テスト
キッチンはどこだ。
私は築の書斎を出て、キッチンを探して廊下を歩いていた。
見た目としてこじんまりとした印象は受けるが、それでも一般的な家と比べれば広い方に入るだろう。特に、一人で暮らすにはどうにも広すぎる。実際、手入れの手が間に合っていないのか、廊下の隅にはうっすらと埃が積もってしまっていた。見上げれば、天井も隅っこの暗がりには蜘蛛の巣までかかってしまっている。
「もったいない……、よなあ」
ぽつりと、小声でつぶやく。
せっかくの良い家なのに、手入れが全然行き届いていない。
自分でやらないまでも、人を雇うなりなんなり、あの築有志郎ならばいくらでもやりようがありそうなのに――…、と思ったところで、彼が実際メイドを求めていたことを思い出して納得した。この家の管理を任せるための人材を、築有志郎は探しているのだろう。
「……メイドクラッシャーってもしかしてそこだったりして」
脳裏に、この廊下の状態とは対照的に埃一つ落ちていないほど綺麗に片付いていた築の自室を思い出す。おそらく普段自分が使う部屋だけは、自ら手入れしているのだろう。あのレベルで家全体の管理を任された上に、その監督をするのがあの鬼のように恐ろしい築有志郎だと思うと、これまでのメイドらが逃げ出した理由もわかるような気がする。この状態から鑑みるに、もしかしたら最後に雇っていたメイドが逃げてしまってから、結構な時間が経っているのかもしれない。
「結構真面目に手入れしたいな、これ」
ちらりと見た庭なども、非常に弄り甲斐のありそうな作りをしていた。家の可愛らしい外観と合わせて、花で彩ったならばさぞかし映えるだろう。
私の中のユーゲロイドの血が疼く。ユーゲロイドは家を大事にする種族なのだ。こんなもったいない物件を見ていると、手を入れたくなってしまって仕方ない。四海堂の屋敷でも、メイドさんに混じってよく家事を手伝っていたものだ。それを考えると、メイド――…はともかくとして、家の管理というのは私にとっては天職かもしれない。
そんなことを思いつつ、私はキッチンを探す。何せ制限時間があるのだ。つい掃除したくなってしまって困るが、今は採用試験の真っただ中である。
そしてたどり着いたキッチン。
どこか田舎風に可愛らしく整ったキッチンは、綺麗に片付いて整頓もされていたものの、まったく使われた形跡がなかった。まるで、人に見せるために整えられたショールームのようだ。生活感はどこにもない。
……引き出しの中に調理道具があるかどうかすら怪しくなってきた。
「いかん、負けるな俺」
呟いて、まずは冷蔵庫の中身をチェックしてみることにした。
何を作るかは、中身次第だ。
四海堂に拾われるまでは山間で暮らしていた私は、人間の生み出した文明の利器は若干馴染が薄い。それでも、冷蔵庫がどういう役割を果たすものなのかぐらいはわかっている。冷蔵庫というのは、中を冷たく保つことができる機械で、そこに食べ物を保存するのだ。
でも腐らないわけではない、ってとこがミソだ。
科学の力を過信してはいけない。
それは四海堂の屋敷で私が学んだことの一つである。
冷蔵庫にさえいれてさえおけば食べ物は永遠である、という勘違い故にやらかして、メイドさんに泣かれた記憶はまだまだ新しい。
「……失礼しまーす」
小声で断りながら、冷蔵庫の扉へと手をかける。
そして。
「なんでビールしか入ってないんだここン家の冷蔵庫は」
呻いた。
思わず冷蔵庫前に崩れ落ちそうになった。
そう。
築有志郎宅の冷蔵庫には、上から下までぎっちりビール缶が詰まっていた。
唯一ビール缶じゃないのは、扉側に無造作にさしてあるミネラルウォーターのボトルぐらいだ。食事は完全に外食メインなのだろう。
「これで一体何をつくれと……?
――…ミネラルウォーターのビール煮込み、とか?
