーヴァー少尉だ。トーマスは『お荷物』と一緒に真ん中。ブラウン少尉も真ん中だ。後衛はビアッジとフレディでやれ。追跡されていないか、後ろにも気をつけるんだぞ」

 本人の前で堂々とリストを『お荷物』呼ばわりしたが、本人はもう諦めたように黙って聞いていた。

 前の演習では親衛隊の待ち伏せを喰らい、今回の出兵でも肝心な時に不在であったりと、確かにリストは将校としては不安が残る人物だった。それ以前から、演習などで些細なミスを繰り返していた。しかし生まれの違いでマサヨシを差別する事はしなかったし、生意気ながらもロルフを優秀な部下として頼りにもしていた、自分の能力が劣る事も自覚し、できない事は優秀な下士官に適度に任せていた。要領が悪いことを除けば、そこまで悪い人物でもなかった。

――これでもう少し、ちゃんとした男だったら良かったんだがな。

 ロルフは心の奥でため息をついた。

「おいフレディ、お前が一番後ろを頼むよ。俺はそういうのが苦手なんだ」

「それは構わないが、お前に楽をさせるのは納得できないな」

「文句言うなよ、軍曹だろ?俺より多く給料をもらっているんだから、その分の働きはしてくれなくちゃ」

 コントを始めた二人を置いて、ロルフは質問があるか尋ねた。エリーが手を挙げる。

「飛行場を包囲している敵は、どう倒すの?」

「隙を見て奇襲をかける。敵の戦力はわかるか?」

「少なくとも歩兵とアウトマトス一個中隊。険しい山中にあるから、戦車では簡単に近づけないの」

「なるほど」

 ロルフがうなづく。今度はマサヨシがエリーに尋ねる。

「現地の地形はどうなっていますか?」

 エリーが地図のドラド山を指さす。高山地帯に一部だけテーブルのように平らな部分がある。

「ここにあるのが『ドラド飛行場』よ。昔は村があったから私たちはドラド村と呼んでいたわ。今でも宿舎や司令部は村の建物を使ってるの」

 それからエリーの指は地図の上で北に向かって数百メートル移動した。そこには高山地帯の中で一番高い山があった。

「これが『ドラド山』よ。大きくはないけど、この辺で一番高い山よ。ここからはドラド村を含む周辺の地形が一望できるわ」

 山と村の間は谷になっていて道が一本走っている。

「反乱軍は東側にいる予想だったから、防御は飛行場の東側に集中していたわ。ドラド山にも観測と警戒のために少数がいただけ。でも敵は大きく迂回して、西側からドラド山を攻撃したわ。あっという間にドラド山は陥落して高所から飛行場は狙い撃ち、大混乱。そこに東側から反乱軍主力が攻撃したってわけ」

 話を聞いてロルフがふん、と鼻を鳴らす。

「統制の取れた攻撃だ。たぶん元正規軍だろうな」

 北にはドラド山。南には飛行場。その間には道。高山地帯を抜ける道はこれだけで、あとは険しい斜面の連続だ。交通の要所であり、反乱軍にとっても譲れない場所だろう。こんな重要な場所にたった一個中隊で向かうなど、やはり正気ではない。

「あんたはどうやって脱出してきたんだ?」

 ロルフがエリーに質問を投げる。

「飛行場の南に千メートル行った場所に補給所があるの。昔はその辺まで村だったみたい。私たちはそこにいたわ。東側からの一斉攻撃で飛行場と分断されて、そのまま南に押し出されたの。やむを得ず生き残りを集めて、味方がいる所まで脱出してきたの」

「お前たち親衛隊が、陸軍を味方だと認識してくれていて嬉しいぜ」

 キツい冗談を、ロルフが放った。

 さすがに言い過ぎだと思ってマサヨシが目で訴える。

 金髪の相棒は逆に目で訴え返した。

――こんな奴らに甘くしてどうする。

「まぁ細かい作戦は現地で考えよう」

 気まずい雰囲気に耐えかねてフレディがわざと明るく言った。

街の東から聞こえる戦闘騒音は、まだ続いていた。

「暗くなったら出発するぞ。それまで休んでおけ」

 そう言ってロルフは立ち上がると、地下室に下りていった。出発まで寝るつもりなのだろう。思い思いに休憩をとるメンバーの中で、リストがため息を漏らす。中隊長であるにもかかわらず、全く意見を出す機会が与えられないまま打ち合わせが終了してしまった。それも何の問題もなく。

「いよいよもって立場が無いな…。誰が中隊長なのか、本当にわからなくなりそうだ」

 ビアッジが意地悪な笑みを向けた。唯一エリーだけが、リストを気遣う。

「将校って大変なんですね…」

「君もいずれわかるさ」




 この日も一日中厚い雲が垂れ込め、太陽を見ることは無かった。沈む夕陽を見る事もなく、時間と共にあたりは薄暗くなった。完全な夜が訪れる前に、中隊は街の東に移動した。そこにはロルフ達第二中隊の他に、第一と第三中隊のアウトマトスも集合していた。

「無線の確認を行う。全員聞こえるか?」

 小型のトランシーバーでリストが呼びかけた。全員から返事を受け取り、リストは状況を説明した。

「東からの攻撃がしつこいから、大隊のアウトマトスを全部投入して反撃を行うそうだ。俺達はそれに紛れて、戦線を突破する」

「そんな余裕があるなら、俺達を手伝ってくれてもいいだろ」

 わざわざトランシーバーを使ってビアッジがぼやく。

「他の中隊の奴らも、同じことを言うだろうさ」

 フレディが返す。

この二人のやり取りに付き合う気は無いリストは、簡潔に注意だけ告げた。

「味方からの誤射を防ぐために、背中の識別ランプを点灯させておけ。うまく突破できたらランプを消す。消すタイミングは…」

「マサヨシに任せるんだろ?」

 ロルフが先に言った。うなだれながら、リストはそれを肯定した。

 周りではアウトマトスだけでなく、歩兵も集まり始めた。どうやらかなり大規模な反撃を行うらしい。昨夜奇襲をかけられた事への意趣返しもふくんでいるのだろう。

 かつて歩兵だったロルフとマサヨシは、ライフルを握り締めて廃墟の影でじっと待っている小さな戦友達を、愛おしく思いながら見つめた。

 やがて彼らの後ろで照明弾が撃ち上がった。後ろから指す光によって、地面に大小様々な人形の影が刻まれた。それに合わせて砲撃が始まった。砲弾が空を切り裂く甲高い音が、星の無い夜空の下に響いた。照明弾で照らされた森に、砲弾が突き刺さる。かなり大口径の砲弾なのだろう、一発の破壊力が大きい。短時間ながら、密度の高い砲撃が加えられた。

――始まる。

 砲撃が終わると同時に、全員が声に出さずに確認した。

「無線封鎖解除。大隊、前へ!」

無線の合図と共に、大隊に所属するシュペーⅢが五十ミリ砲をエイムして、横隊で歩み出す。地面に伏せていた敵兵を発見して、すぐに戦闘が始まった。シュペーⅢは腹部の機関銃で敵兵をなぎ倒して行き、死角から近づこうとした敵兵は、後続の歩兵がライフルで仕留めていった。ここまで大規模に反撃されるとは、予想していなかったのだろう。敵は満足な抵抗もできずに、次々と倒れた。

「行こう」

 他の機体が、森の中までかなり進んでいってから、マサヨシは短く告げて進んだ。他のアウトマトスは反撃を行って、敵を退けたらすぐにでも街に戻る予定になっている。しかしマサヨシ達は任務が違う。道程の最初であるここで、いきなり弾薬を浪費する事は避けなければならなかった。

「発砲を確認。十時方向にアウトマトスだ」

 別の中隊から無線が入った。

 シュペーⅢに積まれている無線は、受信と送信を切り替える事ができるようになっており、普段は受信に設定されている。敵を発見したり、何か連絡がある時だけ送信に切り替える。マサヨシ達は受信にしたままだったので、他の部隊の通信がそのまま聞こえた。

「ドーラ隊、ここから迎え撃て。味方を誤射しないように気をつけろ」

「発射、命中。撃破した」

「ツェザル隊、こちらでも補足した。攻撃に加わる」

「注意!敵が増えた」

「大きいのがいるぞ、ティーポッドじゃないな」

 その直後のやり取りで、マサヨシ達の背中を悪寒が駆けた。

「気をつけろ、ゴーレムが出た!」

「こちらドーラ隊。ゴーレムがいる、射撃を集中しろ」

 ゴーレムがいる。それを聞いた瞬間、マサヨシは背部の識別ランプを消した。中隊の他のシュペーⅢも同時にランプを消した。味方の誤射を警戒するより、ゴーレムに発見される方を恐れたのだ。運良くマサヨシ達の正面には敵がいなかった。好機とばかりにマサヨシが駆け出す。今はとにかくここから離れたかった。背後では砲声が激しくなり、閃光が絶え間なく瞬いていた。苦戦に直面する味方を置き去りにする事に後ろめたさを感じるが、マサヨシ達にも任務がある。

 心を鬼にして、マサヨシは歩を薦めた。無線からは撃破される味方の断末魔が聞こえてきたが、何も聞こえないふりをした。

 すぐに照明弾が届かない距離まで離れてしまい、あたりは真っ暗になった。元々星も見えない闇夜だったが、森の中は一層暗かった。

「暗視装置を使うわ」

 エリーがトランシーバーで言った。

「無駄だと思うがな」

 冷たい口調でロルフが言った。

「どういう意味?」

「使えばわかる」

 エリーは機体の暗視装置を起動させた。通常なら緑色のサングラスをかけたように、周囲の風景が緑がかって映される。しかしエリーの目に映った光景は、思わず故障しているのではないかと思わせるほどだった。

「なにこれ?」

 視界は遠近がつかめない、輪郭だけの世界であり、手前の草と遠くの樹木が似たような濃さで映し出されていた。これでは正確な索敵はできない。それどころか、目の前の樹にぶつかる恐れがある。

