inaudible waves そとになにもきこえない世界のなかで私たちは何から逃げる
箱の中で猫は観察者を嗤う
彼を取り囲む全方位ディスプレイモニタは補助デバイスであるがその機能は半分程度が死んでおり、青い六角形に切り取られたパッチワークが滑稽でさえある。今置かれている彼の状況――ヘッド(H)マウント(M)ディスプレイ(D)が外的な要因で故障し、これに加えてコンタクトレンズに描画されるべき風景も見えない場合、こうした直接目視のデバイスで済ませなければならない。
ARで補助的な情報が加われば確かにそれで何とかなるが、その手段が無い。HMDとコンタクトを組み合わせた演算による生成視点から本機を操ったり視界の片隅に敵の展開図をモデリングしたりと言うことは出来ない。
これらの動作には訓練は必要だが、脳味噌の中で直接指令を出せば吐き気を催すような視野角や視点操作で従来とは違う概念の連携も行える。それと比べるならば、三六〇度をフラットパネルで囲ってしまうというのは実に原始的だ。裸眼目視でとりあえずは見えるのだから。
そしてその原始的な、より故障や誤作動が少ないはずのデバイスのその半分が目にやかましい青一面を描いている。忌々しい青い六角形をみると、彼は自分が放り出されてしまった事に改めて脂汗を流す。
痛覚と、痛覚をキャンセルした感触のような信号が丁寧に混ざって本物の吐き気がこみ上げてくる。さらにこれを押さえろとコマンドを出しても血液に浮かんだごく小さな機械はそれを受け取らないのか、嘔吐する。「ああ、死ぬのだな」ぼそりと口にする。一応主観的な自分と客観的な自分両方に確認をするために声にしてみたが、実感のなさはそれこそ、本当に死を意識させた。
一
侵攻作戦は一小隊の隠密行動で行われることになった。侵攻作戦とはたいそうな名称だが、彼は笑ってしまう前に事の重大さに口をつぐむ。テロリストが占拠して自治体を造成してしまった区画にいよいよ治安維持機構は具体的な対処をすることになった。彼の権限で検索できる範囲で調べてさえテロリストをいち早く処理しなかった原因が様々に列挙されるが、一番上等な理由には本当に笑ってしまうところであった。大体の所をかいつまんで一言で言えば、
「区画を武力制圧した後、つつがなく行政を行い、これまで以上に公正に運営している」
とある。馬鹿なのか。思わずつばを吐きそうになるが、そんなことで射殺を逃れられるのだったらこの区画でも軍事訓練を行う誰かがいつ同じ事をやっても許されてしまうではないか。この世界で行政の運営など、よほど高度に行わない限りは人工知能の制御下である程度動いてしまう。というより、かなり動いてしまう。要人が暗殺されるなどと言うことは頻繁ではないが、長い周期では起こっていて交代の間は臨時の代理官など置こうものなら処理の遅さにそれこそ彼ら人工知能の出番だ。暗殺後人工知能に任せてのんびりくじ引きでもすればいい。実にばかばかしい。
しかし、読み進めるとおもしろいことに気づく。自発的にナノマシンを廃棄でもしたのだろうか。ここの住人は馬鹿正直にその運命を受け入れてわざわざ自分の住む区域を穴だらけにした乱暴者を排除するために一つの対応もしなかった。同じ資料を読んでいる人間はいくらでもいようはずなのに、誰もそのことには触れない。
住人のだれか一人が緊急信号をこっそり出せば、それを集中管理する「管理者」局は少なくともルーチンで精査をする。それをさせない、あるいは誰かがそれをしたとしても住人通信を傍受し、中央まで通させない方向で区画制御したとも考えられる。
となれば中央の対応は、区画そのものを非接続区域にするか、住人のナノマシンを排除してしまう、あるいは必要に応じてその両方をする必要がある。このいずれも今もって行われず、制圧という方法がとられることになっている。
何故。
中央「管理者」AIからの完全自律独立制御を一区画がなしえることなど到底不可能だ。ライフライン一つとっても区画相互の依存関係があるのだから。
答えにたどり着いた人間はそれほど居ないのかもしれない。事実彼自身、簡単にたどり着いた不可解の中身まではまるで見当がついていない。
しかし、疑問のままになってしまった人間くらいならいくらでも居るのでは無いのか。なぜその疑問を具体化しないまま胸にしまっているのか。複雑な情報を詳細に記述した山が積みあがる中で、そこだけが無い。蹂躙され監禁された人間が、その後何の不自由も無く暮らしていると言う。
明らかな穴だ、砂山にスコップで小さな穴をあけ蝋燭を立てたようにな。
機械式の時計はジリジリと微かな音を立てながら秒針を一秒間に六度ずつ、正確に回す。それを眺めると他の針は消灯時刻の近いことを示している。
