ep.16.5 繋捧晴の人生分岐点・1
一ヶ月振りの更新です。
暖かな目で見てくれると嬉しいです。
side 捧晴
桐生さんが咲久晴兄様を助けに行くと言って、結星姉様に何も言わずに行ってしまった。一人玄関でポツンと残された僕は、ただその背中を見つめることしか出来なかった。
結星姉様に言っちゃダメだって言っていたけど、きっと危ない場所に行ったんだと思う。なら尚更、結星姉様に言わないといけない。
だって、子供だけで危ない場所には行ってはいけないって、結星姉様はよく言っていた。なにかあったら、子供だけで解決しないで大人に頼るんだって、結星姉様が言っていた。そうだよ、大人に頼ることが何がいけないのかわからない。
咲久晴兄様が攫われたことと、兄様を助けに桐生さんが出て行ったことを、早く結星姉様に伝えないと。だって、姉様なら絶対に助けてくれ……。
『簡単に絶対って言葉を口にするな。後悔するのは、君なんだぞ』
結星姉様の元に向かおうとした足が、床に縫い付けられたかのように動けなくなった。代わりにあの時の桐生さんが言った言葉が、脳裏で何度も繰り返し聞こえる。
突き刺すような怒りの滲んだ鋭い眼差し、だけどどこか悲しげな表情で、大声で僕の言葉を否定した。
その言葉に何を意味しているのか、幼い僕にはよくわからなかった。でも、どこか他人ごとではないと、子供ながらストンと腑に落ちる。
考えたことなかった、結星姉様が誰かに倒されてしまうかもなんて。
だって結星姉様は、とっても格好良くて強くて、僕の憧れの人だ。
弱きを助け強きをくじく。その言葉にとても似合う程、正義感のある負祓士。どんなに強い悪い奴も、姉様は負けることなく倒し、笑顔で帰ってきた。その姿を見て育った僕は、姉様が負けることなんて絶対にないと、そう思っていた。
けれど桐生さんは、そんな姉様でも倒されてしまうと言った。最初言われた時、そんなことある筈がないと思った。でも、姉様でもどうすることも出来ない状態になったら、兄様を盾に殺されてしまうかもしれないと言った。
……もし、姉様が死んだら。
兄様じゃなくて、僕が攫われて。僕のせいで殺されてしまったら……。
その光景を想像してしまい、サーッと血の気が引いた気がした。
姉様が……死ぬ? あの強くてカッコいい結星姉様が死ぬなんて、想像したくない。姉様がいない世界なんて、耐えられない。
でもここで、結星姉様に伝えないと、咲久晴兄様と桐生さんが危ないって。でも、想像したくない未来が何度も脳裏に過る。でも、言わなかったら兄様達が。でもそれで姉様を危険に晒すのは。
……嫌だ、嫌だよ。誰も、失いたくない。
凛とした姿で悪い奴を倒し、僕ら兄弟に優しい結星姉様。
心の迷いを諭し、別の道もあると優しく導いてくれた咲久晴兄様。
今日出会ったばかりなのに、自分のことのように懸命に兄様を助けに行ってくれた桐生さん。
みんな優しくて、温かくて、強くて聡い人達。
皆、僕なんかより凄い人達だ。そう、僕なんかより……。
目を閉じると、半年前の咲久晴兄様とのやり取りが瞼に浮かぶ。
あれは家の裏の林で、慈力操作の特訓をしていたことだ。形代に僕の慈力を注ぎ、カタカタと微動するだけで、宙に浮いたり操ることができない。負祓士としての才能が無いんだと、結星姉様みたいな強い祓士になることは、無理なんだろうと自身に落胆した。
そんな僕を横目に咲久晴兄様は、深呼吸してから両手を形代に向けて、薄黄色の慈力が形代に注いでいく。風が吹いていないのに形代は浮かび上がり、咲久晴兄様が腕を動かすと、その動作に合わせて形代が動く。手首で円を描くと形代も円に沿って動き、手招けばこちらに来て顔の前に止まる。
僕と違ってなめらかに動きに、思う通りに操作ができる。咲久晴兄様は姉様とは似て非なるが、確かに繋家相伝の清心術を持っていた。