「ダイニナ特有の磁場で暗視装置が狂っちまうんだ」

 ロルフが原因を説明する。

「場所によって磁場が違うらしくて、調整しても移動するとすぐ狂っちまう。幽霊が視界をふさごうとしてるんだって噂も出てくるくらいだ」

「最新機材がこんなありさまで、おまけに幽霊とは情けない話ね」

「だからここじゃ人間の目が頼りだ」

 もう諦めてエリーは暗視装置を切った。確かに自分の目で見た方が少しは様子がわかる。しかし真っ暗であることに変わりはない。今この状態で便りになるのは先頭を歩くマサヨシだ。鍛え抜かれたマサヨシの視力だけが、今部隊の索敵をすべて担っている。

やがて全てが闇に包まれてしまうと、誰もが目の前の仲間の背中しか見えず、もしかすると部隊は散り散りになっているんじゃないかという錯覚さえした。気が付けば砲撃の音も聞こえなくなり、自分の呼吸する音が突風のように大きく聞こえた。この音が森中に聞こえているのではないかと、ありもしない不安に駆られる。光も音も届かない空間を進んでいると、あたかも地底を歩いているかのようであった。

 一番前を行くマサヨシは、本心では怖かったがそれを誰にも悟らせなかった。暗闇の中で己の感覚を最大限に研ぎ澄まし、目の前の地形とそこの進み方を慎重に見極めた。目を、耳を、それからこれまでの経験で築き上げた、第六感的な感覚までを極限まで張り詰める。今や全身が神経とも言えるほどだった。この暗闇は精神衛生上良くなかったが、振る舞いによっては味方にもなる。マサヨシはそれを達成しつつあった。

 どれくらいそうしていただろう。霧が晴れるように、視界がはっきりとしてきた。最初は闇に目が慣れたのかと思ったが、全員の姿がはっきりと見えると朝が訪れたのだとわかった。相変わらず空は雲に覆われていて、太陽の光は見えない。おまけに深い森の中なので、樹木の傘が頭上に被さり、満足に空も見えない状態だった。

「小休止にしよう」

 リストが呟くように言った。

「一時間休憩にする。交代で見張りを立てて、残りは装備の点検と食事にあてる」

「了解」

 マサヨシが適した地形を見つけて、部隊は全員そこに機体を収めた。

「先にフレディが見張りにつけ。俺は座標を確認してくる」

 少し先に森の切れ目があり、そこは小高い丘になっている。あそこに歩いて登れば周囲を見渡せて現在地を確認できそうだ、と考えてリストは地図とコンパスをもって操縦室から出ようとした。

「待って」

 エリーがそれを遮った。

「座標確認は私がやるわ」

 ここまで陸軍に頼り切っているエリーとしては、何かしら作業に携わりたかった。

「自分も行きますよ」

 マサヨシが名乗り出た。

「自己位置標定くらい一人でできるわ」

「ゲリラがどこにいるのかわからないので一人じゃ危ないんですよ」

 自分たちが現在どこにいるのか確認する作業は地図と周囲の地形を見て行う作業なので、場合によっては没頭してしまって周囲への警戒がおろそかになる恐れがある。

「セキノ軍曹、護衛なら自分が行きます」

「いえ、大丈夫です。ブラウン少尉は休んでいてください」

 マサヨシはヘルガの申し出も断った。後に後悔する事になるが…。

エリーがグスタフの操縦室から出るのとほぼ同じタイミングで、マサヨシも操縦室から出てきた。エリーは地図とコンパスの入ったバッグを、マサヨシはライフルを持って。

 二人はアウトマトスの巨大な肩から降りてくると丘を目指した。しかし途中でエリーが横にそれて草むらの深い方へ歩き出した。

「どうしました?そっちじゃありませんよ」

「ちょっとそこで待ってなさい」

「危険ですから一人になるのは…」

 エリーは顔を真っ赤にして振り返った。図書館で騒ぐ同級生を見る目付きだ。

「お花を摘みにいくの、紳士の方はしばらく待っていただいてよろしいかしら?」

 マサヨシは自分の浅はかさを猛省した。どうりでヘルガが同行を申し出た訳だ。男所帯なので気にもしなかったが、今一緒にいる人物は軍人であると同時に女性だ。そして生き物である以上排泄という行動が必ず伴う。

「あ、これは失礼しました…」

 移住してきた九歳の時のように、ドリス語が頭から消し飛んでしまい、それしか言えなかった。そういえば最初に覚えたドリス語は『こんにちは』と『ごめんなさい』だったと思う。

 エリーは草むらの中に入り、用を足してから出てきた。気まずい沈黙が流れたが、そのままエリーは無言で丘を目指して歩き出した。

 丘の周囲は木がないので、森の中よりは明るかった。それでも小雨が降っているのでお世辞にも居心地がいいとは言い切れない。エリーは丘の上で片膝をついて周囲を見渡した。

丘の先、休憩が終わったらまた進むであろう方向は森が数キロに渡って途切れていて草原が続いている。草原の中には細い道が走っている。舗装されていないが、車両が通れそうな幅はある。

「あの道は地図にないわね」

「よくある事です」

 エリーは遠くの山や丘の頂上を目印に、それらの方角をコンパスで図る。それから地図でそれらの山を探し、方角を照らし合わせる。こうして自分の位置を割り出すのだ。

「現在地はここね」

 エリーが地図の上を指さす。マサヨシもライフルを片手に覗き込む。いくら実戦経験がないからと言って、自己位置標定を間違えるほど未熟ではなかった。割り出された位置はかなり正確なものだった。

「思ったより進めませんでしたね」

 先頭を務めていたマサヨシが、自身の働きを辛辣に評価した。

 暗視装置も使えない闇夜を正確に進んだのだから、もっと誇ればいいのにとエリーは思った。

「ここからは速度も上がるはずよ。明るくなったんだから」

 そう言ってエリーは地図から顔を上げて、進む方向である草原を見た。

 そして心臓が止まりそうなほど驚いた。

 草原の中を縫っている細い道に数百人の軍勢がいて、こちらに向けて歩いてくる。

 エリーは咄嗟に、その場に伏せた。

「急に動くとかえって目立ちますよ」

 そう言いながらマサヨシは双眼鏡を取り出しながらゆっくりとしゃがんだ。確かに士官学校でも基礎教育で『急な動きは避け、蛇のようにじっくりと動け』と教わっていた事をエリーは思い出した。教わった有効な知識が実践できるかは、経験がものを言う。

 双眼鏡を覗きながらマサヨシはふん、と鼻を鳴らした。

「ゲリラかもしれませんね」

 エリーもポーチから双眼鏡を取り出す。

 軍勢は三百から三百五十ほどの人数だ。しかし軍服を着た人間はおらず、前を歩く男たちの持つ銃はバラバラだ。

 エリーはもう一度地図で自分たちの位置を確認した。

「ここはまだフリクの街にいる砲兵の射程内だわ」

 マサヨシが双眼鏡を下してエリーを見る。

「何をするつもりですか?」

「座標を送って、砲兵にあいつらを撃たせるわ」

「よした方がいいでしょう。このままやり過ごした方が安全です」

 エリーのうなじの毛が逆立つ。

「消極的ね、伍長。それじゃ勲章は貰えないわよ」

「自分みたいな人間は一生そんなものは貰えませんよ」

「あいつらは放っておいたらどこかで味方を攻撃するわ。それがフリクである可能性は高いわ」

「あんな素人同然の連中なんか放っておいても大して危なくありませんよ。それよりこっちの安全を図るべきです。ここで砲撃したらどこかで観測してる奴らがいると敵にバレてしまう。そうなったらここら一帯は敵の捜索リストに載って…」

「もういいわ伍長。私の判断でやる。あなたは黙って周辺を警戒していて」

 やめた方がいいと思うんですけどね、とぶつくさ言いながらマサヨシは数メートル下がった。こんな消極的な臆病者に演習で打ちのめされたのかと思うと、エリーは腹立たしくてたまらなかった。

 胸の内で悪態をつきながら、エリーはコンパスで軍勢の位置を計った。

「ヘルガ、聞こえる?」

 そしてトランシーバーで戦友を呼び出した。

「聞こえるわ。どうかした?」

「ゲリラの大群を見つけたわ。座標を送るからフリクの砲兵隊に砲撃を要請して」

「わかったわ」

 数分後には砲弾が空を裂く音が近づいてきた。

 軍勢に対して手前、奥、中央の順番に一発ずつ砲弾が落ちる。

 それぞれ弾着のズレがないか見定めるための試射だ。三発目が中央に落ちたので、目標に対する弾着は正確だ。何人かの人間が倒れたるのが、ここからでもわかる。これが座標を読み間違えていたり、砲兵の方で計算が間違えていると三発目があらぬ位置に落ちる。

「弾着よし、効力射」

 エリーがトランシーバーで言った事を、ヘルガも無線機でフリクに伝えた。

 今度は複数の砲弾が立て続けに降り注いだ。

 花火を何倍にも大きくしたような破裂音と共に地面が揺れる。二キロは離れてるはずなのに凄い衝撃だ。十数発の通常弾の後は榴散弾も撃ち込まれた。空中で炸裂して破片と爆風をまき散らす砲弾で、地面に伏せていてもほとんど助からない。ヘルメットや防護装備が何もないゲリラなら尚更だ。

「やるじゃない」

 エリーは満足げに鼻を鳴らした。

 十分な効果を与えたと確認すると、エリーは砲撃終了を命令した。それから二人は急いで機体を止めている森に戻った。もう他の全員は砲撃の音を聞いて操縦室に戻っていた。

「何だ!何があった?」

 ハッチから頭を覗かせてロルフが聞いてくる。

「ゲリラの集団がいたのよ。フリクの砲兵に撃たせたわ」

「なんだってお前親衛隊が陸軍の砲兵にだいたい俺に断りもなく――」

 勝手な行動に憤慨して支離滅裂な文句を言うロルフを無視して、エリーは操縦室に飛び込んだ。

「確認に行くわよ。セキノ伍長、先行しなさい」

「了解」

 なし崩し的に部隊は出発した。

 警戒しながらマサヨシとエリーは丘を越え、砲弾が撃ち込まれた地点に向かった。まだ爆発の黒い煙が辺りに立ち込めていて、あたかも黒い霧がかかったようだった。土埃と火薬の臭いが操縦室の中まで漂ってくる。