彼はあまり考えすぎるのはよくないとして、それ以上は余計な情報を詰め込むのは控えることにした。作戦の実行に余計な事に気を回して蜂の巣になるのもいやだったし、上官と口論のあげく隊の不正を暴くスパイ映画のような間抜けな役割を演じるのもいかがなものかとコンソールは閉じた。
二
計器項目を一つ一つはねていく。一度チェックを終えて、パネルの表示する項目とHMD、コンタクトの情報のいずれかに誤りがないか最初から見直す。ホストのメインフレームにもう一度チェックさせると、ようやく良しだ。
異常が出無い前提の計器の状態など、一度動き出してしまえば強制的に意識の外に追い出して、何かあったときに痛覚と同時に表示される数値を見直すだけなのだが、煩わしいと感じたことはない。万が一の時にはこれが無いと死ぬ可能性がある。
この長いお膳立てをしながら、先ほどのことをもう一度復習する。
ブリーフィングで説明された作戦は至って単純だった。区画中央にある行政合同庁舎を襲撃して、テロリストとみられる人間を射殺した上で区画の制圧を行う。三機の人型装甲兵と、それをバックアップする――「棺桶」と呼ばれる――自律走行機銃三機で迅速に庁舎を破壊して、抵抗する人間と指示に従わない人間は射殺する。人質交渉は業務外だ。もしテロリストが人質を取った場合は、それも含めて射殺する。
三
放射性物質の海になった地上を長い年月をかけてやっと捨て去った人間は、地下壕を作った。自然からはみ出した代償を支払うことを放棄した彼らは、その代わり地盤をくりぬき新たな自然を作り出すと、そこを安住の地とした。
何度かの記録消失を経て、今ここに何故我々がいると言うことは知っているが、どれだけの期間を過ごしているのか、そしていつまでいるのか。それを知る術も理由も持たなくなっていた。
それはたいそうな大きさで、かつて存在した合衆国ユタ州をイメージした大きさと機能を実装した。つまりこの右上が四角く欠けた冷蔵庫のような世界は、ほとんどがモチーフになった自然公園のような資源置き場になっており、この数十年でやっと人口が上向きになった人類はそういう場所を新しい居住区画として拡張を始めた。
その結果がこれだ。出来ると思って始めた「人間による行政」はまだ人間には早かったらしい。そのことにはもともと彼は冷笑的だった。そして「仕事を増やしやがって」とつぶやく。
区画入り口に六メートルの巨人三体と、足の生えた虫のような砲台を備えた棺桶三個。自分の死に場を探して棺桶を引きずる死人のような六つの機械が集まる。彼らは低周波帯の秘匿回線で最後の通信を行い最後の確認を行った。
そして、厳かに侵入する。六メートル程度の巨人が、右腕のアタッチに巨大な滑空砲をつけて、ゴム底の靴を器用にステップする。サーボが立てる高速な摺動音と、重量物の気配が資材搬入口を兼ねたゲートに入って行く。四つの足がついた棺桶が虫のようにひっついて行った。
四
――ごく緩やかな放物線を描く。
ッパン。
ガラスを砕いて侵入した何発もの榴弾が、それが開けた穴に次々に飛び込む。
過熱、誘爆、悪意と一緒に込められた金属流体が吹き出し、そして、
「そこに居たら、死だ」
ディスプレイされた地獄を見ながら彼は呟く。
音速を遙かに超える重量物は予告なしでガラスを破ると、コンクリート造の構造物に侵入した。勘のいい人間はそれを目にすることも出来たが、一瞬後の言葉は想像もしていない――彼がその事を考えるよりも随分前にそれは爆発した。
合同庁舎は砲撃を受けて、職員は一応に慌てふためいた。六つある五階建てすべてに何発か打ち込まれた榴弾の遅延信管は一瞬の後に起爆し、上層フロアのガラスが吹き飛ぶと、事務機やら何やらを吐き出ながら轟音を立てた。
窓から爆風で飛び出す人間も多かったが正面エントランスから走って飛び出すことのできた運のいい人間もかなりの数が確認された。警報が鳴り、防衛体制が区画に敷かれた。
この区画は一〇キロ四方で、人間居住限界の端に存在する。防衛上行政施設は1カ所しか無い入り口から最も離れた、方角にして北端中央に集中していた。この区画は実証区画で、外部に隣接して軍事施設や資源区画、生活インフラ施設などを収納するのであるが、現在軍事施設は接収されてその機能はすべてAIで自律制御されている。
要するに、この区画をテロリストが占拠する際、生身の軍人はすべて殺害されたのである。銃撃戦や機械戦闘はごく初期にだけ行われたが、区画中枢を最初に占拠したテロリストらは、軍人に広く配布されているナノマシーンを生命活動を停止するために使用した。
すぐさまこの世界の全区画で記述言語丸ごとのフォーマット変更を中央管理AIは行ったため今後この手法を使った殺人はきわめて難しくなったが、世界で最初の大規模テロの、最初の犠牲者は生き返らない。
そして今、テロリストたちが反撃に使用しているのは、無人化した兵器だけである。それでも彼ら曰く「人道的な兵器」である無人戦闘機兵は無数に投入されている。