だというのに僕は、幼いからなのか才能が無い。慈力も少なくて、思い通りに操ることも出来ない。
僕は、姉様のような負祓士になることは、できないのかな。
『どうしたんだ、捧晴。浮かない顔して』
咲久晴兄様は形代をしまいながら、優しく声をかけてくれた。
何も言わないでいると、兄様は俺の前に屈んで、優しく頭を撫でてくれた。今はその優しさが、とても心苦しく感じる。僕は頭を撫でられるような事を、結果を出すことができていない。なのにこの手を、振り払わずに受け入れている自分に、つい溜息を吐く。
何かを勘違いしたのか咲久晴兄様は、そっと手をどかしてただ僕をジッと見つめる。もっと撫でて欲しかったけど、そこは我慢した。ずっともじもじと指を絡めていると、目の前から優しく問いかけられる。
『お兄ちゃんに、話してくれないかな? どうしてそんな苦しそうな顔をするのか』
いつの間にかそんな顔をしていたのかな。咲久晴兄様の山吹色の瞳に、虚ろな表情を浮かべる僕が映っている。全てを見透かすかのような綺麗な瞳に、心の奥にある僕の醜い感情まで見抜かれそうになって、思わず顔を背けてしまった。
『……僕に才能が無いのは、やっぱり妾の子だからでしょうか』
結星姉様と咲久晴兄様は僕と違って、繋家当主様の正妻から生まれた子だ。二人の母親もかなり手練れな負祓士で、その才能を買われて繋家に嫁ぎ、優秀な兄様と姉様を出産された。
一方で僕の母様は没落寸前な一族の一人娘で、負祓士としての才は無かった。そんな母様は一族を再建させる為に、繋家の妾として嫁ぎ、当主様との間に生まれたのが僕だ。
そんな母様の腹から生まれた僕は、負祓士としての才はこの通り無い。才がないなら周りから見放されてしまう気がした。いやしたのではなく、されるのだ。
そんな感情のままポツリと呟いた言葉のせいで、静寂な空間に包まれた。咲久晴兄様は目を見開き、何も言わないまま僕を見つめる。僕のせいでこんなに気まずい空気になったのに、それに耐えられなくなった僕は、言葉を続けようとした。しかしそれより先に、咲久晴兄様の口が開く。
『違う』
違うと言われて、思わず俯いてしまった。それってつまり、妾の子以前に才能が無いのかと言われると思い、身を縮めてしまう。しかし聞こえてきた言葉は、想定外のものだった。
『普通お前くらいの子供が、慈力を想う通りに操ることができたら、それは天才というんだ。つまり、少し動かせたお前は天才なんだよ』
『……え??』
思わず拍子抜けしたような声が零れ、思わず顔を上げてしまった。そんな僕をよそに、僕に対して肯定的な言葉を続ける。
『あのな、捧晴ぐらいの子は普通こんな楽しくないことを、辛いことをするような歳じゃないんだよ。好きなように遊んで、好きなように食べて、好きなように楽しいことをやるんだよ。けど捧晴、お前は立派な負祓士になるって、毎日一生懸命頑張っている。兄ちゃん鼻が高いよ』
『でも毎日やっているのに、結果が出なければ意味なんてありません。結星姉様のような立派な負祓士になる為にも、もっと特訓を頑張らないと』
『捧晴』
先程の優しく甘やかすような声ではなく、落ち着いた大人のような声で僕を呼ぶ。先程とは打って変わって、真剣な表情で真っ直ぐに僕を見つめる。
蜂蜜のように蕩けた瞳から、結星姉様のような凛とした瞳が、曇り空のような表情を浮かべる僕を映す。その眼差しに背筋を伸ばし、姿勢正しく咲久晴兄様を見つめ返す。
『以前にも言ったはずだ。姉さんのようになりたいと思うなって。それが別に悪いことではないが、あの人はーー常軌を逸している』
それは知っている。だって結星姉様は、災害急に近しい負幻想魔を倒すことのできる、とても強い人だ。そんな人のようになりたいと願うことは、イケないのだろうかと首を傾げる。