 徐々に黒い霧が薄くなっていき、それと同時に砲兵による素晴らしい戦果が露わになってきた。

 そこらじゅうにバラバラになった人間の体や、焼け焦げたもの――ついさっきまでは人間だったもの――が散らばっていた。しかもそれらの多くは女子供だった。

 最初は誇らしげだったエリーは、赤ん坊を抱きかかえたまま口と耳から黒い血を流している女性の死体を見た所から青ざめた。

 マサヨシもすぐにそれに気づいた。銃を持っていたのは最初の数人で、後はほとんど丸腰だ。榴弾の爆発に晒されても、銃というのは変形こそすれど持ち主の周りに落ちているものだ。ここには銃の残骸や破片がほとんど見られない。

「自衛のために武装した避難民でしょうな。おそらく」

 マサヨシは目の前の事実を分析して呟いた。

「…民間人という事なの?」

 トランシーバー越しでも、動揺しているのがわかる声が聞こえてきた。

「気にする必要はありませんよ、自分も強く止めませんでしたし。あの時点では五分でしたからね」

 半分は自分に言い聞かせた言葉だった。

 誤射で味方や民間人が被害を受ける事は、そう珍しくない。いい気分ではないが、いちいち気にしていたら持たない。こうした状況にショックを受けつつも、それを流すのに慣れている自分が、マサヨシは少しだけ悲しかった。

 生存者がいない事を確認して、マサヨシは後続に前進を促した。

「問題ない。前進しよう」

 ロルフたちが追従してくる頃には、黒い霧はすっかり晴れていて惨劇の様子がよくわかった。焼け焦げた子供の死体を見て、ロルフは露骨に不機嫌になった。

「大した戦果だぜ、勲章がいくつ貰えるかな」

「よせ、ロルフ。怒るぞ」

 マサヨシが短い言葉で制止した。確かにエリーの行動は浅はかだったが、ここで責めたら精神的に小さくない傷を負う事になる。既にかなりショックを受けているはずだ。エリーの今後の人生のためでもあったし、何より敵地の真ん中でヒステリーを起こされてはたまらない。

 マサヨシの言葉でロルフは何も言わなくなった、それでも全員が言外に不快な感情を抱いた。

 両手足を失い、皮膚が焼け爛れ、生きる肉塊となった人間が芋虫のように蠢いている。

 もう助からない。

 砲弾の爆発を聞いて、本物のゲリラが集まってくる前に移動しなければならない。非情ではあるが、マサヨシはそれらを置き去りにした。

 殺戮の草原を抜けて、森に入り、二時間ほど進んだ。

「小休止にしよう」

 リストは再び同じ言葉を言ったが、その内容は少し重かった。

「ハノーヴァー少尉、少し休んでください。マサヨシ、お前も休憩しろ。他の者は再度装備の点検だ」

 先ほど中断された休憩を再度取る。

 マサヨシとエリーにとっては精神的な意味での休憩が必要だった。

 操縦室から出てきて、エリーは自分のグスタフの足に右手をついて俯いた。新年のお祭りで、飲み過ぎた酔っ払いが裏路地でやるような体勢だ。酔っ払いのような体勢を取り、酔っ払いのように呻いて、酔っ払いのように吐いた。

 地面が揺れる。頭が回る。足がふらつく。

 自分の判断ミスで大勢の人間を殺したという事実が、船酔いのようにエリーの脳髄をかき乱していた。

 胃の中が空っぽになるまで吐いてから、エリーは顔を上げた。そこにはマサヨシがいた。自分が吐いている間ずっと待っていたようだ。エリーと目が合うと屋敷の召使のように手にしている水筒を黙って差し出してきた。

 水筒をひったくるとエリーは口をゆすいでから、少し水を飲んだ。

「先ほども申し上げましたが、あまり気にしない事です」

 エリーは首筋と額に脂汗がにじむのがわかった。胸が苦しくなる。何かを堪えているような息苦しさがある。もう吐けない。

「戦争ですから、仕方ない事だってありますよ」

 かつて自分に言い聞かせた言葉を、マサヨシはエリーに語り掛けた。

 ここは紛争地帯で、自分たちは血統の違いこそあれどドリス人で、彼らはスタール人だ。それらの要素が複雑に絡み合い、今朝死ぬ人間と殺す人間にわかれた。誰かが悪いというわけでなく、たまたま不幸が重なった結果に過ぎない。それにゲリラの中には少年兵も大勢いる。武器を持っていれば子供でも殺して良くて、丸腰だったら心を痛めるというのもエゴな話だ。大局的に考えれば、人を殺すという事自体が大罪だ。

 さすがにそこまで踏み込んだ所は言わないが、軍人として経験を摘めばそういう考えにも至るだろう。

「さっさと忘れろと言いたいのね…」

「そんな所です」

「あなたは平気なの?」

「平気ではありませんが耐えられます」

 恨めしそうにマサヨシの目を睨んだ後、エリーは水筒を突き返した。

 ――なんて悪夢なの…。

 エリーはここから消えたい気持ちになった。子供の死体がまだ脳裏に焼き付いている。軍人は死に携わる仕事だと理解はしていたが、こんな形で触れる事になるとは。いっそ軍法会議にでもかけられればマシだと思えたが、ここでは法や秩序は後回しだ。それに、独房に入った所で今日の光景は忘れられそうにない。

 エリーが自分の機体に戻り、ヘルガに話しかけられてるのを見て、マサヨシも自分の機体に戻った。

 隣でグスタフの足回りを点検していたロルフが『あんな奴らに構うな』と目で訴えかけてきた。無視して、マサヨシは操縦室に入り込んだ。




 中隊は再びマサヨシを先頭に進み始めた。もう昼間なので、夜よりは見通しがよくなったが、それでもここが敵地である以上警戒は怠れない。鹿に近寄るかのように、マサヨシは慎重に歩を勧める。

 こうして森を歩いていると、おとぎ話の世界に紛れ込んだようであった。ただしこの散策は、森の妖精や言葉を話す動物を探すためのものではない。自分のいるアウトマトスの操縦室が、それを思い出させてくれた。

「俺思ったんだけどさ」

 トランシーバーでビアッジが話し出した。

「何でずっと黙ってるんだ?このトランシーバーは電波が弱くて、敵には傍受されにくいって聞いたんだが」

 うんざりしたような声で、フレディがそれに答える。

「されにくい、というだけの話であって絶対に傍受されないとは言い切れないだろ。それに、べらべら話してないで集中して周りを見張れよ」

「一つ目の件に関してだが」

 ロルフが話に加わった。

「このトランシーバーは、元々電波が弱い上に出力を絞ってあるから、電波が届く範囲はかなり狭い。多分マサヨシからフレディまでの距離が限界だろう」

 それはこの隊列の、先頭から最後尾までの距離であった。

「もしこの電波が傍受されるなら、とっくに相手は見える位置にいるだろう」

 それでも、とロルフは続ける。

「気が散るから黙れ、と言われたらそうする他ないが」

 言外にマサヨシの意見を促していた。この中で、もっとも集中して周りを見回しているのはマサヨシなので、彼にそう言われればそれに従うべきであった。逆にマサヨシから許しが出れば、迷惑にならない範囲でおしゃべりができる。

 少しの沈黙を挟んで、マサヨシが口を開いた。

「…まぁ、ずっと黙ってるのも退屈だからな」

 今朝の一件で気が張っていたのはマサヨシも同じであった。そろそろ、この沈黙が辛くなってきた所でもあった。

 ビアッジが喜んだ声をあげる。

「何だよ兄弟。そうならそうと早く言えばいいのに。お前さんが緊張でボロボロにならないように、あれこれ話してやっても良かったのに。まぁ、今からでも何か話すか」

 最後尾を歩く彼のコント仲間が、わざと聞こえるように大きなため息をつく。できればこのうるさい相棒には黙っていて欲しかったが、マサヨシが許したのでは仕方ない。

「うるさくない範囲で話せよな」

 それでも釘を打っておくのが、相棒としての勤めであった。

「わかってる。そこは気をつけるさ」

「バジリカ系は口数が多過ぎるんだ」

「それは否定できないなぁ」

 おどけた様子でビアッジが返す。バジリカとはルーノ大陸の南部にある国で、太陽の照りつける陽気な国だ。バジリカの人々は気候に似て、明るくて陽気な性格だ。一方で快楽主義な国民性なので、バジリカ人と言えば遊び人の代名詞でもあった。

「でもおふくろはドリス人だし、俺が生まれたのもドリスだから、俺はこう見えてれっきとしたドリス人なんだぜ」

「それぐらいは知ってる。でもお前の話し方は、どうみてもバジリカ人のそれだ」

「そういうフレディだって、皮肉屋で愚痴りっぽい所がカンタベリの人間と同じだ」

 フレディが軽く唸る声が聞こえた。

「それは否定できないな」

「ところで面白い具合に、この中隊は生まれがバラバラだな。おまけにお客様は親衛隊の貴族ときてる」

「覚えていただいてて光栄だわ」

 少し砕けた調子でヘルガが会話に加わる。

「差支えなければ理由をお聞きしたいですね、ブラウン少尉。俺たちからすれば入隊して命を危険に晒さなくても、貴族ってのは生きていけると思うんですが」

 礼儀正しい言葉を並べてはいるが、ビアッジの質問は友人に向けるかのごとく気軽だった。しかしヘルガは気を悪くする事もなく答えた。

「ブラウン家は代々親衛隊なの。無名の騎士から皇帝陛下への忠誠だけで家名を築いたわ。おかげで『死体の山で出世した』なんて指を指される事もあるけど」

 ビアッジが口笛を吹く。

「でも私の代は姉と妹しかいなくて、それで気が向いた私が入隊する事になったわけ」

 さも平然と言ってのけたが、親衛隊の将校など『気が向いた』程度でできる事ではない。明るい言葉は強い決意を隠しての事だろう。事実その言葉が気に入ったのか、トランシーバーを通じて軽い笑い声がいくつか聞こえた。

「勇ましい事だ」

 ロルフも少し感心した様子だ。

「だって一番上の姉さんは心臓が弱いし、二番目の姉さんはピアノの名手よ、コンサートでフリードリヒ・ホールを満員にした事もあるの」

「本当ですか!」

 トーマスが驚いて聞き返す。

「シャーロット・ローズナーって舞台名で活動してるわ」

 ヘルガの声はどこか得意げだった。

「凄い、大ファンです。新曲は全部買いました」

「ありがとう。姉に代わって礼を言うわ」

 スカートをつまんでお辞儀するような口調だった。

「そういうわけよ。ピアニストにライフルの分解清掃をさせたり、塹壕堀りをさせるわけにはいかないでしょ?それに妹はネズミを見ただけで悲鳴を上げるのよ、そんな女の子に野営なんて無理だわ。それで私が先祖の名前を次いで銃を取る仕事を選んだわけ」