「人道的な兵器」である機械は無機質にこの反抗的な人間を殺害しようと最大限の力で弾丸を繰り出すはずだ。
その自動的な反撃は、取り付けられた三〇ミリ弾の熱量で人型の装甲を打ち抜いて壊すにはそれなりの当たり所の良さと量が必要だが、しかし彼に与えられた情報によると無情にもその条件を十二分に満たすだけの数が配備されている。砲撃という手段こそ持たないが、治安機構としては過剰な攻撃力と言えた。
人型の操縦者である彼は、庁舎への砲撃を終え、榴弾砲を四足自律走行騎兵の兵器アタッチに据えると、行政機能をすべて返還し速やかな投降を呼びかける二〇センチ四方の小箱をいくつも投射した。こいつらは回線に侵入するなりやかましくがなり立てるなりをしながら自走して、あらゆる方法を試して役割を果たすだろう。ほかの二機も同じ事をしているのがディスプレイに映っている。
もっとも投降を促している体でいて、少しでも疑わしい場合は分け隔て無く掃射する事になっている。一連の動作を終え三機はすぐに自律走行機銃の上に乗ると、四つ足の裏につけられた車輪走行に推されて合同庁舎に近づいていく。走行中も操縦士の手は忙しい。一直線に合同庁舎へ向かう幹線道路を走りながら、棺桶に電磁弾を何発も発砲させる。
すべてが精密に区画上空へ向かうが、爆発感覚は均一に三〇〇M。区画天井近くも均一な正方で爆炎が上がり、電磁波の格子を作り出す。それぞれの電磁波の有効射程は五〇〇M程度でごく短い時限式だが、放射線で破壊される機器は区画そのものに据え付けられた各種センサーを含む。包囲的な使用により、手のかからない攪乱兵材料として使用するには優秀だろう。
こういうことが行えるように、元々の区画設計がされていた。太い幹線道路を中央に通し、終端の両脇に庁舎が建てられるのは、庁舎が砲撃の射線上に来るようにだ。テロリストもろとも区画閉鎖してしまうことも辞さないのは、死にものぐるいの人類が死にものぐるいで地底を住みやすくするためにあがいた結果でもある。
蜘蛛のようにも見える機械が三つ、時速六〇キロで幹線道路を北上する。油圧とモーターで背面の人型が落ちないよう器用に姿勢制御をしながら、ガスタービンで作られた動力は足先の車輪にダイレクトに伝わる。
じゃまだと判断すれば自動車を榴弾が破壊しながら合同庁舎に向かう。バックパックから排出される熱で路面が揺らめいた。
目標地点は庁舎から一キロの地点で一〇分程でたどり着く予定だ。彼らにとっても一〇分かかるが、何も知らない人々にとっても選択の一〇分間である。
一斉に外に出てくる人間はまだ生きているし、その大半は一般市民であり罪は無いのだが、その後の行動次第で無機質に奪われる命である。
五
区画治安機能が放った自立戦闘機兵は彼が操る人型が乗っている棺桶と同じ型式である。年式に違いはあれ、ソフトウェアは常にアップグレードされハードウェア的な違いはそれほどの差異にはならない。ソフトウェアによる、「あれができない」「これができない」が重要であり、その処理速度の多少の差や、製造精度による固有差は時間が経つにつれ吸収されていく。
中央「管理者」AI謹製のソフトウェアは、「管理者」が運営されている限りリアルタイムでアップデートされていく。その中身が最新である安心感は、そのまま抵抗勢力を押しつぶした。徹鋼弾を装填した滑空砲を棺桶のアタッチから取り外すと、三人は散会した。彼は右辺からの包囲だ。
幹線道路を右に曲がると速度を上げてさらに三キロほど走り抜ける。前後から現れるテロリストの自律型は、めいっぱい詰め込んだ悪意の満ちた弾丸を機銃のバレルから吐き出す。棺桶はあらかじめ記憶された回避行動で手順に従いそれを避ける。周囲のビルはガラスをまき散らしながら、形を変えていく。
棺桶の鋼板に当たった銃弾は火花をあげながら予測もつかない方向に飛んでいき街を削っていく。人型も次々に徹鋼弾を放つ。精密に管制された弾丸は、一つ一つ丁寧にその目標へ収まっていく。装甲を突き破った金属の流体は、満載されたカートリッジに漏れなく誘爆して内部から吹き飛ぶ。足の継ぎ目や銃身の根本から焼かれていった。
目標地点の交差点では大戦力が配置されていた。ババを引いた彼は「勝手にきめんな」とごちる。
砲弾の有効射程が数秒後にやってくるまでの間、棺桶の機銃は間欠で威嚇を続ける。撃った瞬間に流れ弾になったそれらは無関係なものを壊していく。コンタクトレンズに描画される目標への発射順序を確認して間違いや危険を算出する。機械的に流れるように終わるといつも通りに発射のトリガーを引く。十台近くの自律機兵は規則正しく吹き飛んでいった。
