ep.10 俺が呼んだのは想魔じゃなかった件
重たい瞼を開けると、木々の隙間から零れる陽の光が、やけに眩しく感じる。見た所ここは森林の中の様だ。空気が澄んでいて美味しいって、こんな感じなのかなと回らない頭でぼーっと上空を見上げる。
立ち上がろうとしたその時、ある筈の感覚がないことに気がつき、俺は自分の両手を見た。
針のせいで出来ていた無数の切り傷が、跡形もなく塞がっていた。体もよく観察してみると、背中にある深い傷や折れて変な風に曲がっていた両手足が、何事もなかったかのように綺麗になっている。実はさっきまでのは夢だったのかと思ったが、服や靴に着いた茶色いシミが、現実で起きていたことだと証明された。
あれが夢でなく本当に起きていたこととするなら、どうしてボロ雑巾状態だった体が、跡形もなく綺麗に塞がり元に戻ったのか。
何があったのかと腕を組んで考えていると、背後から気配を感じで振り返る。気配を感じるのに、足音や呼吸音が一切聴こえない。叔父さんと負幻想魔が待ち構えているのかと、汗が額から頬を伝って流れる。意識を飛ばす前に倒すことができなかったのかと、落胆する暇もなく再び対抗する為に、印の書かれたノートが落ちていないかと探す。
しかし血濡れた地面は見えても、想魔を呼ぶためのノートは何処にもなかった。
唯一戦える手段がないことに、俺はドッと強く脈を打ち全身の穴という穴から冷や汗が出た気がする。ここにきてまた面倒な戦いになるのかと、迎え撃つ為に身構える。
『おや、お目覚めになられたか』
背後から叔父さんとは違う爽やか好青年な、どこか危うさを含んだ声に一瞬驚いたが、すぐに振り返って殴ろうと拳を握る。しかしその拳は飛ぶことは無かった。
『こらこら我らが主よ。病み上がりの体を動かしてはいけませんよ』
何処から現れたのかわからないが、正面から艶やかな女性の声が聞こえる。
振り上げようとした腕を、やけに優しい手つきで止めて、しかしピクリとも動かすことは出来なかった。自分の腕を抑えている人物の顔を拝もうと、俯いていた顔をあげる。視線の先には豊満な谷間……Wow…。
幼い子(と、精神が多感な青年)の目には余りにもご褒美……じゃなくて、毒だ!
少し揺れただけでたゆんたゆんと揺れて、その魅惑的な谷間に吸い寄せられ……ちゃ、駄目だろぉ!!
谷間から意識を逸らすために、バッと顔を上げると、黒い布面を被った女がこちらを見下ろしていた。隙間から艶やかな形のいい唇が口角を上げている。この女の人は一体何者なんだろう。谷間に気を取られていて忘れていたが、後ろにいる存在にも目を向ける。
なんということでしょう、こちらにも素晴らしい谷間があるじゃありませんか。目の前にいた女性とはまた違って、The・雄っぱいだ。
筋肉って力を抜いていたら、女性顔負けの柔らかな胸になると聞いたことがあるが、果たしてこの胸筋もそうなのだろうか。なんて考えていると、頭上からクスクスと笑う声が聞こえてきた。
恐る恐る見上げると先程の女性と同じく、布面を被って顔を隠している。違うのは布面に描かれた紋様と色で、目の前にいる女性には黒い布に赤と白の混ざった太陽?みたいな形の印に、男性の方は白い布に青い三日月に緑色の星?の印が書かれている。
この二人からは殺意やら敵対心が感じられない。……人間みたいな気配も、全く感じられない。警戒を解いてはいけない。もしこの二人が手練れで、俺を殺す隙を窺っている可能性がある。探るだけ探ってみるか。
「あの、貴方方は……一体」
『おや、呼び出したのは貴方ではありませんか』
「呼んだ? 俺が??」
『そうですわ。貴方の呼びかけが我らを物質世界に顕現させたのですが、御記憶にありませんか?』
顕現? 物質世界?? この人達は何を言って……ぁ。
気を失う直前、視界の端……足元から何か光っていた気がする。それはつまり目の前にいる人達は、俺が呼んでそれに応えてくれた想魔ということか。あまりにも人間みたいだったから、てっきり位の高い負幻想魔か、叔父さんかあの負幻想魔の手先か何かかと思った。