 私にはピアノよりこっちね、という一言を付け加えた事でまた軽い笑いが起こった。

「待て。静かに」

 緊迫したマサヨシの声が会話を終わらせた。一気に周囲の空気が張り詰める。

「前方に道がある」

 マサヨシが言う通り、前方の傾斜を下って百メートルほどの所を、南北に林道が走っていた。踏み固められただけで舗装のされていない道だ。道があるという事は、そこを通る人間がいると言う事だ。それが反政府軍である可能性は捨てきれない。

 マサヨシは頭の中で地図を展開させる。地図の上ではこの道は書かれていない。

「ハノーヴァー少尉。フリクまで来る時にあの道は通りましたか?」

「違うと思うわ。途中で西に走る道に沿って歩いたけど、あの道は南北に伸びてるわね」

 考えうる可能性としては、この道はどこかで西に向かっているという内容だ。あるいはエリーたちは脱出する時に気付かず通り過ぎたか。どちらにせよ、この道の存在は未確認だ。

「ちょっと見てくる。周りを警戒してくれ」

 そう言うとマサヨシはグスタフを駐機させて、トランシーバーを持って操縦室から出た。徒歩で直接様子を見るつもりだ。腰に吊ったホルスターに拳銃が収まっている事を確認すると、マサヨシは森の中を自分の足で歩いていった。

 その間中隊の隊員たちは周囲を警戒した。もう先ほどまでの和やかな雰囲気はない。

 アウトマトスの足だと難なく進めた森でも、人間の足で歩くとなると難渋した。柔らかい土に足を取られたり、腰の高さまである藪をかき分けながらでないと、とてもじゃないが満足に歩けなかった。

 マサヨシはやっとの事で道の目の前にたどり着いた。草むらの中に潜んで、慎重に周囲の様子を伺う。人の気配は無い。マサヨシは獣のように、そうっと草むらから這い出でて道の上に立った。道の幅は三~四メートルほどで、車両が通るには申し分ない。実際にここを何が通っているのかを見るため、しゃがんで路面の様子を伺う。

 道の土は思った以上に固く整備されているので、その跡はかなり薄かった。だがマサヨシにはそれがわかった。

「マズイぞ」

 トランシーバーに向かって呼びかける。

「どうした?」

 すぐにロルフが尋ねる。

「アウトマトスの足跡がびっしりだ。かなり数が多い」

 こんな場所に巨大な足跡があれば、考えられる可能性は森に住まう伝説の巨人か、アウトマトスのどちらかだ。伝説を信じるるほどメルヘンチックな年でもない。となれば可能性はアウトマトスに絞られる。ここにアウトマトスで踏み込むドリス軍は、マサヨシ達が最初だ。政府軍がこんな所で活動しているという情報は無いし、フリクに向かった親衛隊もこの道は使っていない。つまりは、

「反政府軍の大部隊がここを通ったって事か」

「そうだな。そういうことになる」

 ロルフとマサヨシは互いに確認しあった。

「どのくらい時間が経過しているかわかるか?」

「新しくないな。多分二~三日前だ」

「方向は?」

「北に向かってる」

「すぐ近くにはいないって事になるな」

「そう見ていい。おそらく、フリクの街を襲撃した連中の足跡だと思う」

「だろうな。この任務の途中じゃなかったら、この道の存在をすぐにでも上に報告する所なんだが」

 遠回しに、親衛隊救出という今回の任務を批難する口調だった。取り合うのも面倒だったので、マサヨシはきちんと返答せずに、周囲を調べた。道の反対側に何も無いか、道を進んでくる物が無いか、と確認すると自分のアウトマトスに戻った。

「俺が先行する。付いてきてくれ」

 マサヨシがグスタフで道の手前まで前進する。改めて周囲を確認すると道を横切った。道の向こう側で隠れられる場所を見つけると、そこで一旦停止する。

「いいぞ」

 マサヨシが合図を出すと、残りの全員が道を越えた。

「よし、大丈夫だ」

 後衛のフレディが安全を確認した。発見された様子は無いようだ。

 少し進んで道が見えなくなってから、停止して周囲を警戒する。道を渡った痕跡を消すために、フレディとビアッジがアウトマトスを降りて、徒歩で道まで戻る。

 道の上にあるアウトマトスの足跡を、靴の裏や木の枝でこすってかき消す。折れた草や木の枝を自然に隠す。地味な作業だが、これをしっかりやらないと敵に発見される恐れがある。怠る事のできない重要な作業だ。

「ロルフ、聞こえるか?」

「聞こえる」

「ビアッジがうるさい。草で手を切ったと文句を垂れてる」

 そんな大事な作業でも、緊張感を感じさせないのはこの二人ならではであった。ロルフは老人に説教される少年のような口ぶりで返した。

「いつもの事だ聞き流せ」

「トランシーバーを機体に置いてきたから、こいつ俺に愚痴りっぱなしだ」

「幸いだな。おかげでこっちはビアッジの愚痴に付き合わされないで済んでる。お前も黙れば完璧だ」

「つれないぜ、ロルフ」

「いいからさっさと作業を終わらせろ」

「…ロルフ!」

「今度はなんだ?」

「何か近づいてくる。道を進んでくる!」

 フレディの声が張り詰めていた。

「すぐに隠れろ」

 ロルフは指示を出すと中隊を現在地で待機させて、自分は道の見える位置まで少し戻った。フレディとビアッジはすぐに草むらに身を隠して様子を伺った。確かに道を南から進んでくる音がする。フレディは無線で何かと言ったが、これはアウトマトスの足音だ。聞きなれた関節の駆動音が徐々に近づいてくる。

 やがてその足音の主が見えてきた。それを目の当たりにしたロルフと、草むらの中のフレディとビアッジは全身が粟立った。

 道を進んできたアウトマトスは、ゴーレムだった。数は一個中隊、十二機。たった一機でもあれだけ手こずった化物が、十二機も列を成して進んできた。

 自分たちの支配地域を進んでいるという安心からか、ゴーレムの中隊は少しも警戒している様子が無かった。奇襲をかける事は不可能では無かったが、それは任務に含まれていない。仮に奇襲をかけたとしても、あれだけの性能を誇るゴーレムを十二機も相手にできる自信は無かった。最初の二~三機を撃破したところで、残りに囲まれてなぶり殺しにされるのがオチだ。ロルフはそのまま黙って見送る事にした。

 映画でよくあるような、木の枝を踏んづける奴もいなかったので、ゴーレムは気づかずそのまま通り過ぎて、森の向こうに消えていった。

 ゴーレムがいなくなってから、ロルフは大きく息を吐いた。後になってどっと疲れが襲ってきた。思った以上に気が張っていたようだ。手袋の中が汗ばんでいるのがわかる。思い切り走った後のように息が乱れていた。

――情けない。

 ロルフは己の臆病さを恥じた。じっと身を潜めている状況でここまで心を乱すとは、未熟としか言いようがなかった。これではまるで新兵だ。

 あぶりだされたイタチのように、フレディとビアッジが草むらから這い出でて来た。二人が機体の方に向かって走っていったのを確認してから、ロルフもゆっくりと中隊の待機している方に戻っていった。

「クソ!冗談じゃねぇぜ。夜の墓場に行ったって、あそこまで凄い行列には出くわさないぞ」

 機体に戻るや否や、ビアッジはトランシーバーに向けてまくしたてた。

「ビアッジじゃなくてもビビるな、今のは。鋼鉄の心臓も粉々だぜ」

 トランシーバーから聞こえるフレディの声は疲れきっていた。間近でゴーレムの行列を見上げていた二人の恐怖は察するに余りあるものがあったが、それに付き合う余裕も無かったので、ロルフは出発を急かした。

「コントはそこまでにしろ。さっさと出発するぞ」

 冷たくあしらわれた事を少し不満に思ったが、すぐにでもここを離れたいビアッジはそれに従った。言い返す気力も無く、フレディは黙ってついて行った。念のため、後方を確認する。今にもあのゴーレムの中隊が追いかけてくるのではないかという、疑念に駆られる。幸いにもその心配は外れた。振り返った先には、鬱蒼とした森が続いていて、その向こうにある道はもう見えなかった。



 それからは敵の姿を見る事も無く、地図に無い道を見つける事もないまま夜が訪れた。相変わらず空は曇り模様なので、夕陽と言うものを見る事も無く、時間の訪れと共にあたりが暗くなっていった。

 出発してすぐの時のような、完全な闇が訪れた。

「今夜はここで野営しよう」

 マサヨシの提案で中隊は停止した。今朝そうしたように、全機が背中を向けあって駐機姿勢を取る。交代で見張りと食事を済ませると、地図を囲んで状況整理と確認が始まった。

「大分進んだな」

 現在地を確認してロルフが言った。暗いので懐中電灯を使って地図を照らしている。だが遠くから発見されるといけないので、光量は最小限に抑えてある。

「この分なら、明日の昼ごろにはドラド山に到着できるはずだ」

 距離を計算したリストが予定を告げる。それを聞いてロルフの顔に冷ややかな笑みが浮かぶ。その目的地で何が待ち受けているのか、それを思い出した顔だ。かつては正規軍だった、統制の取れた反乱軍が待ち受けている。現地の親衛隊と共同で当たるが、かなり手ごわいだろう。何よりその親衛隊そのものにいい感情がない。果たしてこちらに協力してくれるだろうか、こちらの指揮下に入れなどと言われたらその足でフリクに帰ってやろうか。

ふと隣を見ると、マサヨシが心配そうな目でこちらを見ていた。おそらく親衛隊と、この任務を不満に思う心中を察しているのだろう。この相棒に隠し事はできない、全てお見通しだ。

「何だよ、大丈夫だって」

 それでもロルフは破れかぶれに、その場をごまかした。

 そこから先は交代で見張りを立てて、仮眠を取る事になった。夜の森は耳が痛くなるほど静まり返っている。念のため見張りはいるが、もし自分たち以外の者が森を歩めば誰もがそれに気づくだろう。