交差点を曲がる時は危険がいっぱいだ。子供でさえ左右の確認はしっかりとしつけられる。棺桶は速度を落とすと、周囲にIED――即席爆発装置――が存在しないかを確認する。視界が一瞬緑に光りクリア確認されると、全身の触覚になにやら心地よい痛感が行き渡り集中力が高まる。完全に速度を落とすと、全身を建物の陰にし棺桶のアームを引き出すと有線のカメラを左折する先に向ける。
解像度の点で劣るが、それでもはっきりと、「居る」。十分に射程距離内だがどちらにも言えることだった。
「まずいな」
無意識に彼は感じたままに声を出す。
棺桶から飛び降りると、その辺に転がる自律機兵の燃えカスともいえる残骸を一つ引きずる。足をもぎ取りそれを立てると、即席の遮蔽物である。棺桶にそれを横から押させて、身を隠す。
ビルの陰から少しだけ現れた横倒しの箱に向かって五台の機銃は掃射を始めたが、自律機兵自体が三〇ミリ弾にある程度は耐える構造になっている。そのために目標は少しずつ傷ついて果てていく。
暴力的なマズルフラッシュと音にひるまずに、狂ったように撃ち続ける。
閃光と煙――黒い点を認識する。
やや仰角がついた入射角で一台が、吹き飛ぶ。
一台が転げるのに気が付くと、残りのすべてが入射角からの演算を始めた。
反撃を試みるが、収束しない軌道が計算のループから抜け出せない。
人型を撃ち抜くには時間が足らなかった。
暴力をはき続けた箱は次々に火を噴いていく。
残骸に身を隠していた前提の人型は、ビルの側面を這って、よじ登りながら徹鋼弾を撃ってきたのだった。
足下を確認すると彼は地面に飛び降りる。無事に交差点をやり過ごして、悠々と彼は目標に近づいていった。
電磁弾による妨害は効力を失っているが、テロリストによる本格的なジャミングが開始されていて、僚機の状況は確認できない。しかし技量からいったら同じようなものだろう。最終的には合同庁舎二キロ手前の交差点で落ち合い、あとは、残りを撃ち尽くすだけだ。
しかしこれまで通過した地点に人影はほとんどなく、避難区域への退去が済んでいるようだ。よく訓練したものだ、とテロリストに妙に感心してしまう。
六
予定通り、無事に三人は集合した。この区画に配備されているはずの自律型の大方を破壊し尽くした彼らは、状況を報告する。
隊長機は左腕マニピュレータにたまたま当たった弾丸が指の一つを吹き飛ばしているが、武装のアタッチは「手」の部分ではなく、肘にあるため作戦続行には全く支障はないと判断された。マニピュレーターが必要な状況の場合、アルファ、ブラボー、チェリーの順で代替する。彼は二番目だ。
「これより行政合同庁舎の制圧を開始する、各部チェックしろ、準備は良いか」
再度ステータスを走査させると一瞬の間を置いて三人の視界は緑に光る。
「クリア」彼と同僚は同時に言った。
三機の人型はそれぞれ、被弾で少し歪んだ装甲を陽光を模した照明にいびつな反射をさせながら目標地点へ近づいていく。
そして、警告音声を発する。
「当区画は中央管理局管理下におかれます。直ちに武装を解除して投降してください。投降するものは地面にうつ伏せになって両手を頭の後ろに付けてください」
「速やかに衛生兵と警備兵が到着し、あなた方は保護されます。両手を頭の後ろに、うつぶせのまま待機していてください」
あなた方はもう安全ですよという人造音声とは裏腹に「逆らうなよ」と、口の中で繰り返し、彼はここで作戦が終わってくれと素直に声にした。
三機の棺桶は蜘蛛のように足を器用に動かして周囲を見張っている。テロリストそのものがまだ捕まらないため、緊張は解けない。
自分たちも、結構必死なアピールだ。音声だけでは無い、自律走査機を周辺の建物にまで走らせ、テロリストでも無い市民に銃口を向けている。まだいくらかの敵戦力が残っている可能性は強いが、機械戦力による大火力では無い。
それでも三機は圧倒的であるところをわざわざわざわざ見せた上でここまでやってきた。
音声を発しながら正面に居座るのは正直危険極まりないのだが、すでに区画の戦力のほとんどを失っていることを考えればこうすることも効果的と言うのもわかる。何しろ防衛機構を完全に突破して目の前に敵が姿を現してしまうのだから。その恐怖感を考えると少しぞっとする。
「助けてください。助けてください。お願いです」
と泣き崩れてしまっている人もわずかにいる。こう言う雰囲気が続けばおかしな事になりかねない。それでも粛々と隊長機は手順に従って棺桶から送られてくるいくつもの自動案内を中心にテロリストであるかそうでないかをチェックしている。、棺桶の中から細いチューブのフレームで出来た緊急時用テントを取り出すと、そこに集まらせた。テントである意味は無いのだが、拘束されている人間が今自分がどこにいるのかという意識を作り出す、演出には好都合だ。
「増援が到着次第、顔面と掌紋、指紋、使用中のナノマシーンを採取します。逆らわずに迅速に行動してください。」
