ep.1 ハピエン房の世迷言
主人公が水の底に沈んでいくシーンに、視界がどんどん歪んでぼやけて見える。何度目元を擦り、瞬きをしても収まることは無かった。それどころか、目尻に溜まっていた生暖かなソレは、頬を伝って零れ落ちた。
零れ落ちた涙は漫画を濡らし、ゆっくりと広がるように滲んでいく。しかも濡れた場所が、主人公が何かに縋るように手を伸ばしているシーンだ。
そのせいで、今まで耐えていた感情のダムが崩壊した。
「こんな、こんな終わり方はないだろ~~!」
もうすぐ成人するというのに、更に深夜であることにお構いなく、子供のように声を上げて泣き喚いた。近くにあった枕に顔を埋めて、情けない雄叫びをあげる。
そのせいで左隣に住む住人が煩いと怒鳴る代わりに、強めの壁ドンに一瞬で声を抑えた。
真夜中まっただ中で大声上げられれば、誰でも怒るだろう。しかし、もう少しだけこの抑えきれない悲しみを、数デシベル下げるから吐き出させてほしかった。
こんなにも心身共に荒れているその理由は、今手に持っている漫画雑誌が原因だ。
出版先は株式会社人心掴社『通称・心掴社』は漫画からファッション、情報系と多種多様の雑誌を出している会社だ。
そのうちの一つである『週刊少年ステップ』という少年向けの漫画を出版しており、様々な才能を持った漫画家達の多くの作品が掲載されている。多種多様の作品が掲載されており、アニメ化や実写ドラマ、中には映画化した作品が数多くある。
その中に人気連載中だった『不浄と幻影の負祓士』という『略称・幻祓』という名の作品があった。
舞台は日本の現代。あらすじは主人公『白樫涼夏』は、負の感情の化身である『負幻想魔』と呼ばれる化物と、負幻想魔を強制的に生み出す『負召士』との激しい戦いを繰り広げたりするダークファンタジーだ。
その作品は連載され暫くして、人気漫画ランキングに十話が出たころにランクインし、週刊少年漫画史上初の最短記録を叩きだした作品となった。そのまま人気は急上昇し始め、ついには単行本売上初週十万部を叩きだし、日本の人気巨匠漫画の作品の一つと言われるようになった。
その人気は日本だけに留まらず、各国でも日本漫画人気作品として英国版も販売されて、世界経済に波を立てた。そのおかげか海外の人気漫画ランキングにも、その作品名が載っていた。
作品の世界観だけでなく、個性豊かなキャラクターも人気で、コスプレしたり人気絵師がイラストを描いたりして、二次創作作品が投稿されているサイト『poxiv』でさえも上位を占めた人気っぷりだ。
その中で自分が言うのも恥ずかしいが、二次創作絵師である俺も『週刊少年ステップ』の定期購入する読者であり、『不浄と幻影の負祓士』の古参読者であった。
毎週掲載される話の内容は、思わず息を止めてしまう程読み込んでしまい、毎度その作品の世界観に完全に飲み込まれていた。それぐらい幻祓は洗礼された世界観であり、人気作品と言われる所以でもある。
だからこそ、最終回で主人公が死んでしまったことに多大なショックを受けていた。
「お・れ・は、ハピエンが好きなんだよ! 主人公やその他の登場人物、そして世界にとっての最高最上のハッピーエンドがいいんだよ。こんな誰も報われない意味不明な最上最悪のバッドエンドは、地雷なんだよ!」
ベッドの上で赤ん坊のように手足を上下に激しく振り、心の感情を叫び声にあげる。
俺は腐も夢も何でもいける雑食系腐男子兼、二次創作絵師でもあり、重度のハピエン房であった。
『花車』という名前で活動している俺が描く作品は全て、ハッピーエンドモノである。ほんの少し不穏要素があったとしても、最後は必ずハッピーエンドで締めくくる程の、重度のハピエン主義者だ。そしてバッドエンドを酷く嫌うバドエン地雷者だ。
