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雛姫という存在

「……疲れたぁ」


 ぼやいて、私はばふりとベッドへと倒れ込んだ。

 四海堂にあてがわれた自室まで帰りついてのことだ。

 あー……、緩むなあ。

 すりすり、と肌触りの良い布団に頬を摺り寄せる。

 寛ぐと同時に少しだけ、ほんの少しだけ、悔しかった。

 ここは、私が四海堂に引き取られてすぐに与えられた部屋だ。品の良いアンティーク家具をあしらった、実験動物にやるにはもったいないほどに良い部屋だ。私がもともと暮らしていた家とは、比べものにならない。そんな部屋を丸ごと一つ四海堂はポンと私に与えたのだ。ここは君の部屋なんだから好きにしていいんだよ、と言って。そんな部屋に寛ぎ、安心感を覚えてしまうことに意地を張りたくなる。

 この部屋を与えられてもうどれくらいの時間が経っただろうか。

 与えられたまま、この部屋に私物を増やそうとしないのは、きっと私のそんな意地の現れだ。ここは私の部屋じゃない。買われた私の、ただの収納先だとずっと言い聞かせてきた。

 

 それなのに……、結局寛いじゃうんだもんなあ。


「……はあ」


 自分の現金さに思わずため息が零れてしまう。

 慣れというのは怖い。

 最初はふかふかのベッドにも、柔らかく暖かな布団にも慣れなかったし、慣れることもないだろうと思っていた。それなのに、いつの間にか、外からこの部屋に戻ってくるとこんなにもほっとするようになってしまった。


「そのうち、もっといろんなものにも慣れるのかなあ……」


 ぼんやりと呟く。

 花夜国かやこくの首都で暮らすにあたり、目立たないように私は髪の色を変えた。今は花夜国の大多数の人間と同じ黒に染めているが、本来の私の髪の色は淡い銀灰色だ。私の黒髪が不思議な光沢のある黒をしているのはそのせいだ。

 本当なら薬で目の色も変えたかったのだが、それは四海堂に反対されてしまってできなかった。遊びやお洒落の範疇として一時的に目の色を変えるぐらいなら問題ないらしいのだが、さすがに常用というわけにはいかないらしい。目に負担がかかりすぎる、と言われてしまえば、さすがに諦めざるを得なかった。


「……あの人、俺のこと外国からの移民だと思ってたな」


 都合のいい誤解だったので、あえて解かずにおいたけれど。

 そんな風に勘違いして貰えるなら、もっと外に出て『人』に関わってみてもいいのかもしれない。今まで……、村を離れてからこれまで、四海堂のいないところで人に会うなんてほどんどしたことなかった。


 幼い頃から、私にとって『人』は避ける対象だった。

 『人』とは、自分たちを狩るもの。

 恐ろしいもの。


 そう、思っていた。

 だから四海堂によって村を連れ出され、こうして街で暮らすようになっても、自分から誰かに関わろうとはしてこなかった。

 そういう意味では……、今回のことは私にとっても良いチャンスなのかもしれない。社会復帰のチャンス、というかなんというか。まあ、復帰も何も、そもそも最初から雛姫は社会に参加したことなどないのだけれども。


「執事、かぁ」


 メイドの仕事を、代わりにやる男。

 家政夫だとばかり思っていたが、家政婦がメイドならば家政夫は確かに執事に該当するのかもしれない。


「……執事ってナニする仕事なんだろうな」


 とりあえず、家の管理にあたる仕事を手当たり次第やっていけばいいだろうか。


「まあ……、あの家は手入れのし甲斐がありそうだったよな」


 あの築有志郎という男は、自分の居住空間以外にはとことん無頓着であるようだった。そのあたり、是非綺麗に掃除をして、手を入れていきたい。ユーゲロイドは家を大事にする種族なのだ。家族の居場所である家を、如何に居心地良くするかに心を砕くことが苦にならない。


 まずは廊下の蜘蛛の巣を払って、埃もはらいちゃって……。


 ノックの音がしたのは、そんな風に雛姫がいかに築宅の掃除を進めるか、なんて作戦を練っているときだった。


 四海堂、か。


 私の部屋にやってくるのは、四海堂しかいない。


「開いてるよ」


 声をかけると、すぐさまドアが開いて、人の良さそうな柔和な顔つきの男が顔を出した。優しげで、人畜無害そうな顏をしているのに、胡散臭いと思ってしまうのはどうしてだろう。そろそろ見慣れてもおかしくないほどにこの男とは一緒にいるはずなのに、毎回顏を合わせる度にそう思ってしまう。いつでもにこにこ笑ってるような顔をしているのに、本当に笑っているのかはどうも怪しい。