周囲を見渡してみると、周りに負幻想魔と叔父さんの姿が見えないい。ということは負幻想魔を祓って叔父さんを救えた…のか? 救えたのなら近くに叔父さんがいる筈なのに、姿どころか気配を感じられない。
「あの、聞きたいことがあるんだけど。ここにいた負幻想魔と、叔父さんは……?」
その問いに二体の想魔はお互いの顔を見て、クスリと笑った声が聞こえてきた。その声にどこか不安を覚えながらも、問いの答えが帰って来るのを待つ。
『あの低級は我らがきちんと消し去った。それと主が言う叔父さん? という奴は、精神輪廻界に放り込んだ。今頃浸食し侵され腐りきった精神を、浄化されているだろう』
「せいしんりんかいかい?」
聞いたことない単語を、オウム返しに呟く。そんな言葉は幻祓の原作にも出てきていない。と言うことは、想魔だけが知るナニかなのだろう。それは置いておいて、この男が言うことが本当なら、叔父さんは想魔の知る特殊な世界に飛ばされてしまって、今ここにはいないと言うこと、か。
俺はちゃんと、叔父さんを救うことができなかったということになる。
『主、そう浮かない顔をしなくていいわ。だってあの男は人間じゃなかったのですから』
「そ……か」
人間じゃなかった。その言葉が殴られたような衝撃を受けたが、どこか納得している自分がいた。確かにあの時の叔父さんは、負幻想魔と深く繋がり、一体化しかけていた。遅かれ早かれ、叔父さんは祓狩対象になっていただろう。
何も言わず俯く俺に想魔達は、様々な方向から表情を窺っている。俺はゆっくりと顔を上げて、こちらの様子を見る想魔達に笑いかける。
「今回は助けてくれてありがとう。君達のおかげで俺はこうして、生き延びることができた。それに、俺が目を覚ますまで傍に居てくれて」
原作ではそこまで想魔についての描写は、事細かに描かれてはいなかった。だからこうして意思疎通したり、人間のような容姿をしていたり、更には召喚主の俺が起きるまで傍にいる。なんて要素があることに正直驚いているが、彼らにも意志があるんだなと思うと、ちょっと愛着湧きそう。まぁ、彼らを呼ぶことは早々にできないだろう。
もしまた呼び出すことがあったら、またこうして話したいな。
「君達みたいな想魔に出会えてよかった。また召喚することがあったらその時はーー」
その言葉は続くことは無かった。
『想魔? 我々があの脆弱な思念体と一緒にするな』
「……え? だって、君達は俺の召喚に応じてくれて……」
『召喚? あぁ、主がやったあの儀式か。あれは雑魚を呼ぶものではなく、我ら負幻想魔を呼び出すものだ。致死量に等しい血液、術者独自の詠唱、そして尽きることのない負の源を抑える忌々しい『負魂箱』を宿さぬ者だけが使える。負祓士から見れば、禁呪の儀式というべきか』
目ん玉と心臓が飛び出そうな程の衝撃な事実に、閉じれるかわからない程口をあんぐりと開ける。負幻想魔と名乗る男が、ニヒルに笑いながら楽しそうに説明する。でもだって、原作では印を描いて血を着ければ、想魔は召喚できると描写されていた。なのに俺が呼びよせたのは、負幻想魔とのことだ。
しかも説明を聞いた感じ、俺がやったやり方は禁呪らしい。あと俺の体に『負魂箱』が宿ってないと言ってるけど、そんなことあり得るだろうか。生まれた赤子は必ず、負祓士によって負魂箱を埋め込まれる。だというのに目の前にいる男は、俺にはそれが宿っていないという。そんなことある訳……。
一つだけある可能性が頭に過ったが、それを口にしてはいけないと思った。もし言ってしまったら、何かが壊れてしまうような気がした。
ずっと掴まれていた手を振り払い、俺は服に着いた汚れを手で払い、少し離れた場所にある潰れた車の元へ向かう。その後ろから負幻想魔達が追ってくるが、気にすることなく進む。
