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執事の日常

 私が築有志郎の家に住み込むようになってから数日が過ぎた。

 後から出すと言っていた四海堂の指示は未だに来ていない。

 

「……うーんっと」


 私は、ぎ、と軋む椅子の背に背中を預けて伸びをした。

 現在の時刻は、朝の6時30分、ちょっと前。

 七時からの朝食に間に合わせるために、毎朝6時30分きっかりに朝食の準備を始める。

 

 こういうの、悪くないな。


 ベッドから抜け出し、仕事着である執事服にきっちり着替え、その後こうして時間までぼんやりと過ごすこの時間が好きだ。しん、と冷えた静かな朝の空気が少しずつ体になじみ、ゆるやかに細胞の一つ一つが覚醒へと向かっていくような感覚。

バランスを崩さない限界まで背中を椅子に預けて、伸びをして深く息を吐く。

 こうしてると今日も頑張るぞ、よいう気になれるのだ。

 窓から差し込み始めた朝日に、自然と微かな笑みが私の顔に浮かぶ。

 オーブンにセットしてあるタイマーが鳴って、本日の戦闘開始を告げた。


「よし」


 私は必要以上に勢いをつけてひょいと椅子から立ち上がると、冷蔵庫から次々と材料を取り出しにかかった。

 今日のメニューはパンケーキ。といってもそんなに甘くはしないつもりなので、イメージ的には平たい柔らかめのパンだ。初めて開けたときには、ビールとミネラルウォーターしか詰まっていなかった冷蔵庫にも、今では私が用意した食材に満ち満ちている。むしろ夜中に晩酌しようとした旦那様が、冷蔵庫を開けて「俺のビールはどこに消えた」と呻いた程度には冷蔵庫の中身は健全化された。

 その隣に、以前までなかった小型の冷蔵庫があるのは、それこそが旦那様のビール専用である。

 ざかざかと卵と小麦粉、そしてミルクを混ぜてパンケーキの種を作りつつ、私はその合間に大きな鉄製の丸いパンをコンロにかけた。

 砂糖を入れないのは旦那様のためだ。どうやらあの男は甘いものがあまり得意ではないらしい。何も知らずに、以前デザートにプリンを出したら、ものすごい顰め面で食べていた。

 

 ……あんな顏をするぐらいなら、食べなくても良いのになあ。

 

 それでも、出されたものはきちんと食べるあたり律儀だ。

 そのうちこってりと甘くデコレートしたプリンを出してやろうかと思ったりもするが――……執事としてはやはり、旦那様の嗜好は押さえておくべきだろう。

 ダマがなくなるまで混ぜ込んだ生地を、表面にオイルを吹きつけたパンの中へと流し込む。


「よいせっと」


 片手でパンを円を描くようにくるりと動かして、生地を丸く薄く延ばしていく。鉄製のパンは私が片手で取り扱うにはずしりと重いが、ユーゲロイドの女は、皆こうやって家族の朝食を作るのだ。


 ……懐かしいな。


 昔よく、朝食を作る母親の足元に幼馴染のシオンと共にまとわりついたものだ。遊び疲れて、どちらかの家で力尽きるように眠ってしまうなんてことは、当たり前だった。そして次の日の朝、二人そろって空腹目を覚まし、パンケーキの焼ける匂いに誘われてキッチンへと駆けこむのだ。火を使っていて危ないのだから離れなさい、とやんわり怒られたりなんかして。それでも母親は結局私ら子供には甘く、朝食に先だってパンケーキの端っこをつまみ食いさせてくれたものだった。カリカリに焼けた甘いパーンケーキの端っこを、キッチンの隅っこでくすくす笑いながら齧った幼い思い出。