 そんな胡散臭い男は、私がぐったりとベッドの上にノビているのを見ると、ますます嬉しそうに笑み崩れた。


「ただいま、雛姫ー!」

「ちょ、ま……ッ」


 嫌な予感に制止するよりも早く、弾む声でそう言うや否や四海堂はそのまま勢いをつけて私の上へとダイブしてきた。

 マジ。こいつマジ。


「ぐえ……っ」


 のしっと押し潰されて呻いたものの、そんなのを聞いてくれる四海堂ではない。


「どうだった? 雛、ちゃんと僕のお願いした仕事はやれたかな」


 ぎゅうぎゅう、とまるでぬいぐるみでも抱くように強く抱きしめられて、息が詰まる。


「放せってば、コラ……っ! おま、それセクハラ……!」


 もがもが。

私は四海堂の腕の中から何とか逃れようと抵抗するものの、新手の絞め技か何かなんじゃないだろうか、というほどにきっちりハマってしまって脱け出せない。


「うーん……。ちゃんと三食ごはんあげてるのに、なかなか肉がつかないよねえ。

これはもう体質なのかなあ」

「くすぐったい……! 人の身体を撫でたくるな……!」


 容赦も遠慮もなく、四海堂の大きな手のひらが私の身体を触りまくる。

 その手つきは、医者が患者の身体を触診するかのようでもあり、飼い主がペットを猫可愛がりするかのようでもある。というか、「ごはんをあげる」とか言っているあたりペット、というのが正しそうだ。

 普段なら、呆れ半分したいようにさせておくのだけれども……。。


 今日の私は、怒っている。


 四海堂のしたことを考えれば、当然だ。

 私に何も言わず、騙し討ちにするようなやり方でこの男は私を築有志郎の元へとやったのだ。腹立たしい。ムカつく。

 ふいと視線をそらして、目を合わせてやらない。


「同じ野郎の身体なんか触りたくってナニが楽しいんだか」


 尖った声音で吐き捨てるように言えば、四海堂はおや、というように片眉を跳ね上げて笑った。それだけで、同じ笑みでも随分と印象が変わる。穏やかで、人好きのする優しい笑顔が――…、一点して意地悪く。





「楽しいよ。僕は君の身体を触るの。

 ……もっとも、同じ男、かどうかは疑問が残ると思うけど」





 カッと頭に血が上った。

 わざとらしく揶揄するようなその口ぶりに、私は反射的に腕を振り上げる。

 殴ろうとしたのか、突き飛ばそうとしたのか、それは私自身にもわからない。ただ、こみ上げる衝動のままに腕を振り上げた。

 が――……。

 その腕は、いとも簡単に抑え込まれて頭上に貼りつけられた。


「……ッ!」


 四海堂の片手でやすやすと両手首を抑え込めてしまう事実に、体格差を見せつけられるようで悔しくなる。腕を頭上で抑え込まれたせいで、自然と胸が浮いて体勢が苦しくなった。そんな私の眼前で、四海堂はいつも変わらぬにこやかな笑みにその双眸を細めた。


「男だって言うわりには、こんなにもあっさり押さえ込まれちゃうんだね。

本当に男かどうか――……、確かめてあげようか?

まあ、確かめるまでもなく、本当のことは雛が一番よくわかってると思うけど」

「……ッ!」


 言葉が喉に詰まる。

 いろいろ怒鳴りたいのに、叫びたいのに、言葉が音にならない。

 全部全部喉でつかえてしまって、無様に喉がひくつくだけに終わってしまう。

 言葉にならない激情が、熱に変わってこみあげる。


 情けない……ッ。

 

 とっくに整理がついたことだと、思っていたのに。

 そう、思っていたいのに。

 四海堂は、私の癒えぬ傷口に、ようやく瘡蓋が出来たと思ったそこに柔らかに爪をたてて掻き毟る。平気な顔をしているけど、本当に傷は治ったのかと確かめるように、痛いところをあえてつついて優しげな顏でにこやかに笑う。