車はあの時と変わらずぺしゃんこで、車内にあっただろう荷物を取り出すことは難しいと思いながらも、荷物があるだろう場所の車の屋根の部分を掴む。全力で引っ張るが、子供の腕力ではどうにかなるものではない。だがここにある荷物が、唯一の私物と思うと諦めきれない。
どうしたものかと頭を掻いていると、負幻想魔の女が俺が掴んでいた所を掴み、紙を破るようにぺしゃんこの車の屋根を引き破壊した。
『これでいい? 主』
「……ありがとう」
取り敢えずお礼を言って、見事に潰れているボストンバックを見つけた。中身を確認すると中身は殆ど服だけだったので、特に問題なくてよかったと安堵の息を吐く。ひょっこりと後ろから覗き込んでくる負幻想魔達は、俺が持っているモノに興味を持っているようだ。
『なぁ主、この布切れはなんなんだ?』
『ちっちゃ~い。これは何に使うの?』
「服だよ。君達が身に使ているものよりいいものではないけど」
『『ふ~ん』』
一瞬で興味を失くしたな。というか……。
「いつまで俺に付きまとうつもり?」
俺が召喚したとはいえ、もう現実世界に留まっている理由はないはずだ。なのに俺についてくるし、なんか手伝ってくれたと思ったら、俺の私物に興味湧いてからの一瞬で冷めて。更に彼らは人間に脅威を与える負幻想魔だ。万が一負祓士がやってきたら、祓われる可能性がある。
負幻想魔とはいえ、一応助けてもらった恩がある。目の前で死なれてはいい気はしない。しかし、召喚した彼らをどうやって戻せばいいものか。
と、考えていると視界いっぱいに魅惑の雄っぱいが……。
ハッと意識を逸らす為に、目の前に立つ男の負幻想魔を見上げる。布面の隙間から、ふわりと口元が上がって見える。
『主は俺達想いのいい奴だな』
「ーー何を言ってるんだ」
『いやだ~そんな照れなくていいのよ♡』
後頭部にまさにマシュマロと言わんばかりの、柔らかいモノが包み込む。なんと素晴らしい柔らかさだ、一生包まれていたい。
いやいやいやとはしたない考えを頭を振って消し去り、負幻想魔の言った言葉に少し引っかかり、上目遣いで男の負幻想魔に問いかける。
「もしかしてだけど、俺の思考読んでる?」
『まぁな。なんてったって俺達は負の感情から生まれた存在、人間の思考は大体わかる。と、言いたいところだが、俺達が感情を読み取れるのは、負幻想魔になりえる者を抱えている人間だけだ。つまり俺達の源『負の感情』。と、契約者のみだ』
「契約者?」
誰がと聞きたいけど、間違いなく俺だよね。呼び出した張本人だし。
『私達を呼ぶ時言ったじゃない。私達に手足になれとか、主として役目を果たしてくれるとか』
あれは俺が設定した中二病全開黒歴史となった召喚する時の詠唱であって、別に絶対ってわけではない。なんなら俺の迷惑にならない範囲で、好きに自由にしてくれと思っている。いやそうじゃなくて……。
「契約の破棄は……」
『無理無理。契約で主の魂は契約の縛られちってるから、主が死ぬか俺らが祓われない限り、永久契約だよ』
『正直人間に仕えるの糞ダルゥって思ってたけど、こんなに可愛い子が主人なら、全然有り♡』
死ぬまで宜しく、我らが主。
両耳からとてつもなくいい声が艶やかに囁かれ、全身がやけに熱く感じた。間違いなく顔真っ赤だし、脚踏ん張んないと腰抜かして座り込む。以前聞いたことのある耳舐めASMR、同等の破壊力がある。一歩間違えたらにんしゲフンゲフンッ!!
一応彼らの主になるからには、それなりの威厳を見せないといけない。だから俺なりに頑張って、二人を見上げて腕を組んでみせる。
「……よ、よろしく、お願いしましゅっ」
出てきた声はなんとも情けなく、しかも最後噛んで恥ずかしい。見下ろしてくる負幻想魔達は、小動物をめでるかのように、俺の頭を優しく撫でてきやがる。
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