棚橋葉子(たなはしようこ)
ここは文化人類学研究室。窓際の日の当たる席で、本を読んでいる女性がいる。ウェーブのかかった狐色の髪・・・たぶん癖毛だろう・・・を首の辺りまで伸ばし、赤色のアンダーリムのメガネをかけつつ本を読んでいる彼女の名は、先にも登場したとおり友人A。ではなく棚橋葉子。桐島研究室に通う二回生だ。
講義のないときは、いつもこの研究室に来ては、小難しそうな本やら、大衆向けの漫画やらの書籍を読んでいるらしい。
「おや、葉子。こんな時間にいるなんて珍しいな。講義さぼったのか?」
引き戸を開ける音。そこへ、この部屋の主、桐島徹がやってきた。どうやら、講義を終えて戻ってきたようだ。
「ああ、主様、おかえりなさい。いえ、今日は休講でしたので」
今、葉子は桐島を『ぬしさま』と呼んだのだが、別にそういうプレイを楽しんでいるわけではない。二人はそう、師弟の枠を超えた、ただならぬ関係なのだ。ただならぬ関係ってなんかやらしい響きだな・・・。
「で、どうだい?例の、御社代の様子は」
桐島は電気ケトルに水を入れると、セットしてスイッチを入れた。
「そうですね。彼女はすばらしい才能を秘めていると思います。まあ、勉学面は平凡ですが。時に・・・」
「ん、どうした?」
「白山神社が、代に接触を図っているとの噂を聞きつけました」
ん、なんだか話が臭くなってきたぞ。
「ほう、白山神社が目をつけたか・・・。ってことは、上手くいけばどんどん研究が進むな!」
桐島はうれしそうな顔をした。
「いやー、ここら辺は多いって聞いてたけど、やっぱこっち来て正解だったな」
「そうですね。主様」
葉子は本を閉じると、そういって霧島に向かって微笑んだ。
「五年目にしてやっとって感じだな。長かった・・・が、まあまだ大丈夫と決まったわけじゃないか」
「たった五年ですよ。一瞬です」
「人間にとって、五年は結構長いんだ」
「ふぅん・・・やはり何度聞いても分かりませんね」
二人の会話の途中、カチッという音とともに電気ケトルのスイッチが落ちる。湯が沸いたようだ。
「ま、そうだろうな。お前さんはずいぶん長生きだもんな」
桐島はそう言って棚からマグカップを取り出そうとし、ふと思いついたかのように葉子へ振り返った。
「葉子、お前もコーヒー飲むか?インスタントだけど」
「はい、いただきます」
葉子はそう言って立ち上がると、桐島の近くの席へ移った。
「しかし、そうなるとなぁ・・・」
コーヒーを二つのカップに入れながら、桐島が言う。
「そろそろ、その代って娘にも、本当のことを話さないといけなくなるな・・・」
「そうですね・・・」
葉子はマグカップを受け取ると、視線をコーヒーへと落とした。
「しくじりました。少し、関わりを持ちすぎたようです」
「仕方ない。白山が目をつけるほどだ。きっとあの娘さんは、妖魔を引き付ける力が強いんだろうな」
「そうですね・・・。ここに来てから、あそこまで引力の強い人間は見たことがありませんでした。たぶん、代の周りは私以外にも妖魔でいっぱいでしょう」
「なるほど・・・。なんかその子、大変そうだね・・・」
「まあ、もう少し調べてみます。何か分かれば、また」
「ああ、了解だ。頼むよ」
話が切れてから、葉子は再び窓際へ移動すると、外の景色へと目をやった。落ち葉が冷たい風に流されていく。この部屋の中は暖かいが、外は非常に寒いのだろう。今頃、代は白山神社にいるのだろうか。四限が休講だと知っていれば、ついていってもよかったな・・・。葉子は、ぼんやりと、そんなことを思っていた。
葉子がぼんやりしていると、背後でリュックの口を閉める音がした。
「おい、葉子。もうこの部屋閉めるぞ」
桐島はすでに帰り支度を終えているようだ。いつの間にか、先ほど使ったマグカップも洗われている。
「あ、はい。すぐに出ます」
葉子はそう言うと、あわてて本を何冊かトートバッグに詰め込むと、研究室から退出した。