――本当のことは雛が一番よくわかってると思うけど。




 ああ、そうだ。

 本当のことは、私が一番よくわかっている。

 

 

 

 

 

 

 私は――……男でも女でもない出来損ないだ。

 

 

 

 

 

 

 山間での厳しい生活に耐え得るように、ユーゲロイド種の女は、幼少時に『男』へと擬態する。正確には『男』というよりも、『人間の男』によく似た特徴を持つ「無性体」と言うべきだろうか。実際には性差を思わせるな特徴が一切ない。早い話が胸も膨らまなければ、下半身に性器もついてない。あるのは排泄のための器官だけだ。それが年頃になり、恋の季節がやってくると……蕾が綻ぶかのよう艶やかに本来の性へと変性するのだ。

 

 けれど――…、私にはそれが出来なかった。


 私は変性を迎えることのできなかった未発達のユーゲロイドなのだ。

 だから、男として生きていこうと決めた。

 見た目だけならば、男に一番近いから。

 それなのに、四海堂は、こうして私に体力の差や体格の差を見せつけ、「お前はどちらでもないのだ」と突きつける。

 

 私だって好きで中途半端でいるわけじゃない。

 私は女になるはずで、女になりたくて、なれなくて……だからもう諦めたのだ。

 無性体のまま、男として生きていこうと決めた。

 それが、辛くなかったとでも思うのか。

 それが、悔しくなかったとでも思うのか。

 何も思わず、平気な顏してこのまま一生男として生きるからよろしく、なんて言えたとでも思っているのだろうか。


「……っ」


 とっくに割り切って、諦めて、納得していたと思っていたことのはずなのに、悔しくて涙が出そうになる。


「……苛めすぎたかな」


 四海堂がそんな風呟いて、私の腕をそっと解放した。

 そのままその手が、くしゃりと私の頭を撫でる。

 散々私の心を掻きむしるような言葉を突きつけてきた癖に、その手だけはどこまでも優しい。


「僕はね、雛。君のことをすごく、気に入っているんだ。大好きなんだよ?」

「…………」

「それなのに、君が君自身の体のことを、『なんか』なんて馬鹿にするのは、とても面白くない」

「…………」


 四海堂には、わかるのだろう。

 わかって、しまうのだろう。

 『同じ野郎の身体なんか』と、そう言った私の言葉の裏に潜む、自虐の色が。

 本当は誰よりも、私が変性することの出来なかった自分自身を責め、嫌っていることを知っている。


「まあ、そんなわけだから。

ちょっとぐらい意地悪したくなっても仕方ないと思わない?」


 ふ、と四海堂の口調が軽くなった。

 張りつめていた空気が緩む。


「…………」


 それに合わせて、全身に張りつめていた緊張を逃すように息を吐く。


「全ッ然思わない。……人の弱点遠慮なくつつきまわしやがって」

「弱点を攻撃するのは当たり前だろう?」

「……お前、性格悪い」

「褒め言葉だと思っておくよ」

「まったく、カケラも、褒めてないからな!」

「あはははは」


 笑って流された。

 優しく、滲んだ涙をぬぐうように四海堂の指先が私の目元を撫でる。


「で、築くんにはちゃんと会えた?」

「……会えたよ」

「僕と築くんにはちゃんとどっちが男前?」

「築氏じゃないか?」

「酷い!」


 大袈裟に嘆いてみせる四海堂に、私はフンと鼻で笑ってみせる。

 これぐらいの仕返しは許容範囲だろう。

 実際のところは築と四海堂、どっちが良い男かと聞かれたら、個人の趣味によるとしか言えない。

 四海堂は、一見物腰柔らかな優男だ。貴公子然とした外見に心惹かれる女性は少なくないだろう。一方築はといえば、触れれば手が切れるんじゃないかというような硬質で危険な匂いのする男前だ。どちらがより男前かを、同じ分野で比べるのは難しい。タイプが違いすぎて、お互いが比較対象にならないのだ。

 まあ、そんなことを言ったら、どっちが自分のタイプか、なんて絡まれるに決まっている。それがわかっているので、あえて築に軍配をあげておくことにする。


「あ~あ、雛ってばツレない」


 ため息交じりにぼやきながらも、四海堂は私へと手を伸ばした。

 先ほどは軽々と私の手首を戒めてみせた大きな手が、今は優しく頭を撫でる。


 ……子供扱い、っていうかペット扱いっていうか。


 四海堂の触れたがりはどうかと思うものの、こうして触れられるのはそんなに悪くないとも思ってしまう。遠い昔に、失ってしまった優しい家族の体温を彷彿とさせる。包み込むようなぬくもりと、頭を撫でる優しい感触に、私はゆっくりと瞼を伏せた。