 母さんの作るパンケーキは、どんな味がしただろうか。

 すごく甘く、幸せの味がしたのは覚えているのに、私はそのレシピを知らない。


「……って、やっべ。焦がしちゃうところだった」


 ぼんやりしている間にも、パンケーキはよい色になってきていた。表面が滑らかになって、菜箸でつついても跡がつかなくなったら完成だ。ホットケーキやクレープ生地のように、ひっくり返すようなことはしない。皿の上にのせて、そのまま熱したオーブンへと。両面を焼くのではなく、ある程度火が通ったところからはオーブンで仕上げるのが、私の知るパンケーキの特色だ。

 別段ユーゲロイド独特の味、とまでは言わないが、こちらではちょっと珍しいパンケーキだろう。


 旦那様、気に入ってくれると良いんだけども。


 次々とパンケーキを焼きあげては、オーブンの中にある皿の上へと重ねていく。

そうしてパンケーキが一段落つけば、次はベーコンと卵である。カリカリに焼けたベーコンの良い香りと、パンケーキの焼ける甘い匂いがキッチンの中に満ちる。


「よし、美味そう」


 それらの出来上がった料理を皿の上へと盛っていき、盆の上に並べれば完成だ。甘いのが苦手らしき旦那様にあわせ、パンケーキへの付け合せはカリカリベーコンとスクランブルエッグ。巻いて食べるもよし、別々に食べるもよし。デザートには、季節のフルーツのシロップ漬けを添えた。フルーツならば、甘すぎるということもないだろう。飲み物には、紅茶を。

 我ながら完璧な朝食だ。


「さーて、持っていくか!」


 私は調理の間は外していた白手套をきゅ、っと着直して、旦那様のための朝食を恭しく手に持つと、キッチンを後にした。











★☆★










 そして、私は旦那様の部屋の前までやってきて――……、これまでの数日間と同じように、絶望した。


「また、いない……っ!」


 そう。

 非常に残念ながら、築有志郎の城たる書斎へとつながる扉には、しっかりと鍵がかかっていた。おそらくは昨夜のうちに抜け出し、未だ帰っていないのだろう。鍵がかかっていなければ、まだ起きていないだけという可能性もあったが……。


「鍵がかかってるときは留守だから、俺のことは気にするな、だっけか。

……はあ」


 私は深々とため息をついた。


 築という男は、家に居着かぬ男だった。

 仕事で。

 遊びで。

 何かと外へと出掛けていき、その上に気まぐれだ。

 いつ帰るのかを知らせてくれることなんて有り得ない。

 食事の用意の必要性についてを確認させてくれたりすることもない。

 気が向いたら帰る。

 そんな一言だけが、私に返された答えだ。


 ……本当に気まぐれだよな、あの人。


 予め予定、という形で自分の行動を制限されるのが我慢ならないらしい。

 どれだけ自由を愛してるのか。お前は雲か、煙か、と言いたくなるような風来坊ぶりである。


「……はあ」


 私はもう一度深いため息をつくと、とぼとぼと出来たての朝食のお盆を持ったままキッチンへと戻った。











★☆★











「これはしばらくテーブルに置いておいて、と」


 少し冷めてきた料理の上に、ラップをかけて私は盆ごとキッチンテーブルの端に片づける。もし旦那様がそのうち戻ってきて、何か食べたいというのならば温めなおして食べてもらうこともできる。

 だが……、置けて、昼までだろう。

 せっかく美味しそうに出来た朝食は、昼を過ぎた頃には誰に食べられることもなく廃棄される運命にある。


「……いっそ俺が食べたいぐらいだけど、それはマズイだろうしなあ」


 捨てるぐらいなら、食べてしまった方がいいとは思ってしまうのだが……。

 どうやらそれは、世間一般的には「横領」という行為に該当してしまうらしい。

 

 現在、私には必要に応じて好きに使え、とそれなりの額の入ったカードを旦那様により預けられている。それを使って食事の準備をしたり、掃除のために必要な道具を買いそろえたりしているのだが。それはあくまで、築宅で執事という仕事をするのにあたっての必要経費を賄うために渡されているお金なのだ。そのお金を私の個人的なもののために使ってしまうのは、どれだけ額が些細であっても、横領になってしまう。横領は立派な解職理由だ。

