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意識と無意識の境界線 ~ La Sonĝo de la Patro

作者: 神子島
掲載日:2026/05/17

※転記、流用禁止。

雨の気配がする夕方だった。


私は古い木造の家の縁側に座り、膝の上のノートパソコンを見ていた。

仕事用の黒い端末だ。会社から貸与されているもので、接続場所は申請した自宅住所に限定されている。本来なら、こんな場所で開いてはいけない。


だが私は、なぜか実家にいた。


理由は曖昧だった。

父の容体が悪いのかもしれないし、呼ばれたのかもしれない。


ただ、夢の中ではそれを疑問にも思わなかった。二十年近く帰っていない家にいることも、まるで昨日まで住んでいたかのように自然だった。




家は記憶よりずっと大きくなっていた。




磨き込まれた飴色の廊下。太い梁。光を吸い込むような柱。

昔はただ古いだけだと思っていた家が、夢の中では妙な重厚感を持っていた。


庭の木々も残っていた。


父が丹精を込めていた藤棚。槇の木。柿の木。銀木犀。名も知らない低木。

子どもの頃、私はそこを駆け回っていた。



ふと廊下の奥から父が現れた。



一瞬、誰かわからなかった。


背筋が伸び、目に濁りがない。

静かで、どっしりしていた。酒臭さも煙草臭さもない。

深く刻まれた皺さえ、風格のように見える。


まるで昔の映画に出てくる“良い父親”だった。


現実の父とは似ても似つかない。


現実の父は、一日に煙草を二箱吸った。

肺を悪くしてもやめず、入院しても病院を抜け出した。

酒を浴びるように飲み、階段から転げ落ち、脳を傷つけ、それから少しずつ壊れていった。


私はその父から逃げるように遠くへ来た。


煙草で発作を起こす身体になったこともある。だが本当は、それだけではなかったのだと思う。


家そのものから離れなければ、自分が壊れる気がしていた。


父は私の隣に腰を下ろした。


「仕事か」


低い声だった。


私は頷いた。


「会社のルールが厳しくてね。本当はここで開いちゃいけないんだ」


父は笑わなかった。ただ静かに、「そうか」と言った。


その穏やかさが、逆に苦しかった。


もし本当にこんな父親だったなら。

そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎる。


私は耐えきれず、外へ出た。




夕暮れの庭は、子どもの頃のままだった。

近所へ続く細い道を歩く。




向かいの家との間には、小さなどぶ川がある。

昔は澄んではいなくとも、水は流れていた。

春になると草が揺れ、私は棒切れを流して遊んだ。


だが今、その川は半分埋まっていた。


上流から流れ込んだ土砂が堆積し、黒い泥になっている。

コンビニ袋。空き缶。腐った枝。


そして、その泥の隙間に、白いものが見えた。


しゃれこうべだった。


気づいた瞬間、鼻を刺すような臭気が立ち上る。

腐敗臭と湿った土の臭いが混ざり合い、息が詰まりそうになる。


私は川沿いに立ち尽くした。


ここまでになる間、誰も掃除しなかったのだ。


誰も、水を流さなかった。




風が吹いた。




視線を上げると、幼馴染の家が見えた。


私はあの家が好きだった。

朗らかな母親と、優しい父親。笑い声の絶えない姉妹。


自分の家にはない空気が、あそこにはあった。


だが門の脇には潰れた段ボール箱が積まれていた。庭は静まり返り、人の気配がない。


引っ越したのだろうか。


私は妙に寂しくなった。






夕闇が濃くなる。


その時、遠くから子どもの声が聞こえた。


振り返ると、小さな男の子が庭を走っている。


泥だらけの半ズボン。

汗で張りついた髪。


幼い頃の私だった。


私はその姿を黙って見つめた。


あんなふうに、この場所を好きだった時代が、本当にあったのだ。


気づくと、背後に父が立っていた。


夢の父は静かだった。


責めもしない。怒鳴りもしない。煙を吐きかけもしない。


ただ、そこにいた。


私は急に、自分のノートパソコンの存在を思い出した。


会社のルール。


今の生活。


二十年かけて作った距離。


それらが、一気に胸へ戻ってくる。


私は父に言った。


「……明日には帰るよ」


父はしばらく黙っていた。


やがて、小さく頷いた。




その瞬間、どぶ川の奥から、どろり、と何かが崩れる音がした。


私はそこで目を覚ました。











挿絵(By みてみん)

後悔ごと抱えて、少しだけ光のある場所へ置き直す作品

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