「うつぶせが負担なら座り込んでもいいが、けっして歩いて移動しようとはするな。ここから動かないこと」そう言って結構な人数の案内をつつがなく済ませる。
さすがに大の大人でも、相手が六メートルの調質鋼の巨人である。勝てる可能性がゼロの相手には逆らう人間はいない。
「逆らうなよ、逆らうなよ」口の中で繰り返して、彼はここで作戦が終わってくれることを願った。何かおかしいのだ。彼はこの住民の恐怖の対象がなんなのかがいまいちつかみきれないでいる。
今、棺桶と人型から流れる案内に従って五〇〇人が拘束されている途上であるが、みな一様に不愉快そうな顔をしている。その不愉快はどうにもならない怒りや、理不尽に対するものへ向けら得るものでは無く、
「早く終わんねえかな」
と言うたぐいの表情だ。今にもあ、今急いでいるんでと立ちかねない男、そろそろ帰らないといけない時間かしらとでも言いたげな女。せっかくこだわって炒れたコーヒーが冷めてしまうからそろそろいいよな、と言うような表情まで、口には出さないが、重要では無いが、早く済ませないと心理的に負担になるような事への感情だ。
「なんなんだよこいつらは」
彼はじっと拘束されてじっとしている市民の顔をカメラで一つ一つ見ては、少し、いらついた。
七
庁舎からバラバラと出てくるテロリストは皆、従順だった。
当初、人質を取るか自爆をするか、あるいはその両方をやってのけるのでは無いかと心配したが、杞憂だった。彼の投降の呼びかけに、
「はーい。すぐ行きますので、撃たないでくださーいねー。」
と、自分がいったい何をしでかしたのかを全く気にしていないかのような態度にまたトリガーを引くところだった。ナノマシンの自制任せに何度も射殺を試みる。
ともすればこちらが一方的に善良な市民を脅かしているような外観だが、ここまでたどり着くまでに浴び続けた弾丸の数を思えば罪悪感はわかない。それどころか、武力制圧の初期にはこいつらはナノマシンで軍務に携わる人間を根こそぎ殺すというテロリストのテロリストたる、面目躍如をして見せてすらいる。水道や空調に毒を混ぜるような言い訳のしようのない殺し方をしているのだ。
的確に、間違いようのない選択手段で軍人だけを殺してみせるそのセンスに慄然すらする。わざわざ殺害対象を絞ってまで、他人からは愚にもつかないような理想を叶えた人間が、銃を向けられてあっさり出てくる。一人残らずだ。パネルに映る犯罪者を眺めながら、言いようのない嫌悪感が彼の心をじっとりと支配しようとした。
痛覚と、コンタクトレンズに投影された警告に彼は我に返る。全身に走る痛感はナノマシンの発した擬似的な信号で、実際には身体のどこにも感覚など起こってはいない。彼は操縦桿の回りに並んだ警告に身がすくんだ。
一瞬ではあるが、彼は無抵抗の犯罪者を感情にまかせて射殺しようとしたのだが、システムがそれを遮断したのだった。この記録は大きな失態だなと悔やんだが、判断力に支障を来す後悔や過剰な反省という概念はすぐさま薄れていく。これも機械による精神調整なのだろうと、思う。自分がどんどん分からなくなってくる。
僚機にここまでの作戦が正しく経過していることを確認するために光学素子での通信を開始する。テロリスト達が敷いた電子(E)対抗(C)手段(M)が依然継続しているからだ。テロリストにそれを解除させるよりも、自分たちで解除する方が確実だし余計な考えを起こさせないために、こういった措置は仕方がない。
隊長機がECM用コンソールを起動するとすべての演算リソースを注入する。テロリストが施した暗号鍵は十分に強力で、人型からの解除が不可能であることが判明すると、幹線道路を一直線に貫いて、入り口に据え付けられた区画コントロール用の端末へと光学通信を行うとようやく通信が復帰した。行政のコントロールをすべてダウンさせたからだ。
生活に必要なインフラだけで無く、すべての照明までが消灯し、新しいシステムがインストールされるまでは、ロボットの姿勢制御のサーボが立てる音しか聞こえない。制圧前に配った投稿を促すメッセージを流す箱からは明明かりがでていて彼らの顔を見下ろすことが出来た。指向性の殆どない明かりはべたりとした嫌な予感を増幅する。それがいったい何なのかは分からない。
このライトの届かない範囲は既に静寂で、暗闇だ。彼は赤外線とその情報による可視光線下と何ら遜色ない視界の中に浮かびながら、援軍を待つじっと待った。
彼らを一時拘束して司法の手に渡すための手続きが必要だ。まずは彼らが全員居集まっていることを最終確認することでスムースに彼らを次の人たちの仕事に回してしまいたい。人質の彼らは表情が何かに似ている。
「あ……」抑揚の無い声がにじみ出る。
