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ep.11 感情と彼らに名前を

 負幻想魔達に好き勝手に撫でられること十分が立ち、流石にここにずっといるわけにはいかないと、この森から抜けようと進み始めた。負幻想魔達は相変わらず浮いてついて来て、頭上で何か話しているようだ。

 その会話で気になったのが、互いのことを右のとか左のと呼び合っていること。

「ねぇ、二人には名前はないの?」

 会話に割って入ってきた俺に、先に答えてくれたのは男の負幻想魔だ。

『無くはないが、それは我らの真名。名乗っても良いのなら、許可をくれ』

「いいよ。教えてくれよ」

 あっけらかんと答える俺に対し、何処か拍子抜けしたような、豆鉄砲を喰らった旗のような表情を浮かべる二体の負幻想魔。そんなおかしなことなのかと、頭に疑問符を浮かべ二体を見つめていると、女の負幻想魔が冷や汗をかきながら答えてくれた。

『あのね主。我々にとって真名とは、秘めたる強力な力を抑える錠であり、解放する鍵でもあるの。だから今ここで私達の真名を言えば、とてつもない力が周囲に影響及ぼすの。それこそ、主である貴方に害を与える可能性だってあるのよ』

「……なんで教えてくれなかったの!??」

『名乗る前に教えたわよ??』

 まさか負幻想魔にそんな特殊な設定があったなんて知らなかった。いや、知らなかったとはいえ、一歩間違えればこの森周辺の誰かに被害を与えていたのだ。更になんとか生きながらえた俺の命も、負幻想魔の力の余波で死んでたかもしれない。

 無知は身を滅ぼすとはこういうことなのかな。

 そこでいくつか疑問が浮かび、今度は自分の発言に気を付けながら質問をする。

「君達のとっては、それは問題ないんじゃないの?」

 負幻想魔達とって負の感情は、自身の力の源である。その強大な力とやらを開放して、周囲を恐怖の渦に巻き込むことができる。そこから新たな負の感情を取り込んで、更なる力を手に入れることが可能だと思う。

 だというのに彼らは力を開放するどころか、その力の解放後の様々な被害状況や、俺自身の知識のなさを指摘し説明してきた。彼らにメリットどころかデメリットでしかない。

 そんな疑問を読み取ったのだろう男の負幻想魔は、布面で表情が見えないけど眉間に皺を寄せているのだろう。眉間に指を当てながら、説明を続けてくれた。

『確かに俺達にとって怒り、恐怖、悲しみ、妬み、それら負の感情は力の源だ。しかし俺達は感情の持ち主の、負の大きさと質量によって強さが異なる。例え何処の知らない人間がとてつもない負の感情を抱えていようと、俺らに何の力の糧にならない』

「そうなんだ」

 確かにそうだ。負幻想魔は大勢の人間の負の感情の集合体じゃなくて、一人の人間の抱えきれなくなった負の感情を元に生まれる存在だ。叔父さんだって限界まで負の感情という劣情を抱いて、それが爆発してとんでもない負幻想魔が誕生した。

 逆に考えると、忍耐力のない人間はポンポンと弱くて多い負幻想魔を発生させて、ある人は協力で手強い個体の負幻想魔を生み出す。叔父さんとんでもなく忍耐力のある、凄い人だったんだね。でも負幻想魔は出してほしくなかったな。おかげで死にかけたし。

 それはつまり、そんなとんでもない負幻想魔を倒したこの美男女の負幻想魔は、とてつもなく強くて危険な存在ということだ。一体どこの誰が彼らを誕生させるほどの、凄まじく目ん玉飛び出る程の、膨大な様々な負の感情を抱えていたのだろう。

 そういえば、彼らの生みの親? である感情の主はどこに? 俺の勝手な召喚にこの負幻想魔を呼んだが、負幻想魔とここまで距離が離れていて問題ないだろうか。もし負幻想魔が離れることによって生じる問題があるのなら、今頃なにかしら事態が起きているかもしれない。

「あのさ、君達の感情主って今一体どこに?」

『『さぁ』』

「さぁ……って。感情主は君たちの力の源だろ。万が一死んだら」

『感情主が死んだところで、俺達が滅びることはない。死んだと言うことはつまり、我らは個の『存在として確立し、この世界に留まるだけだ』

『そうそう。死んでも死ななくても、私達にとって問題がないってこと』

 ーー負の感情から生まれた存在である負幻想魔にとって、俺ら人間側からすれば『親』が死ぬといことに対し、何も感じないのだろうか。ここに来る前もおれの両親は健在で、この世界にも桐生智也の両親は生きている。親が死んだらって想像はしたことないけど、もし万が一死んだとしたら、泣くんだろうな。周りの眼なんて気にせず、ただ思うがままに感情を露わにし、情けなく咽び泣いてしまうだろう。

「君達は負の感情から生まれた存在。その中に『悲しい』とか『辛い』とか、ないの?」

『無くはないが、それを感じるモノがない』

『私達にとって負の感情は、人間でいうところ“ご飯”って感じだし。正直な話、貴方達人間のような感情は持ち合わせていないわ。そう振る舞うことができるだけ』

 その言葉を聞いて、俺は彼らに対して“負の感情”を抱いた。拳をにぎり、彼らに背を向ける。突然背を向けた俺に対して、二体の負幻想魔は首を傾げた。俺はその場に屈んで、足元にあった太く短い木の枝を手に取り、勢いよく腹に突き刺した。

