ep.4 目覚めた場所は現実逃避でした
早朝の静寂な中に可愛らしく鳥の囀りが響き渡り、カーテンの隙間から零れた朝陽が、部屋を明るく照らす。壁掛け時計は七時を示しており、窓の外から微かなエンジン音と、犬の鳴き声が聞こえる。
布団の僅かな隙間から入って来た太陽の光が、眠る少年の目の辺りに差し込み、少年は呻き声を上げながら枕に顔を埋める。
「うぅ……10ページも白紙。コミケに間に合わないよ……」
寝言を溢しながら寝返りを打ち、ゆっくりと閉ざされていた瞼が開かれる。目を覚まさせようと、天井のシミを数えようとして違和感を抱いた。
俺の部屋の天井には、十二個のシミがある。しかし視線の先に映る天井にはシミらしきシミは何処にもなかった。
鉛のように重く感じる身体を起し、少年は小さな口で欠伸をして、部屋をゆっくりと見渡した。
勉強兼同人活動用の勉強机、大量の漫画と同人誌が収納されている3つの本棚と、イベントで貰った推しカプのポスターが何処にもない。代わりに見たことのないポスターが二枚、姿見と横に小さな棚が鎮座している。
暫く部屋を見渡してから、訝しげな表情を浮かべる。ふと、天井を見上げて暫く眺め、そこで眠気が覚めおぼろげだった意識がハッキリとする。
「――ここ、どこ?」
そっとベッドから降り、ゆっくりと立ち上がったその時、部屋ではない別の違和感を抱いた。
足元を見ると、二十五センチはある筈の足が、二回りほど小さくなっていた。更に己の手を見て、少し骨ばったゴツイ手ではなく、丸みを帯びた小さな手が見えた。目線もかなり低く、見るモノ全てが新鮮に感じられる
どういうことなんだと、近くにあった姿見で自身の姿を見た。
鏡に映るのは、茶髪に黒目の長身で凡人な姿ではなく、知っている自分の姿とはほぼ遠い人間が鏡に映っていた。
黒髪ウルフカットに対し、前髪は右側に分けられて毛先が跳ねている。二重でありぱっちりと開かれているツリ目の黒曜石のような綺麗な瞳。少し厚みが薄いことに対し桜色の唇に、少しふさふさな睫毛。
誰から見ても鏡には、儚い系の美少年が映っており、俺は思わず鏡に手を当てた。
手振れば鏡側の少年も手を振り返してきて、体を揺らせば同じく体が左右に揺れて映る。
「……まさか、俺?」
放った声が全然違うもので、両手で自分の口を覆う。
恐る恐ると小さな声で『あいうえお』と、呟いて聞こえたのは、馴染みのある少しカサついた濁声ではなかった。声優顔負けの美少年らしい、カワイケボイスだ。
嬉しいを通り越して怖い気持ちを落ち着かせる為に、深く深呼吸してから両手で顔を覆い、勢いよく天井を仰ぐ。
「……夢かな? 夢なら納得できるんだけど」
柔らかくしっとりしすべすべの頬を、左親指と人差し指で挟み強く摘まむ。夢ならば存在しない痛覚を感じ、痛む頬をそっと撫でる。
夢のはずなのに痛みを感じることに、随分と手の込んだ夢だと俺は再び部屋を見渡す。
壁にスノーボードを滑る男と、華麗にシュートを決める男性のサッカー選手の、二枚の大きなポスターが壁に貼られている。斜め右には2メートル近くはある姿見、木製の勉強机と椅子、小さな本棚に教科書と文庫本が数冊鎮座している。
ふと視界に入ったのが部屋のドアと思われるその横に、子供一人は入れるだろう大きめのボストンバッグが、パンパンになって置かれている。
中身が何なのか気になり、持ち主に向けてお詫びの言葉を言ってから、ゆっくりとファスナーを引っ張る。中身は何の変哲もない服や下着、それと分厚いノートや筆記用具の入った筆箱。
特におかしなものが入っていなかったことにホッとして、部屋の外はどうなっているのか確かめるべく、カーテンを握り締めて、勢いよく開け放った。
窓の外に広がる世界は、普通の住宅地だ。ジョギングをしている中年男性や、犬の散歩に連れて行く女性がいて、ごく普通にありそうな街並みだ。
そこでもまた違和感を抱いた。
記憶が確かなら住んでいる場所は、ありふれた低賃貸のボロアパートだ。壁は薄いから叫べば壁ドンというお決まりだし、窓の外は殺風景なガラガラな駐車場。たまに車が一台停まるくらいしかない。
そもそも生まれて一度も一軒家に住んだことが無ければ、こんな平穏そうな風景を見たことなどない。
この現状について一度整理しようと、考え始めようとしたその時、部屋の外から誰かが歩いてくる音が聞こえてきた。俺はどうしようと部屋をキョロキョロして、急いでベッドに布団の中に潜る。
足音が聞こえなくなったと思えば、勢いよく部屋の扉が開かれて、足音は迷うことなくベッドの方に向かってくる。足音がべっとの前に止まったその瞬間、布団を鷲掴んで俺から布団を引き離す。
「今は冬休みだからって、遅くまで寝てるんじゃないわよ」
「ギャーーーーーーーー!!」