彼は思い出した。すぐに手の平から逃げて言ってしまった思いつきは彼を慌てさせたが、大体の所を懸命に思い出す。動画で見たことがある、地上世界に住んでいた人たちが信じた在来宗教の敬虔さのような、あの目だ。これは、長くならなくて良かったと知らずに息が漏れる。
テロリストは全員確保し、リモートの警戒部隊が展開すればあとは輸送部隊を待って完了する。
三人は誰とも無くビールの話を始めた。
「基地に帰ればお前らの分も用意してあるぞボウズども、だが俺が最初の一本を飲み終わるまではマテだ。絶対に先に開けさせない」
「隊長、なんてこと言うんですか。ひからびちまいますよ」
「冗談だ。楽しめ」
「了解」
定型文書のようなやりとりに気持ちが徐々に弛緩してくる。危険な兆候だが、ナノマシンが調整しているせいで精神的な変動が起こった際に、際疾い状況であれそうでなかれ選り分けてしまえるだけのキャパシティを、脳が勝手に拡張されている。
限界近くの集中力を保ちながら、売春婦や家庭で使いたいハンドガンの種類だの、中身の無いことをぼそぼそと言い合う小気味の良い終わりに見えなくも無い。いかにも終わった雰囲気だった。
が、
そのとき、隊長機の姿に異変が起こった。
彼はなんの冗談だと舌を動かそうとしたが、その瞬間はあっという間に過ぎて声にならない息を吐き出す。流体の弾芯が突入した都市迷彩の巨体は、手足の付け根から火を噴き出すと倒れ込んだ。
何かがこちらに向けて砲弾を撃ち込んだ。
なめらかに、低速に回転するダーツのようなそれは、瞬時に筒と弾芯が分解し、中心に隠された美しい比率と精度の侵徹材を顕わにする。そして、何の感情も示さず標的に吸い込まれた。
ここにいる誰もがそれを認識することは無かった。
爆発反応装甲を着けていない兵装は都市部での、迅速で人間の隊員がするような制圧を行うためであったが、こうして徹鋼弾を命中させてみるとなんとひ弱なことか。
うまい具合に顎先に入った拳が、二度と立てないようなノックアウトをしおおせたかのように、脱力した崩れ方だった。半ば、彼は感心しながらそれを眺め、同時に回避行動に移った。
同時に足元に寝かせられていた人間がちりぢりになり、逃げ場を求めて一直線に幹線道路を走り出した。
僚機は勢いよく前転をしながら庁舎の影に逃げ込む。
棺桶達も四本の足を冗談のような速さで動かし散開する。三〇ミリ機関砲は止め処なく弾丸を吐き出し、熱したカートリッジを流れるように吐き出す。
遠目に見ると人間と虫がじゃれ合っているようにも見える。実際彼らは隊長機への入射角から反撃のようなポーズを取っているだけに過ぎず、誰が撃ってきたのかさえ分からない。疑いようなく死亡したであろう隊長に代わり、指揮権が自分に降りてきた事を認識すると、彼は棺桶で射出位置を割り出すコードを生成して、各々流し込んだ。
「どうなっているんだ。どうすりゃ良いんだこの状況は」僚機が叫ぶ。
「何やってんだストーカーを出せ、早く!」
彼は怒声とともに自分の指示を出すが、自分自身の台詞で、ああ今するべき事は自律走査器を出すことかと感心する、良く思いだしたと。両腕の前腕は武装アタッチであると同時に、デッドスペースが兵装庫になっているが、こうした任務の多くの場合は予備弾倉や予備の武装よりもこうしたものを入れた方が効率が良い。そう言うものは棺桶の中に入れた方が何かと便利だ。
六台が数CCの内燃機関に押し出され時速100㎞で道路を枝分かれし、レーダー波を発しはじめると、データリンクを開始する。自律走査機自身が敵機を発見しても射撃で破壊されても万々歳だ。位置は割り出せる。早くしてくれとつぶやく。
その一方で棺桶はどしどし無駄弾を吐いていく。敵機は見つからない。
「敵に近づかれる。棺桶を一台前に出せ、破壊させて弾道を計算しろ」焦りが指示ににじみ出る。僚機がコードを生成すると、部屋の物陰を求めて逃げ惑う虫のような棺桶の内の一つが、ビルの影から一直線で区画出口に向かった。その時、光学素子がわずかに捕らえた機影を二人は受け取った。
人型だった。そして小さい。彼らの人型も十分に小さいと言えたが、更に小さい。相対的に武装が大きく見え、流麗な被弾径始の腹部を持ち明らかに思想が違う。この世界の部外者によるものであることは明らかだった。
その一瞬で囮は破壊された。火を噴きながらバランスを失った箱は、四本の足に放り出されるようにアスファルトに激突すると、その破片を飛び散らせながらベクトルを失わないまま低く飛んでいく。金属の火花は美しかったが、止まってみると周囲は廃墟さながらだった。
目標に向かって二人はとにかく撃った。
驚くほどに精密な反撃をしてくる小さな人形に、とにかく撃った。彼らは無様に走り回り、庁舎の外壁を上り壁伝いに逃げ回りもした。