今まで見てきた作品も全てハピエンで終わる作品ばかりで、バッドエンドで終わりそうな作品は、全て華麗に躱してきた。そして今回も、初めて作品を読んだときに感じた俺のみ持つ固有スキル『ハピエンレーダー』で、幻祓の最終話はハッピーエンドで終わると感じ取り、何の疑いも無く最終話まで作品を読破した。
そして今この有様である。
見事なまでに見込み違いの終わり方に拳を握り、流れ出る血の涙を拭いながら唇を嚙み締め、予想を外した己を恥じていた。まさかこんな結末になるなんて、一体誰が予想しただろうか。
「前回まで形勢逆転してたじゃん。なのに何なんだよこの劇胸くそ展開。敵の奥の手で仲間全員死んじゃって、ネガファンム滅茶苦茶増えてゼパン滅亡寸前。しかもそれから数年後して主人公死亡して、超絶バッドエンドやん」
巻頭カラーでは血を流しながら、決死の覚悟で戦っている主人公と、ラスボスと思われる黒髪の人物。
名前のない最凶にして最悪な敵。物語にちょくちょく登場しては、主人公達を搔き乱してくる謎多き人物。悪戯と称して無理矢理負の感情を増幅させて、負幻想魔を出して主人公たちの行く手を阻む、物語の重要な悪役だ。
読者達の間では彼のことを『Jester』と呼んだ。そう呼ぶ理由は、名前や素性が不明の代わりに、いつも泣き顔のピエロの仮面をつけているからだ。安易ではあるがわかりやすくて、すぐに周囲に認知された。
彼の名前や素性は全くわからない。情報が少なすぎて、ただ場を搔き乱し人の命を弄ぶ悪人。それが読者の感じる印象だったと思う。強いて言うなら、目の色が赤色という身体の特徴の情報くらいしかない。
話を戻すが、主人公である白樫涼夏は、世界を更なる混沌に変えようとするJesterの計画を阻止しようとしたのが前回の話。
そして唐突に幕を下ろした最終話である今回の話は、怒涛の戦いが繰り広げられていた。優勢だった負祓士側は負召士達を徐々に追い詰めていき、ついにはJesterの正体が明かされそうになった。しかしその瞬間、Jesterは切り札と言って自らの心臓を抉り取り、己自身を生贄にし、心臓を核として幻影騎士を顕現させた。
そこから一気に負召士達が形勢逆転してしまった。
次々と負祓士達を惨殺し、仲間達が殺されていく中、涼夏はただ茫然と見ていることしか出来なかった。そしてついには目の前で、幼馴染が生き残っていた負召士に殺されてしまった。
その光景を見た涼夏は、一気に膨れ上がった憎悪に理性を飲み込まれてしまい、我を忘れて怒りのままに負幻想魔や負召士を鏖殺していった。
鬼神の如く何年も愛用していた武器で、次々と敵を葬りさっていき、地面は鮮やかな鮮血で染まっていった。正気を取り戻した時には、すでに戦場は真っ赤な血に染まっていた。
戦いはなんとか士気を持ち直した負祓士側の勝利となったが、この戦いで涼夏は多くの仲間達を失ってしまった。そのことが悔やみきれず、血に染まる戦場の真ん中で心の底から嘆きの叫びをあげた。
負祓士と負召士の大戦により大きな功績を得た涼夏は、上層部から『最強』の称号を与えられ、『冷徹の処刑人』という異名を与えられた。しかし自分の大切なモノを守れなかった涼夏は罪悪感に耐え切れず、少しでも頭から消し去ろうと何年も大量の任務をこなしていった。
寝る暇も与えず体に疲労が徐々に蓄積されていき、気がついたときには限界に近づいていた。何年も蓄積された疲労が爆発し、涼夏は戦場の地に横たわり過労死を遂げた。その最後に己の望んだ光景を求めて手を伸ばし、掴む前に息を引き取った。その表情はどこか儚く、目元にある隈がより一層、心の心情を語っているように見えなくもない。
これが大人気漫画『不浄と幻影の負祓士』の最終話である。
「あぁ、嫌だよ俺は。バットエンドなんて嫌だよ、ハピエンでいいじゃん。てか、普通Jesterの正体暴かれるところだろ……。そもそもどうして最終回になったんだろう」