いやいやそれ料理っていうか、ただのビールの水割りだよな?」
カクテル、と主張しても怒られるレベルの雑さだ。
逆にミネラルウォーターでビールを缶のまま煮てもアウトだろう。
そもそも、築は「腹が減ったから何か作れ」と言っているのだ。
そこで飲み物を出しても、不興を買うだけに違いない。
「あっはっはっは」
思わず乾いた笑いが口をついて出た。
一旦冷蔵庫から離れ、戸棚を覗いてみることにする。
「道具は……、一応あるのか」
棚の中には、使われた形跡のない調理器具が整然と並んでいた。
先ほども感じた通り、最後のメイドが逃げ出してから、もう結構時間が経っていそうだ。
あの人、ずっと外食しているのかなー。
あまり健康的じゃないぞー。
半分ぐらい、現実逃避である。
「いやいや、そうじゃなくて。なんとかして何か作らないと」
むん、と気合を入れ直して、何もないキッチンを見渡す。
見れば見るほど、何もないキッチンだ。
外に食材を買いに……、駄目だ。そうなると制限時間に間に合わなくなる。制限時間は30分しかないのだ。その中で買い物に出かけて、そこから調理を始めていては確実に間に合わない。
……あの人、雇う気ないな。
冷蔵庫に食材が入っていないことを承知で、何か食べられるものを作れ、なんて無茶を言ってきているのだ。今頃、私が出来ませんと泣きついてくるのを今か今かと待っているのだろう。
「なんか……逆にやる気がわいてきた」
逆境に追い込まれれば追い込まれるほど、燃えるこの気質になんと名前をつけたものか。私はぐっと拳を固め。
「その度胆、抜いてやるからな……!」
本人のいないところで、宣戦布告である。
☆★☆
ぱたたたたた、と足音を響かせて私は先ほど迷ったばかりの廊下を走った。
ききっとブレーキをかけて、築がいるであろう書斎の前でストップ。
そして、ノックを数度。
「失礼します!」
返事を待たずにドアを開ける。
先ほど私を見送ったときと同じく、築は椅子に座って何やら机に広げた書類と睨みあっているところだった。ふいと持ち上がった視線が私を見て、意地悪く笑う。
「どうかしたか?」
どうかしたか、も何も。
きっと築は、私がギブアップするために戻ってきたと思っているのだろう。すいません、出来ません、というのを待ち構えている。
だが残念。そのつもりはないんだよね。
私はにっこり、と築に対して笑顔を返した。
「……っ」
築が驚いたように瞬く。
「あの」
「……なんだ」
「肉、食べられますか?」
「は?」
猫科の大型猛獣めいた男前が、一瞬猫騙しを喰らった猫になった。
「だから、肉。牛肉ダメーとか鶏肉ダメーとか、ミガレナ肉ダメーとか」
「ミガレナは食用じゃないだろ」
「あれ、そうなんですか?」
「あんなモン食うのは辺境の異民族ぐらいだ。……ああ、お前の国でも食うのか」
「えーと、まあ」
通りでこっちに来てからミガレナ肉、売ってるの見たことないと思った。
どうやら、人間種の食文化においては、ミガレナは食用ではないらしい。
美味しいのに残念である。……見た目は少々エラいコトになっているが。
山の中の食糧事情はたいそう厳しいのである。
ちょっとぐらい見た目がアレでも、とりあえず調理を試みるぐらいでなければやっていけない。
「ああ、そうそう。それで、肉、平気ですか?」
「喰えるが」
「あ、良かった。もう下準備しちゃったところだったんです。今更肉ダメだって言われたらどうしようかと」
下準備も大方済んで、さあ後は調理するだけだというところになって初めて、私は「好き嫌い」という可能性に気付いたのだ。私自身は食糧の乏しい山間で育ち、好き嫌いをする余裕のない生活をしていたことからついその発想が抜けてしまいがちだ。
ああよかった、と胸を撫でおろして、私は再びキッチンに戻るべく踵を返す。
「……あ、そうだ」
戻りかけて、念のため確認しておこうと、締まりかけたドアからにゅいっと顔をつきだして築を見やる。築は、私がそのまま立ち去るものだと思って油断していたのか、なんだか狐につままれたような、不可解そうな顔をしていた。が、私が覗いていることに気付いたとたん、すぐさまその眉間に深い皺が寄る。