「で、雛は何を拗ねてたの?珍しくケンケンしてたけど」

「……お前がそれを聞くか?」

「ぅン?」

「……俺。何も言わないで利用するみたいなやり方は嫌いだ」


 信用されてないみたいじゃないか、なんていうのはさらに小声で呟いておく。

 きっと、もしも四海堂が最初から理由と目的を告げていたならば、こんな気持ちにはならなかったのだろうと思う。私はきっとある程度嫌がって、それでも四海堂に頼まれれば断れなくて、折れた。借金があるから断れない、というだけでなく……四海堂が私に頼むなら、きっと私は最後まで跳ね除けることは出来ない。


「…………」

「……四海堂?」


 妙に四海堂が静かなことに違和感を覚えて、そっと目を開ける。

そして、


「……ひ」


 想像以上の至近距離に四海堂の顔があって、思わず喉が鳴った。

 顔の両脇につかれる四海堂の腕。

 ゆっくりと覆いかぶさられて、二人の距離がさらに近くなる。

 互いの吐息を肌で感じられるほどの距離で、四海堂が甘く囁いた。


「雛ってばちょー可愛い」

「…………」


 呆れ果ててもはや言葉もなかった。

 この国の経済を牛耳る、とまで言われる薬師協会のトップがこんな男でいいのだろうか。こんな頭悪そうに「ちょー」とか言っちゃうような男で。

 部外者ながら、薬師協会の未来が心配になる。


「……俺は、男だぞ」

「正確には無性体だろう? 男とは違うよ、人間の男性体に似てるってだけで」

「……それは、そうだけど」

「それなのに雛ってば、どんどん男らしくなっていっちゃうんだもんなあ。『俺』とか言い出されたときは、僕、一人娘がグレたような衝撃が……」

「俺は元々『俺』って使ってたんだってば。ただ……、お前と出会ったころだけ、ちょっと変えてただけで」


 ユーゲロイドの子供達は、幼生である間は皆一律で男を装って生きることを教えられる。変性によって女になるとわかると、人買いや密猟者に狙われやすくなるからだ。だから、私も昔からずっと、自分のことをさす言葉は「俺」を使って生きてきていた。


 ……でも、変性が近かったから。

 変性が、近いと思っていたから。


 年頃になり、自分も当たり前のように変性すると思っていた私は――……、一人称を「私」に変えた。今もこうして、根っこの部分でも「私」を使っているのはそのせいだ。結局、変性出来なかったから、全部無駄になったのだけれど。

 だから、私は一人称も「俺」に戻したのだ。

 男として生きていくのにふさわしい一人称に。


「ね、雛」

「なに?」

「ときめかない?」


 ユーゲロイドの変性のきっかけは、思春期の異性へのときめきだ。


「……正直に言っていいか?」

「?」

「どうぞ?」

「動物的本能で喰われそうで怖い」

「色気がない」


 ダメ出しするようにぼやいて、四海堂はあきらめたよう私の鼻頭に一度キスを落とした。そんな接触に嫌悪感を覚えないのは、なんだかんだ言いつつそれが子供相手にするような他意のないものだからだ。

 ……少なくとも、私にとっては。

 もしかしたら、四海堂が手加減してくれている可能性もある。

 その割には毎回、痛いところ平気で突いてきやがるが。

 優しいのだか、そうじゃないのだか、判断に困る。


「あ、そうだ」


 四海堂が、何かを思い出したようにそんなことを言いながらふとの私の上から体を起こした。


「お使いを無事にやりとげてくれた雛に、ご褒美を用意したんだよね」

「ご褒美?っていうかお前、俺が築有志郎の家に潜り込めたって知ってたな!?」

「そりゃあ、可愛い雛のことだからね。僕は何でも知ってるよ?」

「さりげなく怖いこと言うなし!」


 何でも、というのがそこはかとなく怖い。


「ご褒美っていうのはね、これ。よいしょ、っと」


 四海堂が、こっそり持ち込んでいたらしいスーツケースをベッドの上へと持ち上げた。何時の間に。それにはつい興味を惹かれて、私も体を起こして覗きこむ。


「じゃじゃーん」


 ぱかり、と開かれたスーツケースの中に納まっていたのは、何やら衣装のようだった。白の立ち襟のシャツに濃い茶のベスト、そして同色のジャケットとスラックス。グリーンのリボンタイに、ご丁寧なことに白手套までついている。


