桃太郎一行
太郎は、いつもより早く「ふくろう」の引き戸を開けた。前回、魔王アシュトンのコンサルタントじみた真似をして以降、彼の人生の平穏はますます揺らいでいる。今日は、誰の人生の苦悩を聞かされるのだろうか。
カウンターの奥、いつもの太郎の席の隣には、どこかの舞台帰りかと思うような一団が陣取っていた。
中心に座るのは、桃色の鉢巻と白い和服を身に着けた、いかにも体育会系な顔立ちの青年。そして、その両隣には、人間に近い体躯を持ちながらも、犬の耳と尻尾を持つ男、猿の顔と長い腕を持つ男、そしてスーツを着込みながら背中に大きな鳥の翼を折り畳んでいる男が、それぞれ険しい顔で座っている。
太郎は、ため息を押し殺して彼らの近くに座った。
「生、お願いします」
太郎がジョッキを傾け、今日という日をリセットしようとした瞬間、隣の席で不協和音が始まった。彼らの前には、煮込みと並んで、何故か巨大なざるに入ったきびだんごが置かれている。
太郎は、ため息を押し殺して彼らの近くに座った。そして、その異様な風貌と、大量のきびだんごという組み合わせを見た瞬間、全てを悟った。
――どうやら、隣の席の方は桃太郎一行らしい――
「だから!俺は納得いかねえんだよ!」
最初に声を荒げたのは、猿の顔を持つ男、キーだった。彼はきびだんごを指差しながら、桃太郎に食ってかかっている。
「キー、落ち着け」桃太郎は疲れたように答えるが、その手元は犬耳の男の肩を優しく撫でている。
猿のキーは、その光景を見てさらに怒鳴った。「この期に及んでポチの肩を持つか!オキニ問題はいつまで続けるんだ、桃太郎!俺ときじ(雉)は戦況の偵察と伝達でどれだけリスクヘッジしてたと思ってんだ!ポチは前線で吠えてただけだろ!」
犬のポチは立ち上がり、猿を睨みつけた。「なんだと!現場の士気を鼓舞し、最前線で肉弾戦をこなした俺の功績評価をなんだと思ってる!」
(ああ、始まった。また始まったよ、組織内の公平性の問題かよ。)
太郎は心の中で呻いた。異世界でもおとぎ話でも、人間の世界でも、報酬と功績評価を巡る揉め事は、金曜の夜の定番だ。
「ポチは実働時間が長いってだけで、KPI(重要業績評価指標)に貢献してるわけじゃねえ!俺の鬼ヶ島への往復飛行距離と情報精度を考慮しろ!桃太郎、俺へのきびだんごの配分率がポチと同じなのは不当だ!」
今度は、スーツ姿で翼を持つ雉のケンが、非常に論理的な口調で桃太郎に詰め寄る。
桃太郎は、とうとう耐えかねたようにカウンターを叩いた。「もういいだろ!きびだんごの報酬形態は、昔から**『平等に割って、忠誠心へのインセンティブとする』と決まってる!お前たちが文句を言うなら、俺はもう誰にも追加のきびだんご**なんてあげないぞ!」
その言葉を聞いた瞬間、猿のキーときじのケンは顔を見合わせた。
「追加の……きびだんごだと?」猿のキーが低く問うた。
桃太郎は、ハッとして口元を覆ったが、もう遅い。
雉のケンが鋭く尋ねた。「おいポチ。お前、遠征が終わった後、『追加で一個、桃太郎からもらった』って言ってただろ。それは、この定額報酬とは別に、個人的な裏手当をもらっていた、ということか?」
犬のポチは、焦ったようにきびだんごを口に詰め込んだ。「違う!そ、それは……!最前線突入部隊の『突発的カロリー補給費』だ!俺の仕事の特殊性なんだ!」
「嘘をつくな!それが**『オキニへの特別ボーナス』**なのは見え見えだろ!」猿のキーが激昂した。
(裏手当、オキニ問題、功績評価の不明確さ……。このパーティ、完全にブラックな同族経営じゃないか。)
太郎は、自分の生ビールに集中しようとした。彼らの悩みの根源は、組織論でなく、桃太郎の曖昧なリーダーシップにある。
太郎は、このおとぎ話の英雄のパーティが、報酬の公平性という、あまりにも現代的で生々しい問題で崩壊寸前にあるという、強烈な現実を改めて認識した。
桃太郎は、とうとう頭を抱え、カウンターの煮込みを睨みながら呻いた。
「もういい!わかった!俺が悪かった!もうこれ以上揉めるな!**ポチの追加分は、俺の取り分から出す!**それでどうだ!」
「ちっ……」猿のキーは舌打ちした。「それで一時的に収まると思ってるのか、桃太郎。問題の根源は評価基準だ。俺たちの忠誠心はきびだんごの数でしか測れないのか!」
「いや、違う!」犬のポチが慌てて桃太郎を庇った。「桃太郎の心意気は伝わってる!俺はこれでいい!」
「ポチ、お前は黙ってろ!だからオキニは黙ってろと言ってるんだ!」雉のケンが冷静に言い放った。
「だーかーら、俺が全部悪いんだって言ってるだろ!」
桃太郎は、ついに居酒屋の静寂を破る大声を出した。静まり返る店内。太郎は、ただ静かに冷酒を飲み、この内輪揉めが嵐のように去るのを待った。
マスターが静かにカウンターを拭き始めると、桃太郎は観念したように財布を取り出した。
「マスター、すまない。煮込みと、きびだんごの代金……」
「いいですよ、桃太郎さん。皆、疲れてるんです」マスターは静かにそう答え、彼らのジョッキを下げた。
桃太郎は、申し訳なさそうに頭を下げた。彼らは、きびだんごのざるはそのままに、誰も目を合わせることなく、騒々しく店を出て行った。全身から、組織の亀裂という重い空気が漂っていた。
太郎は、彼らが出て行った後の静寂に、深く息を吐いた。
「きびだんごの配分率が原因ですか」太郎はマスターに尋ねた。
マスターは首を振り、残されたきびだんごのざるを指した。
「いえ。あの方たちは、戦場で配られたきびだんごをめぐって揉めているんです。店のきびだんごは、一口も食べてないですよ」
太郎は、カウンターに残された、手付かずのざるを眺めた。
(結局、食うか食わないかではなく、誰がどれだけ報われたかの問題か。それは、残業代と同じだな。)
太郎は、心の中で静かに呟いた。
**隣の席の方は、桃太郎一行らしい。だが、その組織の悩みは、自分の会社でよく聞く「ボーナスの査定基準」**と全く同じだった。
「マスター、冷酒。あと、煮込みを一つ」
太郎はそう呟き、自家製煮込みを注文した。明日もまた、システムのエラーと、意味不明な功績評価に立ち向かわなければならないのだから。