『あの人の様になりたいと言うことは、時として人の道を外さなければ、行けないことがある。あの人だからできることで、幼くて優しいお前に、そんなことしてほしくはない。お前が、お前でなくなってしまう』
僕が僕でなくなってしまう。
今にも掻き消えてしまいそうな声で放った言葉は、何を意味しているのか、僕にはわからない。ただ咲久晴兄様は今にも泣きそうな、くしゃくしゃな顔をしているというだけで、その言葉の真意をどう読み取ればいいのかわからない。そのかわり分かったのは、僕は姉様のような負祓士には慣れないと言うことだ。
遠まわしに、負祓士としての才能はないと、技量不足と言うことだけだ。
『では、僕は……どうすればいいのでしょうか。負祓士としての才が無ければ慈力もない。僕には、何が残るのでしょうか』
情けないほど震えた声が僕の口から零れる。負幻想魔を祓う為の力、負祓士としての才能、繋家に置かれた地位や人間関係。姉様や兄様にはあるのに、僕には無い。そう、何もないんだ。
改めてそう思うと、僕はどうして生まれてきたのかと考えさせられる。何もない僕に、生きる価値はあるのか。僕が生きてていいと言えるような何かを手に入れられるのなら、僕でなくなっても構わない。空っぽなこの器に、少しでも何かを満たすことができるのなら。
欠陥品の僕に、生きてていい証明が欲しい。
そんな想いを口にすることが出来ず、ただ静かに時間が過ぎて行く。
暫くの沈黙の後、咲久晴兄様はゆっくりと立ち上がり、僕の両手をそっと優しく包み込むように握る。指先が少し冷えているのに、何故か温かいと錯覚する。もっとこの優しい手を握っていたいと、握り返すと咲久晴兄様は、そのまま自身の額にくっつける。そしてーー……。
「どうした、捧晴」
唐突に聞こえてきた結星姉様の声に、僕は恐る恐る顔を上げた。
少し離れた所に結星姉様が立っており、ジッと琥珀の瞳が僕を捕らえる。
咲久晴兄様と同じ、何もかも見透かしているかのような、黄金色の瞳だ。
黙ったままでいると結星姉様は僕の前まで来て、そのまま僕の目線に屈んで、優しく微笑みかけてくる。
「良ければ話してくれないか?」
淡々と言っているのかもしれないけど、滲み出る優しさにやっぱり、兄様と姉様は姉弟なんだなと思った。優しさも、僕の目線に合わせてくれる所も、何か分かっているのに僕が言うまで待ってくれる所も。
今ここで兄様が攫われてしまったことを、兄様を助けに一人で言った桐生さんのことを、全部言えばきっと姉様は助けに行くだろう。でも、何故かいけないと思ってしまった。
桐生さんん言葉が引っかかるのもそうだけど、僕自身このまま姉様を行かせてしまっていいのかと、もやもやとした気持ちが込み上げてくる。
そんな僕の気持ちを察したのか、結星姉様は僕の両手を手に取り、そっと包み込むように握り締める。
「何があったかわからないけど、私は捧晴の味方だ。どんなことを言っても、私は捧晴を尊重する」
その言葉に、泣きたくなってしまった。溢れんばかりの感情を曝け出して、みっともなく吐き出して、こんなに思い悩むことなく楽になりたい。でもそれは、優しい皆様の気持ちを、踏み躙る愚行だ。きっとそんなことをしても、きっと優しく受け止めてくれることは、ずっと前から知っている。
結星姉様、咲久晴兄様、貴方達は何処までも優しくて温かい。
だからこそ、僕はその想いに応えなければならない。僕なりのーー。
「ーー時間を、いただけないでしょうか。姉様や兄様が誇れる程ではありませんが、僕なりに強くなったんだと、証明させていただけないでしょうか」
泣くことを堪えながら、僕は声を張って姉様に今の気持ちを伝える。
再び、兄様とのやり取りを脳裏に思い浮かべる。そう、あの時の兄様はーー。
咲久晴兄様は、ぽつぽつと語り出した。