別に、桐島と葉子の関係がアレだからといって、同居しているわけではない。周囲から怪しまれないように、桐島は葉子の分として、別に部屋を一つ借りているのだ。
「おし、じゃあ、俺は帰るわ」
桐島はそういうと、研究室のドア横にかかっているプレートを帰宅にあわせ、廊下をつかつかと歩いていった。葉子はしばらく桐島の背中を眺めていたが、桐島が視界から消えると、ボンという音、そして白煙と共に姿をくらましたのだった。
次の瞬間、葉子は学生マンションの自室に現れていた。
「ふー・・・・・・疲れた」
葉子はトートバッグを床に置き、メガネを枕元へ投擲。そしてジーパンを脱ぐと、ベッドへ倒れこんだ。
と、同時にまたもや音と白煙。次の瞬間、そこには狐の尾っぽ、狐耳を装備した姿の葉子が寝転がっていた。
「やっぱり、人間の姿で長時間過ごすのは骨が折れるわ」
変身を解く前に、ズボンを脱いだのは多分、尾の関係上必要な動作なのだろう。
そう、すでにお気づきだろうが、葉子はなんと妖孤だったのだ。彼女は今まで桐島の式神として、人間に化け学生に混じりつつ、この地域の妖魔事情の調査を行っていた。
だが残念なことに、主様は妖魔をわんさか集められるほどの力をお持ちではない。妖魔の研究を効率よく行うためには、妖魔を集める体質の人間が必要なのだ。
そして、その素質を持つ人間が現れた。それが、御社代。今はまだ、原石のままであるために、広範囲の妖魔を集めるほどの力はない。だが、真の力を発揮したときには、いったいどうなることか。私にも想像がつかない。きっと、主様はお喜びになる事だろう。主様がお喜びになるということは、私にとっても幸せだ。だが、果たして友人を利用してしまってよいのだろうか・・・。
と、ここまで考えたところで、ふと気づいた。
「いや、違うか。別に主様が頑張るのであって、代が何かするとかどうかなるとか、そういうことはないのか」
そもそも、今まで特に気にならなかったが、主様の言う『妖魔の研究』とは、いったいどのようなものであろうか。しかしまあ、主様の人柄を見る限り・・・
「どうせ、たいしたことはしないか・・・そんな酷いことしそうな人には見えないしな」
ないない。主様に限って妖魔の悪用とかそういうのはないだろう。だが、問題は・・・
「問題は、早苗様のほうか・・・」
桐島早苗。徹の妹君であり、その手の業界では知らぬ者はいないほどの祓い屋だ。主様と違って、かなりの力を持つそうだ。もしも、早苗様が一枚噛んでいたのなら、結構面倒なことになるだろう。まあでも、代に実害が及ばないのであれば、別に何でもいいか・・・。
「まあ、なるようになるでしょう」
葉子はえいっと起き上がると、妖孤用の衣服に着替えた。妖蚕から紡いだものは、人の目には見えぬ。妖孤状態に戻ったとしても、人間界で売られている服を着てしまうと、服だけが動いているように見えてしまうのだ。ちなみに、妖しの羽織を普通の服の上から着るだけでも、人間の目には映らなくなるらしい。まだ自分で試したことはないが・・・。
服を着替え、メガネをかけ、準備万端の葉子が出来上がった。メガネには、まじないがかけてあるため、人間に化けていても、本来の姿であっても特に問題はないようになっている。
「さて、それじゃあ、今日もちょっと調査にでも行くとしますかね」
葉子はそういうと、自室のベランダから、寒空の中へと飛び出した。茜色の空と、日光を失い薄暗くなった町並みが、なんとも物悲しい雰囲気を醸し出していた。
「さむっ・・・そろそろ、コートあたりにもまじないをかけておくべきかしら」
妖孤は、赤いマフラーをなびかせながら、建物の屋根から屋根へとつたっていく。今日は、どのあたりまで調査に出かけるのだろうか。それは、彼女にしか分からないことだった。
なんかまたぐっちゃぐちゃになってきましたね。まあ、いいんですけど。