「まだ何かあるのか」
不審そうな築に向かって、私は再びにっこりと笑って。
「タマネギとキャベツとニンジン、食べられます?」
☆★☆
それから、15分後。
ギリギリ30分以内といったところで、築の目の前にはホカホカと美味しそうな湯気をたてるスープ皿が置かれていた。とろりとした乳白色のクリームスープだ。
かき混ぜれば、底からは細かく刻まれたニンジンやキャベツ、ジャガイモといった具材が顔を出す。食べやすさと、後は火の通りを速め調理時間の短縮をはかるためのみじん切り作戦だ。
初めてのキッチンでの料理にしては、なかなかの好成績だと思われる。
美味しそうに仕上がったスープを前に、私は満足げに双眸を細めた。
「好みがわからなかったので、味付けはあっさり目に仕上げてあります。
もし物足りないようでしたら――」
ひらり、とデモンストレーションじみて、私は手を一閃。
次の瞬間、どこからともなく塩コショウの小瓶の感触がその手の中に生まれる。
それを、ことん、と机の上へと置いて、私は強気に笑った。
「お好みで塩、胡椒をどうぞ」
「…………」
築の眉間に、ますます胡散臭そうに皺が寄る。
「…………」
そんな築の物言いたげな視線を、私は笑顔でシャットアウト。
「買い出しに……、行ったわけじゃないよな」
「(えがお)」
「…………」
築はブツブツと呟いては、やはり何か得体の知れないものを見るような目で、スープ皿を睨んでいる。
……ふふん。
その様子に、謎の勝利感がこみあげた。
「…………」
築はしばらくの間スープ皿を睨んでいたものの、最終的に諦めたのかのろのろとスプーンへと手を伸ばした。
あ、食べるんだ。
てっきり、こんな得体の知れないものなんぞ食えるか、と言われるかとばかり思っていた。
「……なんだ、その阿呆面は」
「……いえ、食べてくださるんだなあ、と思ってしまって」
「腹が減ったから何か作れ、と言ったのは俺だぞ」
「それはそうなんですけど」
別に、築は私の作ったものを食べなくともは困らないはずだ。私を追い払って、その後適当にいつもしているように食事を済ませればいい。外に食べにいくなり、逆に外から持って来させるなり、方法はいくらでもあるはずだ。このテストにしたって、築の気まぐれのようなものだ。一方的に打ち切ったとしても、私には抗議の方法すらない。だというのに、作れと言ったからには、とちゃんと食べようとするあたり、結構律儀だ。
おそるおそる、といったように築がスプーンに掬ったスープを口に運ぶ。
どう、だ……!
作った人間としては一番緊張する瞬間だ。
「材料は」
「キャベツとニンジンとジャガイモ、タマネギと鶏肉少々に生クリームです。何か気になる点でもありましたか?」
「とりあえず材料がどこからやってきたのかが一番気になるな」
「あははは」
「笑って誤魔化すな」
と、言われましても。
私にだっていろいろと事情があるのだ。
「その辺は、その。企業秘密、ということにさせておいてください」
「……企業秘密」
胡散臭そうな一瞥をくれられてしまった。
が、そんな風に話している間にも、築はスープを平らげる手を止めようとはしない。腹が減った、という言葉に嘘はなかったのか、スープ皿の中はあっという間に空っぽになってしまった。
そして。
「で、いくら欲しいンだ」
「はい?」
いくら?いくらって何だ、いくら、って。
唐突な話題についていけず、雛姫はきょとんと瞬いてしまう。
「……お前、俺に雇われたいんじゃなかったのか」
「!!」
そうだ、そうだった。
つい料理の評価に気を取られてしまっていたが、これは雇って貰えるかどうかの試験だった。本末転倒ではあるが、あの非常に可哀想な冷蔵庫の中身を見た瞬間から、いかに築の度胆をぬくか、ということしか考えていなかった。そもそも課題が無理難題すぎて、きっと何をしても落とされるに違いないと思っていたのだ。それでも、築の期待以上の成果をあげてやろうと思ったのは単純に意地の問題だ。
雇ってくれる、ってことはスープを気に入ってくれたってことだよな。
