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第四話 白百合の葬列

 教会の鐘は、まるで空気ごと凍らせるような音を響かせていた。


 帝都随一の大聖堂。

 荘厳な石の天蓋の下、白百合に包まれた棺が祭壇に据えられている。

 老元帥――かつてアンジェリクが政略によって嫁いだ男は、

 つい昨日、静かに息を引き取った。


 「大往生」と言われた。

 「忠義を尽くした名将」と称された。

 だがその傍らで、誰も語らないことがひとつある。


 彼女の居場所が、今、なくなった。


 政治的には、夫亡き皇妹は“宙に浮いた牌”だ。

 王室の一員にして、確かな立場を持たない者。

 哀悼の中で、アンジェリクは自身の影が細くなるのを感じていた。


 弔問客の列が絶えない。

 軍の高官、貴族議員、地方からの使節。

 その中に、ひときわ遅れて姿を見せた男がいた。


 ロヴェル・ヴァンス。帝国外務大臣。

 礼服すら着ず、深緑のシルクの手袋を外すこともない。

 ただ黙って、棺の前で一礼した。


 アンジェリクは迷ったが、彼に近づいた。

 祭壇脇、白百合の陰に、彼と彼女だけの小さな空間ができる。


「……あのときの、交渉の件。

 ラウレンツの件。ありがとうございました。」


 ロヴェルは、すぐには答えなかった。

 それから、棺の向こう――誰もいない空間を見たまま、低く言った。


「礼を言われる筋合いはありません。」


「……」


「私が助けたのは帝国であって、あなた個人ではない。

 ――思い上がるな、皇妹殿。」


 声は、教会の壁を傷つけるように冷たかった。

 アンジェリクは、何も返さなかった。


 その瞬間だった。

 使者が駆け込む足音、聖堂の扉が強く開かれる。


 司祭の顔が強張り、ロヴェルのもとへ書状が手渡された。

 彼は黙ってそれを開き、一読したのち、すぐに背を向ける。


「議会が動いた。

 ――皇帝陛下の、皇帝権の停止が可決された。

 現在、陛下は拘束下にある。」


 その場の空気が変わった。

 まるで、聖堂の温度が数度下がったようだった。


「私はローゼンハイムへ戻る。」


 ロヴェルはそれだけを言い残し、踵を返す。

 教会の中に残されたアンジェリクは、白百合の香に包まれたまま、

 ただ、そこに立ち尽くした。


 ――兄は、もういない。

 元帥も、いない。

 この帝都で、自分に何の立場が残されているのか。

 誰も教えてはくれなかった。


 外では、鐘がまた一つ鳴っていた。

 それは喪の鐘であると同時に、

 帝国という舞台の、転覆の予鈴でもあった。



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