「………………ナニコレ」

「雛の仕事着」

「はァ?」


 もはや何かのコスプレなんじゃなかろうか、というレベルの執事衣装だ。


「あれ? もしかしてメイド服の方が良かった? 雛ならそっちでも似合うと思うけど……」

「そうじゃなくて! え? 俺、これ着て仕事すんの!?」

「うん。仕事着って大事だよ? 何事も形から入らないと。

ほら、うちのメイドさんたちもちゃんとメイド服着てるでしょ?」

「そ、それはそうだけど」


 絶対に築は笑うと思う。

 執事衣装に身を包んだ私を見て、限りなくしらッとした顔をする築を想像するだけで胃が痛む。


「俺にこれを着ろと!?」

「とてもとても似合うと思います」


 無駄にキリッとした顔で言い切られた。


「こんな可愛い格好で住み込みだなんて、築くんに雛が押し倒されたりしないかどうか僕はものすごく心配だよ」

「…………」


 今、何か。

 この男がとんでもないことをのたまったような気がする。

 思わず、ぴたりと動きが止まった。


「…………誰が?」

「雛が」

「誰と?」

「築有志郎氏と」

「何をするって?」

「住み込み執事と旦那様のラブロマンス?」

「楽しそうだなオイ」

「雛の嫌がる顔が可愛くてつい」


 どこまでも悪趣味な男である。


「雛はね、築くんちで住み込みで働くんだよ」

「そんな話聞いてない!」

「そりゃ僕も言ってなかったからね」


 会話の片手間に、四海堂はぱたんとスーツケースを閉じ、逆の手を雛姫の腰裏に回してぐいと引き寄せる。


「わっ!?」


 そのままナチュラルなエスコートで、私は四海堂によって立たされてしまった。


「ところで雛姫、キッチンの食材が消えた、ってメイドから報告があったんだけど、心当たりは?」

「……必要経費」


 ずるずる、と腰に手をかけエスコートされる風で四海堂に攫われならがの問いかけに、私は開き直って答える。昼間築宅で作ったスープの材料は、四海堂宅の冷蔵庫にあったものなのである。

 

 人間が科学の発達によって不可能を可能にしていったように、古の種族、ユーゲロイドは魔導を操る。といっても、魔導には個人の資質が密接に関係してくる。そのため、ユーゲロイドである私も、空間関係の魔導に関してはそれなり使いこなせるが、それ以外はほとんど駄目だ。そういった個人の資質に由来するからこそ、現在では科学に押され、すっかり衰退してしまっているのだろう。

 そんな得意技により、私は遠い築宅にいながら、四海堂宅のキッチンにあった食材をちょろまかすことができたのだ。


「後でメイドさんに謝っておくんだよ?」

「ン」


 ぽん、と頭に乗った四海堂の手が、わしわしと私の髪をかき撫でる。

 その感触が心地よくてつい目を細めてしまいそうになるが……。

 それに誤魔化されている場合ではない事態が進行中である。

 ずるずる、と四海堂にひきずられるまま、私は会話の間にも、玄関先まで連れ出されてしまっていた。


「ちょ、四海堂……!」

「はい、どうぞ」


 笑顔で靴を差し出された。

 例によって例のごとく、とてもとても良い笑顔である。


「それじゃあ無事を祈っているよ、僕の可愛い雛。指示は後から送るから」

「……ッ! お前お願いだから年に一回ぐらいは人の話をちゃんと聞け……!!」


 と、言っても。

 その貴重な年に一度のチャンスが、私の望んだタイミングで起こるかどうかはわからないわけなのだが。それでもまだ、一年に一度ぐらいまともに話を聞いて貰える、という確約があるだけでまだマシだと思ってしまう。