その間にも距離は数㎞から数百メートルまで縮まる。とにかく移動が早いのだ。歩行や走行による既存の移動速度を元にFCSは位置を割り出そうとするが、あれはでたらめな位置から現れる。たちまち僚機が追い詰められた。
それた弾が当たった手足が吹き飛び、だるまになるとそこに撃ち込まれる。最後の通信は、助けてだった。
攪乱しようとして放った三台の四つ足の砲台は既にそれぞれ吹き飛ばされ、残るのは自分だけだと言う事に気付くと、打つ手がもう残っていないことに脂汗が吹き出てくる。起こっている現象全てが手のひらから逃げて行く。
巨大なゴム足の足音が聞こえる。それは、自分のものなのかそうではないのか。
一瞬。
目の前に現れた未確認兵器のマニピュレータに思う様殴打され、トーチで四肢を焼かれ、蹴り飛ばされた。彼もマニピュレータでの反撃を試みるが、相手はマーシャルアーツの様に身をくねらせ、いなす。そしてまた殴打。
「人の様じゃないか、勝てる要素がどこにもない」
半ば冷笑をはき出しながら、宙を飛ぶ。いや、飛ばされた。
中央は異変を受け取ったのだろうか、区画入り口は閉鎖されているのが流れる視界に描画されていた。
コンタクトに描かれる、文字だけがならぶ何重かのレイヤ。真っ正面に普段は描かれない警告がうるさく表示されて、緊急警告レイヤが機体の損傷の大きさを知らせている。コンタクトレンズの向こう側には青だけが光る六角形のパネルたち。
自分の呼吸音が聞こえる。何度も繰り返されてそれが緩やかになる頃に、目の前の全てが黒に濡れるとコンタクトが描くテキストと線の世界が現れて全ての機能がダウンしたことを理解する。
彼は、「死ぬな、これは」と呟いた。
八
工具が鋼板を削り、こそぎ、引きはがそうとしている。マニピュレータが注意深く裂け目を広げていく音が狭い空間に響いた。
捕まったら拷問のような特別待遇の後、苦しい時間がさらに続いて死ぬのだろうか。彼は考える。喋るほどの情報を与えられていない事が不安を作り出す。もう時間がない。
こういうときのために用意された死の薬は水が無くても飲めてしまう。複雑な手続きを頭とコンタクトの間でやり抜いて、ナノマシンに相応の作業をさせる。訓練されたとおりにやろうと思えばやれてしまう自殺は、まさに今判断するときがきてしまった。
覚悟を決めてはいるのだが、もう一歩の覚悟が足らない。その逡巡が装甲板とハッチをはぎ取って、いよいよ彼は引きずり出された。
ヘッドマウントディスプレイを脱がされ、今度は彼が頭の後ろに手を組まされ、跪く。生々しい羊の顔が並び、彼らが突きつける銃身の姿形は羊の顔と同じようにどうしようもなくリアルだった。
彼はコンタクトレンズを入れている。ARが描き加えた風景は偽物の世界を作り出して今自分がどこにいるのか、何を見ているのかを見失わせた。
羊、人、拳銃。
コンタクトを外してしまおう、意味が分からない。そっと右手を目に近づけた瞬間、
「いや、それは我々が良いと言うまではつけておいていただきます。あくまでも、今は動かずにいてください」
同じ羊の顔をした男の一人が言う。不気味だ、どうやってあの大きさの羊の頭でTシャツを着るのかなどと、余計なことばかり頭によぎる。だいたいあの角に布が引っかかってしまうでは無いか、と。
とってつけたように写実的な羊の頭が載った人間は実に不気味だが、ARで滅茶苦茶に書き換えられた彼の視界は精神を削いで行く。
現実感は蒸発してしいくばかりで、このまま待っても、増援も衛生兵も来ないと言うこ事は、分かった。
「気分はどうですか?」と、ありきたりな挨拶を当惑の中受け止める。
「いや、最悪だ。貴様らは俺たちに何をしたのか理解しているのか」
さらに怒りを織り込んだ糸をするすると伸ばす。
「私たちはこの区画を救出するために送られてきた人間だ。市民も何人かは殺してしまった、それは申し訳ない。だが、よく見るとここに居る全ての人間がテロリストだったとは、いささか驚いた」
「君は、我々に選ばれた」まるで話を聞いていないように遮った。
「はい?何で?」声が裏返る。
「君はさっきまで中央行政側の構成員だった。そして、武力的な方法で私たちが君を引き抜き、使うことにした。それ以上でも以下でも無い。おめでとう」
そしてさらに驚く。君がここまでたどり着くのは知っていた。選ばれたんだから。と、羊男の中でももっとも役所勤務が似合うネクタイを締めた男が前に出る。もう二人は残念だった。精鋭だったが、定員は一人だ。そう言った。
彼はそれを眺めながら罵ってみたり、通信を試みたり、惨めに抵抗をしてみるが、何も起こらない。
「君のナノマシンは君の意識から権限が我々に委譲されている。要するに、君のコマンドは一切きかない。言うまでも無いが、もうあらゆる事を試していると思う。今はむしろARが君の都合に悪いように貼られて、邪魔で仕方が無いだろう」