「まるで墓場だよ」

 雑魚寝をする隊員の中でビアッジが呟いた。

「だって狐もイタチも見えないんだぜ、この森と来たら。リス一匹いないし、鳥の鳴き声すら聞こえない。俺達しかこの森にいないんじゃないのか?」

「この馬鹿でかいアウトマトスが森を歩いてきたら、野生の動物は姿を隠すさ」

 コントの相棒であるフレディが、やはりいつもの口調で返す。これまでの付き合いで、ビアッジは誰からも返事が得られなくても喋り続ける事を知っているのだが。

「そうじゃなくても森の獣は姿を隠すのが上手い。人間が一人歩いてるだけでも、やつらすぐに逃げちまうくらいなんだ」

「本当かよ?そうじゃなくても、油断してたり、間の悪いのが一匹くらい見えるものじゃないのか?」

「そういう鈍い奴は野生じゃ生きていけないさ。それにだ、お前。こういう状況で表れるとしたら、ろくな奴じゃないぞ。例えば野鼠とか、狼とか、蛇とか、この地方にはいないだろうが猿の親戚とか、そういうのがうぞうぞ出る森が楽しいか?」

「…うん。訂正だ。やはり静かな森はいい」

「そうだな。お前が黙れば本当の静寂が訪れる」

 軽口を叩きながら、フレディは昼間の事を思い出していた。あのゴーレムの中隊が頭から離れない。今回は任務の性質上交戦を避けたが、この先ダイニナではあのゴーレムの数が増えてゆくだろう。中隊規模で襲い掛かって来ることもあるはずだ。もしそうなったら、そう考えるとフレディは胸がざわついた。そうじゃなくても、昇進してすぐは戦死しやすいという噂に自分は当てはまっている。夜の森の静けさが、酷く不気味に思えた。




 トーマスは夜食のビスケットを持って、恐る恐るヘルガのグスタフに近づいた。ヘルガは機体の足元で毛布を足にかけている。

「あの、少尉。よろしいでしょうか?」

 いくら前線とはいえ、夜更けに女性の所に訪ねるのはいささか無礼だ。それを気にしてトーマスはできる限り礼儀正しく話しかけた。階級の差もある。

「何かしら、テッドウィル伍長」

 しかしヘルガの声は優しく、それを聞いたトーマスは安心した。

「トーマスでけっこうです。もしよければ、お姉さんの話を聞かせてもらえませんか。十七の頃からフリードリヒ楽団のファンなんです」

 それはヘルガの姉が所属する楽団だ。

「いいわよ、トミー」

 くすりと笑ってヘルガは整備用のボロ布を差し出した。野外で椅子がない時はしばしばこれの上に座る。アウトマトス乗りに通じる『座って話そう』というサインだ。トーマスも笑顔でそれを受け取った。

「十七歳の時にラジオでフリードリヒ楽団の演奏を聴いてからファンなんです。それからは楽団所属の人のソロ演奏も好きになって、歌手ではエレナ・ハイス。ピアノではシャーロット・ローズナーがお気に入りです」

「エレナ・ハイスは姉さんの先輩よ、家に遊びに来た事もあるわ」

「凄い」

「よければ今度サインをもらってくるわ」

「本当ですか!」

 小声ではあるが、トーマスの声は興奮していた。

「夢みたいな話だ」

「シャーロット・ローズナーの妹で親衛隊の少尉となれば夢も現実にできるわ。姉さんとエレナ、二人のサインも実現できるわ」

 職権乱用かしらね、と言ってヘルガは舌を出した。

「いつか楽団のコンサートをホールで聞くのが夢なんです」

 誕生日にプレゼントをもらった子供のように、トーマスの声ははしゃいでいた。

「ずっとアルバムやラジオで聞いてるだけなので、いつか本物を聞きたい」

「少し難しいわね…」

 ヘルガが大げさに声を曇らせた。

「あの楽団はいつも人気なの、企業のトップか大きな貴族じゃないとチケットを取れないわ」

「そうですか…」

「そうなの。だから…」

 声のトーンが少し小さくなる。

「入る時は通用口からこっそり入るわ。私はね」

 いたずらっ子のような笑みが浮かぶ。

「それじゃあ――」

「姉さんの新曲を全部買ったんでしょう?チケット代よりも楽団にお金を入れてくれてるわ。このくらいバチは当たらないわ」

「何とお礼を言っていいか」

「上手くいってからでいいわ」

 気の早いトーマスを見て、ヘルガはくすくすと笑った。

 白い頬にそばかすの浮かんだ童顔の伍長を見て、遊び仲間か弟ができたような心境だった。




「よう」

 ロルフは手ぶらで、もう一機のグスタフの足元に向かって、そこにいる小柄な少尉にぶっきらぼうな挨拶をした。

「何よ」

 膝を抱えていたエリーは不快感をあらわに、不遜な下士官を見上げた。

「眠れないと思ってな」

 人を殺すのと、敵を倒すのは似ているようで違う。前者をやらかした兵隊はたいてい夜眠れなくなるか、食事を受け付けなくなる。

 エリーは大げさにロルフから視線を逸らした。そこには闇しかない。

「じゃあ何かしら、子守唄でも歌ってくれる?」

「それもやぶさかじゃないな。ただし歌うのは俺じゃねぇ」

 そう言ってロルフは背後の暗闇に呼びかけた。

「おい、聞こえてるだろ。さっさと来いよ」

 しばらくしてマサヨシがのっそりと暗闇から出てきた。

 気まずくなって目を合わせられない。しかし目を逸らす事もできず胸のあたりをぼんやりと見る。

 あそこで忠告を聞いてやり過ごしていれば、という気持ちが湧いてくる。しかしそれを認めてしまっては将校としての立場がない。エリーは謝る事すらできない。指揮官は孤独だ、という言葉があるがまさしくそれを思い知らされる。

「何か言ってやれよ」

 ロルフにせっつかれてマサヨシも居心地が悪そうに言葉を編む。

「昼間も申しましたが、あまり気にしない事です」

 三度目の言葉だった。

「考えた所で取り返しがつくわけでもないですし、それよりは明日以降の事を考えた方が建設的です」

 エリーは膝を抱えたまま自分の爪先を見つめて何も言わない。ロルフが続ける。

「まぁ俺が言いたいのもそんな所だ。辛くなったんなら適当な所で予備役に入って、ドレスとピンヒールで社交界に突撃するんだな」

 将校にとって予備役編入は事実上の退職だ。

貴族には陸軍や親衛隊で一定期間軍役について、それから事業を始めたり、家を継いだりする者も多い。貴族としての名誉と、国民としての義務から、軍役につく事を重んじる人間は多い。そうした立場からすると、ロルフの言う通り一定期間部隊で勤務してから予備役に入って社交界デビューというのも決して悪い話ではない。

 それでもエリーの瞳は不服そうにくすぶっていた。

 言いたいことを言い終えると、もう寝ると言い残してロルフは自分の機体の方に去って行った。

 ――呼んでおいて先に戻るなよ…。

 エリーと二人残されたマサヨシは相棒を恨んだ。しかしマサヨシにも止められなかった罪悪感がある。

「ご自分がどうして入隊されたのか、よく思い返してみる事です。その理由がこの状況を支える原動力となるのか、秤にかけてみるのがよろしいでしょう」

 悩んだ時は原点に立ち返れ、という法則に則ってマサヨシはそうアドバイスした。

「…そうね」

 返事はあったがそこに思いはこもっておらず、時計台の鐘のように事務的な声だった。

 就寝の挨拶をすると、マサヨシも自分の寝床に戻った。




 ロルフも毛布に包まって二人のやり取りを聞いていた。

 そうだ。ウンザリした時には最初の理由を思い返すのがいい。

 最初は血筋への対抗心だった。何をやってもエリートの家計だから、と言われるのが不満で、自分の力だけで何かを成し遂げてみたかったのだ。だから貴族専用のコースである親衛隊でなく、陸軍の兵卒として入隊したのだ。ここからならスタートは周りと同じだ。生きるのも死ぬのも、武勲も戦果も、全て自分の力によるものだ。

 マサヨシはどうなんだろう?入隊するから来い、と声をかけたらあっさりついてきた。確かにドリスの社会の中では軍隊は比較的身分の縛りが小さいから、一般市民として生活するよりはマシかもしれない。

 あいつは辛くないのだろうか?ウンザリした時はどんな理由に立ち返っているんだろう。

そこまで考えて、ロルフは思考を強制的に打ち切った。やめよう、馬鹿馬鹿しい。理由なんて人それぞれだ。あいつだってもう子供じゃない。理由なんて自分で持っているだろうし、もう中等部にいた時みたいに俺の後に隠れるために陸軍に入ったわけじゃないんだ。

ロルフはそっと腕時計を見た。暗闇の中であるが、この程度なら見える。もうすぐ交代で見張りにつく時間だ。その見張りが終わったら朝まで寝よう。目的地の事はあえて考えずに、ロルフは深く息を吸い込んだ。土と草の匂いが鼻腔から入り込み、肺にまで深く染み渡る。

森は静まり返っていた。




 翌朝。ロルフ達は朝食を済ませると、再び出発した。

 朝と言っても、まだ日も昇らない暗闇の中であった。敵に見つかる事を避けるため、夜明け前に行動を開始したのだ。

 歩く間に夜が開けてきた。やはり空は雲に覆われたままで、朝日がはっきりと森に差し込んでくる事は無かった。朝露に濡れた木の葉や草が、うっすらと光をまとっている。既にずっと森の中にいるので、全員が野うさぎのようにこの空気に溶け込んでいた。朝の静けさが気に入ったのか、ビアッジも無理して何かを話そうとしなかった。

もう本日中には目的地のドラド山に到達する。事前に確認した通り、ドラド山で味方がいるのは山道の中にある村だけであり、山全体は敵に抑えられていると言ってよい。そこに近づいている以上、そろそろ敵と出くわしてもおかしくない。

 森は変わらず静かだが、先頭を進むマサヨシは言いようの無い空気の変化を感じ取っていた。確証は無いが本能的な直感が、この周辺に自分たち以外の何かがいることを告げている。肌にまとわりつくような不快感が、前に進むほどに強くなる。