「四海堂……!」


 必死になって抵抗する私のことを、まるっきり無視して、四海堂は最後までにこやかなままだった。にこやかに、屋敷の門扉に手をかけつつ、トン、と私の肩を押す。


「ちょ……ッ!?」


 そして私がたたらを踏んで、後ろに何歩か後ずさったとたん。

 重々しい音をたてて、四海堂宅の門扉はそっけないほど簡単に閉まってしまったのだった。


「待てコラ、四海堂……!!」


 閑静なお屋敷街に、もの悲しい私の怒声が響きわたった。











★☆★











 ……どう、しよう。

 私は途方にくれていた。


「どうするよ、俺」


 このあたりは治安の良いお屋敷街だ。

 おかげで暗くなった今でも、何か犯罪に巻き込まれる心配はないのだが……、逆に私の方が不審人物としてしょっぴかれてしまいそうである。

 

 上品なお屋敷街に不似合いな若い男。

 

 しかも大荷物つき、だなんて確かに見ようによっては怪しい。

 ああ、でもその方が良いのかもしれない。

 しょっぴかれた先で、四海堂雛姫を名乗るのだ。

 そうすれば四海堂のところに連絡が行くだろうし、そうなればいくら四海堂でも無視はできないはずだ。何せ、四海堂は正式に私の身柄の後見人だ。


「…………」


 ……そのまま養子縁組とかされそうで怖くなった。

 「ようやく僕の苗字を名乗ってくれる気になったんだね!」ぐらいは言われそうである。


「却下却下」


 首を左右に振って、私は四海堂を身元引受人にする作戦を頭から追い払った。

 目の前には、無常なまでにしっかりとしまった門。

 とっくに四海堂の姿は見えなくなっている。


「……はあ」


 私は深いため息をついて、のろのろと歩き出した。

 行くあてなどないが、いつまでも門の前に立ち尽くしているわけにはいかない。

 スーツケースをカラコロと引っ張りつつ、とぼとぼと歩く。


 おうちに帰りたい。


 しみじみと、そう思った。

 なんで自分は、こんなところにいるんだろう。

 仲間と別れ、名前を捨ててまでして。

 変性期を迎えられなかった私を、村の仲間たちは誰も責めたりはしなかった。

 本当は――…、ユーゲロイドという種族を守るためにも、私は変性しなくてはならなかったのに。女として村の男と結ばれ、子を為し、次の世代へと命を繋がなければいけなかった。それなのに、仲間たちは誰も私を攻めなかった。


 ……シオンですら。


 シオン。

 私の幼馴染であり――…、本当なら変性した私の夫となるはずだった男。

 幼い頃からずっと一緒にいて、大きくなったら、私が変性したら、結婚しようと幼いながらに約束していた。私も、きっといつしかシオンを相手にドキドキと胸を高鳴らせ、恋をするときがやってくるのだと思っていたのだ。


 ――それなのに、私は変性することができなかった。


 ……こんなところまで来てしまったのは、村に残りたくなかったから、なのかもしれない。こんなにも、家に帰りたい、と思っているのに、その一方で村の皆の優しさに息が詰まるような思いをしていたのも本当だ。

 

 だから私は、村を出た。

 

 変性以外の方法で一族を守ることができる可能性にすがり、四海堂に取引をもちかけた。その時に、もともとユーゲロイドとしての名前は捨てた。

 変性することのできなかった私には、過ぎた名前だ。

 男として、『雛姫』として生きていくと決めたのだ。

 そうやって自分で選びとってきた様々なことを後悔しているかと言われれば、迷わずに首を横に振ることが出来る。


 後悔は、していない。

 ただ。

 ほんの少しだけ。

 もう失われた過去へとの郷愁にかられて、どうしようもなくなる瞬間がある。

おうちに、帰りたくなる。


「……かえりたい」


 小声で口にしてみると、その想いはより強くなった。

 

 

 かえりたい。

 かえれない。

 

 

 私の家へと続く道は、もう永遠に途絶えてしまっているのだから。


「……四海堂のばか。変態。サディスト。苛めっこ」


 泣言の代わりに、四海堂への悪態をぼやく。

 それから、大きく頭を振って。


「元気だせ俺……!」


 ぱちん、と軽く両手で頬を叩いて気合いをいれた。


「やるしかないし、頑張るしかないんだから」


 仲間のために。

 家族のために。

 そして何より、自分のために。

 『女』に変性することだけが、幸せになる方法じゃない。


 自分に言い聞かせるように、心の中で呟く。

 そう信じているから、また歩き出せる。

 前に。

 前へ。

 とりあえずの敵、築宅へと向かって。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

Pt、お気に入り、励みになっています。

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