ep.7 負幻想魔~ネガファンム~
負幻想魔となった化物は、子供のようなキャラキャラとした笑い声をあげながら、徐々に姿を変えていく。叔父さんの頭から後ろに憑りつき、背中から無数の針を生やした触手を六本生え、もはや人の形を留めていなかった。
憑りつかれた叔父さんは白目を向きながら、口から黒く気味の悪い粘液を吐き出している。原因は言わずとも、叔父さんの体から出てきたあの謎の箱だろう。
見覚えがあると思っていたが、この世界に来るときにも見た……負魂箱。
人間の奥底に存在する様々な負の感情を抑え、できるだ負幻想魔の発生を抑える為に、負祓士が施した特殊な器官。というのも、作中では実力のある老齢の負祓士が、病院に赴き医者の協力の元、祝福という名の術を掛けているのだ。そうしなければ理性は容易く決壊し、負の感情に飲み込まれ、瞬く間に負幻想魔が発生するとのこと。
よくニュースに目にする傷害事件や、誘拐に放火魔など、全て負幻想魔に操られて起こされる。その理由は操り易くするために、奥底にあるとされる『破壊衝動』や『非人道的欲望衝動』を、過剰に分泌させて覚醒させている。そんな人間を意のままに傀儡にし、思うがままに操っているのが負幻想魔だ。
そうさせない為に、負魂箱を体内に埋め込んでいるが、抑えるのも限度という物がある。
今目の前にいる叔父さんだった人が、限度を超えた姿だ。
『オ、オォォオオ……トモ、ナリィィイイイイイイイイ!!!!!』
俺の名前を叫びと共に声を上げて呼び、二本の触手をこちらに伸ばす。
叔父さんの悍ましい姿に放心していたが、こちらに向けられてきた凶器を目にし、間一髪のところで躱す。
避けたことが気に食わなかったのか、叔父さんの成れの果ては、感情のままに何本も触手をこちらに向けて伸ばす。更に理不尽な怒号をぶつけてきた。
『ヨケルナァアア!! テアシヲチギラセロ! カオヲミニククサセロ! オマエヲキタナクサセロォォオオオ!!!』
「綺麗なモノを壊したり汚したいタイプの拗らせ系だったんですね!」
確かに姉さんも綺麗だったから、俺達美麗姉弟をぐっちゃぐちゃにしたかったんですね。とんでもねぇ性癖お持ちでいいけど、他者にそれをぶつけないでください! ましてや自分の兄の子供達に向けるのは、お門違いかと思いますが!!??
なんて脳内ツッコミしているが、避け続けるにも限界がある。今はタイミング良く躱せているが、不意打ちなんかされれば、簡単に人挽肉にされる。
人肉挽肉にだけにはなりたくない! 何とかここから生き延びなければ、その一心で俺は広大な森林の中を駆け抜ける。
『ニゲルナァァァァァアアアアアアアアアアア!!!!!!!』
背後から怒号と共に、何本もの触手を不規則に伸ばしてくる。
真っ直ぐにコチラに向かって、足に巻きつこうと伸ばして来たり。邪魔だと言わんばかりに、近くの木々を薙ぎ倒し、ぼうぼうに伸びている雑草を刈る。
そのせいで倒れてくる木に、何度も押し潰されそうになったり、進路を妨害されたりする。何とか避けたり手で支えて飛び越えたりと、何とか逃げ続ける。
しかし逃げ続けるのにも、限界はやってくる。
この身体は少々運動不足なのだろう。少し走っただけで息は絶え絶えで、足はもつれそうになったりと、危険信号が脳内に走る。このまま体力が無くなるまで走り続ければ、最後はどんな悲惨な最期になるのか、火を見るより明らかだ。しかしどこを見渡しても、身を潜められそうな場所は何処にもない。
どうしたものかと視線を幾方向へ向け、周囲を観察する。いや、景色は一向に変わらない。
そう思っていたが視界の端に、僅かな希望の光を見た気がする。
複数の木に絡まった長く太い蔦だ。
俺は迷うことなく、そこに向かって全力で走って行く。
叔父さんと負幻想魔は、少し逸れて逃げる俺を逃がさんとばかりに、触手を伸ばし進行方向を妨げようとする。
伸びてきた触手は足元めがけて刺し、進む道が凸凹になり、少し走りずらい。だがそんなこと気にする暇もなく、自分なりの全力を尽くして、限界に近い足を鞭打って地面を蹴る。
下の方にある僅かな隙間に、滑り込むようにスライディングして抜け、蔦の向こう側へと行く。
叔父さんと負幻想魔は進行方向に、複雑に絡まっている蔦を見て、足を止める。人に似つかない歪んだ複数の眼で、蔦の隙間から俺を睨む。
『マテェェェエエエエエエエエエ!!!』
人の声とは思えない鳥肌が立つような、キンキンとした耳障りな泣き声をあげる。しかしその声に気にすることなく、俺は前へ走って逃げる。今ここで足を止めてしまえば、せっかくの逃走のチャンスを逃がしてしまうからだ。
しかし、ここまで上手く作戦が行くとは思わなかった。あの蔦を利用して、少しでも距離を置ければいいと思っていた。
だがこれには賭けがあった。
太い蔦ではあるが、あの針の生えた触手を使われてしまえば、いとも容易く切り裂かれてしまう。負幻想魔の傀儡となった叔父さんが、負幻想魔に憑かれたその原因は、俺と姉さんに対する破壊衝動。そしてその対象である俺を、ぐちゃぐちゃに壊したいと思う。