 

 残飯処理が理由でクビにでもされてしまったら、目も当てられない。

 私は決して望まれてこの家にやってきたわけではないのだ。

 追い出される理由は、作らないようにしなくては。


 そんなわけで、私は帰るかどうかもわからない旦那様の食事のための買い物の一つ一つを帳簿につけ、常に残金と支出の合計にズレが出ないようにきっちりと管理している。それはつまり、当然のことながら、私自身の生活費と旦那様の生活費をまったく別物と看做しているというわけで。

 

 ……そろそろ財政破綻まで秒読みに入りつつある気がする。


 うっそりと私はため息を吐き出す。

 あの日、私は執事服一式の入ったスーツケース以外は着の身着のままで放り出されてしまった。


「くそー……」


 魔導対策までされているし。

 空間をねじまげる魔導は私の得意分野なのだが、どうやら四海堂はそれに対してもしっかり対処してしまったらしい。

 四海堂ほどの屋敷に住んでいれば、防犯上の穴は見つけ次第塞ぐのが当然ではあるのだが……そのせいで持ち物を回収できない私は、現在ほとんど所持金がないのである。

 普段、必要以上の現金を持ち歩く習慣がなかったのが災いした。あの時も、私は四海堂に頼まれて手紙を届けにいくだけだとしか思っていなかったのだ。生活費になるような額を持ち歩いているわけがない。

 

 それを猫の子でも追いだすように気軽に追い払いやがって。


 思い出すと未だに腹立たしく思うわけだが、おそらく、四海堂もまさか私がここで財政難に直面しているとは思うまい。


「まあ、貧乏生活は慣れてるといえば慣れてるんだけど」


 それでもここまでなんとか遣り繰りしてこられたのは、まさしくその貧乏生活への耐性故だ。

 今度旦那様に会ったら、給料の前借りが出来ないかどうか聞いてみなければ。

 薄い腹を撫でおろして、そう決める。

 それから、視線を窓の外へとやった。

 燦々と降り注ぐ日差しが気持ちよさそうだ。体質としてあまり日差しには強くないが、たまには日光浴を兼ねて庭いじりをするのもいいかもしれない。

 家の中のこと、家事については好きにして良いとの許可は旦那様より得ている。


 ――…もしかしたら。


 旦那様が帰ってきて、庭が綺麗になっていたら褒めてくれるかもしれない。

 ほんの少しでも、関心を持ってもらえるかもしれない。

 私への関心でなくてもいい。

 この家のことを、好きになってくれたら。

 ただ寝る場所としての家じゃなく、心を休めるホームとして、この家をちゃんと認めてくれたなら。

 

 旦那様の、凶悪な人相には不似合い極まりない、どちらかというと可愛らしい部類に入るであろうこの家。それを選んだからには、何か旦那様にもこの家に惹かれるものがあったはずなのだ。それなのに、まともに使っているのは自室の書斎と、寝室の二部屋だけ、なんていうのはあまりにももったいない。


 それに、あの人は必ずここに戻ってくる。


 旦那様は寝るために、必ずこの家に戻ってくる。

 他のどこでも休まず、必ずこの上に戻ってきて寝る。

 朝になっても帰ってこないことも多いが、そういうときは大概徹夜で、そもそも寝ていない。眠たげにゆらゆらとしながら、書斎に消えていく背をこれまでに何度も見た。


 ……なんで、だろうな。


 旦那様はこの家に拘りを持っている。

 この家を、この場所を、大事にしている。

 その癖に、寄りつかないように、わざと放っておいているようにも見える。


 もったいない、よなあ。


「ま、俺は俺のやれることをするとするかな」


 少しでも、居心地良く。

 少しでも、安らげるように。


「よし、行くぞ」


 ぐいっと執事服の袖をまくって。

 さあ。

 庭へ挑もう。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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