「ロルフ」

 この不安がただの思い過ごしである事を祈って、マサヨシはトランシーバーに呼びかけた。

「どうした?」

「…どうも嫌な予感がする。気配を感じると言うか…」

「奇遇だな。俺もそんな気がするんだ。説明はできないが、な」

 どうやら思い過ごしは自分だけでは無かったようだ。二人のやり取りを聞いて、フレディが慎重な声で尋ねる。

「…敵がいるのか?」

「いや、そうじゃないんだ」

 ロルフが説明する。もっとも、これに関しては説明のしようが無いのだが。

「そんな気がするだけなんだ。勘の域を出ない話だ」

 どこか納得した様子のフレディが相槌を打つ。

「天使だか悪魔だか知らねぇが、何かしらのお告げがある訳か」

「どうせなら、避け方も教えてくれたらいいのになぁ」

 数少ない会話に入ろうと、ビアッジがまぜっかえす。

「…臭う」

 マサヨシが独り言のように呟いた。何か気配を感じたのかと思って、ロルフが返す。

「うん。そうだ、何かを感じる」

「そうじゃない。臭うんだ」

 マサヨシはそう言って、機体を停止させた。

「どうした?」

 ロルフからの呼びかけにも答えず、マサヨシはハッチを開けて操縦室から頭を出した。

「向こうだ」

 マサヨシはハッチを閉めると、針路から外れて違う方向へ進みだした。慎重ではあるが歩みは速い。

 最初の内はわけがわからなかった隊員も、進むにつれてマサヨシの言った『臭う』という言葉の意味がわかり始めた。最初に気づいたのはロルフだ。前線に送られる度に嗅いでいた臭い。特にこの国ではよく漂うそれだ。それがアウトマトスの操縦室にまで、だんだんと入り込んできた。

「あー、くそ」

 臭いの出所を見つけた瞬間、ロルフが声を震わせながら毒づいた。ここまでくるとはっきりとわかる。これは『死臭』だ。

「…酷い」

 トーマスも思わずそう漏らした。他の隊員は言葉を失っている。

 そこは森の切れ間とも言える場所で、少し広い草原になっていた。その草原の中に、大きな穴があった。横に長く、巨大な塹壕のような作りになっている。この中にアウトマトスが入れば、胸まで隠れるだろう深さだ。その穴いっぱいに人間の死体があった。横の長さが三十メートルはあるだろう穴に、端から端まで死体がある。数は百を超えるだろう。

 今すぐにでも走ってここを立ち去りたかったが、それをこらえてマサヨシは機体から降りて地面に立った。外に出ると改めて臭いが強くなる。男性だけでなく女性の死体もある。よく見れば子供も混じっている。軍服を着ている人間はいないので、おそらく全員が難民だろう。

心の中で謝罪と鎮魂の言葉を捧げ、マサヨシは死体の一つを調べた。死んでから時間が経っているらしく、地面から湧いた小さな虫が、口や目などの粘膜にびっしりと群がって蠢いていた。ざっと服装を見たが、やはり軍服の類は見られず武器類を装備していた様子も無い。胸と腹に銃で撃たれた傷があった。他の死体もやはり銃で撃たれて死んでいた。撃たれた箇所や方向がバラバラなので、全員を穴の中に追いやってそこに銃の連射をあびせかけたのだろう。最初に見た時からわかっていたが、やはりこれは虐殺だ。

マサヨシは穴の淵に立って、地面を注意深く見た。その中に小さな金属をいくつか見つけた。それを手に取る。思ったとおり、ライフルの薬莢だ。ダイニナの軍隊で使用されていたライフルの物だ。ただしそのライフルは現在、政府軍と反政府軍の両方が使っているので、それだけでは特定できない。

「何かわかるか?」

 トランシーバーでロルフが呼びかけてくる。

「全部民間人だ、多分難民だろう。薬莢は七・五ミリライフル弾で、ダイニナ軍の型だ」

「民間人なんですか?」

 信じられない、という様子のトーマスの声がする。

「そうだよ。民間人だ」

 自分の口から出る言葉に、マサヨシは辟易した。この状況で一番ショックを受けているであろう人物の事を思うと、他人事ではいられなかった。

 その時、中隊の列の中でグスタフのハッチが開いて件の人物が顔を出した。甲羅から顔を出す亀のように地面に向かって体を伸ばし、そこに向けて吐いた。

 朝食を全て地面に吐き出している親衛隊の少尉を、マサヨシは憐れまずにいられなかった。

 ――あれじゃ昼飯までに腹が減るんじゃないかな…。

 そんな事を考えながら、マサヨシはもう少し穴の周りを歩き回った。土は柔らかく、ぬかるんでいて、歩くたびにブーツにまとわりつくようだ。この穴に横たわる犠牲者たちが道連れを求めているようで、背筋がうすら寒くなる。

「ナンマンダブ、ナンマンダブ」

 幼い頃に両親が唱えていた呪文を小声で呟く。意味はよくわからないがヤマシロの神様に祈る言葉らしく、幽霊が近づいてきたらおまじないとして言うものらしい。敵の弾丸は技量を磨いて避けられるが、幽霊の類だけは力でどうこうできるものではない。まじないに頼りたくもなる。

そして、柔らかい土に残された大勢の足跡を見つけた。穴の中で横たわる者達のでは無い。穴から遠ざかるように、たくさんの足跡が残されている。幽霊でなければ、この現場を作り出した張本人達の足跡だ。土が柔らかい上に時間も経っているので、靴の種類まではわからないが、歩いていった方向くらいはわかる。目で追いかけると、足跡はぞろぞろと群れを成して森に吸い込まれている。その森の向こう、ずっと先に巨大な岩山がうっすらと見えた。かなり距離はあるが、あれが目的地――ドラド山だ。

「ハノーヴァー少尉。あの正面に見えるのがドラド山で間違いありませんか?」

 マサヨシはトランシーバーで確認を取った。水筒で口を濯いでいるエリーが肩につけているトランシーバーを手に取る。

「ええ、そうよ」

 声はしっかりとしている。昨日自分が作り出した状況に近いものを見せられて参っているようだが、弱音を吐くような事はなかった。

本来なら気遣いの言葉をかける所だが、今はそんな余裕も無い。

「ロルフ。良くない知らせだ」

「またか。この数日で何回目だ?」

「これをやらかしたであろう連中の足跡が、ドラドの方向に向かっている」

 ロルフが黙り込む。トランシーバーの向こうの空気が張り詰めているのが感じられた。

「おそらくドラドを包囲してる連中の一部だ。パトロールか何かでここを通ったんだろう。それで出くわした難民を…」

「…クソ」

 低く押し殺した声で、ロルフが再び毒づいた。周囲に比べれば冷静だが、ロルフだってこの行いを見て憤りを感じている。

「どうする?迂回して飛行場に向かう事もできるぞ」

 弾薬を節約するという事を考えれば合理的な提案だった。

「お断りだな。俺はそろそろ『ハンスの宝探し』ごっこにも飽きてきた所だ」

 ふとロルフはエリーの方を見た。全く同じタイミングで目が合う。

 本音を言えばエリーは戦闘を避けたかった。周囲の敵部隊を呼び寄せてしまう恐れがあるし、今戦闘を避ければ飛行場まで隠密に接近できる可能性は高い。なにより昨日自分がやった事を考えると、その足跡を辿った先にいる連中と出くわすのが怖かった。敵が怖いのではない、過去の自分と見比べるのが怖いのだ。

「どのみち、この周辺にいるなら遅かれ早かれ交戦は避けられないだろうな」

 フレディが賛成の意を表明する。

 反対の意見は出ない。

 エリーは吐き気を押さえるが如く、本音を飲み込んだ。

「やってやろうじゃねぇか。行きがけの駄賃だ」

 ロルフは決意を固めた。

「その足跡を追いかけていって、送り狼よろしく噛み付いてやろうじゃねぇか」

 全員がうなづいた。ロルフの言う通り、昔話のように森の中で宝探しをするハンス少年の真似に飽きていた。




 そこから先の前進は、より慎重になった。大勢の足跡をマサヨシが追跡し、その斜め後ろを百メートルほど間を空けてロルフがついてゆく。そのロルフからさらに百メートルほど離れた後ろを、リヒト以下中隊の隊員がついて行く。

敵の後をそのまま追いかけるのだ。待ち伏せを受けたり、敵に発見される危険はずっと高くなる。万が一待ち伏せを受けた際に、一網打尽にされる事を避けるため、このように離れて移動しているのだ。

これだけ離れていると、リヒト達は直接マサヨシの位置を確認することができない。森の向こうに、かすかに見えるロルフの機体を頼りに進む。

時間は昼になろうという頃、リストのモニターに映るロルフの機体が立ち止まった。

「見つけたらしいぞ」



森の中に男達がいた。人数は三~四十人ほどで、全員が銃を持っていた。きちんとした軍服を着ていない所を見ると、どうも反政府軍のゲリラのようだ。反政府軍にも様々な勢力があり、かつてダイニナ正規軍だった勢力もあれば、地元の自警団から発足した勢力、果ては盗賊まがいの連中までもいる。どうも今目の前にいる連中は盗賊まがいの連中のようだ。

それぞれ五~十人ほどのグループで集まって車座になっている。おそらくは昼飯の準備でもしているのだろう。

「見張りすら立てていない。完全に素人だ」

 マサヨシが冷静に見たままを報告した。敵から二百メートルは離れて、注意深く様子を伺っている。森の中なので、これだけ距離を取ればまず見つからない。

「俺とマサヨシで東側に陣取る」

 ロルフが作戦を伝える。

「残りは南側に展開して追い立ててくれ。うまくやれば十字砲火を浴びせられる」

 単純かつ的確な作戦だった。将校として全く頼りにされていない事をリストが嘆いていたが、それ以外は不満も無く、全員がそれに従った。



 全員がアウトマトスの主砲に榴弾を装填する。火薬が充填してある砲弾で、着弾と同時に爆発して破片と爆風を撒き散らす。歩兵を相手にする時に用いる砲弾だ。胴体に装備されている八ミリ機関銃も点検する。砲では対応しきれない場合に備えて機関銃は必須だ。むしろ歩兵を相手にするなら、機関銃の方が小回りが効いて有効だ。