この男の言うとおり、色々試してみた。この男が色々話をしている間に、自殺さえ試してみたのだが、それも上手くはいかなかった。もう為す術もなく、跪く。それしか出来ない。
どれくらいだろうか。後ろ手に上げた腕の重さは肩に少しずつ重さを載せていく。小さじいっぱい、また小さじいっぱい。ほんの少しずつ、疲労の粉を彼の背中に積んでいく。
彼の所属していた小隊は全滅し、全ての機材を失った。その後の増援は来ず、この区画は閉鎖されたため、ここにあるもの全てが世界からパージされた。このままではあの小型機に、ほかの区画も同じような惨劇を起こさせてしまう。
止めねば。
どうやって。
そんな手段は、無い。
彼は全く自由にならない上に、おかしな視界で塗り替えられ、全身が重く痛い。この状況いったい何が出来るんだと、絶望的状況をかみしめる。
何もいい手は浮かんでこないまま、一人の羊がこちらに向かってくる。この男が目の前にきたとき、すでに現実感は完全に蒸発しきっており、試しにつばきでもかけてみることにした。羊なら問題ないだろう、つばなど。
「うわっなにすんだ」と、羊がおののく。
「大丈夫ですかチーフ?」気遣う付き人。小さなマシンガンをこちらに向けて、彼を蹴り飛ばす。後ろ手のまま倒れ込んで、芝で顔がこすれる。
「オイオイ、一体どうなってんだこりゃ。死人が出ているのにコイツら、ふざけてんのか」 口から漏れる自分の言葉と、口に入ってくる土やら葉のかけらやら。異物の味に情けない気持ちにさせられた。涙ぐみ自分に気づくと、思わず狂った人の様に嗤ってしまう。
何がしたいんだか。俺も奴らも。そうぼんやりと考える。土の味が生々しく死への予感をさせる。
信仰を表明して、生首でも切ってくれ。
そんな動画誰も見てくれないぞ。古代の人たちとはちがう。人類にはそんな余裕なんてありはしないんだ。投げやりに考える。
先ほどの付き人のような男がゆっくりとこちらに来ると、優雅にも大きく振りかぶった左腕で彼を殴って静かにさせた。
「大丈夫でしたか、この人たちは私のためにと、やり過ぎてしまうこともある。お詫びせねばならないと思います。そして」グループのリーダーらしい人間が歩み寄ってくると、一拍おいてやけに通る声で言った。
「ようこそ我々の、新しくて古い世界に」
その瞬間、ARは全て消去され、この状態では目についているのもただのコンタクトレンズだ。そして先ほどまで四肢まで不愉快な痛みを与えていたナノマシンも、どこにも居ないような錯覚がする程特に通常の健康管理を始めている。
いつの間にか自分自身がテロリストのスカウトを受けて、そのテストを通ったと言うことになっている。
もう元の居住空間に戻るすべはない。
そして先ほど戦った小型戦闘機兵は実に強力で、中央行政側の概念では対応出来ないだろう。味方は来ない。
しかしここで生きてゆくすべはどうやらあるようだ。彼自身もあの小型機兵の運用をしていく上で重要な役割が与えられるらしい。生きたければそれに従うしか無い。
こうしてえらばれた構成要素は彼一人ではなかった。後からコンタクトで照会してみれば、死んだはずの軍人はつつがなくこの区画を運営し、町を構成していた。
要するに、中央行政「管理者」は自らを仕様変更したのだ。
「管理者」は案件に対し一つのロジックで計算をし、答えを出してきた。今まではいつだってそうだった。そしていつの間にか作られていたもう一つの「管理者」AIとの合議制を採ることに、いつの間にかなっていた。
そして第二の「管理者」が拡張を始めた町がここだ。そして人間の意思は全く尊重されず、転属のような形でここを守る役目になった。転属なら転属で、そうすれば良いようなものだが、人間の精鋭を秘密裏に送り込んだ程度の戦力でどの程度のことが出来るのかも見てみたかったと言うことらしかった。
「迷惑な話だ」ため息をつく。
彼は今、かつてテロリスト達、今となってはそう定議すべきなのかどうかもわからないが、彼らとともに、自律行動型の復旧ロボットと、それを制御する人間であふれている本庁舎へと歩いて行く。大げさな階段を登り、大きな入り口を開けると消えていった。
あの後数週間経つが、中央「管理者」が何かを彼に要求してくることもないし、彼自身がここに居るテロリスト達を何とかしてしまおうという気でも無い。
「管理者」をより高度にメンテナンスし、進化させる役割を担う彼らはなにも知らない人類を管制する。そして彼がされたように、感情の一つ一つさえ制御していくのであろう。
そうやって得られた調和は、安定でも平和でもない。だが、人類が存在し続けていくちょうどいいバランスを保ち続けていくのだった。
そのことは、この箱を開けてみるまでは、誰にもわからない。
了
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