『何が残る、か。それは私にはわからない。慈力が無いのなら、才能が無いのなら、無いなりの努力をするしかない。根性論だけど、実際に何かを得る為にはそれ相応の努力をしなければならない。そうやって私や姉さんも、恥じない負祓士を目指して精進している』
ゆっくりと咲久晴兄様の顔が上がり、柔和な笑みを浮かべながら言葉を続ける。
『慈力が無い代わりにどう補えばいいのか、才能が無いなら違うやり方で負祓士を目指せばいい。私は、捧晴を尊重するよ』
そう言って、僕を優しく抱きしめてくれた。温かくて陽だまりのような香りが、僕の心と体を包み込む。
今更自分の考えを変えることは難しい。でも、少しずつ変われる努力は出来る。
だから今日この日まで、僕なりの負祓士として戦える術がないか、方法がないか勉強して特訓した。
僕は何の才能もない、欠陥品だ。なのに身の丈に合わない夢を抱いて、意味のないことをしている。だけど咲久晴兄様や結星姉様は、僕のすることを肯定してくれて、僕を誇りに思うと言ってくれた。
今まで空っぽだった心が、少しずつ満たされているかのような気がした。ずっと与えられてきた物を、やっと受け入れるようになったと思う。
ようやく、繋捧晴を受け入れることが出来るような気がした。
ーー僕の体から溢れそうな何かを感じた。
瞬間、僕の体から今まで感じたことのない慈力が、ぶわりと溢れ出る。
今まで封じていたモノを開放するかのような、枯れていた泉から再び水が湧きあがって来たかのような、じわりじわりと体から放出される。姉様の薄紫色、兄様の薄黄色とは違った、薄緑色の慈力が出てきている。
それはどこか温かくて、懐かしいモノを感じた。
「捧晴」
突然溢れそうな慈力に戸惑っていると、結星姉様が僕の名を呼んだので、急いで姉様の方を向く。僕の目に映ったのは、今にも泣きだしそうな、でもどこか嬉しそうで、口をキュッと食いしばっている。どうしてそんな表情をしているのか、よくわからない。
「捧晴、お前の体には繋家の清心術は宿っていない。でも君の母君の清心術が、その身に刻まれている」
「かあ、さまの?」
「あの人は負祓士として、戦う才能はない。だが誰かを守ったり、救うことが出来る。私や咲久晴には無い、優しい力だ」
そう言って僕を優しき抱きしめてくれた。あの日の兄様のように、まだ笑っていた頃の母様のように、陽だまりの香りのする布団のような。
「お前が無意識に抑えていた慈力を、思う通りに扱うのには時間が掛かる。本音を言えば私に任せてほしいが、頑張るというのなら、私は止めない。だが、無理をするな」
ゆっくりと離れ、姉さんは自分の腰ポーチから、小型の銃を渡された。なんでこんなものを渡してきたんだろうと、銃から姉さんに視線を向ける。
「これは照明弾だ。もうダメだと思ったらこれを空に向かって、引き金を引いて放つんだ。その時は、私が助けに行く」
あぁ、この人はどこまで優しいのだろうか。僕の我儘で我慢して、僕のやりたいことを尊重して、何かあったら救いの手を差し伸べようとしてくれる。その手段をいま、ちゃんと差し出してくれた。
その優しさすら突っぱねても、姉様は何も言わないで、送り出してくれるんだろう。でもそれは、兄様と桐生さんを更に危険に晒す行為だ。なら、有り難く受け取るべきだ。
僕はその銃を懐にしまい、足袋を履いてから草履を履き、姉様に背を向けて玄関の扉に手をかける。
「……結星姉様。行ってまいります」
「あぁ、気をつけて行くんだぞ」
僕は頬に伝う一粒の雫が、落ちたタイミングで入口を開けて、自分を変える為の一歩を踏み出した。
僅かに感じる兄様と桐生さんの慈力が、同じ方向に伸びている事を視界に捉え、僕はその慈力を辿って走って行く。
繋捧晴・破滅ルート一時的に離脱、成功。
読んでいただき、ありがとうございます。
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