「十五分後に始める」

 短く告げるとロルフはマサヨシと一緒に、森の中に消えていった。

 ロルフがいないこの場面ではリストが指揮を執った。

「三トップ、三ダウンで行く。俺とテッドウィルとビアッジが前衛。残りが後衛だ」

「中隊長が前衛ですか?」

 フレディが尋ねる。皮肉っているのではなく、心配している様子だった。

「全体を見渡せるように、後衛にいた方がよろしいのでは?」

 普段はぶっきらぼうだが、案外フレディは礼儀正しい。むしろほとんどの下士官はこういうものだ。いくら親しげになっても、上官と部下という垣根を超える事は無い。ロルフのように将校相手でも一切遠慮が無いのは、むしろ例外だ。

「そういうのはお前の方が上手いさ。それに」

 なんでもないような口ぶりで、リストは付け加えた。

「俺にもしもの事があっても、ロルフが何とかしてくれるさ」

 生意気で無礼極まりない男だが、それでもリストはロルフを信頼していた。

 時間が訪れた。八ミリ機関銃の射撃音が、森の静寂を打ち破った。

 最初に発砲したのはロルフとマサヨシだった。見つからないように距離を取っていたので、森の木立を縫うような射撃になった。弾丸の半分近くは木に阻まれたが、それでも残りの半分の弾丸は車座になっているゲリラ達を捕らえた。七~八人ほどのゲリラが血を吹き出して、切り倒された木のように地面に倒れ伏した。

 続けてリスト達も射撃を開始する。前衛にいるリスト、トーマス、ビアッジが八ミリ機関銃を放つ。弾丸はゲリラ達の周辺に飛んでいったが、どの程度命中したかまではわからない。まだゲリラ達は状況を把握できず、ただ驚いて右往左往するだけであった。

―――楽勝だ。

 リストは勝利を確信した。まだ混乱している間に叩こうと、機関銃での射撃を続ける。

ようやくゲリラ達は銃を取ったが、周囲の藪に向けて手当たり次第に弾丸を撃ち込んでいる。こちらの位置も把握していなければ、相手がアウトマトスだという事にも気づいていない様子だ。よく見れば、明後日の方向に向けて放たれた弾丸で同士討ちしている者もいる。

十字砲火と同士討ちで、ゲリラ達の損害は増える一方だった。射撃を開始して三分も経たない間に、ゲリラの数は半分ほどに減っていた。

「楽勝です、中隊長。距離を詰めて止めを刺しましょう」

 幾分か興奮した声でトーマスが提案してきた。確かに人数が減ったので、遠距離から機関銃を浴びせるだけでは効果が薄れてきた。距離を詰めて、文字通りしらみつぶしに始末するには悪くない頃合に思える。

 だがリストは慎重だった

「待て。ロルフ達に合わせる」

 多少の機会を逃す事になろうとも、リストはそうする事が最善に思えた。だがトーマスはそうは考えなかった。

「待てません!俺が先行します。援護してください」

 難民の虐殺現場を見た後で、トーマスは怒りに燃えていた。リストの制止も聞かずに、隠れていた茂みを飛び出して、ゲリラ達の方へ突進して行った。

 相手がアウトマトスだとようやく気づいて、ゲリラ達が慌てて逃げ惑う。その背中に容赦なく機関銃を浴びせかける。何人かが応射してきて、シュペーⅢにライフルの弾丸が命中した。砂の詰まったドラム缶に小石をぶつけたような音がする。それはゲリラ達の抵抗に似て、囁かな音だった。アウトマトスの装甲に歩兵のライフル弾など何の効果も無い。

「奴ら逃げます!追撃しましょう」

 興奮しているトーマスは、逃げるゲリラを追ってどんどん森に踏み込んで行った。リスト達も後に続くが、トーマスが前進するのが早すぎて追いきれない。

「落ち着け、トミー!一人で前に出るな」

「しかし…」

 そこから先は言えなかった。どこからともなく飛んできた砲弾が、トーマスの機体を撃ち抜いた。装甲板がひしゃげる音がして、続いて小さな炎が機体から吹き上がる。爆発こそしなかったが、トーマスのシュペーⅢは煙を吹いて崩れ落ちた。

「トミー!」

 ビアッジが近づこうとした。そのビアッジの機体を、リストのシュペーⅢが掴んで引き止める。

「駄目だ、出るな!」

 それを肯定するかのように、砲弾が飛んできてビアッジの機体のすぐ上を飛び抜けた。反射的に二人は機体を後退させて、手近な藪に隠れた。

「無線封鎖解除。ロルフ、聞こえるか?」

 トランシーバーではなく、機体に備え付けられている無線機でリストは話した。すぐに上ずった声で返事が返ってくる。

「聞こえる、こっちでも見えた。誰がやられたんだ?」

「トーマスだ」

「おい、しっかりしろトミー。聞こえるか?何か話せ!」

 ビアッジが必死な声で無線機に呼びかける。少しして、無線機からノイズ音と共に声がした。

「…う、ああ……。やられた…」

 ほとんど呻くような声だが、確かにトーマスの声だった。負傷しているようだ。

「しっかりしろ。脱出するんだ!」

 ビアッジが呼びかけるが、無線からはノイズと呻き声が聞こえるだけだった。

「まずいぞ、畜生」

 毒づいているのか、嘆いているのか、ビアッジの声はとにかく狼狽えていた。この状況の中で、ロルフとマサヨシはできるだけ冷静に周囲を把握した。

「見えるか、ロルフ?」

「いや、わからん」

「中隊長やビアッジ達は隠れてる位置が把握されているが、こっちはまだ見つかっていないはずだ」

「だろうな。ただ俺達の存在には気付いてるはずだ。十字砲火を仕掛けたのは、向こうも見えただろうからな」

「でも、俺達の隠れてる場所がわからない。だから向こうも出て来ないんだ」

 草むらの中に隠れて、ロルフは慎重に周囲を見渡した。

「弾道から見るに、多分テッド達から見て北にいるんだろうな」

 だがその方向には藪やら倒木があるだけで、どこに隠れているのかわからない。それに適した場所が多過ぎて絞り込めないのだ。ゲリラの歩兵達はとっくに逃げていなくなっている。どの道残り数人だったので、逃がしても困る人数では無い。だが、トーマスを撃った射手はおそらくまだ隠れているはずだ。

 戦車ではない。道も無い森の中では、戦車は活動できない。歩兵の火器でもないだろう。もっと大口径の砲によるものだ。十中八九、相手はアウトマトスだ。この森の中で重火器を持ち運べるのは、それを除いては無い。

「マサヨシ。ぐずぐずしてる暇は無い、俺は我慢弱い」

「わかった」

 相手が見つかるまで森を眺めるのに耐えられず、二人は行動を起こす事にした。

「俺が飛び出してトミーの方に駆け寄る。相手が発砲したら、それで位置を把握して踊らせろ」

「よし」

 それだけ話すと、ロルフは機体を藪から出して、倒れているトーマスの機体に向かって駆け出した。

 まだ隠れているマサヨシの視界の右端で、閃光が瞬いた。砲弾がロルフの通り過ぎた後の空間を飛び抜けた。

――見つけた!

 マサヨシも藪から飛び出して、閃光の見えた方向に機体を突進させた。距離は約四百メートル。この視界の狭い森では遠距離の部類に入る。だがアウトマトスが全力で走れば、接近するのは難しくない。

――接近戦に持ち込める。

 近づきながら、マサヨシは七十五ミリ砲に対アウトマトス用の徹甲弾を装填した。同時にエイムを解除して左手を空ける。そのまま右手だけで構えて立て続けに二発、藪に向かって撃ち込んだ。ろくに狙いをつけていないので命中するはずは無いが、こちらに注意を向けさせるのが目的だ。

 相手の機体が、マサヨシの位置を探ろうと藪の中から姿を現した。こちらが驚かせるつもりで、逆にマサヨシの方が度肝を抜かれてしまった。藪から姿を現したのは、シュペーⅢだったのだ。しかし、そのシュペーⅢが敵である事はすぐにわかった。ドリス陸軍ではシュペーⅢは黄土色に塗装され、親衛隊では灰色か黒に塗られる。だがマサヨシが目にしたシュペーⅢは見たことも無い濃緑色の塗装だった。鹵獲か何かで、反政府軍の手に渡ってしまったのだろう。

 突進しながらマサヨシは八ミリ機関銃の連射をあびせかけた。シュペーⅢの装甲に、機関銃では効果が無いのは百も承知だ。だが攻撃を受けたと判断すれば、相手は少なからず慌てるはず。その隙に距離を詰めて白兵戦に持ち込む。

 マサヨシが自分専用の近接戦闘用カッター、ブレードを抜刀した瞬間。またしても度肝を抜かれた。

 相手のシュペーⅢは機関銃の連射に慌てる事もなく、逆に距離を詰めてきたのだ。そしていつの間にか抜刀していたカッターで、逆にマサヨシに接近戦を挑んできた。両者のカッターがぶつかり、火花が散った。あと少しでも抜刀が遅かったら、マサヨシの方がやられていただろう。

 カッターがぶつかった次の瞬間には、相手はすぐにマサヨシの間合いから退いていた。トーマスを仕留めた事から射撃が上手いのはわかっていたが、この一連の動きを見るに接近戦にも秀でている様子だ。かなりの手練である。マサヨシの背中に冷たい汗が吹き出た。

 相手が構えているカッターは、やはりシュペーⅢが本来装備している型だ。だがそれよりも、その構え方がマサヨシには恐ろしく思えた。

 先ほど互いのカッターがかち合った瞬間の動きもそうだったが、相手のカッターの扱い方はドリス軍の教本通りの動きだった。相手は元ドリス軍か、ドリス軍式の訓練を受けた経験があるという事だ。一瞬でマサヨシの脳裏を様々な推測が飛び交った。裏切り者、それとも傭兵か?