 突然自傷した俺を見て、負幻想魔達は驚きながらも、すぐさま俺の腹から木の枝を引き抜く。抜けた所から血が流れ出し、口からも逆流してきた血を吐き出す。あの時の戦いと比べてそこまでだが、やっぱり痛いな。

 血を流す俺に男の負幻想魔が腹に手を翳し、薄い膜のようなモノで傷を覆い、徐々に塞がっていく。あの時の大怪我も、こうして治してくれたのか。

 刺し傷は後も残さず綺麗に治り、女の負幻想魔は口元の血を、綺麗に拭ってくれた。至れり尽くせりだわ。

『なにしてるのよ! 死んだらどうするのよ』

「どうして? だって君達は感情がないんだろ」

『それは……』

「君達がやったその行動は、無いといった感情に突き動かされたものだ。もし本当に感情が無いのなら、こうして心配してくれないでしょ」

 笑って言ってみせると、二人は目を見開いて俺を見つめる。

 自分でも何でこんなことしたのか、少し驚いている。もし彼らが言う通り感情が無ければ、俺をそのまま息絶えて彼らは俺を見殺しにするだろう。けどそうしないと言うことは、ちゃんと感情がある証拠だ。その感情の名前を理解するのに、時間はかかると思うけど。

 ニコニコで見つめてやれば、二体の負幻想魔は呆れながら溜息を吐き、それぞれ一発ずつ頭を叩かれた。そこまで強く叩かない辺り、本当に優しいんだなと、抱いていた負の感情ーー悲しさや寂しさが薄れて行った。彼らにとって不本意かもしれないけど、これくらい許されるだろう。

 俺は勢いよく立ち上がり、二人に向かって振り返る。

「俺が君達の名前、決めていい?」

『名前? 真名とは何か違うのか?』

「なんていうのかな。親しみを込めた愛称みたいなものかな」

『『愛称……?』』

 そう言いながら二人は同時に首を傾げる。

 お互いに呼び合っている右左みたいな呼び方でもいいけど、これから(不本意だけど)仲良くしていくのなら、名前で呼びたいし。俺が創作する時だって本名じゃなくて誕生花にしたし、彼らにもなにか特徴があれば。

 チラリと二体の負幻想魔に視線をやって、彼らが着けている布面に目がいった。

 男の面は白生地に青の三日月に緑の星の模様で、女の面は黒生地に赤と白の混ざった太陽の模様。ここから名前を決められないだろうか。

 よくよく見たら、二人の布面って正反対だよな。白と黒、月と太陽、青と赤。なんでなんだろう、お互いに好きなモノが丁度別々だったからなのか。まぁ今度聞いてみればいいし、今は別にいいか。安直に白と青を、赤と黒を混ぜて、そこに面の模様の名前に入れてーー。

水月(みづき)緋陽(ひなた)、何てどうかな?」

 俺は男の負幻想魔に向けて『水月』と呼び、女の負幻想魔に『緋陽』と読んでみせる。我ながらいい名前なのではと思う。噛み締めるように自分の名前を呟く負幻想魔達、改め水月と緋陽はどこか嬉しそうだ。お気に召してくれたようで何よりだ。

「さて、先を進もう。日が暮れて森の中彷徨って、獣に食べられるのはごめんだね」

 荷物を抱え直して、水月と緋陽を置いて進もうとして、見覚えのある物があることに気がつく。

 森林に入って少しして、離れた場所に『動物飛び出し注意』の表札があって、それが視線の先にあった。つまりもうすぐこの森林から抜け出すことができるのかと、あとから着いて来た水月と緋陽と顔を見合わせる。

「やっとここから出れるよ」

『よかったな、主』

『でも、これからどうするの?』

「とりあえずヒッチハイクして、ここから近いと思う祖父祖母の所に行こうと思う」

 記憶の中には、祖父祖母の家とその周囲がどんなところか、なんとなくだがわかる。それを頼りに行けば、可能性は低いが辿りつける気がする。でもその前に……。

「万が一、負祓士に君らが見つかったら大変だから、一度戻ることは出来ない?」

『それができれば、俺達はとっくの通り戻っている』

 そっか。どうしたものか。

 彼らをどうしようかと考えていると、少し離れた所から『負』のエネルギーの様なモノを感じ取った。とても禍々しく、近寄れば気を失ってしまいそうな、重たい空気の様なモノが漂ってきた。

 ……というか、なんでこれが負のエネルギーと思ったんだろう。普通不快な匂いとか、得体のしれない何かとかならわかるけど。これも負憑者の体質だからか? というか、今の俺って負憑者って言っていいのだろうか。

 要らない考えも混ざったせいで、混乱してその場に立ち尽くしていると、水月が俺の前に立って両手を伸ばす。

 瞬間、水月から一センチ離れた所から、金属を叩いたような音が鳴る。地面に石を落としたような重量感のある音がした。そこに視線を向けると、御札の張られた黒い『くない』のような投擲武器が落ちていた。

 何でそんな危険な物が飛んできたんだと、驚きと恐怖で腰を抜かしその場に座り込む。

 ジッとよく見てみると、薄紫色のもやもやっとしたものが投擲武器を纏っていた。恐る恐る掴みあげると、纏っていた靄が散り散りになって消えた。人間の俺の体に特に害はなく、なんだったんだろうと武器を見つめていると、俺を守るかのように水月と緋陽が俺の前に立つ。表情は見えないが、警戒神がヒシヒシと伝わってくる。

 二人の視線の先をチラッと覗いてみると、離れた所からこちらを見つめる誰かが立っていた。

読んでいただき、ありがとうございます。

誤字脱字等ございましたら、ご報告して下さると大変ありがたいです。

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