そうなると俺を逃がさない為に、常に俺を見ていなければならない。よって視界は俺だけに絞られる。叔父さんが俺に対して、どれだけ俺に執着しているのか、それによって結果は変わっていた。
もし俺の企みに気がつき、蔦をバラバラに裂かれていれば、俺は捕まっていただろう。
けど思っていた以上に、俺にしか目がいってなかった。だから叔父さんと負幻想魔は、俺の策にまんまと引っかかって、ここまで距離を離されてしまった。
この賭けは一歩ミスれば、死に直結するデットアライブだったから、策でもなんでもない。向う見ずな考えなだけだ。けど何とか上手くいったんだから、結果オーライって事で。
俺は近くの岩陰に身を潜め、手足や体に土をつけて、匂いを誤魔化す。叔父さんに憑いた負幻想魔のタイプが、匂いに敏感だった場合、匂いを辿ってすぐここまで追ってくる。気休め程度でも、土の匂いで自身の体臭を誤魔化せれば、何もしないよりはマシだ。
ダメ押しに近くの落ち葉をかき集めて、その中に潜る。正直人体に害を与える虫や葉があったら、このまま朽ち果ててしまい、逃げてきたのが無駄になる。でもこうでもしないと、叔父さんと負幻想魔から逃げることは出来ない。
岩の陰から逃げてきた方向、蔦を切り裂きながら怒号を上げる叔父さんと、金属が擦れたような鳴き声をあげる負幻想魔の様子を窺う。
叔父さんと負幻想魔は、触手の針を使って進行方向を妨げる蔦を、ブチブチィッと切り裂いていく。
『ドコダァァァァアアア!! デデコイィィイイイ!!』
触手で怒りにまかせて周りの木々を薙ぎ倒し、地響きみたいに地面をダンダンと叩き、近くにいただろう鳥や動物体は逃げていく。いや、何匹か負幻想魔の触手の餌食に合い、見るも無残な姿となっていた。
すると叔父さんは二本の触手を伸ばし、少し太い幹に巻きつけて、スリングショットの玉のように高く飛んでいく。上空を飛ぶその姿は、どこぞの巨人漫画の兵士のように見えなくはない。狩られる側が自分ならば、兵士を……本能のままに飛び回る叔父さんと負幻想魔を、どう対処すればいいのだろうか。
正直今の自分が、彼らをどうにかできる術なんて何もない。逃げるだけで精一杯、逃げる策を講じた所で、時間稼ぎにしかならない。
--この世界が幻祓であることは、嫌でも身を持って実感した。人間の具現化した負の感情を、視認できる体質と言うことも……。
なら、どこかに登場人物達がいるかもしれない。
では、何処にいるというのか。
西暦何年?
何月何日?
何時何分何秒?
何処に誰がいる?
ーー俺はこのまま、どうなるんだろう。
仮にここが登場人物がいない時代で、まだ負幻想魔の存在を知られていなかったら。今この状況を打開できる人、道具、術は無いのだろうか。
そしたら俺の運命は、もう決まったに等しいのだろう。
「駄目だ、弱気になっちゃ!」
もしここで諦めたら、それこそすべてが水の泡。
考えろ、ここを切り抜ける打開策を!
まず叔父さんが憑りついた負幻想魔を、改めて思い返してみよう。
初めて見た時は、余りにも大きい負の感情だったから、災害急に匹敵する負幻想魔だと思った。見立て通り、実際とんでもなく厄介だ。ミートハンマーみたいな触手を何本も生やして、その威力は大木を赤子の腕を捻るように、簡単に捻り潰すことができる。
唯一の欠点は、地上での動きだ。負幻想魔は触手の部分だけで、さっきまで叔父さん自身の足で、走って追ってきていた。まぁ今は、木と触手を利用して森林を器用に飛び回ってるけど。
このまま隠れていても、見つかるのは時間の問題だ。
とにかく、なんとかして叔父さん達から逃げて、この森林を抜けださなければ。そうすれば人が多い場所に逃げ込めて、叔父さんや負幻想魔の魔の手から、逃れられるかもしれない。
いや、それだと被害が拡大させるだけだ。叔父さんの狙いは俺だ。仮に人混みを利用して逃げられたとしても、今の叔父さんは躊躇いなく、周りの人間を殺してしまう。
負幻想魔は負の感情の集合体、主に一人の人間から一体の負幻想魔が生み出される。負祓士や負憑者は、負の感情を一般人より敏感に感じ取れる。しかし普通の人間には、負幻想魔を認識できない。
一般から見れば男が叫んだ瞬間、顔が粉砕するような恐怖現象でしかない。だから負幻想魔を祓わない限り、叔父さんを取り押さえても、その人達から周りの人たちが負幻想魔の餌食になるだけだ。
それだけは絶対にダメだ。周り御人間を巻き込んでまで、俺は生き延びたいとは思わない。だがどうするべきなんだ。周りの人間を巻き込まず、被害を最小限に……するのはもう遅いか。木々は何本も薙ぎ倒され、万が一近くに人がいたら、それこそ怪我をさせてしまう。
なら俺がするべきことはーー……。
ここで叔父さんに憑りついた負幻想魔を、祓い倒すしかない!
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