 相手はなおもマサヨシに攻撃を仕掛けようとしたが、突然その場から飛び退いた。さっきまでいた所を砲弾が飛び抜ける。ロルフだ。濃緑色のシュペーⅢは小刻みに左右にステップを踏み、ロルフとマサヨシ双方から攻撃を受けないように下がって行った。そして、そのまま森の中に消えていった。

 相手が逃げたと気がつくのに、マサヨシは少し時間がかかった。実際にはほんの数秒だったが、マサヨシには三十分ほどそこで立ち尽くしていたように思えた。

「逃げたのか?」

 ロルフの言葉でマサヨシは我に帰った。

「そうみたいだ」

 なんとかそう答えて、マサヨシはテッドの機体が倒れている方に向かった。既に周りには他の中隊の機体が集まっている。

「トミー!おい、しっかりしろ!」

 悲痛な叫び声を上げながら、ビアッジがハッチを素手でこじ開けて、中のテッドを引っ張り出そうとしている所だった。衝撃でハッチが歪んでいるらしく、ビアッジは歯を食いしばって、渾身の力でハッチを引いた。

 他の隊員も、機体を降りてハッチの周りに集まった。マサヨシもグスタフから降りて、トーマスの機体に駆け寄る。猛獣の鳴き声のような音と共に、ハッチが開く。中からは焼け焦げた金属の臭いと共に、灰色の煙が幽霊のように這い出てきた。ビアッジは頭から操縦室に入り込むと、そこにいる仲間の名前を叫びながら、彼を助け出そうとした。

「うああっ!」

 一瞬トーマスの声がした。まだ生きている事に、隊員達は少しの希望を抱いた。だが引きずり出されたトーマスを見た瞬間、それは大きな絶望に変わった。

 トーマスは全身を負傷して血まみれで、きつく閉じられた双眸からも血が流れ出ていた。軍服を脱がさなくても、どこが負傷しているかわかる。引きつったように痙攣する両腕は、火傷で皮膚が焦げ付いていて、ピンク色の肉に血の河が刻まれている。右の脇腹から太ももにかけて巨大な裂傷があり、おぞましい量の血が彼を染め上げていた。真っ赤な血と肉の中に、肋骨が少し見えた。裂傷は腹にまで及んでいて、へそのすぐ隣まで皮膚が裂けていた。

「痛い、何も見えない!」

 泣きそうな声でトーマスが訴えた。その間にも軍服は血でどす黒く染まっていき、流れ出る血が地面に染み込んでゆく。その光景にヘルガは元々白い顔をさらに青白くしていた。グリーンの瞳が大きく見開かれている。

「なんとかしないと…」

 ビアッジがうわ言のように言って、トーマスの機体から応急手当のための救急箱を引っ張り出した。中身を地面にぶちまけると、止血用ガーゼを見つけて腹の傷に当てた。一枚では足りなくて、二枚、三枚と追加する。すぐにそれも真っ赤に染まり、抑えていたビアッジの手も血でぬるぬるになった。他の隊員も加わって、ガーゼを傷口に当てる。だが、同じくガーゼが染みてきて、生暖かい感触と共に手が血に染まった。ヘルガも裂傷にガーゼを当てたが、すぐに手首まで真っ赤に染まった。

 止血作業で両手を真っ赤にしながら、ロルフとマサヨシはこれまでの経験で、もうわかってしまった。トーマスは助からない。助けられない。数分以内に病院にでも担ぎ込まない限り、どうしようも無い重症だ。手元にあるのは申し訳程度のガーゼと包帯のみ。薬もなければ、軍医もいない。もう終わりなのだ。

 ロルフとマサヨシは互いの目を見た。そして同じ事を考えている事に気づいて、心底落胆した。それからロルフはフレディの顔を見た。それに気づいて、フレディもロルフを見る。絶望しきった顔で、フレディは首を横に降った。三人が考えている事に気づいて、ビアッジがロルフの手を掴む。テッドを引きずり出した時に付いたであろう血が、べっとりと付いていた。

「おい、待ってくれよ。まだ諦めるには速いだろ?ここらで手持ちの道具を使えば、今からだって…」

 まるで自分の命がかかっているかのように、ビアッジは懇願した。

 だがロルフの目を見て、何も言わなくてもその気持ちが伝わった。

 ロルフはゆっくりとビアッジの手をどけると、トーマスの傍らに膝まづいた。そして、とても優しい声で語りかけた。

「トミー。聞こえるか?」

「軍曹ですか?」

 痛いのを必死でこらえながら、なんとかトーマスは答えた。

「本当にすまない。俺には助けてやれない」

 そう告げられて、トーマスが息を飲んだ。それからゆっくりと、目を開いた。血だらけで白目がぐしゃぐしゃになっていて、見えているのか定かではなかった。それでもトーマスは起き上がろうとするような動きで、自分の腹の傷に目を向けた。ビアッジが手を添えて、上体を起き上がらせる。

 おそらく目は見えないのだろうが、それでも自分の傷の深さがわかったようだ。

「すみません。軍曹…」

「お前が謝る事じゃない」

 もうロルフには、次すべき事はわかっていた。助からないと決まった以上、苦しみを長引かせるべきでは無い。楽にしてやるべきだ。

 本来そうした作業は将校の責務だ。試しにリストの顔を見たが、死人のように青ざめていた。とてもじゃないが、そんな作業をさせられる状況では無い。正直情けないとも思ったが、普段は自分が取り仕切っておいて、こういう仕事だけ将校に任せるのもずるいとわかっていたので、ロルフはその汚れ役を引き受ける事にした。

 ロルフは腰のホルスターから拳銃を取り出した。これから起こる事を理解して、ヘルガは凍りついた。ビアッジは唇をかみしめて、なんとか涙をこらえていた。

「すまない。トミー」

「軍曹が謝る事じゃありません」

 痛いのを我慢しながら、なんとかトーマスは笑顔を作った。それが何よりも、皆の心に突き刺さった。ロルフはトーマスを抱きかかえて、拳銃を胸に押し付けた。そこには心臓がある。トーマスが目を閉じて、震える手を握り締めて祈りを捧げるような格好をした。

 一発の銃声が森に響いて、それからは永遠にも思える静寂が訪れた。

 もう痛みをこらえる必要も無くなり、すっかり落ち着いた体を残して、トーマスの魂はこの世を去った。

 ビアッジが歯を食いしばってすすり泣く声がしたが、ロルフにはそれが遠い世界から渡ってくる音のように聞こえた。

 すっかり力が抜けてしまい、ヘルガが地面に座り込んだ。昨日の夜には姉のコンサートの話をしていた青年が、今日の昼には死んでいる。劇場の通用口から舞台袖に入り、あこがれのピアニストに対面した彼の笑顔が目に浮かんだ。もう永遠にかなわない光景だ。自分の両手を見ると、笑顔の代わりに彼の血でべとべとだった。もう乾き始めていて、血は黒くなりつつあった。もう暖かくは無いそれを握り締めると、ヘルガの胸がしんと冷たくなった。その冷たさが上がってきて、喉が詰まるような感覚を覚えた。同時に目頭が熱くなり、視界がぼやけ始めた。自分が泣いているのだと気づくのに、少し時間がかかった。ヘルガ自身、この状況が説明できなかった。

 トーマスの痛みが伝わってくるかのように、涙が止まらなかった。

「ごめんなさい…」

 誰に詫びるのかわからなかったが、自然とその言葉が口から洩れた。

ロルフも何も言えなくなって、無言で天を仰いだ。

 フリクに着いて、一緒に過ごした晩を思い出す。そういえばあの時、出兵した際の手当について話していたんだ。色々な手当があるんだと話したが、一番高額なのは戦死した時に出る恩給なんだ、と言う事を説明していなかった。いくら高額でも、それだけは受け取るなという事も、説明していなかった。今となっては意味が無い事だが。

 やりきれない思いでいっぱいだったが、感傷に浸ってるばかりにもいかないので、ロルフは次の行動に取り掛かることにした。

「埋葬したらすぐに出発するぞ」

「手伝う」

 そう言ってフレディも、自分の機体に備え付けられているスコップを取りに行った。

「俺が見張りに立とう」

 リストが言った。口調は平静だったが、その目はうつろで何も見えていないふうだった。

「俺が北側を見張る。マサヨシ、お前は東を見張ってくれ」

「わかった」

 マサヨシの目も、荒野を見つめるように冷たかった。リストはトーマスの死体から、二組ある認識表の一つをむしり取ってポケットに入れた。それから自分の機体の方に小走りに向かって行った。

 ビアッジはヘルガに言って、二人でテッドの機体を壊すことにした。後になって、使える部品をゲリラに奪われないようにするためだ。まず操縦席にビアッジが入って、道具箱に入っている金づちでセンサーや操縦機器を叩いて壊した。それからヘルガと二人で、背部の動力パックによじ登り、重要な配線を外した。もちろん、簡単に修理できないように外した部品は遠くに放り投げた。

 ロルフとフレディは機体の傍らにせっせと穴を掘った。まるで見えない看守に急かされているように、ひたすら無言でスコップを振るった。おかげですぐに墓穴を掘り終えた。見張りに立っているリストとマサヨシを除いて、全員が戦友をその穴に横たえた。

数時間前まで戦友だった肉塊に土をかぶせながら、エリーは現実の重さに耐えかねていた。昨日は会話に加わらなかったが、エリーもヘルガの姉とは親しい。ピアノの技術も一流だ。ファンになるのもうなづける。彼女の家に遊びに行った時、目の前で演奏してもらえた感動を今でも覚えている。

 しかしこの青年がそれを味わう事はもうないのだ。

 これが死ぬという事なんだ。

 昨日自分が誘導した砲弾で死んだ人も、今朝見つけた穴の中の死体も。一つ一つにやりたい事があって、見たい光景があって、合いたい人がいて、それを叶える事なく死んだのだ。

 もし戦闘前に自分の意見を述べて、このゲリラの集団を迂回する方針を採っていたなら、トーマスは死ななかったのではないか?

 ――仕方ない事です。

 ふいに、あのヤマシロ人の言葉が聞こえたような気がした。

 なるほど、これは便利な言葉だ。何も考える必要がない。



すっかり土をかぶせ終わると、ロルフがシュペーⅢの破片を拾ってきた。鍋の蓋くらいの大きさがあるその破片に、石ころで『トーマス・テッドウィル』と刻むと墓石の代わりにした。トーマスが入った分穴は浅くなっていて、それだけ土が盛り上がっていた。そこに即席の墓石と、無線通信で使うヘッドセットを置いて、終わりとした。

周りで散らばっているゲリラ達や、先ほど目撃した哀れな難民達に比べれば、トーマスの寝床はまだ恵まれている方だった。

別れの挨拶もそこそこに、隊員達は自分の機体に戻った。目的地のドラド山まではまだ少し時間がかかる。


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