布団を引き剝がされたことにより、急激な冷風に温かな体は悲鳴を上げて、それに連動して俺も声を上げて叫ぶ。誰かに布団を引き剥がされたのは、実に数年ぶりのことで懐かしさ半分、苛立ち半分を占める。
布団を持つ女性を睨むと、そこに立っている人物を見て息を呑んだ。
腰まで伸びた黒髪ロングヘアー、ぱっちりと開かれた瑠璃色の瞳、スラリと伸びた手足。少し頑固そうな雰囲気を放っていて、学校によくいそうな真面目な学級委員長みたいな、綺麗な少女が立っていた。
子供にしては中々美麗だなと、年下相手に見惚れてしまう。ふと視界の端にその人の肩には、ヘドロのようなドロドロしたかが乗っていた。
途切れ途切れに、変なノイズ音みたいな呻き声を上げている。あまりの耳障りな音に両手で耳を塞ぐと、それに癪に障ったのか声を荒げて怒る。
「またそうやって耳を塞いで、私は別に間違たことはいてないから」
文句言われたくなければ、さっさと支度しなさい。
そう言い残して早足で部屋から出て行き、ヘドロみたいな化物も一緒に去って行った。
「あれは一体、何だったんだ……」
あの人の態度からして、この体の持ち主は日常から、あんな不気味なモノを目にしているのだろう。不快でしかないあの声を、嫌でも聴いていたのだろう。
だが彼女は己の肩にアレが乗っているのに、気にしている様子は全くなく平然としていた。いや、気がついていないと言った方がいいだろう。
そのことに違和感を抱いた俺は、もう一度窓の外を見て、歩く人達の様子を観察し始めた。そこで分かったことは、歩く人々の肩には人によってソレが居るか居ないかバラバラだった。
凄く生気に満ち溢れている人には、先程の彼女の肩に乗っかていた化物はいなかった。反対に疲れ切ったような人や、ストレスを抱えていそうな人の頭や肩や足に、姿形は違うが気味の悪いモノが憑いていた。
疲れたような顔をしている人は、先ほどの少女と同じドロドロした気味の悪いのが憑いている。ストレスか何なのか分からないが、不機嫌そうな人には全身棘だらけの、虫のようなモノが張り付いていた。
まるで人間の感情のように見えて、今誰がどんな感情を抱いているのかなんとなくわかる。中にはニコニコしている人でも、変なモノが憑りついていたりする。
「まるで、幸福不足者だな」
『幻祓』を読んでいる時に、主人公などが何度も目にした光景と、全く同じだ。ちなみに幸福不足者とは、簡単にいうとストレスを溜め込んで幸せでない人のことだ。幻祓では彼らのことを『負幻想魔予備軍者』と呼び、負祓士達は彼らの心のケアをして、未然に発生を防いでいた。所謂うつ病や精神障害者みたいな人達だ。
負祓士とそう呼ばれているにあたって、一般人と比べて負の感情に敏感で、相手が怒・悲・哀・苦のどれを感じたのかすぐに分かる。そもそも負の感情が視えるから、対処法はすぐに出来る。そんな描写が漫画の中で描かれていたから、幸福不足者ではないかと思った。
さっきまで人間観察していた中で、化物が憑りついている者がいれば、そうでない人もいた。つまり何不自由なく、問題など抱えず普通に生活している証拠だ。幸福な生活をしていない人はアレが憑りついているから幸福不足者と思った。
何言っているのかわからないだろうから要約すると、漫画の中でそういう風に説明書きされていて、見ていた俺自身もどういうことだと思った。しかし長年読んできたから頭の中で勝手に理解して、知ったかぶった説明をしました。
……今こんな風に説明しているけど、今一番違和感を抱いていることは、何故自分がそれを目視できるということだ。普通それらが見えるのは、負祓士か負憑者だけだ。因みに負憑者とは負の感情が集まりやすい体質で、主に虐めや親族からの虐待の対象になりやすい人が負憑者とのこと。幻祓でもそう説明されている。そして負祓士の素質がある人とも呼ばれている。
「……俺も随分と頭がおかしいな」
ずっと幻祓に合わせて話をしているけど、そもそも幻祓は創作された作品であって、現実には存在しない設定である。起こったことを全て幻祓に重ねるのは、オタクとしては楽しくてよろしいが、一般人としては可笑しなことである。
それにまだここが、現実だと決まったわけではない。最終回の衝撃な終わり方に、精神が病んでこんな非現実な夢を見てしまったのかもしれない。それなら、こんな思考になるのは納得できる。
仮にここが幻祓の世界だとしたら、先程の女性は、負幻想魔予備軍者ということになる。しかし、夢の中だから視えるだけかもしれないし。現実逃避して生み出された、幻覚かもしれない。
だが仮に、本当にここが幻祓の世界だとしたら、一体どういう経緯でこの世界に迷い込んだのだろう。特に儀式なんてしていないし、異世界転生・転移お決まりテンプレートもていないから、全く見当がつかない。
読んでいただき、ありがとうございます。
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