最初から最後まで作品を読んできたからわかる違和感、俺は前号の幻祓をもう一度見返した。
最後のページには毎回書かれている次回予告の文字には『次回・ついにJesterの正体が明かされる?』と、太文字で書かれていた。だから俺は今回一体彼は何者でどんな人物なのかと、心を躍らせながら今日まで待ちわびていたのだ。
本来作品の最終回を迎えるのならば、次回予告のところに『ついに最終回』が、入っている筈だ。それなのにその文字は、どのページにも書かれていなかった。まるで急に打ち切りが決まったかのような、それか作者に何か問題があって作品を終わらせざる終えなかったのか。謎の違和感に、俺は胸に何かが引っ掛かったようなモヤモヤを抱く。
そのタイミングでスマホから着信音が鳴る。やけに重たく感じる腕を動かして、頭の横にあるスマホを手に取る。そのまま電話にでて、スピーカーにしてそのまま会話する。
「はい、もしもし白馬です」
『おすおす優。今暇~?』
スマホ越しから聞きなれた友人の声が聞こえ、相手するのも気怠いと言わんばかりに、地を這うゾンビのような声で応答する。
「幻祓最終話で心打ちのめされたから、暇ではない」
『あー今ネットで話題のヤツな。ひで―終り方したって耳にしたけど、大丈夫か?』
「…………大丈夫じゃねぇ」
『あーマジか。つか、お前のレーダー外れるとか珍しいな。ほぼ的中だったから、お前が追っている作品もそうだと思ったから、めっちゃ違和感あるわ』
ケラケラと笑う友人の言葉に、若干苛立ちを覚えるが、同時に確かに“違和感”があると思った。友人と他愛無い話を少しして『また明日学校でな』と言って、電話を切った。電話を終えてそのまま天井を見上げる。
さっきまで作品に対して、あんなに怒りを抱いていたというのに、今は冷静になってなんでこんな終わり方をしたのか客観的に考え始める。
よくよく考えると、この終わり方にはいくつか不自然がある。まず回収されるべき伏線が回収されていないことや、バッドエンドにならざるおえない理由や物語の道理が全く無い。正直、いくらでも回避しようがあった。なのにも関わらず、結果バッドエンドとして物語の幕は下ろされた。そこに一体なんのメッセージ性やテーマ性があったのかわからないが、それらを一ミリも感じ取ることができなかった。
更に予告なしの唐突の最終回。古参の読者ならわかるかもしれないが、この作者らしい作品の雰囲気やキャラのセリフ回しが待ったなく、雑な構図に幼稚園児でもわかるセリフに、違和感があって仕方がない。そのせいで作品の世界観に惹き込まれるどころか、小学生が描いた漫画なのかと勘違いしてしまいそうな程、酷いものだった。
ふと俺は、他の読者は幻祓の終わり方に対してどう思っているのか、気になってパソコンを起動させた。
毎度お世話になっているⅤwitterを開き、画面一面にフォローしている絵師、文字書き達の作品が映る。
その中に、短い髪の毛を結んだ碧眼の美青年と、前髪オールバックな白髪に白藤色の瞳の美形男子。その二人が幸せそうに抱きしめ合し、照れながら手を握っている絵があった。
男性同士が絡み合っている絵を見て、俺は幸せのあまりにニヤリと傍から気持ち悪い笑みを溢す。それらの絵を目に見えぬ速さでいいねを押し、コメントを短くかつ思いを込めて送る。
「はぁ……やっぱ樹涼いいわ。最強天然イケメン×面倒見のいい好青年は、最強で最高の組み合わせ。樹輝夢もいいけどさ、やっぱ樹輝×涼夏のCPがいいっすわ」
謎の用語をぶつぶつと呟きながら、現在のトレンドを開いて、上位に『幻祓最終回』や『主人公死す』が上がっていた。一番上には『最悪な漫画』があることに、俺は思わずカーソルがそこに動き、何の躊躇いも無しにクリックを押した。
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