第七章 地獄の片道切符
石造りの一室。
重く閉ざされた扉の向こう、遠ざかる議場のざわめきが、次第に幻のように薄れていく。
ロヴェルは、ただ一つの椅子もない空間で、無言のまま立ち止まった。
アンジェリクは何も言わず、壁際で身じろぎもせず立っている。
しばらくの沈黙のあと、ロヴェルが口を開いた。
「さあ、泣けよ。世界の悲しみを一身に背負ったみたいに、泣けよ。
どうせ女なんて、それくらいしかやることないだろ。この世界は、男が仕切ってる。
女は黙って従うだけだ。しかも男のしくじりの代償を払うのも女ときてやがる」
荒んだ声が響く。
彼はひとつ息を吐いて、唇を歪めるように笑った。
「心の底から俺は男でよかったと思うよ。あんな馬鹿どものケツ持ちなんか、死んだってごめんだ。
だから、こうなってんだ。ああああ、いやだ、いやだ、いやだ。俺はいますぐここから逃げ出すべきだってーのに」
ロヴェルは、頭をかきむしるように指を通し、そして言った。
「こうなったら、言ってやるよ。降参だ。いや、最初から俺の負けだった。
俺はあんたが大嫌いだ。心底から大嫌いだ。──だから、……愛してる、アンジェリク」
せめて泣くまいと必死にこらえていたアンジェリクは、その言葉に目を見開いた。
驚きのあまり反射が追いつかず、理性が働くより早く、一粒の涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
「さあ、俺を使い倒せよ、アンジェリク」
「万に一つの勝ち目もない戦いでも、あんたのためなら戦ってやるよ。できないことでもやってやる」
「目の前にいるのは、どうしようもないクズ男だ。でも――世界をペテンにかけることにかけちゃ、大陸でも二人といないぜ」
その声は、いつになく静かだった。
「……俺を選べよ。誰にもやらせたくねえ。
あんたを地獄に引きずり込むのは、俺だけでいい」
そして、最後に。
「言っておくが、これは忠誠じゃねえ。自己満足でもない。
ただの告白だ。──どうしようもねえ悪党の、な」
アンジェリクは、ふっと顔を伏せ、頭を抱えるようにして沈黙した。
その肩は小刻みに震えていた。
ロヴェルは、一瞬「やっちまった」と思った。
だが数秒後、なにか違うことに気づいた。
アンジェリクは、くすくすと、そして堪えきれなくなったように笑い出したのだ。
「あはははは、ロヴェル! あなた、何言ってるの? おかしいわよ」
「でも、私もあなたが大っ嫌いよ。下品だし、場所を弁えないし、酷いことばっかり言うし」
笑い泣きのまま、アンジェリクは涙を拭った。
そして、笑顔のまま真っすぐにロヴェルを見据えた。
「──仕方がないから、使い倒してあげる。
ヴァルツを救って。クズ男」
それは、命を賭して踏み出すための、たった一つの合図だった。