「ありがとうございます!」
「……フン。それで、いくら欲しいンだ、と俺は聞いている」
「……いくら」
ふむ。
今現在私の収入と呼べるのは、月の初めに四海堂から渡される三万キルだけだ。給料というよりも、お小遣いといった感が強い。元より私は四海堂の「持ち物」なのだ。現金が支給されるだけ、破格の扱いだ。
食事にも、住居にも困っていない。あえて仕事と言うならば、四海堂の身の回りのことを手伝ったり、新薬開発に付き合ったりするぐらいだろうか。衣食住にお金がかからない分、月三万でも箪笥貯金が増えていくばかりだ。
これから増える可能性は十分あるとしても……、今現在自分の四海堂への借金は三千万。月に五万もあれば、一年で六十万の借金返済が可能になるわけで。本当ならば、四海堂から毎月支給される三万もそれに足せたら良かったのだが……。
それは四海堂による、
「僕から貰うお小遣いで僕に借金を返すのはナシね」
なんて、これまたイイ笑顔で刺されたでっかい釘で封じられた。
まさに、ザ・飼い殺し。
……一般的な家事手伝いの給料とは如何ほどなんだろう。
そもそも人間社会で勤労経験のない私には、皆目見当もつかない。
四海堂のところでも、身の回りの世話や薬の開発のちょっとした手伝いで三万である。それを本格的にやるともなれば、三万にプラス二万ぐらいのイロはつけても罰は当たらない……ような気がする。
どれくらいの金額ならば、築の雇用する気を削がずにすむかと私は慎重に算段をつけながら、そっと手を開いて見せた。
「五十万か」
「ぶふッ」
思い切りむせた。
私の提示したかった額よりも、ゼロが一つばかり多い。
慌てて首の左右。
「お前――…五百万はボりすぎだろう」
――くらり。
眩暈すらしてきた。
月に五百万貰うメイドというのはいったい何者だ。
「そ、そうじゃなくて! 五万です、五万!」
「日給か?」
日給五万。
お前メイドにナニさせる気だ、とツッコミたくなる。
いや、私はメイドではなくただの家事手伝いなのだけれども。
もはやツッコミを声に出せなくなってきた。
そんな私の様子に、築はどうやら互いに意思の疎通ができていないことに気付いたらしかった。
「……は」
面倒くさそうに、一息ついて。
「面倒だ、月五十万。これで納得しろ。俺のメイド――…もとい、執事か?
とにかく俺に雇われる気があるのなら、俺の言うことには絶対服従だ」
う、わあ。
そうか、家政夫でなく執事になるのか、だとか。
月五十万って相当な高給取りなんじゃ、だとか。
いろんなことが頭の中をよぎりつつも、私はただこくこくと頭を縦にふることしか出来なかった。
☆★★
それから、帰路についても私はまだぼんやりしたままだった。
正直、どこをどうやって帰ってきたのかよくわかってないぐらいだ。
ビバ帰巣本能。
そんなことを心の中で呟いて……、少しだけ、寂しくなった。
帰巣本能、大いに結構だ。
だが、その帰巣本能の働いた先、自分の帰る場所が四海堂の屋敷である、ということに少々思うところがあるのだ。
私の、家は――
ちら、と。
そんなことを考えていた視界の端を、知った顔がよぎったような気がした。
「……え?」
懐かしい家に想いを馳せていたせいだろうか。
ここにいるはずのないひとの姿を、見たような気がしてしまった。
「今の、って……」
いや、まさか。
そんなはずがない。
そんなはずはない。
彼は、村に残ったはずだ。
私が村を出るといったとき、誰よりも反対した幼馴染。
ずっと一緒に育った、大事なひと。
兄弟のようであり――…、私にとってはもっと特別な意味を持った相手だった。
あいつが……、シオンがここにいるはずがない。
理由がない。
私が村を出ることで村を守ろうとしたように。
彼は村に残ることで、村を守ると決めたはずだ。
そう、約束した。
……見間違いだ。
家を懐かしくなんて思ってしまったから、そんな幻を見てしまったのだ。
私は緩く頭を振って、するりと、四海堂邸の門を潜り抜けた。
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