エピローグ 離宮の片隅にて
陽が昇りきる少し手前の、まだ涼やかな朝。
レヴニッツ郊外の小高い離宮、その裏手の庭園に面したテラスで、二人の姿があった。
白いクロスがかけられた小さな丸テーブル。
その上に並ぶのは、焼きたてのクロワッサンと、香り立つコーヒー。
ロヴェル・ド・ヴァルツと、今やその「夫人」であるアンジェリク皇女が、向かい合って座っていた。
「……会議、終わったんだよな、ほんとに」
ロヴェルは不思議そうに空を見上げると、少しだけ眉をひそめ、
クロワッサンの端を器用にちぎって口に運んだ。
「終わったわ。あなたが、世界を煙に巻いたまま、うまく締めくくったのよ」
アンジェリクは、苦笑しながらカップに口をつけた。
「煙っていうか……詐欺だろ? 完全に。俺、訴えられないかな?」
「訴えられるわね、きっと。でも――どうせ勝つでしょう?」
ロヴェルは笑う。
いつものよれた上衣を脱ぎ、今は白のリネンシャツに黒のチョッキ。
似合っているとは言いがたいが、それでも“この場にいていい大人”には見える。
「なあ、アンジェ。俺、ついに皇帝家ネズミになっちまったわけだけどさ……」
「ええ、立派な“ネズミ公”よ。ご立派だったわ、夫君様」
「やめろ、ほんとに鳥肌立つ。ああ、もう……」
彼は照れ隠しのように額をかき、ふと彼女の方を見て、少し声を落とす。
「……けどな、俺、悪党でもなんでも――今だけは、こうして一緒にコーヒー飲んでるのが、けっこう好きなんだ」
アンジェリクは少し目を丸くしたが、すぐに微笑んだ。
そして、テーブルの上のカップに目を落としながら、ぽつりと言う。
「あなたが一番まともに見えるの、こういう時よ。泥も血も嘘もない、ただの朝」
「……だから、滅多に来ねえんだよ、こんな朝は」
そう言ってロヴェルは、もう一口クロワッサンをちぎった。
小鳥の声が、緑の庭を渡っていく。
束の間の平穏。それは、きっと長くは続かない。
けれどこの朝だけは、誰にも奪えなかった。
──ロヴェル・ド・ヴァルツのペテンが、大陸秩序そのものを塗り替える。
その一日の、後の静けさだった。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。いくら感謝してもしたりません。本当に、本当にありがとうございます。
早坂知桜